第3話「とうもろこしは未来を照らす」
朝露をはらんだ畝の間で、黄金色の粒が陽に火花のようにきらめいた。
とうもろこし——昨日、一粒食べた瞬間に視界に走った“数秒先の映像”。それがただの幻覚ではないことを、俺はすぐに思い知ることになる。
「アルト様?」
背後から王女エリシアの声。寝癖を気にしていた執事のグレンまでついてきている。
「今朝は畑に怪しい影が……」
「ああ、見えてる。正確には“見えていた”。二分後に、村の入り口を先行斥候が三名、路地に紛れて抜けようとする」
「ふ、二分後に? ……そのような情報、どこから」
「とうもろこしからだ」
言ってから、自分でもおかしくて苦笑した。だが、冗談でも誇張でもない。
未来視——発動条件はとうもろこしの甘味。しかも、食べる量で“先読みの尺”が伸びる。ひとかじりで数十秒、一本で数分。食べ過ぎると胃もたれするし、映像が詰め込み過ぎで頭痛が走るのが難点だが、使える。
「エリシア。村の入口に“キャベツ”を三つ置いてくれ。緑のやつ」
「結界が発生するのですね。承知しました、グレン!」
執事が走る。王女——なのに手ずからキャベツを抱え、結界の起動位置まで軽やかに駆けていく。
俺は畝の端で大根を引き抜き、とうもろこしをもう一粒。映像が更新される——結界に驚いた斥候の一人が裏路地へ回り、井戸の脇へ。そこには……。
「玉ねぎの籠だな」
玉ねぎ——切ると涙が止まらないアレ、俺の畑産は涙腺強制開放(範囲)。空気がわずかに刺激性に変わる。
斥候が井戸を覗く瞬間を狙って、俺は畑仕事用ナイフで玉ねぎを二つ刻み、風上にかざす。ほんの少しの風で十分だ。
次の刹那、路地からくしゃみと涙目のうめき声が三重奏で響いた。
予定通り、三人とも捕縛。村長に預け、怪我がないか確認してから、俺は鍬を肩に乗せて大きく息を吐いた。
「……畑、最高」
「最高の使い方が完全に戦術ですわね」
エリシアが呆れ半分、感嘆半分の顔で近づいてくる。「けれど、これで一つ確かになりました。アルト様の畑は、“侵攻前提の世界”で人々を守れる」
「理屈じゃ分かってる。だけど本音は違う。俺はのんびり収穫して、夜にスープをすする暮らしがしたい」
「——ならば、その暮らしを守るための仕組みを作りましょう。ここを“戦場”ではなく“農場”に保ち続けるための、ルールと人を」
王女の瞳は畑の緑のように強く澄んでいた。
俺の腹の底で、現役の頃の勘が少しだけむずがゆくなる。
「分かった。まずは畑を、俺以外の“目”で守れるようにしよう」
午前中は収穫、午後は臨時の会議だ。村の公民館に、村長、王女、冒険者ギルドの下っ端、近隣の農家、そして「就職希望」と書かれた札を首からぶら下げた若者が押し寄せた。
扉の外にはさらに列——“アルト農園募集”の張り紙を誰が作ったのか、そこかしこに貼られている。俺はそんなもの出していないのだが……。
「お、お仕事募集は本当ですか!?」
最前列の少女が手を挙げる。髪をきゅっと結い、目は野菜の葉脈みたいに生き生きしている。「回復人参、家族に必要で……」
「回復目当てで集まるのは当然。でもここは病院じゃない。働くなら“畑を畑のままに保つ”覚悟がいる」
会議の卓上に、俺は簡単な紙を広げた。
アルト農園・暫定ルール
1. 野菜は売らない。交換はする(労働、種、情報、保護)
2. 戦闘目的での大量取得は不可。応急用途は王女の承認制
3. 畑の周囲半里は非戦区。武器の抜刀禁止(農工具除く)
4. 畝間に共同畑を設け、就労者はそこで通常野菜も育てる
5. 収穫物のうちチート野菜は封印倉で管理。鍵は三者分割(俺・王女・村長)
ざわ……と会場が揺れた。
冒険者の一人が腕を組む。「売らない、だと? 金貨が動かねえと世の中は回らねえぞ」
「金は他で稼げ。ここは命の場所だ。金が入ると、命の重さを見誤る」
静寂。
だが、王女が一歩前へ出て言葉を継いだ。
「王家は、アルト様の決定を支持し、**畑周辺を王家直轄の“守護保全区”**とします。非戦区を破る者には相応の処罰を。……アルト様が畑を畑でいられるよう、王家が責任を持ちます」
村長が涙目で頷く。「ありがてぇ……!」
就職希望者の列から、何人かが一歩進み出た。
屈強な女戦士、元盗賊風の俊敏な男、魔法の理論に興味津々の魔術師見習い、そして最前の少女だ。
「私、リラといいます。力仕事できます! 畝立て、得意です!」
「俺はカイ。鑑定持ちだ。野菜の状態、数字で出せる」
「ミーナ。魔力の流れが視えるので、結界の継ぎ目を補強できます」
「レオン。……元はあっちの国の斥候だった。畑の敵の目になれる」
面々を見渡し、俺は頷いた。「よし。アルト農園・創設メンバー、これでいく」
拍手が起きる。
エリシアは小さく「ありがとう」と呟き、俺の横でほっと肩を下ろした。
拠点整備が始まった。
畑の周囲にカボチャの防壁——熟して硬化した俺の畑産カボチャは、積み上げると石と同等の硬度、しかも衝撃吸収の性質がある。
小屋の屋根にはハーブの風見——風向で侵入方向を感じるとともに、香りで小型の魔物を遠ざける。
畝間には稲の小兵——水田の短稲を束ねて祈りを込めると、夜間のみ動く藁人形へ。動力は水の音。侵入者が田の水面を乱すとチリ、と音を立て、藁人形がそっと立ち上がる。
ミーナが目を輝かせる。「魔術式を使っていないのに、どれも自然の理で発動している……これ、体系化すれば“植物魔術”として学問になります!」
「学問はあとで頼む。今は実践だ」
俺は土を掘り返し、ジャガイモ地雷を埋設する。もちろん殺傷じゃない。踏むと土が柔らかく沈むだけで、膝から崩れる。攻め手の隊列を崩すのにちょうどいい。
レオンが地図に印をつけ、リラが畝を補強、カイが鑑定で土壌状態を可視化し、グレンが王宮への連絡と物資の手配を捌く。
夕暮れ、最初の“農園班”はもう息が合っていた。
「アルト様」
エリシアが湯気の立つ鍋を持ってきた。「とうもろこしのスープです。……未来が、優しくなりますように」
スープはやさしい甘さで、胃に落ちるとすーっと視界が澄んだ。
未来視がまた、数分だけ開く。夜の村を俯瞰する映像——月光の下、道の影、遠くの丘。……黒い点が動いた。
「来る。二十、いや三十。陣形は散開。カボチャ壁に集中する。——ヴァルドリアの第二陣だ」
全員の背筋が伸びる。
だが、俺は鍬を握りながらも、どこか冷静だった。ここは“戦場”じゃない。畑だ。やることは——守ること。それだけだ。
夜。
風の向きがわずかに変わり、ハーブの風見が鈴のように震えた。
藁人形が田のほとりでふっと起き上がり、稲穂の影が月にゆらめく。
レオンが耳を澄ませる。「……足音三十。予想通りカボチャ壁の薄い東側に寄る」
「合図は“とうもろこし二粒”。カウントは俺がやる」
とうもろこしを二粒——視界の中に秒読みが現れる。
5、4、3、2——
「今!」
カボチャの壁の内側、俺たちが昼に埋めたレタスの盾畝が一斉に展開した。
葉が硬くしなり、重なるたびに半透明の盾が生まれる。
その背後から、リラが大根槍で突く。殺さない角度、足首と手首だけを狙う訓練はすでに済ませた。
ミーナの両掌からは水菜の鎖が伸び、突進の勢いをやさしく捕らえる。
ジャガイモ地雷を踏んだ敵は膝から崩れ、泥で体勢を崩し、藁人形に肩を押されて結界の外へ誘導される。
最小限の痛みで、最大限の無力化。
呻き声は上がるが、血の匂いはしない。
俺は最後尾の指揮官だけを狙ってピーマンの煙幕を投げた——食べると子どもが泣くアレは、俺の畑だと苦味が恐怖緩和へ変質する。不安の波が小さくなり、敵の士気が自然と折れる。
「撤退だ! 敵は……敵は畑だ!」
“敵は畑”という迷言を残し、第二陣は蜘蛛の子を散らすように去っていった。
静寂。
緑の結界が薄れ、ハーブの香りが夜気を洗う。
エリシアが胸に手を当て、ほっと息をつく。「誰も死んでいませんね」
「畑は命を育てる場所だ。殺さずに追い払えるなら、それが一番いい」
そのとき、丘の向こうから低い角笛の音。
灯りの列が近づいてくる。武装は……王国側。援軍の到着だ。
先頭の騎士が兜を脱ぎ、馬上から手を振る。
「アルト殿! 王都よりの増援である! 遅くなってすまない!」
村の子どもたちが歓声を上げる。
俺は思わず笑い、それからすぐに表情を引き締めた。「助かる。だが、覚えておいてくれ。ここは農園だ。剣を抜くな。畑を踏むな。兵も人も、土に敬意を持て」
騎士は驚いたように瞬き、やがて真面目に頷いた。「心得た」
翌日——「アルト農園」は正式に王家認定の守護保全区となり、王都の公文書に記された。
同時に、見学の申し込みと就職希望は雪崩のように増える。
俺たちは面接のために畑の端に藁のベンチを並べ、順番に話を聞いた。
「筋力に自信があります! カボチャくらいなら片手で持てます!」(却下:カボチャは両手と敬意で扱うものだ)
「料理が得意です。野菜の味を最大限に活かせます!」(採用:回復人参シチューの研究担当)
「歌で魔物を鎮められます」(採用:夜間の子守菜畑の見回り)
「数字の管理が得意です」(採用:交換台帳の作成)
中でも面白かったのは、小柄な少年の志願だ。
「ぼく、カカシが作れます!」
少年が持ってきたのは、布と藁と、俺の畑で採れたヒマワリの種。
それを胸に入れてカカシを立てると、昼間は鳥を呼び寄せ、夜は逆に小動物を遠ざけるという。
鳥は害ではないか? と思ったが、少年は得意げに言った。
「鳥は朝、アブラムシを食べてくれるんです。夕方になったらヒマワリの種をあげれば、また明日に来てくれます」
畑が畑を守る。
俺は笑って頷いた。「採用だ」
そんなふうに忙しくも温かい日々が流れ始めたころ——王都から正式な文書が届いた。
差出人は農商務省。封蝋を割ると、中には丁寧な文面がある。
「アルト殿
畑の件、国政に与える影響甚大につき、近々王都にて**“農政特別会議”**を開く。
王女殿下とともに出席願いたい。
なお、ヴァルドリアとの国境問題、当面の停戦を得た」
「停戦……!」
エリシアが瞳を輝かせる。「アルト様のおかげです」
「いや、畑のおかげだ」
とはいえ、安堵も束の間。王都に行くということは、俺が一番苦手な人混みと饒舌に揉まれるということだ。
しかも“特別会議”。畑のルールを守らせるためにも、きっと口を挟む必要がある。
「……のんびりのはずが、ずいぶん賑やかだな」
「賑やかで、平和ですわ」
エリシアが微笑む。「アルト様、王都へ行きましょう。畑の都合が最優先の、世界一わがままな農政を、私たちで通してまいりましょう」
王女の瞳に、妙な闘志が燃えている。
俺は苦笑し、とうもろこしをひとかじり。数分先の映像には——王都の大広間、耳ざとい貴族、机上の理屈、そして……背丈ほどの巨大ナスを抱えて入場する自分の姿。
……何やってるんだ俺。
「ナス、どうなさるおつもり?」
エリシアが首を傾げる。
「たぶん転位ナスだ。会議が詰んだら、全員をここへ瞬間転送できる」
「畑ごと会議、ですの……?」
「畑の匂いを嗅げば、固い頭も少しは柔らかくなる」
エリシアは笑い転げ、涙まで浮かべた。「世界初の出張畑会議、楽しみになってきましたわ」
夜。
星明かりの下、俺は畑の畝に腰を下ろして空を見上げた。
隣には、湯気を立てる鍋——回復人参とじゃがいものポタージュ。
向こうでは新人の面々が笑い合い、藁人形が田の端で退屈そうにあくびをしている(気がする)。
エリシアが湯気越しにこちらを見る。
「アルト様。のんびり、できていますか」
「……うん。戦ってるのに、のんびりだ。不思議なもんだな」
「畑は、守るために戦い、戦わないために守る場所。あなたがその真ん中にいるから、皆が落ち着いて働けるのです」
言われ慣れない言葉に、耳がむず痒くなる。
未来視を使えば、王都の喧騒や、ヴァルドリアの次の策も断片的に見える。だが、今はそれをわざと手放した。
穂の擦れる音。虫の声。土の温度。
“のんびり”は、戦利品じゃない。毎日の手触りだ。
「——アルト様」
エリシアが少しだけ表情を引き締める。「王都に行く前に、一つだけ確認させてください」
「なんだ」
「畑を“国のもの”に——決してしませんわね?」
「当たり前だ。畑は畑のものだ。もっと言えば、土のものだ。人は借りて世話をして、最後に感謝して返すだけ」
王女は満足げに頷いた。「では、王都で戦いましょう。畑のルールを、王国のルールに刻みに」
「……ああ。鍬でな」
二人で笑った。
鍬で法律を耕す、なんて言い回しはどこかで怒られそうだが、まあいい。畑はいつだって、理屈より先に芽が出る。
その夜の最後、とうもろこしをもう一粒。
映像がまた開く——王都の大広間、ずらりと並ぶ貴族、書記官、商人。
彼らの視線が一斉にこちらを向き、囁きが走る。
だがその中央、堂々と立つのは王女エリシア。彼女の言葉がはっきりと聞こえた。
『王国は宣言します。畑に剣は入れない。畑の野菜は売らない。畑の労働には敬意を払う。』
ざわめき。反発。拍手。怒号。
俺は巨大ナスを肩に担ぎ、にやりと笑っていた。
——会議は荒れる。だからこそ、面白い。
未来の映像が消える。
目の前には、静かな畑と、湯気と、星と、王女の横顔。
のんびりは、いまここにある。
次回予告:第4話「王都へ。鍬を持って会議に出る」
王都の特別会議で“売らない農政”を主張。
利権まみれの貴族と商会が猛反発、会議は大荒れ。
そこで炸裂する転位ナスと“出張畑会議”。
さらに、ヴァルドリア側から“農業視察団(実質スパイ)”が派遣され……。




