【アップ】2025年6月22日主日公同礼拝/讃美歌とMy noteもあります
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(不思議のパルプンテ)
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/live/eORJOP4QjBc
【ブログ】
お気軽にお立ち寄りください☕
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12913557757.html
聖書
『ヨハネによる福音書』(第一六章四節後半〜一五節)
讃美歌~♬
讃美歌181番
https://www.youtube.com/watch?v=Jr4Gai5tJw8&list=RDJr4Gai5tJw8&start_radio=1
讃美歌191番
https://www.youtube.com/watch?v=g2Uju0V11MI&list=RDg2Uju0V11MI&start_radio=1
2025年6月22日 礼拝説教 聖書箇所
聖書 ヨハネによる福音書16章4~15節
4 「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。5 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。6 むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。
7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
(My note)
二〇二五年六月二二日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「イエス・キリストの更なる高みを表す言葉は何ですか。」
「キリストが、天に昇られたとの言葉です。」
イエス様は十字架に掛けられた後、三日目に死人の内より甦り、天に上り、全能の父なる神の右に座し給えり。詰り「死人の内より甦り」と言う所に「全ての罪人(人間)の罪からの復活」が確約された事に成り、その確証を先駆けてイエス様が証明した…と言う事である。神様がイエス様を通し、この証明と確約を人に与えたのである。
(公同礼拝)
『ヨハネによる福音書』(第一六章四節後半〜一五節)
※今日は講壇交換礼拝であり、牧野神学生のメッセージである。メッセージタイトルは『去って行く』。
この箇所は、イエス様の告別の教えであり、この世の罪と、イエス様が天に上る事の義と、この世の裁きに就いて語られる。
「これ等の事」とはその前の箇所に在る、
「人々はあなた方を会堂から追い出すであろう。更にあなた方を殺す者が皆、それによって自分達は神に仕えて居るのだと思う時が来るであろう。彼等がその様な事をするのは、父をも私をも知らないからである。」(『ヨハネによる福音書』第一六章二〜三節、迫害の予告)
とされた事。
「私が去って行く事は、あなた方の益になるのだ」(『ヨハネによる福音書』第一六章七節)
とは、イエス様が死人の内より甦り天に上る事が、全ての罪人がその罪の内から信仰に依る甦りに確約される事。
「助け主」(別の解釈では「弁護者」)とは、聖霊の事である。
「罪について」の「罪」とは、記してある通り「彼等(この世の罪人であり神様の使徒を迫害する人達)が私(イエス様)を信じない事」であり、「裁き」とは「この世の君、即ちこの世の権力者達がその罪の為に、真理である神様の御前で裁かれる事」である。
人知には限界が有り、この時イエス様が教えた事を弟子達も理解出来なかった。これは弟子達が人一倍理解力が無かった事にあらず、全ての人が同様にこう成るのである。先ず「死者がその死の内から復活する事」が人の合理により理解出来ない。また未来の事は全ての人にとって未知に在り、予測・確率論は立てられるが、その具体的且つ確かな未知の内容を知れず、把握して理解出来ない。
人の世は「自分の罪の為に裁かれる事」を知らずに理解せず、その罪に従う在り方が「自分で作り上げた神に仕えて居る事」と信じ、その生き方を曲げない本質を持つ。この在り方に既に「全ての人が罪人に生まれた事・その罪から逃れる事が余程に手強い事」が証明される。
聖霊に依る弁護者(助け主)がイエス様の昇天の後に来る事には、全ての罪人が信仰に生かされ、聖霊の働きに依り、その信仰生活を全うする事への試練と恵みが窺える。
全ての人は罪人である為、また人間である為に、この時のイエス様の言葉を理解出来ず、だからこそ信仰にしがみ付き、聖霊に依る信仰生活に於ける助け・救いを求めねば成らないのである。この助けを求める事が、正しい信仰に依る祈りである。人は自力で救われるのでなく、唯一真理であるキリストの下、神様の下で聖霊の働きを受け、その信仰の力に依り救われる。罪人が罪から救われる法はこれのみである。
イエス様を通して全ての人に与えられる罪からの救いは、人の息吹きの様に身近に在り、何時でもその救いの恵みに与れる。
人にとって最も受け入れる事が出来ない・理解出来ないものは死である。その死の正体を誰も知らない。又その死への不安・恐怖・苦痛への慄きに在る。死を受け入れる事は余りに重い柵。しかしイエス様の存在を通し、この死は死でなく信仰に依る救いへの通過点と成り、死を受け入れ理解出来る契機に成る。イエス様の存在に依り、信仰に生かされる全ての罪人は死に打ち勝ち、最大の喜びと言える復活の恵みに与るのである。
或る人が、自分に親しい人を亡くした後に、
「生きて居る時よりも、その人が近い存在に感じる」
と話す。全ての人は、神様から生まれた事により、その復活の喜びに気付き、その恵みを知る賜物が与えられて居る。正しい唯一誠のキリストに従う上で、その信仰生活に生かされ、イエス様がこのとき教えた事を含め、全ての人に語った事を、知る程に信じる事がその救いの喜びへの第一歩に成ろう。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教18 「人と異なることをもあえて」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zJN_HPUMu0E
「ここに、私がおります。私を遣わしてください!」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=EiF67kwlqPE
中川牧師とめぐる旅:【パンと魚の奇跡教会】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Zdse8AUIZiY
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
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