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非業の枷  作者: 陰東 紅祢
第一章
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疑念は確信へと変わる

 知らぬ間に、空からポツリ、と雨粒が落ちてきた。

 虚ろな眼差しのまま緩慢な動きで空を仰ぎ見ると、いつの間にやら分厚い雨雲が上空を包み込んで冷たい風が吹きつけている。灰色の重たい空から降る雨粒を黙って見上げていると、徐々に勢いが増してくる。


 通り雨だ。辺りを歩いている人々は急いで店や家の軒下に逃げ込み、雨が通り過ぎるのを待っていたがトーマスはその場から動く事はせず、空を仰ぎ見たままその雨を体全体に受け止めた。


 殺すのか、殺さないのか……。


 そう考えて、トーマスは目を細めてきゅっと唇を噛んだ。


 違う、そうじゃない。殺すとか殺さないかじゃない。殺せるのか、殺せないのか、だ。


 見上げていた空から自分の手を見下ろすと、容赦なく叩きつける雨にずぶ濡れになった自分の姿が見える。

 トーマスは雨の滴る自分の手を見つめ、何度も繰り返す言葉を口にした。


「殺せるか……殺せ、ないか……」


 赤ん坊の頃から大切に育ててきた。時には過保護だと言われても仕方がないほどに惜しみない愛情を注いできた。自分の血を分けた最愛の子。きっとこれからもずっと、変わらずに愛していく。


「……愛して……」


 己の中に巡る思いをポツポツと口にするトーマスは、迷走していた。


 リガルナの事を愛している。たった一人の大切な息子。外へ出しても恥ずかしくないように、惜しみない愛情と共に世間様に迷惑をかけないよう厳しく躾をしてきた。

 世間様に、迷惑をかけないように……。


「迷惑……?」


 トーマスは俄かに目を見開き、そしてぎゅっと拳を握り締めた。そして、再び重い足を踏み出し家路へと向かう。一歩一歩、家が近づくにつれてトーマスの心がざわめきたった。


 あの子は悪魔の子供なんかじゃない。少し他とは違うだけだ。そうだ、ほんの少し、ほんの少しだけ……。


 そう心の片隅で思う自分を感じていた。しかしその考えとは裏腹に、黒い感情も湧いていた。


 世間様に迷惑をかけるくらいなら、自分たちが世間様に白い目で見られて攻撃を受けるくらいなら、あの老婆の言うようにいっそこの手で……。


 自分でも驚くほどに、膨れ上がった黒い感情に思わず身震いをした。


「そんなこと、出来るわけないじゃないか……。そうだ、ほんの少し違うだけであの子は普通の子だよ」


 緩く笑いながら、黒い感情に背を向けてトーマスはそう呟いた。

 家の前に辿り着き、ゆっくりと玄関のドアノブに手を掛けて開いた。その瞬間、思いがけず中からリガルナが飛び出してくる。


「あ、お父さん。全身びしょ濡れじゃないか! 今丁度探しに行こうと思ってて……」




 ホンノ……少シダケ……。




 トーマスは強張った表情のままその場に凍りつき、目の前のリガルナを食い入るように目を見開いたまま見下ろした。




 なぜだろう。今、最愛の息子を目の前にして何かが砕け散った音を聞いた。




 目の前にいるのは、最愛の息子……のはず。しかし昔の面影が見られない。今、目の前にいるのは赤い瞳に赤い髪、細く尖った耳をした……。


「お、お父さん……?」


 いつになく怖い表情を浮かべていたトーマスに、リガルナは怪訝な表情を浮かべて顔を覗き込んでくる。その次の瞬間。トーマスはリガルナの胸倉を乱暴に掴み上げ、椅子の並べられている工房内へ思い切り投げ飛ばした。

 派手な音を立て、投げ飛ばされたリガルナの体は椅子を弾き飛ばし、壁に強かに体を打ちつける。

 突然何が起こったのか理解できず、背中に感じる鈍痛に顔を歪めて咳き込みながら、今自分を投げ飛ばしたトーマスを見上げる。


「お、父さ、ん……」


 僅かに翳む視界の先に立ったトーマスの表情は、もはや自分を見てはいない。まるで違う何かを見ているように大きく目を見開いたまま肩で息を吐きながら、血走った目でこちらを凝視している。


「トーマス!」


 物凄い音に、二階にいたフローラが慌てふためいた様子で階段から下りてくる。

 トーマスはそんなフローラには目もくれず、リガルナの前にゆっくりと歩み寄ってきた。

 いつもとはまるで様子が違う父の姿に、リガルナは恐怖を覚え、体を小刻みに震え上がらせながらジリジリと後ずさりをしながら青ざめた顔で父を見上げている。


「……お前は悪魔の子だ」


 突如として呟いたトーマスの低く唸るような声音。その言葉に、リガルナは眉根を寄せ混乱した面持ちで彼を見上げた。


「……え?」


 ゆっくりと距離を縮めてくる父の姿は、恐怖以外感じられなかった。壁にぶつかり、これ以上後ろに下がる事が出来なくなったリガルナは心の底から震え上がる。


「あぁ、そうさ……お前は、魔物と人間との間に産まれたハーフなんだよ!」

「あうっ……!」


 そう言うなり、足を振り上げてリガルナの体を思い切り蹴り上げた。

 横倒しに倒れたリガルナは、蹴りつけられた腹部を手で覆い隠し苦しげに息を吐く。

 なぜ、急にこんなことをするのかリガルナには分からなかった。


「トーマス! トーマスやめて!」


 力いっぱい蹴り上げられ、リガルナは咄嗟に両手で頭を庇い体を小さく丸めて防御体勢を取った。それでもお構いなくトーマスは激しく踏みつけ、なじる。

 フローラはこんな状態にどうしてなったのかわけも分からず、二人の間に割り込んでリガルナの体を抱きかかえ、トーマスの攻撃から守った。

 背中や脇腹に激しい痛みを覚えたが、それでもフローラはしっかりと震えるリガルナを抱きしめて離れようとはしない。


 ふと、一瞬トーマスの攻撃が止まる。


 フローラは恐る恐る背後を振り返り、トーマスを見上げた。

 今まで一度として見た事がないような形相でこちらを睨み下ろしている彼の姿は、フローラの知らないトーマスだった。憎悪に満ちた形相。まるで自我を手放してしまったかのような冷たい眼差しと微笑に凍りついた。


「……そうか。お前もそうなんだな」


 表情を曇らせてポツリと呟いた言葉に、フローラは眉間に深い皺を寄せ怪訝そうに見つめ返す。


「……何を言っているの? トーマス、何があったと言うの?」

「うるさいっ!」


 フローラの問いかけにまるで耳を貸さず、トーマスは渾身の力でフローラの頬を激しく打ち抜いた。


「きゃあっ!!」

「お母さん!」


 激しく打ち抜かれた衝撃に、フローラもまた倒れ込んだ。咄嗟にリガルナが丸め込んでいた体を起こし、フローラの傍に駆けつける。

 ゆらりと体を揺らしながら、ゆっくりと近づいてくるトーマスに二人は互いに抱きしめ合い恐怖に染まった顔で打ち震えた。


「……お前が、僕に隠れてこそこそと魔物と契りを交わしたんだろ。だからこんな子供が産まれたんだ」

「トーマス……何を言っているの? そんな事有り得ないわ!」


 赤く腫れ上がった頬を押さえ、涙を流しながらそう訴えるフローラに対してもトーマスの暴力は働いた。

 トーマスはフローラの腹部を狙い思い切り蹴り上げる。


「長い間子供が出来ないからと、そんな事をするとはな。とんだ裏切りだっ! あぁ、気付かなかった僕もバカだったよ。まさか一番信じていた相手に騙されるだなんてなっ!」


 激しく相手を罵りながら、何度もフローラを殴りつけた。

 一方的に打ちのめされる母を庇うように、リガルナは父の前に両手を広げて立ちはだかる。


「やめてよ! お父さんやめて! お母さんが死んじゃうよ!」

「うるさい! お前のような魔物にそんな事を言われる筋合いはないっ!」


 トーマスは腕を振り上げ、リガルナの頬も思いっきり打ち抜いた。

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