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非業の枷  作者: 陰東 紅祢
第二章

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盲目の少女

 リガルナが身を潜める死山の麓に、一軒の民家があった。


 人里からかなり離れた場所に存在するその民家には、一組の夫婦と娘が住んでいる。家の裏手は山と鬱蒼と茂る不気味な森が広がり、隣人は誰もいない。三人はまるで人目を避けるかのようにひっそりと暮らしていた。


「あたしは買出しに行ってくるからね。部屋の掃除と夕飯の支度、それから暖炉と風呂用の薪を割っておくんだよっ!」


 荒々しく声をあげながら勢いよく玄関の扉を開き、部屋の中にいる人間に怒鳴った。

 その声に手にした箒を握り締めながら見送りのために出てきた、齢15歳ほどの少女が虚ろな眼差しのまま小さく返事を返す。


「……はい。あの、おばさん……すぐに帰ってきますか?」


 怯えたように震える小さな声。決して目の前の女性の存在を繋ぎとめておきたいと言う感じではないのだが、彼女の叔母である女性がいなければ怖い事が起きる。だから早く帰ってきて欲しい。そんな小さな希望を込めて少女は訊ね返していた。そんな彼女の言葉の意味など気付くはずもない女性は、あまりに小さな声で話す少女に更なる苛立ちを覚え、今や消えなくなってしまった深い眉間の皺を更に深めて怒鳴った。


「はぁ? 何言ってるのかサッパリ分からないよ! ったく、お前はほんとにダメな娘だね! 言いたい事があるならハッキリお言い!?」

「……い、いえ」


 叔母のあまりの気迫に、少女は萎縮してそれ以上何も言えず震え上がりながら首を横に振った。

 女はフン、と鼻を鳴らし少女を憎憎しげに睨み下ろすと、これまで何度と無く吐いた辛辣な言葉を再び零した。


「全く、なんでこんな軟弱で、しかも目の見えない手のかかる小娘をうちが引き取らなきゃならなかったんだろうねっ! 本当にイライラする! 姉さんが生きていたら文句の一つでも言いたいところだよっ!!」


 そう言い捨てると勢い良く扉を閉め、女は家を後にした。


 少女は暗くなった玄関先で箒を握り締めたまま床に視線を落とし、下唇を噛み締めて込み上げる涙を必死に堪えていた。


 6歳の時に事故で両親を亡くし、ここへ来てから9年。ただの一度として優しく扱われた事もなく、昼夜を問わない強烈な罵倒と泥のように眠る直前までこき使われる毎日。食事すら一緒に食べる事はさせてもらえず、ほとんど残りもしない残飯だけが日に一度だけ彼女に与えられる食事だった。

 彼女はもともと体は強い方ではなく、寝込む事も少なくない。そんな時でさえ「ああしろ、こうしろ」と無理難題を突きつけて、出来なければ体罰を加えられ物置に放り込まれる。満足のいく食事すら摂れていない中で、ただ死ぬ為だけに生きているこの日々が彼女の気力を奪っていた。


 一体自分は何のために生きていると言うのだろう? なぜ、9年前の事故で両親と共に消えてしまわなかったのか……。あの時、親切に助け出してくれた知らない王国の兵士達を恨まない日はなかった。


 肩を落とし、細い体を小刻みに震わせながらそんな事を考えていた少女に、すぐ傍のキッチンから気だるそうな野太い声が掛かる。


「おぉい、アレア。さっさと掃除を済ませてくれないか。瓶が邪魔でしかたねぇんだよ」


 アレアと呼ばれた少女はビクリと体を動かすと、怯えきった様子でゆっくりとそちらに顔を向ける。

 彼女の目には何も映らないが、キッチンからこちらを睨むように見ている叔父の気配がひしひしと肌に感じられた。しかも睨むだけでなく、絡み付くようなネットリとした視線。頭の先から足の先までくまなく見られている、そう感じさせる嫌な視線だった。


「あちこち埃が溜まってるんだ。さっさと終わらせてくれよ」


 恰幅がよく、昼間だと言うのにテーブルの上には酒瓶が何本も転がりそれだけでは足らずテーブルの足元にも数本ワインの瓶を転がしている叔父は、体全体が赤く染まるほどに完全に泥酔していた。


「……は、はい。すぐに」

「さっさとしろっ! 小娘がっ!」


 返事を返した声をわざと遮るように、叔父の言葉が投げかけられる。握り締めた手でドンッと強くテーブルを叩き付けると、酒のつまみにと皿に置かれていたオリーブが撥ね上がり、コロコロと転がって床の上に零れ落ちる。


 アレアは再びビクリと強張らせ、箒を更に固く握り締めて震える手を伸ばし壁に触れながらキッチンへと向かうと掃除に取り掛かる。


 手探りに部屋の隅を探し当て、そこから箒で床に散らばったゴミを掃きだす。壁を辿りながら埃を一通り掃きだすと、叔父のいるテーブルの傍へと足を踏み出す。


 怖い……。怖くて仕方がない……。できる事なら、叔父の傍には近寄りたくない……。


 蒼白しながらアレアが掃除をしている間も、叔父はキッチンのテーブル前にどっかりと腰を据えたまま残りの酒の瓶を煽っていた。

 瓶を片付けようと緊張しながら小刻みに震える手を伸ばすと、アレアの指先がテーブルの上の酒瓶にぶつかる。すると、まるでドミノ倒しのように瓶は次々と倒れ、床の上へ無数に割れる音が響き渡った。


「おい! 何してやがるんだ!」


 いきり立ったようにそう声を荒らげながら、しかしその顔には不敵な笑みを浮かべながら椅子を蹴倒して立ち上がる叔父に、アレアは恐怖の色を更に濃くして縮み上がった。

 明らかにわざと瓶が倒れるように置かれていたなどと、彼女自身が気付くはずもない。ただただ叔父の怒鳴り声にすくみ上り、自分のやってしまった事に震え上がる。


 また失敗してしまった。またお仕置きをされてしまう。


 そんな思いがアレアの頭を一杯にした。

 伸ばされた叔父の腕がアレアの手首を掴むと、問答無用で引き寄せられる。


「い、嫌っ!」


 アレアは滅多に出さないようなひきつったような声を上げ、箒をその場に捨てて近くの棚にしがみつく。


「嫌じゃねぇんだよっ! 余計なことばっかりしやがって、仕置されるのは当然だろうがっ!!」


 力で敵うはずもない叔父の前に、アレアは必死に棚にしがみついて抵抗する。

 アレアはこの後何が待っているのか分かっていた。叔母が留守にしている間だけいつも仕置と言いながら叔父にされていることを……。


 死に物狂いでしがみつき、その場から動かないアレアを叔父は力任せに無理矢理棚から引き剥がすと、暴れる体を強引に抱え上げて寝室へ行きベッドの上に放り投げる。

 抵抗など出来るはずがない。腕の一本や二本、折られても逃げる術があると言うのなら迷う事無くそうしていただろう。しかし、自分には世界が見えない。見る事ができない。それ故に逃げられるはずもなかった。


「たっぷり仕置してやるからな……」


 下卑た笑いを浮かべつつそう言いながら、叔父はズボンのベルトに手をかける。その音がアレアの背筋を這い登ってくる恐怖を更に煽った。


「い、や……。嫌あぁぁっ!!」


 アレアは無駄だと分かっていながらも抵抗するように体全体をバタつかせるが、両腕を抑え込まれ上にのしかかって来る大きな体の叔父を跳ね除けることも出来ず、今日もまた叔父のいいようにされてしまう。乱暴に身ぐるみを剥ぎ取られあられもない姿を晒された。


 もう嫌だ。こんな目に遭うくらいなら早く死んでしまいたい……。


 アレアは大粒の涙を流し、血が滲むほどにきつく唇を噛み締めて、執拗に体を這い回る叔父のごわついた気味の悪い手の感触と悪寒と吐き気に耐えるべくぎゅっと目を閉じた。

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