追い詰められたリガルナ
どれだけの時間が経ったか分からないが、リガルナは奇跡的にも意識を取り戻した。
うっすらと開いた視界の先に、自分が良く知っている玄関マットがおぼろげに映る。
「……」
ゆっくりと数回瞬きを繰り返し、肘を立てて体を引き起こそうとした瞬間、頬と床をまるで糊のように貼り付けている乾いた血の剥げる音で思わず動きが止まってしまう。
そうだった。大量に血を流して、そのまま自分は貧血で倒れてしまったんだった。
それに気付いたリガルナが、恐る恐る額に手を当てると痺れるような激痛が全身を走り抜けた。
「うっ……!」
リガルナは顔を顰め、きつく瞳を閉じた。流したくなくともあまりの痛みに涙が滲み出る。
緩慢な動きで体を起こすと眩暈がおき、フラフラとよろめいて近くの壁にもたれ掛かりうな垂れた。
とても立てる状態じゃない。助けてくれる人はもうどこにもいない。絶望的だ……。完全に自分は孤独に落ちた……。
リガルナは呆然と暗い部屋を見つめていたが、やがて肩を小刻みに揺らし嗚咽を漏らしながら涙を零した。
一体自分が何をしたというのだろう。見てくれが人のそれと違う、ただそれだけの事なのになぜ周りの人は自分の事を気味悪がるのだろう。
考えても考えても、辿り着く答えは同じ。
しかし、リガルナには本当はどうでも良かった。ただ、今ここにいる自分を見てくれる、普通の人として扱ってくれる、そんな人が一人でもいいから欲しかった。
『人を殺してきたのか』
まるでそうしてくる事が分かっていたかのように言った父の言葉が刺さる。
殺したわけじゃない。助けようとした。でも助けられなかった。あんな風に拒絶されたら、もうなにも出来ない。目の前で炎にまかれて悶え苦しむ女性を見つめる事しか出来なかった。だから結局……やっぱり、自分が殺したのと同じなのかもしれない。
もう何も分からなかった。これからのことも、これまでのことも……。
「誰か……助けてよ……。お願いだから、助けて……」
胸の中にぽっかりと開いた穴が大きくて深くて、もうどうしていいのか自分では分からない。
「う……うぅ……」
リガルナは溢れる涙をそのままに、膝を抱えて泣き崩れた。
その後、どれだけの時間その場で膝を抱えて泣いていただろう。ふと玄関の外に人影を感じ、顔をもたげた瞬間ドアが荒々しく叩かれた。
「!」
その音にリガルナは体が飛び上がらんばかりに撥ね上がり、思わず声が出そうになりつつも喉の奥のほうへ押し込んだ。
ドアを叩くこの音は、とても友好的な叩き方ではない。何か敵意のような物を感じる……。
「おい、本当にここなのか?」
「間違いない。見ろ、この血の跡。あの家からずっと続いて来ているじゃないか」
「っち。と言う事は居留守してやがるのか?」
ハッキリと男二人の声が扉一枚隔てた向こう側で聞こえてくる。
リガルナはハッとした。額に受けた傷の血を止める間もなくここまで必死になって逃げてきた。流れ出た血で自分の動いた痕跡を残してきたのだ。
「おい、開けろ! あの魔物の小僧をかくまってるのは分かってるんだぞ!」
「大人しく小僧をこちらに引き渡せ! そうでなければ魔物を庇った罪でこの家ごと焼き払うぞっ!」
「女王陛下にはもう既に許可を頂いているんだ! 魔物を駆除せよとのお達しもある! 痛い目に遭いたくなければ早くここをあけるんだ!」
ゾクリとした。まさかそんな事が……。
しかし外にいる男達の声はとても冗談を言っているような感じではなかった。ここでじっと佇んでいる限り、彼らは本当にこの家に火を放つだろう。
女王陛下からの命でもある魔物の駆除。それは自分の死を意味している事は分かる。
再び襲い来る恐怖に、ここにいてはいけないと本能的に心が叫ぶ。ここに居ては、どの道殺される事になってしまう。そう思ったリガルナは何とかこの場から逃げようとその場に立ち上がった。だが、まともに歩けずその場に再びグシャリと崩れ落ちる。その瞬間にガタンと近くの椅子に体をぶつけてしまった。
「おい。音がしたぞ」
「やっぱり隠れてやがったのかっ! おい! 開けろっ!!」
しまったと思うが早いか、ドアを叩く音が更に激しさを増しそのままドアが壊れてしまうのではないかと思った。ガチャガチャとドアノブを回す音が恐怖を煽る。しかし、リガルナはそんな事に気を巡らせている場合ではなかった。床にへばりつき、それでも何とか上の階を目指し行動を起こす。
まだ死にたくは無い……。こんな絶望的な死に方はしたくない……。
無我夢中で階段に手をかけて這い登り、大きく肩で息を吐いた。
「おい。炙り出したほうが早い。火を放とうぜ」
「そうだな。意地でも出てこないのならそれしかないだろう」
階段の中腹まで這い登った辺りで、そんな言葉が聞こえてきた。ふとドアに視線を巡らせると、ドアの上部にあるガラス部分に赤々と照る、それが明らかな炎だと言う事を示す揺れが見えた。
リガルナはぐっと歯を食い縛ると半ば意地で立ち上がり階段を上まで上り詰めた。
パチ……。
何かの爆ぜる音が聞こえてくる。リガルナは息を呑んだ。
今この家に火を放たれたのだ。ならば、あの紐を使えば窓から外へ抜け出せる。
リガルナは壁に体を擦り付けながら自室へと入り、ベッドの傍に乱雑に放り出され、固く閉じられていた窓へ近づく。
しっかりと施錠された窓の前に立った瞬間、やはり父は自分を追い出そうとしていたと分かり切なさがこみ上げてくる。しかし、今は感傷に浸っている場合ではない。ガタガタと音を立て、鍵を開くと、紐を抱え上げて外へと放り投げた。




