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非業の枷  作者: 陰東 紅祢
序章

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断末魔

 夜。

 分厚い雲に覆われ、月明かりが届かない地上で悲劇が起きた。

 

荒い息遣いが夜の闇に溶ける。

 胸に掻き抱いた幼い我が子を守るため、何度も転んで傷を作りながら立ち上がって走った。だが限界はすぐに訪れ、女性はその場に崩れ落ちる。

 女性は必死に子供を隠すように身体を丸め、顔を上げられないまま恐怖に打ち震えていた。そんな彼女の前に立ちはだかった男はじっと女性を見下ろしている。

 無慈悲に振り上げられた腕。よく見ればその腕は血に塗れ真っ赤に染め上がっていた。


「せめてこの子だけは……っ! 目の見えないこの子だけは……どうか!」


 ――目が見えない。

 その言葉を聞いた刹那、男の瞳が動揺したように微かに揺れたのを、女性は最期に目の当たりにした。


 懇願虚しく、男の振り上げた腕は空を裂くように振り下ろされ、母子は夜の闇に散った。


「……」


 息を引き取った女性を冷ややかに見下していた男性は、目を細める。

 その時、雲に隠れていた月が、顔を出した。

 冷たい月光の下に男の全貌がゆっくりと浮かび上がる。

 焼け野が原となった荒野に残る残火の風に、緩やかに煽られる赤く長い髪。それは双眼と同じ色をし、顔の横に長く伸びた耳が照らし出された。

 ……彼の持つそれらは、どれを見ても人の物ではなかった。


 手にかけた女性の返り血を浴びたその男の姿は、まさに恐怖の象徴だった。


「……目が見えない、か」


 きゅっと目を細めて呟くその言葉は、かつての重い痛みを思い出す。

 男は母子から逃れるように視線を逸らし、そしてしばしそこで何かを想っているかのように天を仰いだ。


 やがて、男は小さく呪文を詠唱すると風が呼応するかのようにうねり、彼を包み込む。そして、ふわりと体が宙に舞い上がると、そのまま闇の中に溶け込むように姿を消した。




 その翌日。港町リグレッタが一夜にして消失した事は、瞬く間に世界に知れ渡った。

 人々は紅き魔物の仕業と恐怖し、怯えの色を濃くする。


「俺が駆け付けた時には、町全体が消えていた。人っ子一人いない……。こんな残酷な事が出来るのは“赤き魔物”意外考えられない!」


 残された残骸を目の当たりにした人々は口々に声を上げた。


―――紅き魔物……。彼の名は、リガルナ。


 正しい真実を知らない人々は、ただ彼を恐怖の対象でしか見る事がない。

 彼の胸にのみ秘められたその真実は、まだ誰も知らない。

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