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瀬田 明の話 (4)

「昼間なら絶対に居ますよ」


 月城の部屋を訪れてから幾日か経ったある日、授業を終えた月城に声をかけられた。


「誰が?」


 わたしの返答に、月城があからさまに顔を顰めた。


「陽多くんですよ」


「そ、そうだったな。すまない」


「明日の昼間なら確実です。ガス料金の集金が来るから支払っておく、ってノートに」


「ああ、あの交換ノート」


「じゃあ、お願いしますね」


 紫色のトートバッグを肩に、月城は次の授業に行ってしまった。


 わたしと陽多が会うのをこっそりと見守っていたいと月城は言ったが、わたしのことも陽多のことも信じる、と同席するのを控えた。おとなしく待つという。なんの因果か、陽多がちょうど家に居るという時間帯とわたしの授業がかぶっておらず、これは行かなければならなくなった。


 廊下の窓から入り込んでくる陽射しが、目に痛い。


 腕時計を幾度も確認し、準備を整えたわたしは講師室を足早に出て、車に向かう。これら陽多に会う。月城はわたしのことを陽多に伝えたのだろうか。いきなり行ってわたしの話を聞いてくれるのだろうか。不安しかない。


 駐車場には、箒でゴミを掃く大羽さんがいた。


「ちょっと、出てきます」


「ええ、ええ。いってらっしゃい」


 にっこりとしただけで、それ以上はなにも言われなかった。


 車に乗り込むと、もわっとした熱気に包まれ、一気に汗ばむ。背広の襟をぱたぱたとさせ風を送るが、気休めにもならない。エンジンをかけエアコンを強くし、ナビを頼りにハイム万願寺を目指した。


 昼間に見ると、やはり建物の印象は違った。どこがどうデザイナーのこだわりなのかは判らないが、新しいだけあってとてもきれいだ。月城の部屋は簡素なものだったが、もっと家賃が高い部屋はリゾートホテルばりにほどよい緊張感と開放感があるのだろうか。そんなことを考えながら、わたしはエレベーターに乗り込んで三階のボタンを押そうとした――


「ちょっと待った」


 この汗ばむ季節に、マスクと黒いキャップ、長袖のスウェット姿の背の高い男が慌てて乗り込んできた。足元は素足にサンダル。黒縁の眼鏡は曇っていた。


「すんません、俺も三階」


 あちー、と襟元を掴んで風を入れようとしているが、キャップと同じ黒色のスウェットは見ているだけで暑そうで重たそうだ。声の感じからして、まだ若そうだ。


 三階に着き、開く、のボタンを押してやると、男は眼鏡を曇らせたまま笑った。


「ここ新築なのにエレベーターのそのボタン壊れてんすよ。閉まるはちゃんと言うこときくのに」


「そうなんですか」


 そういえばこの前、月城と一緒のときはこのボタンを押していなかったっけ。男は足で扉を押さえたので、わたしは急いで降りた。そして男も降りる。エレベーターを中心に、両サイドへ部屋が並んでいるが、男はわたしのあとをついてきて、同じ部屋の前で止まった。


「なんすか」


「君こそなん‥‥って、もしかして君が?」


「なに」


 男はキャップを取って顔をばたばたと扇ぐ。黒い髪が汗で額に張りついている。


「陽多くん?」


「あ? あんたは?」


 エレベーター内での愛想が一気に無くなった。声色が鋭くなりわたしを睨んでいるが、マスクがとても苦しそうだ。これは、己が陽多であると認めたと捉えてもよいのか?


「君が陽多くんだね? 君に会いに来たんだ」


「はぁ? 誰、あんた」


 言いながら男は、鍵を開けて部屋に入る。わたしは急いであとを追う。


「勝手に入んな」


「待ってくれ、月城のことで来た」


「――みやびの?」


 男は動きを止めた。やはりこの男が陽多だ。マスクと眼鏡で顔はよく判らないが、二十歳くらいならそうだろう。陽多はしばらく考え、かなり厭そうだったがわたしを部屋に入れてくれた。部屋の電気を点け、エアコンを最強風にする。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、蓋を開けたが、わたしを見て動きを止めた。


「あんたもなにか飲むの?」


「え。いや‥‥」


「あっそ」


 陽多はわたしに背を向け、ぐびぐびとペットボトルをあおった。再びこちらを向いた陽多はマスクをつけなおしていた。


「そのマスク、暑くないのか?」


「顔に傷があんの。見られたくねぇから」


「そう、か‥‥」


「これから話すことをよく聞いてくれ」


 陽多は空になったペットボトルをシンクに放り投げ、わたしを見て言い始めた。


「なんだよ」


「俺があんたをこの部屋にあげた理由はふたつだ。ひとつめは、あんたが俺のことを知っていたから。ふたつめは、みやびのことで俺を訪ねたからだ」


「‥‥?」


「俺とみやびのことを知っている人間は居ない。必ず俺かみやび、どちから片方のことしか知らないんだ。だから、あんたの話を聞いてやろうと思った。俺とみやびが繋がっていることを、どういうわけがあんたが知っているからだ。おおよその予想はつく。みやびがあんたに話したんだろう。だが、あんたを信用するわけじゃない。みやびがあんたを頼っているから、俺はみやびをのその思いを信用するだけだ。勘違いするな」


「――ずいぶん遠まわしな言い方だが、理解した」


「俺は慣れ合いが嫌いだ。誰とも仲良くはならない。みやびのために利用できる人間は利用する。それを信頼と錯覚する連中がいるが、俺は一切なびかない」


「そんなに敵視するなよ。疲れないか? 利用したっていいさ。だが、信頼されるような態度も必要だとわたしは思うが」


「‥‥それで、あんたが今日、俺を訪ねた理由は? みやびがどうした?」


 陽多は壁に肩を預け、腕を組んでわたしを睨む。眼鏡の曇りは無くなっていた。


 あからさまにわたしに敵意をむき出しにしている彼に、世間話で場をつなぐということは適切ではないだろう。時間をかけて距離を詰められるような雰囲気ではない。わたしは、いきなり本題に入ることにした。


「君は、気づいていないのか。月城が君のことをどう思っているのか」


 わたしは以前のように黒いテーブルの傍に座る。クッションは無かった。あのぐちゃぐちゃになったルービックキューブは、白色だけ一面が揃っていた。


「そんなことでわざわざ来たのか? あんたには関係ないだろ」


「わたしは月城に頼まれてここに来たんだ。君の返答をもらうまでは帰れない」


 眼前の若者に負けないよう、精一杯の強がりを言ってみせるが、午後の授業開始までにちゃんと帰れるかという不安は脳内の片隅に置かれている。


「俺が直接みやびに話す」


「それができないから、わたしがこうして君に会いに来たんだ。君は月城に会おうとしないだろう」


「ノートに書いてやるよ。俺のことを知ってるってことは、みやびはあんたにもノートを見せたんだろ」


「‥‥顔を合わせて話をしてやってくれないか」


「あんたは知ってんのか、みやびが俺のことをどう思ってるのか」


「‥‥知っている」


「ふうん。どういう返答をもらえれば、みやびとあんたは満足なんだ?」


「わたしじゃない、月城が欲しがっているんだ。イエスもノーも君次第だ」


「じゃあノーだ」


「答えは出ているんだな」


「ああ。みやびの気持ちは気づいていたさ。ノートを見れば一目瞭然だ。まるで恋文だろ。俺はみやびのために生きているが、そういう感情は持ったことはない。みやびを守るために俺は存在している。それだけだ。なにかを想い合うとかじゃない」


「事情がありそうだな、君たちは」


「俺の答えは変わらない。もう行ってくれ」


 陽多は黒髪をぼさぼさと掻く。


「月城を避けているのか?」


「――みやびがそう思っているんなら、そのままでいいさ」


「本当は?」


「あんたが持ち帰りたい答えはもうやったはずだ」


「避けているのか?」


 陽多のことを話してくれた月城の顔が浮かんだ。予備校で話しかけてくれるのは瀬田先生だけ。そう言ってわたしのことを頼ってくれた月城。


「避けてるというよりも、どの時間にもシフトを入れてるだけだ。結果的に、避けてると思われても仕方がないだろうが」


「わざとそうしているのでは?」


「なんのために」


「ここに女が出入りしていると、月城が心配している」


「なんでそれを‥‥」


「君が連れ込んでいるのか? それが気まずくて月城を避けているのか?」


「違う、そんなんじゃない! それは俺が悪いわけじゃない」


「どういう意味だ?」


「女の話はみやびには関係ない。これは本当だ。――あんたは、いや、その前に名乗れ。一方的に名前を知られてんのは気味が悪い」


「あ、ああ。すまなかった。わたしは瀬田(あきら)だ。月城が通う大羽ゼミの講師をしている。ゼミへは君が手続きをしたと聞いたが?」


「そうだ。みやびには勉強してもらわなきゃならない。――あのゼミには〝奴〟がいるからなんとかしてくれると思ったが、あんたみたいなお節介焼きもいるんだな」


「奴とは?」


 陽多は首をちいさく横に振り、奴のことは教えてくれなかった。


「俺がみやびをゼミに通わせているのは、ただ勉学に励んでほしいからだ。本来、勉強をしなくちゃいけない時期に、みやびは自分を傷つけた」


「え?」


 陽多は、ベッドの上に乱暴にあぐらをかいた。


「みやびの腕を見たことがないか? いや、ないだろうな。みやびは年中、長袖を着ている。腕の傷を見られたくないからだ。足にも傷がある」


「どういうことだ?」


「リストカットだよ」


 まさか。そんなことをする子には見えない。


「おとなしそうな性格だが、一度、(かせ)が外れると制御ができない。だから俺が居る」


「どうして、自傷なんか」


「はやかわ園ってところに行ってみるといい。みやびが育ったところだ」


「育った? 両親は」


「そんなもの、居ない。居ないし、要らない」


「はやかわ園というのは、児童養護施設か?」


「そうだ」


 頷いた陽多は、ごろんとベッドに背を預けた。


「――どうして、初めて会ったばかりのわたしにそこまで教えてくれるんだ」


「質問責めしといてよく言うぜ。あのみやびがあんたを頼ったってことだろ? なら、俺もそれなりに協力はするってこことだ」


「話しづらいことも、教えてくれてありがとう。すまなかったな」


「謝るくらいなら最初から来んな。みやびにも謝っとけ」


「君は、月城が第一なんだな」


「あたりまえだろ。俺にはみやびしか居ないし、みやびにも俺しか居ない。だから、あんたが俺たちのことに介入するのは正直、気にくわない。でも、俺に言えないことをみやびが抱えてるんだったら――それを救ってもらえるなら見ず知らずのあんたにだって頼るさ」


「―――」


「疲れてるんだ。もう帰ってくれ。俺から話せるのはこれくらいだ」


 陽多は最後までマスクを外さなかった。

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