瀬田 明の話 (1)
都市部からすこし離れた駅前のちいさな予備校大羽ゼミ。講師の数も生徒の数も大手の予備校とは違い少人数だが、それが良い。ほとんどの講師が常勤だ。
大学のコマ割りのように時間の融通も利くし、講師間や生徒たちとも綿密にやりとりができる。ちいさいながらも職員用の駐車場があり、通勤面でも助かっている。
わたしは大羽ゼミで古典を教える傍ら、スクールカウンセラーのようなこともやっている。カウンセラーといえば女性のイメージだったのだが、男のわたしでもそれなりに務まっている....と思いたい。この予備校で講師として働き始めて五年になるが、カウンセリング――と銘打つとどうにも仰々しい。専門のしっかりとした資格を持っているわけでもないので悩み相談、くらいにしておこう。
わたしが生徒たちの相談を受けるようになったのは一年くらい前からだ。失恋した女子生徒の話をなんとなく聞いていたら、それが評判となっていろんな生徒の相談ごとにのるようになっていた。
それがほかの講師の耳に、そして経営者の大羽政人氏にも届き、瀬田先生さえよければ――とトントン拍子に話が進んでしまったのだった。わたしでもなにかの役に立てるのならそれで構わない。他所の予備校ではありえない待遇だ。
ただ、最近になって頭が痛いのは、勉強のことではなく恋愛や人間関係の悩み相談ばかりで、授業ではなく相談のために登校してくる生徒もいるほどだ。それでも、わたしが話を聞いてアドバイスすることで彼女たちが勉強に集中できるのなら、それで良い。
五十代で経営者兼校長の大羽さんという人は大手予備校のように利益目的ではなく、あくまで手習所のような、近所のおじさんが勉強を教えてくれている――ということを目指しているらしい。吉田松陰に影響を受けているらしく、いまの時代にもこんな大人がいるとは、とわたしも感心した。
田舎の両親は、三十五歳にもなって結婚の気配もないわたしを心配し、地元でお見合いでもさせようとしているらしいが、まったくもってありがた迷惑な話だ。
相手が居ないとかタイミングが合わなかったとか、いろいろと理由はあるが、いまのわたしの居場所は地元ではない。この予備校が居るべきところなのだ。満足に親孝行できていないのがどうにも心苦しいが。
とくに不自由しない生活と代り映えしない日常に、ある種の焦りを感じてしまうのはやはり年齢のせいなのか。生徒たちからの相談内容を考えると、わたしがこれまでいかに平凡な日々を送ってきたのかが浮き彫りになって、虚しくなることもある。もうすこし濃い学生時代を過ごしたかったと思いつつも、平和に生きてこられたことに感謝するべきなのかもしれない。
ひとつだけ事件的なことを挙げるとすれば、付き合っていた彼女に二股され、なぜかわたしが彼女にビンタされたことくらいか。いま思い出しても、殴られるべきはわたしではなかった気がするのだが。それがきっかけというわけでもないが、女性とお付き合いということに思考を全振りできない大人になってしまった。
なにかこう、わたしの人生の歯車を止めるなり加速させるなりの出来事が今後起きてほしいし、社会人になってから貯めてきたお金は今後、どのように使おうか考えるきっかけが欲しいのも嘘ではない。