3.転生後の話(後編)
日中、学校にいる瑞樹は、家から離れられる事もあり、気持ちがとても安らいでいる。
親しい友人はいないが、自分を敵と思われないだけでもほっとするのだ。
心を許せる友人を欲しいと思うが、もし、母親から何か言われたら大変な事になる。
友達まで罵倒されたくない。
だから、あえて特定の友達は作らずにいた。
小学6年生になって、学校の授業で家庭科があった。
その日は先生の都合で自由勉強になり、各々好きな事をしていた。
瑞樹は何をしようかと考え、そうだ、刺繡をしようと箱から必要な物を取り出した。
刺繍箱は瑞樹の大切な宝箱だ。
自分の使う物は古い物が多いが、刺繍箱だけは新品で買ってくれた。
というのも、必要になった時に、母親がいない事を見計らって、父親にこっそりお願いを立てたのだ。
父はお金を出し、きちんと管理しなさい、と一言言った。
実は、以前絵の具が必要になって父親にお願いして、その時も買ってくれたのだが、家に持ち込んだら、母親がお前には新品はいらないと奪い取り、どこからか調達した中古の使い古した絵の具を代わりに与えられたのだ。
結局、新品の絵の具は妹が使う事になってしまった。
そんな経緯があって、父は同じ事を繰り返さないようにと釘を刺したのだろう。
刺繍箱は学校に置く方が安全だと思い、ロッカーに大切にしまってある。
ピカピカの針やハサミ、綺麗に揃えられた糸を見ると嬉しくなる。
自分だけに与えられた物がこんなにも心躍るなんてと、自然と笑顔がこぼれた。
さて、何を刺そうかと考える。
家にあった古い服をほどいて糸を取り出してあるので、糸だけはたっぷりと用意できている。
久しぶりなので、手慣らしに簡単な花でも刺繍しようかと、適当な布を出して図案を書き、早速始めた。
刺繍は前世でよく刺していた。
貴族の嗜みとして幼い頃から教育されていたし、刺繍だけでなく、レース編みや裁縫も一通りこなしている。
本当はレース編みの方が得意なのだが、小6で立派なレースを編んでいたらあまりにも不審に思われてしまうだろう。
刺繍なら手習いの心得があれば誰でも出来る。
久しぶりの刺繍で針はどんどん進んでいった。
思っている以上に集中していたのもあって、後ろに人が立っているのに全く気付かなかった。
「小林さん、刺繍すごい上手なのね」
瑞樹はびっくりして体を震わせ、思わず針で指を指してしまった。
「いたっ!」
「ご、ごめん! 大丈夫?」
声をかけてきた主は、自分の持っていた絆創膏を指に貼ってくれた。
可愛らしい、キャラクターの絆創膏だった。
「本当にごめんね。急に声かけて」
「ううん。私も集中していたから、気づかなくてごめんなさい」
瑞樹に平謝りしているのは、同じクラスの片岡朱莉だった。
誰とでも分け隔てなく接する彼女は、クラスでも友達の多い人物だ。
たまたま瑞樹のそばを通りかかり、刺繍の完成度に驚いて声をかけてきたのだった。
「すごくきれいな刺繍ね。習っているの?」
「いや、自分で覚えたというか・・・。見様見真似だよ。全然下手だし。」
「えー、これで下手なの? そんな事ないよ。すごい上手! プロだよプロ!」
「そ、そうかなあ」
大げさに驚く朱莉に、瑞樹は照れてしまった。
「あの、さ。ちょっと相談なんだけど。いいかな?」
声を低くして話す朱莉に、瑞樹は何事かと、ドキドキして聞き返した。
「な、何?」
「実は、今度私のパパの誕生日があるんだけど、誕生日プレゼントに悩んでて、いつもおんなじ物になっちゃうの。それで、今年は何かに刺繍できたらいいなって、小林さんの作品見て思いついたんだけど、どうかな?」
「うん。いいと思うよ。相手の事を思って刺繍するの楽しいし、もらった相手も喜ぶと思うよ」
「本当! それで、もし良かったら小林さん、刺繍教えてくれないかなあって。だめかな?」
「え!?」
思いがけない展開に、瑞樹は驚いて声を上げた。
教えるのは構わないが、瑞樹には家の事をやる仕事が待っている。
学校のクラスメイトと会うから時間を作りたいなんて言ったら、母親からどんな叱責を受けるだろうか。
表情を暗くして、瑞樹は告げた。
「ご、ごめんなさい。家の手伝いをしなくてはいけなくて、放課後時間がないの」
「そっか。残念だなあ」
そう言って、朱莉は少し考えて、そうだ!と声を上げた。
「明後日、午後から授業ないから、学校終わってウチに来るのはどうかな? そしたら遅くならずにいつもの時間に帰れるよ。ね、そうしよ!」
朱莉は身を乗り出して瑞樹に提案した。
母親は学校の帰宅時間までは把握していない。
暗くなるまで繁華街をうろうろしていて、夕食前に帰ってくるルーティンだから、多分、大丈夫。
もしバレたら、その時はその時だ。
「うん、わかった。じゃあそうしようか」
「やった! ありがとう小林さん! 明後日までに必要な物を用意しておくね」
喜ぶ彼女の為に、少しでも協力できて良かった。
瑞樹は心が温かくなる感覚を覚えた。
刺繍を教える当日。
4時限の授業を終え、給食を食べて終了となった。
瑞樹と朱莉は一緒に下校する。
瑞樹の家とは反対方向に、学校から20分ほどかけて到着した。
朱莉の家は瑞樹の家と同じくらい、いや、庭が広く、ガレージもあるだけ立派な構えに見える。
「片岡さんの家って、すごく大きな家なのね」
「そうかな? そうかもね。ウチのパパ、会社の重役?ってやつ? よく分かんないけど、大変みたいだよ。さ、入って入って」
感覚で、瑞樹の父親より立場は上なのかもしれない、と感じた。
家に入ると、朱莉が大きな声でただいま!と言う。
しばらくして、奥から母親であろう女性が現れた。
「おかえりなさい、朱莉。そちらが昨日話していたお友達ね。いらっしゃい」
にっこりと優しくほほ笑む女性に、瑞樹は一瞬緊張してしまい、間を開けてお邪魔します、と挨拶した。
「ママ、これから刺繍教えてもらうから、部屋に入ってこないでね。おやつは後で取りに行くから」
「分かったわよ。お友達も、どうぞゆっくりしていってね」
瑞樹は軽く頭を下げると、朱莉と一緒に2階へ上がった。
部屋に通され、適当に座って、と促される。
どうしてよいか分からず、とりあえずベッドを背に床へ座った。
朱莉は買っていた物を取り出し、瑞樹の前に並べた。
「ハンカチを買ってきたんだけど、色は白と灰色。刺繍糸は適当なんだけど、欲しい色がなかったらまた後で買いに行ってくるよ」
そうだなあ、と瑞樹はハンカチを触った。
灰色の方が通常使いできそうだけど、きっと、刺繍をしても映えない。
目立つ色を使うか、刺繍を大胆に施せばいいかもしれないけど、初心者には難しい。
もう一つは白色だけど、完全な白ではなく少しくすんでいるし、素材も上等な生地を使っている。
きっとこっちの方が良いはず。
「白のハンカチを使おう。刺繍が映えて綺麗に見えるよ」
「うん、そうするね。模様はどうする? 私裁縫苦手だから、難しいのはちょっと・・・」
瑞樹は図書館から借りてきた本を見せた。
「これ、刺繍の図案なの。これを参考に考えたらどうかなって」
「へえ、色々あるんだ。でも、こんなにあると迷っちゃうね」
瑞樹は以前、刺繍は相手の事を考えながら縫う、と言ったことを思い出した。
「片岡さん、お父さんの誕生日って、何月?」
「8月だけど、何で?」
「それなら、ひまわりなんてどうかな? 植物なら縫いやすいと思うし、花言葉は“憧れ、あなただけを見つめる”って意味があるんだ」
「素敵だね。花言葉はちょっと照れくさいけど、そうしようかな」
「うん。それでね、ひまわりの周りをモチーフで囲んで、反対側に名前を入れたらいいと思うの」
紙とペンを借りて、ざっくりと書いてみる。
「うわー、すごい! これなら喜んでくれそう! でも、縫えるか心配だよ」
「大丈夫。私も助けるし、まずは練習しよう。ね?」
余っている布を貰い、下書きをしてから好きな色でそれぞれ縫い始めた。
「ゆっくりね。目をそろえて縫うと、綺麗に仕上がるよ」
「わかった」
丸や三角、四角と縫っていき、次にハートやクローバーなどの形を縫ってみる。
朱莉は最初こそガタガタの縫い目だったけれど、徐々に上達してきている。
高い集中力と、指摘された所は素直に直しているからだろう。
しかし、長くは続かなかった。
「あー、疲れた。ちょっと休憩しよ。私おやつ持ってくるね」
朱莉は立ち上がり、ばたばたと階段を下りていった。
一人残された瑞樹は、前世での王妃時代を思い出した。
親睦を深める為、と言って、側室を集めて皆で刺繍をしたのだ。
話題の出来事を取り上げ、最新のファッションや街ではやっているスイーツに花を咲かせ、お茶を飲みながらおしゃべりをした記憶が蘇る。
もちろん、ゴシップ記事の真実の分からない話もネタにして、色々憶測して盛り上がったものだ。
側室といえど、瑞樹は彼女たちを信頼していた。
困っていれば手を差し伸べ、悩んでいれば話を聞き、一番の理解者となっているつもりでいた。
けれど、今では自分の独りよがりだったのだと後で気づいた。
自分には味方はいなかったのだと。
そういう意味では、今も昔も変わっていない。
私は、いつまでこの生活を送らなければいけないのだろうか。
ドアの開く音がして、瑞樹は我に返った。
「お待たせー。ごめんね、遅くなって」
瑞樹は軽く首を振る。
持ってきてくれたのは、オレンジジュースとパウンドケーキだった。
「昨日作ったんだ。私が手伝ったのはちょっとだけなんだけどね」
お互い、いただきますと声をかけて、一口、口にする。
「うん、とってもおいしいよ。バターが効いてて香りもいいね」
「うんうん、ホントにおいしい! 良かった上手くいって」
瑞樹は、こんなに甘いお菓子を久しぶりに食べたかもしれないと思った。
家族が食べ残したクッキーをひとかけら食べた記憶があるが、いつの事だったろうか。
オレンジジュースは、ほぼ初めてだ。
前世では紅茶ばかり嗜んでいたから、フルーツを飲み物にする感覚がなかった。
「ご馳走様でした。こんなにおいしいケーキ、初めて食べたよ」
「そんな、大げさだって」
「ううん。本当。私、お菓子食べる習慣ないから、嬉しかった」
そう言って、はっとした。
思わず、変な事を言ったんじゃないかと焦ったが、朱莉はにっこり笑ってこう言った。
「小林さんにそう言ってもらえると、私もすっごく嬉しい。ありがとね」
瑞樹の言葉を疑う事なく、素直に受け止めてくれたのだ。
瑞樹は心から感謝した。
その後、練習を繰り返しているうちに、時間になったのでお開きとなった。
まだ誕生日まで時間があるので、自信がつくまでは練習を繰り返そうという事になったのだ。
帰る時、朱莉の母親が玄関で見送ってくれた。
「お邪魔しました。ケーキおいしかったです」
「良かったわ。急いで作ったから心配だったのよ。ね、朱莉」
「うん。おいしくて良かったよ。それでね、良かったらこれ、お土産にどうぞ」
そう言って、匂い立つパウンドケーキをおすそ分けしてくれた。
「いいの?」
「うん。また作るから。そしたら味見してね」
瑞樹は笑顔で返事をした。
家に帰ってから、もらったケーキを誰にも見つからない所に隠して、夕食の準備を始めた。
一通りの仕事を終え、部屋に戻った時は深夜遅かったが、ケーキを持って妹の部屋へこっそり向かった。
「桃花、起きてる?」
「んー」
半分寝ぼけている桃花の所に急いで行き、こっそりとケーキを見せた。
「昼間貰ったの。一緒に食べようと思って」
「わあ、おいしそう! いただきまーす」
口いっぱいほおばる桃花は、見ているだけでおいしいのだろうと分かる顔をしていた。
瑞樹も少し割って、口に入れる。
甘さと、昼間話した会話とリンクして、色々蘇ってきた。
「友達にもらったの?」
「そう。友達」
「良かったね。お姉ちゃん嬉しそう」
にっ、と笑う桃花が愛おしくなり、瑞樹は思わずぎゅっと抱きしめた。
頭を撫で、その場を離れようとすると、桃花は瑞樹の服を引っ張った。
「お姉ちゃん、モモが寝るまで、そばに居てくれる?」
「でも・・・」
見つかったら、何を言われるか分からない。
一生桃花に近づくなと強く言われたら、従うしかないのだ。
悲しい顔をする桃花に近づいて、ちょっとだけだよ、と話す。
桃花はぱっと笑顔になり、ベッドに入った。
顔を撫で、おでこを撫で、髪の毛に触れると、しだいに瞼が重くなってうとうとし始めた。
胸元をさすってあげると、しばらくして心地よい呼吸が聞こえてきた。
眠ったのを確かめて、瑞樹はそっと部屋を後にした。
母親は遅くまで出歩いて、良い気分で帰ってきて眠りにつくという生活を繰り返している。
桃花の事を可愛がっているが、肝心の時には家にいない。
甘えたい時に当の本人はそばにいないのだ。
その寂しさを、姉である瑞樹に時折ぶつける。
ある意味、桃花も犠牲者なのだ。
幼いながら、一人で部屋で眠る寂しさと恐怖は、瑞樹も嫌というほど感じている。
桃花には幸せになってほしい。
自分のような境遇の人間を作らないでほしい、と、願わずにはいられなかった。




