なんとも不思議なことが多い
今週も3日間だけでしたがありがとうございました!
明日からイベント4連荘頑張ってまいります。
皆様も良きGWを!
そして来週もよろしくお願いいたします。
日本の古代史が好きな私なのですが、好きが高じて去年の1月に飛鳥応援大使に就任させていただきました
まあ、これは飛鳥が好きで熱意が公益財団法人 古都飛鳥保存財団さんに認められれば誰でも就任できるのですけどね(笑)
私の場合は10代の頃より暇があれば飛鳥ののどかな風景を見ながらぶらぶら歩いていました・・・ぐらいの好き程度です
ただ、古代史を追求していくと、どんどん深みに嵌ってしまい
プロアマ問わずたくさんの研究家の方の意見を見分してかえって混乱してきたりしています
戦前なら冒涜罪で逮捕されてしまいそうな王朝交代説なんてのもありますしねぇ・・・
神話の世界から有名なのが「大国主の国譲り」ですね
出雲に大和政権がやってきて国を譲れというもの・・・
これは何のことを表しているのか?
出雲には出雲大社と言う社が実際にありますので、なんらかの史実をもとにしているのでは?
そのうえ奈良県桜井市という大神神社のご神体である三輪山の辺りに出雲という地名がありますが、こことの関係は?
九州から神武東征の時に大和の豪族であったらしい長脛彦の抵抗に遭いますが、長脛彦って誰?
そしてこの時に長脛彦の妹と夫婦になっていた神武天皇と同じ天孫族と言われている饒速日尊に神武天皇は助けられるのですが、饒速日尊ってどこのどなた?
奈良盆地西部の葛城山系に居を構えていた葛城氏が実はもともとの大王だったとする葛城王朝説とか・・・
葛城王朝とは初代神武天皇から欠史八代と言われている九代目の開化天皇までであり、十代目の崇神天皇に滅ぼされたとか・・・
この崇神王朝は奈良盆地東部の三輪地方に本拠を置いていて代々の天皇の名前には「イリ」が付いていたとか、それが十五代目の応神天皇の河内王朝からは名前に「ワケ」がつくので、ここで王朝が交代したとか・・・
そしてこの河内王朝は葛城王朝の後継の葛城氏とは協力関係にあったとか・・・
さらに二十五代目の武烈天皇に後継者がおらず、わざわざ近江か越前より応神天皇の5世の孫を連れてきて二十六代目の継体天皇として即位したとか・・・
これもわざわざこんなにも天皇家とは血の繋がりの薄い継体天皇を連れてくる理由も怪しいので実はここで王朝が交代しているとか・・・
この継体天皇の後から飛鳥時代が始まるので割と史実がはっきりしてくるらしい・・・
その他にも飛騨王朝説というのもあり、岐阜県の飛騨にあった王朝から大和に降りてきて作ったのが大和政権だとか・・・確かに橿原市の藤原宮跡の近くに飛騨町というところがあり住民は昔飛騨から降りてきたと言い伝えられてきたとか・・・
それ以外にも実はもともとの大和は出雲系の物部王朝だったとか・・・
いやいや蘇我氏こそが大王だったのに打倒されたとか・・・
奈良時代に入って弟とされている四十代目の天武天皇の方が兄の三十八代目の天智天皇より年上だとか・・・はたまた実は兄弟ではないとか・・・
実は天智天皇が百済の応援のために新羅征伐に行って大敗してきたので、今度は新羅が攻め入ってくるのではないか?との懸念から、逃げるため琵琶湖のほとりに近江京を作り遷都したとか・・・
そして史実には書いていないけれど、実は新羅が実際に攻め入ってきて壬申の乱で勝利して新たに藤原京を作り、即位したのが新羅系の天武天皇ではないか?とか・・・その後平城京に遷都したが、四十九代目の光仁天皇で天智天皇の末裔に戻り、五十代目の桓武天皇が清算するために平安京へ遷都したとか・・・
しかし、諸説いろいろで繋げようとしても訳わからんようになってくるのです
結局歴史書はその当時の権力者の都合のいいように書かれているようですのでね
やはりその時に戻らないと真実はベールの向こうなのかな?
世の権力者は言い切ります「自分達こそ正義の正統派!」
おや?これは今の時代でも変わってないような・・・
これだけは真実かもしれないなぁ