2.ウルティマハッピー・ジェノサイドエイリアン
1.
置野迫太郎は戦慄した。
異常事態中の異常事態だった。地球が宇宙人の手によって、大量虐殺され、乗っ取られ、支配され、自社が保有している宇宙船で何とか宇宙まで逃走できた所までは良かったのだが、その先で更に事件は起きたのである。小型宇宙船に乗船しているのは俺を含む昔馴染みの四人。範馬笑、瀬名雷虎忍愚、桐島天空、そして俺。
同県に在住していた俺たちは同じ中学校に通っていた事をきっかけに知り合い、現在でも月に一度は予定を合わせる仲であった。それが今では毎日同じ屋根の元、いやこの状態を屋根の元だと表現しても良いものか些か疑問が残るが、ともかく、この無限に広がる広大な宇宙で俺たちは全く身動きが取れない状態にあった。太陽圏内に無差別に流されている緊急無線でキャッチした情報によれば地球難民を保護している救助船が月や火星から出ているらしく、現在地情報さえ上手く向こうが受診してくれればこの悪運続きの状況も打破できるのだが、それを待っている間は特に出来ることも無く正直お手上げだ。
そしてそんな状態の中、再び事件が起きてしまったのであった。船内酸素濃度に若干の異常が見られたので船内情報が統括されているエレクトリカルへ向かった時、俺は戦慄した。
「この中に裏切り者が混ざっている可能性がある」
それがあまりにも唐突すぎる話題だということは重々承知している。俺だってこんな事本当は言いたくない。
エレクトリカルのシステムの一つには船内に在する人間の健康状態が記録されるものがあるのだが、そこにとんでもない記録が出ている人間が紛れ込んでいた。体内の臓器構造が人間のそれとはまるで違う、素人目に見ても、異常な生物が船内にいる事が判明したのだ。しかしここにいるのは信頼の置ける友人のみで、乗船人数が俺を含めて丁度四人である事はエレクトリカルのシステムからも確認済みである。
そうなると考えられるのは一つ。
それは侵攻してきた異星人が擬態する術を持つ生命体で、俺たちを滅ぼすために友人の一人に成り変わり乗船してきた可能性。しかしなんと実験機であるこの宇宙船にはそれが誰なのかを見分ける機能がまだ搭載されていない。
正直、仲間である彼らに疑心の目を光らせるのは気乗りしない。それに仲間たちの不安を煽るような真似も。
しかし同時に、もし異星人が俺たちを全滅させるつもりなのであれば早急に手を打たねばならないのも事実なのだった。束の間の平穏を破壊するのは心苦しいが、ここは心を鬼にするべきだと判断する。
「言い方を変えよう」
状況が飲み込めないのか、黙りこくる周囲を見回したのち、俺は一息ついてから再び口を開いた。
「この中に異星人が紛れ込んでいる」
それを聞いて、ようやく三人に動揺の色が走る。
「え、どういうコト……? それって、異星人がこの中に紛れ込んでるってコト……?」
「こら笑くん。ふざけてる場合じゃ無いでしょ?」
「わ! 怒られちゃった……!」
某ファンシーキャラクターのような態度で場の空気を乱そうとする範馬を、瀬名が制す。範馬は自他共に認めるムードメーカーだ。以前から依然として、どんな時でも明るい態度を崩さず、みんなに飽きられても尚、まわりを笑顔にさせようと身を挺してふざけてみせる。真面目な話をしている時には少し邪魔に感じる時もあるが、場を和ませてくれる彼の才能は正にムードメーカーと呼ぶに相応しいと俺は評している。
対して瀬名は空気を読むのが上手い。周りとの調和を強く望む彼と、自分を空気の中心にする範馬がぶつかるのはよくある事だ。
「わ! 怒られちゃった……」
「反応が無かったからって二回も言わないでよ」
「大切な事だから二回言いました」
「どこが?」
彼らの調子がいつも通りなのは伝える側としても、とてもありがたいのだが、今は非常事態なので会話が脱線する事は避けたい。軽く咳払いをすると二人の会話も止まり、俺はもう一度あたりを見回した。
「単刀直入に言おう。自分が異星人だという者は手を挙げてほしい」
「いや迫太郎くん、さすがにそれで挙手する人は……」
「はい!」
瀬名が困ったように頬を書いている横で範馬が真っ先に手を挙げる。それを見て瀬名が目を見開き珍しく大声をあげた。
「お前かよ!」
「はい! 犯人はこの中にいます!」
「お前ちょっと一回黙れ!」
「何だ態度悪いなライトニング。さてはお前が異星人だな?」
「ドラマとか映画で真っ先に孤立するようなタイプのやつがする因縁の付け方するな!」
自らが興奮していることに気づいたのか、瀬名は咳払いをして一回落ち着く。
「と、とにかく、情報が無い状態でお互いを疑いあっても仕方がないよ。正直、僕の目には今のところ不審な点なんて無かったし、もし本当に紛れ込んでるんだとしたらそれこそ、無闇に仲間割れするのは異星人の思う壺だと思う。もう少し様子を見よう」
「まあ最悪、全員殺されたらそん時はそん時だよな!」
「それはやだよ!」
俺以外の二人が瀬名の言葉に頷く。確かに俺も瀬名らしい堅実な案だと思った。しかし事は一刻を争うような気がしてならないのもまた事実で、猶予を与えてしまう事で防げぬ惨事に繋がるのでは無いかと気が気では無い。少し緩い彼らの反応を見て、一番余裕が無いのは自分かもしれないと、より強い焦燥感が押し寄せてきた。
「大丈夫だよ、オッキー」
不安の渦に心が回っていると今まで一言も発言していなかった桐島が、眠たそうな目を半分開きながら言葉を続けた。
「明けない夜は、無い」
「相変わらず慰め下手だな桐島……」
俺が苦笑すると、桐島はにへらと脱力的な笑顔をこちらへ向ける。それが昔と全く変わっていなくて俺も思わず小さく笑みを漏らしてしまう。
「だが感謝する。お前のそういうところにはいつも救われている」
「僕も堅物で融通の効かないオッキー好きだよ」
「それは、何とも……。微妙だが……」
「いや迫太郎くん、今のは言い返して良いと思う」
再び苦笑に囚われる俺を見ながら、瀬名もまた苦笑を浮かべていた。
緊張状態が続く中でも空腹は訪れるもので、俺たちはキッチンと食堂が統一された部屋へと腰を下ろしていた。ここでは地球と同じ重力負荷を作り出す事で普段生活している環境と全く同じ状況を作る事ができ、料理等が行える他に、今までは宇宙食として厳禁とされていた汁物が食せるようになっているのである。
正直、外部からの侵攻に対する猜疑心は全く衰え知らずであるが、異星人も全員でまとまって行動している間には迂闊に手も出せまい。異星人とはいえど人は人。三人を相手にすればさすがに分が悪いはずだ。それにもし始めから俺たちをまとめて一掃できる自信があるのなら、擬態、潜入なんて回りくどい事などせず真っ向から滅ぼしにかかってくるはずである。だから一番警戒すべきは一対一になった時、そして一人で行動している際の不意打ちだ。それだけでも三人にはわかってもらいたいのだが。
「キャベツうめぇなぁ」
「それはレタス。成人しててキャベツとレタスの違いがわからないなんて、どんな劣悪な環境で育ったの?」
相変わらず範馬はふざけていて、瀬名は声色は優しくも辛口だ。
「レタス、苦味あり」
「それはピーマン! 緑色のもの全部レタスに見える呪いにでもかかってるの?」
瀬名は桐島にも抜かりなくツッコミを入れている。中学の頃、彼のその平等な姿勢を見た時に俺はこの男と親友になりたいと思ったのだと、今の掛け合いを見てふと思い出す。中学校に入学してから最初の昼食。弁当に入っていた茹で野菜をほうれん草だと思い込んでいた時、それがちんげん菜である事を教えてくれたのも瀬名だった。
いや俺がいま思考するべきはそんな事じゃない。感情を殺し、好き好きに会話を繰り広げる三人へと疑心の目を向ける。
「でも迫太郎くんの作る和食は本当にいつも絶品だよね。この秋刀魚の塩焼きの焼き加減最高だもん」
「超わかる! でもこのライトニングが作ったシャンディガフも結構いけるぜ?」
「ビールとジンジャエールのカクテルなんて作った覚えないよ! それはチョレギサラダ! わかんないなら素直に言って!」
「ちっちゃい事は気にするな、それ」
「ワカチコまで言って!」
注視したとて範馬も瀬名も変わった様子はない。会話に混ざらず黙々と食している桐島も、普段の彼を考えれば自然だ。
観察すれば観察するほどわからなくなる。
目を瞑り、目頭をつまむ。
そうだ。そもそも俺に推理の類は向いていない。観察力や、洞察力、推理力は俺以外の三人の方がよほど持ち合わせてる。だが今は、ある意味で誰一人信用できないと考えるべき時。たとえ向いていなくとも俺一人で考え、この謎を解く必要があるのだ。
「落とした」
どうやら考え事をしている間にスプーンを落としてしまったらしい。左側に座る桐島が、近い方の手でそれを拾い俺へと手渡す。
「すまない桐島。ありがとう」
「気持ちはわかるけど、今は楽しくご飯、しよ?」
言い終わるや否や、彼は俺の言葉を待つ間もなく焼き魚へと手をつける。
桐島の言う通りだ。異星人が何かしらの動きを見せない限り、いくらこちらが考えを巡らせようと証拠が出ず、無駄に時間を過ごすのみとなる。体力だって無限ではない。いざと言うときに動けなければ救える命も救えない。なら今、俺がするべき事とは何だろうか。
「桐島、取り皿を取ってもらっても良いか」
「うん」俺の反応を見て、桐島が嬉しそうに取り皿を差し出してくる。それを受け取り、俺は瀬名が作ったらしい、シャンディガフ? を皿へとよそう。
動くべきときに動けない無様な事態は、何としても避けねばならない。ならば今はしっかり食し、しっかり休養をとり、体力を温存しておくべきだろう。
考えるのは他の人に任せるとする。もし異星人を見つけたその時は、俺が必ず皆を守ると誓おう。
2.
範馬笑は思考した。
異星人の侵攻を目の当たりにした時は正直、堪えた。目の前で父親がわけもわからぬままに銃殺され、母、姉、弟とも連絡の取れないままに成り行きで迫太郎の会社が所有している未完成の宇宙船に乗せてもらう事になり、その上更にその中にすら異星人が紛れ込んでいると告げられる始末。ずっとジェットコースターに乗っているような目まぐるしい展開に脳が追いついていないのは勿論、ただでさえ俺はグロもホラーも人一倍苦手なのに、上下左右四方八方から恐怖が襲いかかってくるような絶望感は容赦なく心臓へ傷を付けにきた。
しかも異星人は俺たち四人の中の誰かに化けているのだとハクタローは言っていた。脳内配線がこんがらがっておかしくなりそうだ。
しかし、とは言えども俺たちは中学以降、学生時代の多くを共に過ごしてきた親友だ。もし何者かが他の三人の誰かに成り代わっていようものなら早々に気づきそうなものだが。未だに解は出ないままである。
食事の終わった俺たちは各々自室に鍵をかけて閉じこもっている。次に集まるのは睡眠を挟んだ八時間後。それまではお互い休息の時間を取り、いざという時に備えようとハクタローが提案したのだ。
全く問題ない。相手も人である以上、鍵をかけ別々の部屋にいれば危害を加えられる心配はない。少なくともこの一晩は安心して過ごすことができる。何も心配はいらない。
「けど、それだけで終われない」
天井へ向いていた視線が起き上がった事によって壁へと向く。ベッドは柔らかく思いっきり起き上がっても痛みを感じる事はない。
「ハクタローは勤勉で博識だけど、型にはまらない頭の使い方は苦手だ。あれはあれで犯人を探しているんだろうけど、期待はしない方がいい。ライトニングはキレ者だけど臆病だから混乱に呑まれると頭が真っ白になるだろうな。せめてサポートしてあげられる人がいれば或いは。けど二人きりになる状況は今は避けたい。ソラは……」
多分、犯人を推理する方向には動かないだろう。自分から何かをするタイプでもない。
「となると、やっぱり俺が動くべきなのかね」
首に下げた鍵型のペンダントを手に取る。行方の知れない彼女から貰った誕生日プレゼント。貰ってから一度も肌身放す事なく首から下げている。
ハクタローはきっと今も悩んでいる。異星人は誰なのか。自分は何をすべきなのか。
ライトニングは怯えている。異星人に俺たちが皆殺しにされることを。
ソラはああ見えても友達思いだ。自分の事は心配していないと思うが、きっと周りが心配なはず。
まあ、三人の誰かは異星人なんだが。
でも幸い、頭を使う事には少し自信があるし、コミュニケーションを強引に取りにいっても怪しまれないキャラで今までやってきた。無理矢理にでも全員に接触して情報が増えれば真実に近づけるかもしれない。
「しゃあねぇな。おふざけモード全開で、いっちょやってやるかぁ」
ベッドから降りて逃走時に偶然着ていたお気に入りの上着に寝巻きの上から袖を通す。そして俺は躊躇う事なく部屋の鍵を開いた。
一人目への接触は想像通り容易かった。
扉を二度ほどノックすると彼はすぐに鍵を解除して扉を開く。船内は万が一外部に空気が漏れた時のことを想定し、全ての扉が完全に密閉されるようになっている。なので手動ではなく、ボタンを押すことで自動に開く仕組みになっていた。
「休んでるとこ申し訳、ちょっといいか?」
ゆっくりとマイペースに動くそれは、俺の言葉に合わせるようにちょこんと顔をのぞかせる。
「大丈夫」
「ソラに確認したいことがあって……」
言いかけて口元を抑える。
「あー、扉開けっぱなしで喋るのもなんだし、場所変えね?」
改めて見まわしてみるとこの宇宙船、中々に広い。各々、部屋の中は一人で生活することを想定して作られているので丁度いい広さになっているが、元々二十数人載せられる船なのでそのぶん余るほど部屋の数が多いのだ。そうなると必然的に廊下は広く、声が幾重にも反響して会話しづらい。それに異星人に聞き耳をたてられる事だけは避けたかった。鍵のかけられない個室があれば一番いいが、そうなると食堂がベストだろうか。
食堂とは言っても先ほどのキッチン付きの部屋とは別だ。あの部屋での食事はせいぜい四人までが限界なので、そことは別に数十人でも入れる広い食堂があるのだ。そこなら鍵は無いから密室にならないし、扉が付いているので人の出入りにも気づける。
「テラスとか良いんじゃね? 宇宙間近に感じられて楽しそうじゃん!」
今テラスに出たら普通に死ぬが、これから少し真面目な話をしたいのでバランスを取ってここで少しふざけておく。普段とギャップが出過ぎると異星人だと疑われる可能性もあるし、何よりイメージを崩したくない。あのキャラは俺のアイデンティティであり、他人とのコミュニケーション手段なのだ。絶対に失うわけにはいかない。
「テラス、行く」
「行かないで!? 異星人に殺されるどうこうの前に自殺する事になるよ!?」
思わずツッコミを入れてしまい咳払いする。しかしソラは未だにイマイチぴんと来ていないらしく頭の上に疑問符を浮かべながら首を傾げていた。
いや、何でぴんと来てないの。
「テラスって外に出るって事だよ。宇宙空間に出たら息できなくて死ぬでしょ」
「ああ、うん」
ああ、うん。じゃないのよ。何が悲しくて自分のボケの解説をしなくちゃいけないんだ。
こういう時、ライトニングだったら一発で的確に突っ込んでくれるのに。
「じゃあ、なんでテラスって言ったの」
「もっともだけども! ……いや、ごめん。この話は終わりにしよ」
「……」
不服そうな目でこちらを見ているソラを無視して思案しているフリをする。選択肢なんてそもそも食堂しか残されていない。恐らくソラから提案される事は無いので、俺がタイミングを見計らって言うしかないのだが。
「仕方ないから、入って」
だが一度、提案をボケた上に空振りした今、俺はどのタイミングでどんな口上で提案すれば良いのだろうか。そもそも空振りした傷が深くて若干ナイーブになっているのに、果たしてこのまま会話が続けられるのか。
「聞いてる?」
ソラに覗き込まれ、目を見開く。
「え、ごめん何?」
「入ってって言った」
「どこに?」
「僕の部屋に決まってる」
「は?」思わず素で、上擦った声が漏れる。
再度、咳払いをしてソラへ向く。
「ソラ、それは流石に危機感が無さすぎよ。もっと慎重にならないと」
出来るだけ愛想良く、ミステリアスなソラの機嫌を損ねぬようにと笑顔を浮かべる。しかしそれに反してソラの瞳は至って真剣そのものだった。
「大丈夫、ショーは異星人じゃない」
真っ直ぐ俺の目を見つめる彼の双眼に視界が触れる。彼のその言葉はとても誠実な声色のように思えた。しかし現段階でここまで断言できてしまうものだろうか。何かに気づいているのか、それとも翻弄を?
思考に思考が重なり俺の中に二つの考えがよぎる。
一つはシンプル。もうソラが異星人の存在に気づいているという可能性。他の人間が異星人であるという確証を得ているのならば、俺を部屋に招く事をノーリスクだと捉えていてもおかしくない。
もう一つは、嫌な話だが、ソラが異星人である可能性だ。この可能性については正直あまり考えたく無いが、もしそうであれば一対一の状況を作る事は彼にはむしろメリット。辻褄は合う。
しかしこの状況はチャンスとも取れる。
異星人の目的が本当に船内の人間を全滅させる事ならば、この機会を見逃すはずがない。もしも彼の招待に応じて無事生還できたその時は、彼への潔白を証明するに十分な証拠となる。
しかし思案し逡巡している余裕はない。もし相手が異星人なら、一瞬の躊躇で相手への警戒が悟られてしまうかもしれない。慎重に、しかし素早く言葉を選ぶ。
「異星人じゃないってまさか、ソラには犯人が誰かもうわかってるのか?」
「いや、知らん」
わかってないんかい。
思わず心の中でつっこんでしまったが、この情報を引き出せたのは大きい。先ほど挙げた二つの可能性。部屋へ招いた理由が、本当にそのどちらかの可能性であった場合、ソラはどちらに転んでも「犯人がわかっている」という旨の事を答えたはずだ。しかしソラは「誰が犯人かは知り得ない」と答えた。
確実では無いにしても、今夜ソラを信じる理由としては十分。少なくとも全く情報が無い状態よりは安心できるのではないだろうか。
開いている扉に向かって二、三歩、歩み寄って目前に立つソラへと笑顔を向ける。
「わかった。折角の申し出だし、ここはジャマーさせてもらおうかな」
「うん、どうぞ」
笑顔で出迎える彼を見て、俺も彼へと笑顔を作った。
しかしまあ、ソラが相手だとボケが通じないのが悔しい。
「ジャマーするぞ!」
「通信妨害しないで。というか外部からの通信は今一番、僕たちに必要なんだから、その冗談は不謹慎だよ」
これだよ! こういう反応が欲しかったの!
扉を隔てた向こうにいる彼は、俺が恍惚の表情を浮かべている事など知る由もない。何故なら部屋と廊下を隔てている扉は頑丈に閉ざされており、リモコン操作で開く上部に伸びた換気口を通じて会話をしているからだ。まだ眠っていなかったのか、瀬名雷虎忍具の声はハッキリしていて突然押しかけてしまった罪悪感が少しだけ和らぐ。
「こんな夜更けにすまんね、ライトニング」
「良いよ別に。宇宙なんて常に夜更けみたいなもんだし」
「実は少し相談したい事があってさ、できればマウストゥマウスで話したいんだけど」
「フェイストゥフェイスでしょ。何が悲しくて笑くんとディープキスしなきゃいけないの」
「別に誰もディープだなんて言ってないが?」
「ツッコミ映えを意識したの」
ツッコミ映えってなんだよ。
ライトニングの独特な言い回しについ笑みが漏れる。
しかし元気そうで少しだけ安心した。四人の中でも比較的小さめなライトニングは、その見た目の通りに肝が小さいため、今回の惨事で心に深い傷を負ってしまっていないか心配だったのだ。もしかしたら周りに配慮して傷を隠しているだけなのかもしれないが、それでも表面上を取り繕うだけの力があるのなら安心できる。
「それで、相談って何?」
脱線した話が戻ってきて、気が締まる。
結局ソラとの会話では、大した情報は得られなかった。というよりも、ソラのマイペースで天然な性格が災いしてほとんど会話が進行しなかったので断念してしまった。と言った方が正確だろうか。
まあ十数分ほど彼の部屋に二人きりで居続けても命を狙われるような事は無かったので、ソラは白だろう。それがわかっただけでも大きな進展だ。
「その前に、ここだと誰に盗み聞かれるかわからないし、一回食堂にでも移動しない?」
「ダメだよ。迫太郎くんの話を忘れたの?」
まさかの二つ返事で一蹴された。
「異星人が怖いのもあるけど、猜疑心に塗れている状況だからこそ誰かを裏切るような行動を取りたくないんだ。笑くんが何をしようとしているのかはわからないけど、迫太郎くんの意見を一度のんだ以上は最後まで従うべきだと僕は思う」
淡々と告げられた彼の言葉は、彼なりに思考した末の答えなのだと俺は解釈した。ライトニングは昔から本当に臆病者で、トラブルが起きればすぐパニックになっていたものだが、どうやら彼も昔のままでは無いようだ。
しかし冷静な彼の発言に間違いはない。実際、俺は自分が正しい事をしているとは思っていない。ライトニングの言う通り、今ハクタローの意見を無視する事は、関係に支障を生む原因になりかねない。本来は大人しく時間が過ぎるのを待ち、四人揃っている時に話を進めるのが一番安全だ。
ライトニングは間違ってない。間違っていないけれど。
けどそれではダメなんだ。人の本質は、一対一でこそ顕著に表れる。犠牲が出る前に、一刻も早く俺は全員と接触しておきたい。異星人がボロを出す、その隙が生まれる瞬間を逃したくはない。
「それでも俺はお前らと話したい。取り返しがつかない展開を避けるために、後悔しない選択をしていきたいんだ。その末に俺が疑われるような事になっても構わない。絶対に誰一人奪われたくないんだよ……」
言葉が途切れる。
数十秒。無遠慮に流れる静寂の中でも、ライトニングの声は聞こえてこない。確かに今の俺は周りから見たら異常かもしれない。一人で外を彷徨くのはハイリスクだと理解していながら、行動している。それは周りから見れば、自分が襲われる心配がない存在、異星人であるのだと置き換えられるのだ。
ライトニングの中にもきっと初めから疑心があったに違いない。それを俺自身の発言で確信に変えてしまった。
未だライトニングからの返答はない。いや、もう二度と彼が俺に応える事は無いのかもしれない。だとすればここに長居するのは時間の無駄だ。ため息を吐いて扉越しに未だ佇んでいるのだろう彼の姿を想像する。しかしやがて踵を返しハクタローの部屋のある方向へと廊下を歩き出した。
「待って笑くん!」
しかし諦めたその時、換気口から再び彼の声が聞こえてきた。
「……ライトニング?」
「えっと、いつになく真面目だけど、本当に笑くんなの?」
その発言に心臓が一際大きく跳ねる。
嫌な意味で想像通りになった。勢いで自分は別に疑われても構わないと啖呵を切ったものの、気がつけば冷や汗が止まらない。
「ごめん、今のは冗談。笑くんが本当は誰よりも真面目で責任感が強い事は僕たちみんなわかってるよ」
と思ったのも束の間、彼はどこか楽しげに笑いながらサラッととんでもない事を言ってのける。
いや、ちょっと待て。
「いやいやライトニング? 俺が真面目? 責任感が強い? 何言ってるんだ?」
「いつもふざけてるのは場の雰囲気を良くするためでしょ。僕たちの恐怖を、憎悪を、少しでも和らげるために笑くんは頑張ってくれてるんだよね。僕たちは全部わかってるんだから」
唐突に明かされた真実に唖然としてしまう。体裁を気にしてキャラ作りに励んでいた自分がまるで馬鹿みたいではないか。
「いや、もしかしたらソラは気づいてないかも」
「ソラは……なぁ」
そしてお互い笑い合う。
そういえばライトニングとは顔を合わせる度に最初から最後までボケ倒していたので普通に会話をするのも、お互い同時に笑い声をあげるのも久しぶりの事かもしれない。
「何も考えてない馬鹿みたいなやつだって思われてたかったんだけどな」
「笑くんのおふざけは馬鹿な人の語彙力じゃないんだよ」
腹筋が悲鳴を上げ始め、程よく笑いの熱が冷め始めてきた頃、俺たちは扉越しに互いへ視線を送った。
「笑くん。全部僕に任せて、今日はもう眠りな」
そして彼のその一言で明るい雰囲気は一掃される。
「どういう事?」
「君の勇気と行動力を見て、僕も覚悟が決まったよ。実は異星人が誰か見当が付いていたんだ。笑くんの手を煩わせるまでもなく僕が捕まえてみせるよ」
その声色に冗談の色が見当たらなくて語源化できない焦燥感に襲われる。
別にライトニングはおかしな事を言っているわけではない。彼がやろうとしている事は正に今、俺がやっている事だ。違うのは、俺には未だ犯人がわかっていなくて、彼はもう犯人がわかっている事。
「俺も一緒にいるのはダメなのか?」
不穏が辺りに立ち込めてくる。このまま彼の言葉を承諾する事は、良くない事の前兆である気がして、俺は深く息を吸ってから出来るだけ優しい声色で彼へと提案した。
「大丈夫だから。笑くんは真っ直ぐ部屋に戻ってゆっくり休んでて」
しかしどうやら彼の意思は固く、結局俺は彼の言葉を肯定するしか無かった。
最後に置野迫太郎の部屋を訪ねたが、熟睡しているのか、ルールを破り部屋へ訪れた俺に腹を立てているのか、たった一言の返事すら無く、俺はいま一人悲しげに帰路に着いていた。
広い広い宇宙船は一人で歩くにはあまりにも寂しく、一瞬でも不安が心を覗くと周囲の壁が迫ってくるかのような圧迫感を覚えた。
だが廊下を一人で歩く事も、迫太郎が応答しない事も想定済みだ。わかっていた事で一々落ち込んでいたら、海洋さえも超えるこの大海原に飲み込まれ星屑となり消えてしまうだろう。不安を感じる隙など与えてはならない。俺はただ、前だけを見ていれば良いんだ。
「けど結局、異星人は一体だれなんだ?」
しかしそれでも疑問は残る。
ライトニングは異星人が誰か見当がついていると言った。だが彼は何を根拠に自らの推察に確信を得たのだろうか。俺はリスクを背負い単身で各々に赴いたというのに、彼はただ思考しただけで全てを理解したのだろうか。
「そんなことが可能なのか?」
異星人の正体がわかっていること自体は喜ばしいことだ。もし本当にライトニングが犯人を特定しているんだとしたら、これ以上は俺が口を出す必要はない。ないのだけれど。
「折角頑張って動いてたのに、なんか悔しいよな」
ライトニングは、繊細な性格だから人の細かな所にもよく気がつく。こういう状況に立たされた時、真っ先に解決に辿り着くのが彼だというのは納得のできるオチではある。
それでも悔しいものは悔しい。
「身長は百九十、百七十八、百六十二、百七十三……。一見で疑わしいやつはいない」
そうだ。悔しいのならば納得のいくまで推理すれば良い。考えるだけなら誰にも迷惑はかからないだろう。自己満足のために、ライトニングが行動に移すまでの短い期間も推理をすれば良い。
「血液型はハクタローとライトニングがA型。ソラがAB型。利き手は俺とライトニングとソラが左利き。ハクタローが右利き」
少し気分が乗ってくる。廊下には俺以外誰も存在しない。大声でも出さない限りは他者に聞かれる事もないだろう。
「そもそも、ハクタローの言葉から全てが始まったわけだけど、果たしてその情報は正しかったのだろうか。ハクタローが嘘をついていなかったとしても、この宇宙船は未完成だ。システムが不具合を起こした可能性も否定できないのではないだろうか?」
ハクタローの顔が頭に浮かぶ。ムッツリとした真面目な表情に特に違和感は見つからない。
「ライトニングの慎重さもいつも通りだった。最後の会話で勇敢さが垣間見えたのに僅かな違和感はあったものの、俺たちももう大人だし、何よりあいつは警察官だ。肝が鍛えられていてもおかしくはない」
ライトニングの顔が頭に浮かぶ。その表情に不安の色が残っているのは、やはりこれまでの印象が強く影響を受けているのだろう。
「ソラは色々な意味で読めない男だ。正直言うと全くわからない。けど鍵付きの個室に二人でいても襲われる事は無かった。それは彼が白である何よりの証明だと思う」
ソラの顔が頭に浮かぶ。眠たげで、やる気の見えない瞳には強い安心感を覚える。
ダメだ。全くわからない。
頭脳に関してはそれなりに自信があるつもりであったが、どうにも勘違いだったらしい。犯人を特定するどころか、怪しい点の一つすら見極められない現状だ。もっと修行を積まねば、ライトニングの高みには程遠い。
いや修行ってなんだ。ミステリー読み漁りか?
「やめてよ!」
反響する叫び声が鼓膜を振動し、俺は思わず辺りを見回した。聞き馴染みのある声だ。しかし叫んでいるためか、誰のものかがわからない。
などと悠長な事を考えていると、今度は銃声が満遍なく反響した。音の聞こえた方を振り返り、頬を伝う冷や汗を拭う。
「あっちはソラの部屋がある方じゃねぇかよ!」
鼓動と呼吸が加速する。息苦しくなりすぐに深呼吸を始める。何度か繰り返した末にようやく体が落ち着き、もう一度辺りを確認する。
「まさかハクタロー……?」
事は一刻を争っている。ここで躊躇っている余裕はない。今は何も考えず、俺はただ真っ直ぐに叫び声の方へと駆け出した。
3.
瀬名雷虎忍具は発砲した。
警察への就職が決まった時に、真っ先に祝福の声をあげてくれたのは他ならぬ、あの三人だった。真面目なくせにどこか抜けている、僕のかけがえのない親友たち。閉ざされたはずの僕の物語が動き出したのは間違いなく、彼らと出会ったことがきっかけだ。
僕の両親は筆舌に尽くし難きクズだった。名乗るだけで恥を晒すような名前を付けてきたし、毎日、顔を合わせれば暴力の連続。右の肩には煙草を押し付けられた後が今でも残っている。物心ついた時には人生に一欠片の希望も見出せなかったし、僕はあの二人に足蹴にされ続けながら生涯を終えていくのだと本気で信じていた。
中学に上がった時。歳の離れた兄弟が、母、とも呼びたくないあの人のお腹の中で死んだ時に僕は自殺を決意した。水道代が嵩むからと風呂にも入れてもらえなかった僕は学校にさえも居場所が無く、心身ともに逃げ場が無かった。
「ライトニングって言うの? 超かっけぇじゃん! いいねいいね!」
本当は入学式にすら出る予定は無かったが、何故か今まで僕に無関心だった両親が着いてくることになったので、一日だけ出るハメになった。
「俺は範馬笑。キラキラネーム同士仲良くしようぜ?」
その時だった。僕が親友たちと出会ったのは。
「DVは立派な犯罪だ。ここまで酷い惨事を受けてお咎め無しとは辛かったろう。だがもう安心して欲しい。俺たちは瀬名の味方だ」
「てか風呂にも入らせてもらえないとか最悪すぎ! 俺んちの風呂使いなよ。ついでに夕食も一緒しよ! 一人増えるくらい大した事ないって!」
あの時。迫太郎くんと笑くんが話しかけてくれた時。心の底から本当に嬉しかった。誰も相手にしなかった僕に一瞬の躊躇もなく手を差し伸べてくれて、ただそれだけで僕は生きる希望が見つけられた気がしたんだ。
因みに、天空くんと仲良くなったのはもう少し先の事。彼は転入生だったから。
でもあの三人がずっと僕を支え続けてくれた。ここまで生きてこられたのは間違いなく彼らのおかげだ。
異星人。両親を醜く殺してくれた事には感謝している。僕が最も憎しみを抱いた人間を、僕の目の前で僕の手を煩わせずに葬り去ってくれた。警察になっても変えられなかった彼らを肉塊に変えてくれた。そこだけは感謝してもしきれない。
しかし僕の親友を殺し成り変わった事は絶対に許さない。これ以上、僕の宝物を壊していくというのならば僕は異星人を殺害する。
僕は引き金に置いた指を躊躇う事なく発砲した。
「やめてよ、ライ」
親友の一人。桐島天空に向かって。
しかし弾丸は彼の胸の数センチ横にぶつかって弾ける。さすがは宇宙船だ。簡単に穴が空くようなヤワな素材で作られていないらしい。
「君が異星人なんでしょ。天空くん」
「こんなこと、ライらしくないよ!」
珍しく焦っているのか、彼は額に汗を浮かべながら荒い呼吸で僕に語りかける。
「やめようよ、こんな事!」
しかし僕は行動を止めるつもりはない。
引き金に置かれた指はもう一度彼の生命を脅かす。顔のほんの数センチ横に当たった弾が再び弾けて床に転がる。
「僕の質問に答えて。天空くんが異星人なんだよね」
「やめろライトニング!」
突然、僕でも天空くんでもない、第三者の声がして思わず銃を構えたまま振り返る。声の主は出会い頭に銃を向けられた事に驚いて咄嗟に手を上げた。
「俺だよ俺!」
「なんだ笑か」
銃を天空くんへと構え直す。
この船は万が一空気が漏れてしまった時の事を想定して、全ての扉は空気が漏れないよう頑丈に閉まるようになっている。だから部屋にいる人間には当然、廊下の音は聞こえない。もし笑くんが銃声を聞いて駆けつけて来たのだとしたら。
「部屋にいてって言ったのに……。僕の言った事、信じてくれなかったんだ」
「……信じてたからショックだったよ」
「性格から発言から、君は嘘だらけだね。だったら何で部屋に戻ってないんだよ」
「ハクタローに話があっただけだ。それより銃を降ろせよ。ソラが怖がってる」
「こいつは異星人だ。隙を作れば今度は僕が殺される」
銃を持つ手に力が入っていくのが自分でもわかった。指は引き金にしっかりとかかっている。僕の意思とは関係なく、引き金が引かれるのは時間の問題だろう。しかし僕はそれでも構わない。もうすぐ、全て終わる。
「お前やっぱり、気が動転してたんだな」
震える腕に笑くんの手が触れる。
数秒前まで十メートルほど離れた場所にいたはずだが、どうやら気配を消して近づいてきたらしい。目頭が熱くなる。
「動転なんてしてない。僕は天空くんが異星人であるという証拠を見つけてたんだ!」
「落ち着けよ」
「落ち着いていられるか!」
腕に触れる笑くんの手を力の限りで振り払う。すると手に持っていた拳銃も同時に地面に放られて無機質で乾いた音が広い廊下にこだました。笑くんはそれを真っ先に手に取り手持ち鞄の中にしまってしまう。
「返せ! 公務執行妨害で逮捕するぞ!」
「こんな状況で警察が機能するのかよ」
「こいつを野放しにしたら、天空くんの死が無駄になる! 僕は絶対に君たちを、君たちを殺したくな……」
不意に生まれた浮遊感に言葉が詰まる。かと思えば右頬に強い衝撃を受け、そのまま地面へと仰向けに倒れた。少しして、胸ぐらを掴み上げられ思いっきり殴られたのだと、そう理解する。
「落ち着いた?」
戸惑い、言葉を失う僕の隣に笑くんが腰を下ろす。そして彼は壁沿いに震える天空くんにも同じように接した。
「ソラも、大丈夫か?」
「う、うん」
「来いよ、大丈夫だ。話せば絶対わかる」
恐る恐る、倒れる僕の横に、いや彼にとっては笑の隣と言った方が正しいだろう。笑の隣に座った彼は、未だに僕とは目を合わせようとはしない。
「お前の部屋に行く前、ソラの部屋でソラと二人きりで話したんだ」
笑は、恐らく僕に向かって言葉を紡いだ。どこか寂しげに、しかし言い聞かせるように。
「俺が異星人を突き止めなきゃって思ってさ。一人ずつ部屋を回ろうとして、最初に向かったのがソラの部屋だった。十五分くらい話したかな。その会話の内容はほとんど情報にならなかったし、ソラは相変わらずマイペースだったけど俺は今、こうして生きてるよ」
目を閉じて、目頭を左手でつまむ。
「何が言いたいの」
一呼吸置いて、笑は答える。
「部屋には二人きりだった。ソラが異星人で、俺たちを殺す事を目論んでいたなら絶好の機会だったはず。それでもソラは手を出さなかった。これはソラが白である何よりの証拠だろ」
「それは違うでしょ。一度、笑くん信頼を得てから、のちの殺しを有利に運ぶようにする作戦だったとしたら? 利用されている可能性だってあるでしょ」
「殺す相手が三人しかいないのにそんな遠回しな事しないだろ」
「それは笑くんの考えでしょ。異星人が同じように考えるかはわからないよ」
「そもそも追求したらソラ以外にだって異星人である可能性はあるんだから、ふわっとした理由で人を疑うなよ」
「ふわっとなんてしてない。僕は……」
ガシャン! と何かが激しく割れる音がして僕は思わず飛び上がる。見れば笑くんも目を見開いていて僕の背後を見つめていた。恐る恐る振り返ると、そこにはやはり天空くんが立っていて足元には割れたガラスと数輪の花が散らばっていた。廊下の脇に飾ってあった、多分、迫太郎くんの会社の人が飾った花瓶だろう。濡れた足元を見ると、彼の靴はずぶ濡れだった。
「もうやめて」
掠れるような、絞り出したような声が天空くんから漏れる。
「僕のせいで、みんなが仲悪くなるのなんか最悪だから」
「……ソラ」
涙ぐんだ瞳を拭う天空くんを見て心が痛む。ずっと正しいと思ってしていた行動が、今になって間違っている気がしてきて、心に罪悪感の爪が立てられる。
ずっと不安だった。みんな不安なはずだった。
僕がみんなを守るべきだった。変わったはずだった。変われたと思っていたのに。
両親を社会的に殺すために、僕は警察官になった。けど警察になって何年経っても、僕は実家に足を運ぶことができなかった。親の顔を見に行くことができなかった。ようやく決心がつき恐る恐る赴けば、今度は呆気なく異星人に殺されてしまった。
そして今度は恐怖の対象が異星人に移った。警察になっても結局僕はずっと昔のまま、臆病なままだった。それでも笑くんの頑張ってる姿を見て、自分も頑張るべきだと強く思った。思ったはずなのに。
「ごめん、僕が異星人なんだ」
「そうか、ソラが異せ……」
天空の言葉を聞いて相槌をうっていた笑くんが優しい笑顔のまま固まる。
固まったのは彼だけでは無い。はじめ、何を言ったのかわからなくて、理解するまでに数秒かかった。まるで時が止まったかのように、僕らの間には長い閑散が訪れる。
しかし天空くんの表情には何かを企もうなどという歪んだ思想は見えない。その意図が咀嚼できなくて、僕たちは固まったまま彼の瞳を凝視した。
4.
桐島天空は覚悟した。
永らくの間、凍結されていた真実がついに明らかになってしまった。いや予期せぬ形ではあるが、明らかにせざるを得なくなったという方が正しいかもしれない。少なくとも僕は一生、彼らに真実を告げるつもりはなかった。それが例え、彼らを裏切る事になるとしても。
桐島天空こと、レヅィ=ロムフォールはアルリーガムという惑星の生まれだった。つまり僕は異星人だ。アルリーガムは人類史二千五百年以上に及ぶ地球よりも文明の発達した星で、皆、移動の際には乗り物ではなくスマートフォンに搭載された携帯浮遊機器を使っていた。トレンドは宇宙旅行で、近隣の惑星や衛星ならば専用の宇宙服さえ着ていれば一般人の観光も可能で、日本円でいう二十万円ほどあれば四人家族でも三泊四日の旅行が楽しめた。
僕はこちらでいう王族のような家庭で育てられた。裕福で何不自由なく育てられ、そして恵まれた環境の中で幾年もの時を経てロムフォール家に相応しい男として順当に成長していった。将来は世界から称賛される王になるのだと言い聞かされていたし、僕自身もそれを本気で信じていた。
しかし悲劇は残酷にも訪れる。
自らの所有していた星を枯らし尽くし、生存できる環境が無くなった異星人たちがアルリーガムへの侵攻を開始。瞬く間に星は占拠され、罪の無いたくさんの人が犠牲になっていった。当時、十一歳だった僕にはその事実は受け止めきれないほど残酷で、ただただ奪われていく世界を見ている事しかできなかった。
侵攻が始まってから二日が経った頃。父親の知り合いで宇宙船を作っている人間が僕の元を訪ねてきた。聞けば、彼は父に頼まれて僕を他の星に逃亡させようとしているらしい。それはつまり両親とは離れ離れになってしまうという事だった。
悲しくて何度も反対したが、男は父の意思だといって僕の言葉には皆目、耳を傾けなかった。
そして見たこともない円形の一人乗りサイズの宇宙船に意識を失わされた上で強引に乗せられ、気がついたら地球の山奥に打ち捨てられるように転がっていた。
「だから僕は、初めから異星人だったんだ」
次々と明かされる真実に二人は呆然としている。当然だ。今まで一度だって、僕は自分が地球外生命体だった素振りは見せていない。
「一緒に暮らしてたお爺ちゃんはそんな僕を拾ってくれたんだ。だから本当に大切な家族なんだけど、血は繋がってない」
「じゃあ転校して来たのは日本内の他校じゃなくて……」
いつになく真剣な表情のショー。暗い雰囲気は好きじゃないといつも言っているのに、気を遣ってふざけないでいてくれている。
「そう、地球外から転校して来たって事」
「そんなの信じられない! ……そんなの」
俯き叫び声に近い声を荒げるライ。僕は彼へと視線を向ける。彼もまた真面目な男だ。異星人に怯え、異星人を憎んでおきながら白状するのを待つばかりで、ついには僕の体に銃痕を残すことはなかった。いや、それは真面目さではなく、優しさか。
「さっきも言った通り僕の星は異星人に侵略されて、そのせいで僕は地球へと飛ばされた。もちろん当時は心に深い傷を負っていたし、お爺ちゃん以外の地球人を完全に信用できなくなっていたんだ。僕にとっては地球も異星人の集う星だったから。でも……」
ライの元へと歩み寄り、その手を掴む。
「……ライが優しく、声をかけてくれたから僕の心は救われたんだ。心が独りぼっちだった僕を暗闇から引っ張ってくれたのは他でもない、ライだったんだよ」
ライは未だに俯いたままだ。しかしその瞳は感情の雫で満たされていた。時折落ちるその雫を見下ろしながら、隣に立つショーが笑みを浮かべる。
「ねえライトニング。異星人がもし人に擬態できて、性格も擬態できたとしても、記憶までは擬態できないんじゃないかな。ソラが今語ってくれた話は二人しか知らない、大切な思い出なんだろ?」
溢れる涙を両手で抑えながら、ライはその場に崩れ落ちる。僕とショーは彼と同じ目線まで腰を下ろしその両肩に軽く手を乗せた。
この疑心の種は僕が撒いてしまったものだ。不可抗力とはいえ、皆を不安にさせてしまった事は謝るべきだろう。肩に置いている手に少しだけ力が入る。
「ごめん二人とも。まさかこんな事になるなんて思ってもいなくて。自分が他の星から来てたなんてどうしても、本当は言いたくなくて」
「わかってるよソラ。この真実に辿り着いた今、もうお前の事を責める奴はいないって。俺たちがそんな酷い奴じゃないって事くらい、お前はわかってるだろ?」
「ショー……。ありがとう」
「それによく喋るようになったみたいで俺は嬉しいよ。せっかくだからお前の事、これからもっといっぱい知りたいな。ライトニングも、それからハクタローも、きっと同じ事を思ってるはずだ」
屈託のない笑みが必死に周りを安心させようという心情から出たものだというのが手に取るようにわかる。実際、不穏な空気に押しつぶされそうになっていた僕も、彼につられて自然と笑顔になってしまっていた。
「何がバレるきっかけになるかわからなかったから、つい口数が少なくなっちゃって」
「そっか。でも本当に、異星人が紛れてなくて本当に良かったよ」
ライは未だに項垂れながら涙で頬を濡らしている。彼の涙が落ちる度に胸が痛んだ。しかし誰かを騙した事の代償がここにきて精算されたのだと、僕はしかと彼の姿を目に焼き付けた。
宇宙船は親友四人組を乗せながら無限に広がる宇宙の中を悠々自適に泳いでいる。相変わらず救難信号はどこにも届かず、助けが来る気配はまるでない。そんな危機的状況に取り残されていながらも僕らの中に不安は無かった。
「しかし、俺が寝ている間にとんでもない事になったものだな」
「しょーがないだろ。ライトニングがヤンチャしちゃったんだから」
「ぼ、僕のせい? 元はと言えば天空くんが……」
「まあまあ、みんな落ち着いて」
「「「誰のせいだと思って!?」」」
みんなの声が鼓膜にダイレクトに突き刺さり思わず耳を塞ぐ。
その後、気分の落ち着いたライと話し合って僕らは和解する事ができた。ずっと気が立っていた事もあって解決してからは何だか眠くなってしまい、三人仲良く廊下でお休みしていた所をオッキーに発見されて今に至るというわけだ。
状況が全く把握できていないオッキーにはショーが要点をまとめて説明してくれた。本当は僕の口から言うべきだったのだろうが、彼は言い辛そうにしていた僕に気を利かせてくれたのだろう。
話を聞いたオッキーは咎めるでもなく、寄り添うでもなく、ただ「そうか」と呟いた。
「ところで瀬名はどうして桐島が犯人だと確信できたんだ? 範馬も言っていた通り、接していて特に違和感は無かったと思うんだが」
「確かに! てか実際、別に成り変わりとかなく本人だったわけだし余計気になる!」
オッキーの疑問にショーが便乗する。
対して、ライは初め罰が悪そうに頬を掻いている。しかし二人の圧は留まるところを知らず、ついには押されるようにして半ば強引に口を開かされた。
「昨日食事してた時、天空くん左利きなのに右手で迫太郎くんの落ちたスプーンを取ってたから……」
「え、それだけ?」
「わかってる! 完全に早とちりだったって!」
呆然とするショーと慌てるライを交互に見て僕は笑い声を上げる。そうすると釣られるようにオッキーが笑い出して、やがて空間全体が笑い声に包まれていった。
「気が動転していたとはいえ、天空くんには本当に悪い事したと思ってるよ」
「ラ、ライトニング……。そんなインターネットに蔓延る揚げ足取りみたいな理由で……」
「全く、だな。でも結果的に四人揃ってる。それだけで今は良いんじゃないか。なぁ桐島」
「そ、そうだね! ソラも含めて、誰も死ななくて本当に良かった」
穏やかな空気が宇宙船内に循環する。
空気の無い冷えた世界の中心でも、僕らは息をして、こうして互いに笑い合っている。
「僕は今、本当に幸せ。究極に幸せだよ。他の誰でも無いみんなが隣にいる。オッキーとショーとライ。三人が親友で本当に良かった」
たまに間違うかもしれない。疑い合ったり傷つけ合ったり、僕らは常に不完全だ。
それでも互いに歩み寄る。親友の知らない一面を見つけたり、自分の隠してる一面を見せたりしながら、いつだって時間は流れ続ける。そうして出来た親友が、永遠に壊れる事のない絆が生まれる。
大丈夫だ。僕にはこの三人がいる。
僕たち四人の命を奪うには壮大すぎる大いなる闇を前にしても、この四人ならきっと打開する方法を見つけられる。今回だってそうして問題を解決していけた。解決してくれたんだから。
柔らかい空気を孕む世界の中でショーは今日も冗談をかます。そんな日常に眠る幸せを、僕は味がなくなるまで噛み締めていた。