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1.エンドレスウィンター

初めまして。梔子凛と申します。

まずは、数ある作品の中から私の作品に興味を持っていただき光栄に思います。


タイトルにも表記されている通り、こちら短編集となっております。

これより展開される「エンドレスウィンター」はここに描かれるのみで完結。次に投稿される話はまた全く別のお話となります。



貴方様の貴重な時間が無駄にならないよう、未熟ながら誠心誠意を込めて描かせていただきました。

梔子凛の文学の世界。ごゆっくり楽しんでいただけたら幸いです。


 1.




 立ち込めた不穏な暗雲とは裏腹に、純白の結晶がそれはそれは穏やかに活気ある住宅街へと降り注がれた。


 辻堂駅東改札から北口方面の公共用歩廊へ足を進めるとすぐに見える辻堂テラスモール。通称テラモは藤沢市を賑わす大型ショッピングモールの一つで、改札から徒歩一分でたどり着ける手軽さや、映画館等の充実した娯楽によって老若男女問わず多くの人に利用されている施設である。そんな施設を前にしながら中に入るわけでもなく、青年はスマホの画面に目を通しながら肩に触れる結晶を軽く払った。


「……遅いな」


 まさか、と嫌な予感が脳裏によぎるがすぐにかぶりを振る。


 しかし霧のように沸いて出た不安と葛藤しているうち、やはり遅刻相手は何でもないような顔をして青年の前へと躍り出た。


「おまたせ!」


「もう羽流はる、遅いよ」


「ごめんごめん、スカート同士によるファッショントーナメント敗者復活戦が思ったよりも長引いて」


「デートの服選ぶのに毎回トーナメントしてるの!? しかも一度負けてる服の復活戦までしてるし!」


「敗者復活戦で勝ち上がった黒のロングスカートも可愛かったんだけど、決勝戦で結局これに負けちゃった。長きに渡る戦いの末に選ばれたコーディネートだけど、どう?」


 彼女、羽流は悪意の無い笑顔でそう言ってその場で横に一回転して見せる。決勝戦を見事勝ち抜いたのであろう、黒いチェック柄が入ったブラウンのロングスカートが慣性に乗っ取り軽快になびく。真っ白で厚みのあるコートと暗いブラウンのブーツ、そして橙に近いような薄く明るいブラウンのニット帽。雪が舞うような冬の季節感を取り入れつつ、チョコレートを連想させる自然な統一感に目が奪われる。童顔の彼女にとてもよく似合う、可愛らしい服装だと青年は素直に思った。


「とても似合ってる。トーナメントをした甲斐があったね」


「本当に? 女優の野本美希とどっちが可愛い?」


「野本美希に決まってるだろ」


「うわ、これはもっとトーナメントに時間をかける必要があるみたいね。選考選考」


 どうやら言葉の選択を間違えてしまったようだ。正直これ以上待ち合わせに遅れられるのは勘弁願いたい。


 しかし羽流は自らの発した言葉の重みに気づく様子もなく、スマホの画面を見ながら前髪を整えていた。


 まあ、いいか。と青年は苦笑した。予定を消化する時間には大分余裕がある。とりあえず今は無事に羽流が合流できた事を素直に喜ぶことにしよう。


「そういえば、何やら今日は六輝吉むてきちが一日のスケジュールを組んでくれたっていう話で聞いてるんだけど、どういう流れを想定しているのか、一応いま、一通り聞いておいても良いかな?」


 青年、六輝吉が頷く。


「何で人伝みたいな言い回しなの。まあいいけど」


 前置きもそこそこに本題に入る。


「そんな大層な事も無いよ。確定している事といえば、映画と昼食、夕食くらいのもので、それ以外の事は事細かくは決めてない。でもせっかくショッピングモールに来たし見て回るだけでも十分時間潰せるかなって思って」


「それは同意かな。因みに映画は何時から始まるんだっけ?」


「あと十分で始まるね」


「私が悪いんだけど、普通もう少し焦らない? 何でそんな冷静なの?」


 少し冷たくて細い羽流の手が六輝吉の手に繋がれる。彼の体温が彼女の手にリンクする。


「ほら、時間ないんでしょ。行こ?」


 微笑む羽流を前にした六輝吉は、彼女が遅刻をした事とか、映画があと数分で始まる事とか、もうそんな些細な事はどうでも良くなっていた。楽しげに、ただ楽しげに笑っている彼女がいてくれる。自分と一緒にいてくれる。本当にただそれだけで六輝吉は感極まるような思いだった。


 雪は風と共に激しさを増していき、先ほど払ったばかりの肩にも、既に少し雪が積もっている。


 手を引く力が強くなる。距離の近づいていく建物を見上げながら、彼はもう何度訪れたかも計り知れない、見慣れたモール内へ彼女と足を踏み入れた。






 2.




 彼女が大口を開けてハンバーガーを食べる姿を見て、にやける口元を抑える事ができなかった。


 約二時間。二人並んで観た映画は、世間から受ける絶賛とは裏腹に思いのほか拍子抜けで、映画館を出たときに六輝吉は苦笑を隠せなかった。対して羽流は大層気に入ったらしく恍惚の笑みを浮かべながら、昼食までの道中、あれやこれやと言葉を並べていた。そんな彼女の豊かな表情を見ていると、青年は「ああ、もしかしたら本当は面白かったのかもしれない」等と安易に揺らいでしまうのだが、結局は改めて思い直し彼女の絶賛を真っ向から否定するのである。


「世間一般を目の敵にするような真似は中学生で卒業した方がいいと思うな、私は」


「俺の評価を厨二病という偏見で一括りにしないでいただきたい。別にそんな嫌だったわけじゃなくて、ただ世間で評価されているほど素晴らしい物だったのかなって疑問に思っただけ」


「私はエンドロールが流れた瞬間に筆舌に尽くし難き賞賛を心の中で送るくらいには好きだったけどなぁ」


 口の端についたソースを紙ナプキンで拭いてた彼女が、今度はフライドポテトを手に取り口に運ぶ。青年も真似するようにフライドポテトを数本取り口へと放った。


「あ、でも音楽はすごく良かったな。この映画のBGM担当してる人が吉田さんだったみたいでさ、緊迫感とか最後の盛り上げとか、この作品が人気たる所以の一端は音楽によるものだと言っても過言では無いと思うよ」


「え、私そんな所に着目して見てなかったんだけど。しかも吉田って誰?」


「ほら、羽流が前に見てたあれ。何だっけ、『しこなこ』?」


「あー、『四股名でも恋がしたい』ね」


「それそれ、あれのBGM担当してる人だよ」


「そう言われると凄いね。あの時と今回とでは雰囲気も全然違ったし。私はそこまでちゃんと聴いたわけじゃ無いけど、『しこなこ』の時のBGMは確かによく印象に残ってる」


「主題歌も有名なひと起用してたし、役者も今話題の人あつめてみました! って感じだったからお金はかかってるんだろうけど……」


 最後まで言葉を紡ぐことはなく、青年は大きく伸びをした。結果、映画は世間的に大評判となり売れ行きも抜群。彼にとっては評価に困る凡な物でも、この映画は生涯大作として語り継がれるのだ。その事実がある上で、これ以上を語る事に何の意味があるだろう。


「私は、主演の子の繊細な演技にとっても感動したし、主人公とヒロインの関係性の変化を目の当たりにして胸の高鳴りを感じたよ。そりゃあ、少し展開が急かもって思ったことも無かったけど尺が短い分原作通りにってわけにもいかないと思うし。それを上手く纏めた技術も私は凄いと思う。凄く凄いと思う」


 羽流は相変わらず賞賛している。


「まあ、わからなくもないけどさ」


 互いに互いに対し否定的な意見を滲ませながらも何だかんだ会話に花を咲かせ青年たちは食を進めていく。そしてもう殆ど食べ終えた頃、移ろいに移ろった会話はもう映画の事など影も残しておらず、その間も二人の間には笑顔が絶えなかった。


 やがて皿が空になり席を立つ頃には、周りに座っていた客たちもいなくなっており、お昼時のピークが過ぎた事を強く感じさせられた。腕時計を見ると時刻は午後の三時。映画の終了が一時半頃だったので約一時間半ほど店に滞在していた事になる。


「さて戦前の腹ごしらえも済んだ事ですし、本日はどちらへ出陣なさるんですかい」


 もう一度、腕時計へと目を向ける。


 正確には午後二時五十三分を指している時計。つまりまだ三時にはなっていなかった。


「私は三階を攻めたい所存ですぞ。確か好きなお店がセールをしているとかで、攻め時であります!」


「それはわかったけど、その軍隊の上官に話しかけるみたいな態度はなんだ」


「えへへ、ムードを大切にしたくて」


 どんなムードだ。


「そうだなぁ……」


 腕時計から目を離して、周囲へと目を向ける。休日のショッピングモールは相変わらず賑やかで、時間帯による影響で内設されている飲食店は多少影が薄いものの、一足外に出れば多くの人で溢れかえっていた。


 青年は一度スマホを見たのち、少しわざとらしく口を開いた。


「そうだ! 服も良いけど羽流この前、推してるアイドルの新しいアルバムが出たとかで買いに行きたいって言ってなかったっけ」


「そうだ! 私の限定版!」


 この話は一ヶ月前にまで遡る。


 彼女が推している女性三人組アイドルのニューアルバムが出るということで予約を試みた彼女だったが、生産数の問題で買う事が叶わなかったのだ。当時は直接店頭へ赴くしかないと意気込んでいたはずだが、まさか忘れていたとは。青年は少し拍子抜けだった。


「ここ最近、仕事で忙しかったしSNSも全然チェックできてなかったからすっかり忘れてた。本当は春でも着れそうなセーターとか見たかったんだけど、いや、確かに一刻も早く赴きたい案件だよ。そうと決まれば六輝吉警部、現場へ直行するよ!」


「軍隊なのか警察なのかハッキリしてくれ」


「六輝吉警部、現場へ直行するよ!」


「……はいはい、了解しました。羽流警視正」


 敬礼をしたまま青年は思う。確かにここ数週間、繁忙期だという事で彼女は休日も少なに仕事に励み続けていて、二人で一日外出する事でさえ久しぶりだった。その事を忘れていた六輝吉は自分の軽率な思考に蓋をする。自分が楽しみにしていたものを忘れてしまうくらい、彼女は大変な思いをしていたのだ。今日くらい、今日くらいは存分に羽を伸ばさせてあげようではないか。






 3.




 結果から言えば、お目当ての限定版アルバムは手に入らなかった。


 しかし彼女は予約ができなかった時点で覚悟は出来ていたみたいで、「売切御礼」の字に気づいた時の反応も青年が思っていたより冷静だった。彼の知っている彼女は、決して他者に迷惑をかけない程度だけれど、しかしもう少し往生際が悪く、頑固であったような気がしたのだが。もしかすると彼女も大人になったという事なのだろうか。


「折角、六輝吉がその気になってくれたのに。徒労に終わっちゃったね」


「それは全く構わないんだけど、買えなかったのは良かったのか?」


 青年の心配に、彼女は手に下げてる袋を上げることで応えて見せる。


「通常盤はあったから問題なし!」


「お気に召したなら何よりだよ」


 さて、と青年があたりを見回す。腕時計に示された時刻は三時半を回っていた。夕食を摂るには早すぎる時間だが、今から近場で遊ぶ場所を探すには少し時間が足りない気もする。だが朝からしんしんと振り続けていた雪は大分おさまってきており、もし移動を試みるならチャンスだとも思えた。それに六輝吉は早くこの場を離れたかった。


「ねえ、私よく考えたら藤沢駅ってほとんど降りたこと無かったんだけど、折角だから少し見て歩かない?」


 言うと思った。と言いかけて六輝吉は口を噤んだ。


「いや、折角だと言うならもっと良い場所があるよ」


 そう言うや否や、頭にクエスチョンマークを浮かべる羽流の手を取り、駅へと戻るように歩き出す。突然の出来事に驚きの表情を浮かべた彼女だったがやがて彼の思考の赴くままに身を任せるように、彼の手の向かう先へと委ねた。


 当初の予定から変更に変更を重ねて、青年たちは江ノ電に乗っていた。藤沢駅は辻堂駅に通じるJR東海道線の他にもう一つ、路線を有している。それが藤沢と江ノ島、そして鎌倉を海岸沿いに繋ぐ江ノ島電鉄。通称、江ノ電だ。特に江ノ島と鎌倉は多くの観光客が訪れる旅行の名所である他、アニメやドラマの聖地としても起用されており、多種多様な人種に親しまれる場となっている。江ノ電はそれらを繋ぐローカル線として多くの人に長年愛され続けてきたのだ。


「ところで警部と警視正って階級はどっちが上なの?」


 何の脈絡もなく突然そう聞かれて青年は首を傾げた。しかし先ほどしたテラスモールでの掛け合いを思い出してすぐに意識を戻す。


「正確な事はわからないけど、多分警視正が上だと思う。刑事ドラマに出てくる立場が高いと思しき人は大体が警視とか警視正って呼ばれてる印象がある」


「成る程。さすが普段からミステリーに触れてるだけはあるね」


「本当に触れてるだけだけどね。現に警察の階級もハッキリとはわかってないわけだし」


 そろそろ目的地が近づいている。青年が腕時計に視線を向けると四時八分を指していて、彼はその事に深く安堵した。


「触れてると言えば、最近交通事故すごく多いよね」


 スマホに目を通しながら何の気なしに言う羽流の言葉に六輝吉が目を見開く。どのあたりが「触れてる」に因んでいたのか、彼には理解できなかった。


「この前も海老名駅付近で遊んでた時に目の前で軽自動車とバイクが接触してて本当ビビったんだよね」


 臨場感を伝えようと身振り手振りで衝突の瞬間を再現しようとする。しかし青年は視線に大袈裟な彼女を捉えているにも関わらず、何故か沈黙していた。いや、確かに彼の視線は羽流に向いている。だが彼女は何故だか、彼が自分を見てはいないような気がした。恐る恐る彼の肩を叩く。


「おーい、聞いとるかね?」


「え? あ、ああ……」


 覗き込む彼女に気付いて、青年はようやく視界に光が戻ったかのような反応を見せる。


「ごめん、ぼーっとしてた」


 薄暗かった沈黙を嘘へと変換するように、彼はすぐさま笑顔を見せ頬をかいた。


 目的地、片瀬江ノ島駅にはすぐに到着した。アナウンスと共に電車の扉が開き、乗客の波に流れるように車外に出るとすぐに潮の香りが鼻に抜ける。二人とも神奈川県民なので海は身近に感じでいるものの、羽流の方は中でも比較的内陸部に住んでいるせいか、潮を感じるのは久々の体験だった。


 竜宮城のように派手な紅で入口の彩られた駅を出て行き交う人の群れに少し足を止める。雪はもう降っていなかった。


「それで、どこへ行こうというのだね?」


「拳銃を持って追いかけて来そうな言い回しをするな」


 ツッコミを受けて「えへへ」と顔が綻ぶ。


 江ノ島へ参拝に行こうと言う六輝吉の一存で二人は進行を始める。目の前に流れる境川を跨ぐ弁天橋を渡り観光案内所の手前に見える地下歩道へ目を向ける。海沿いに伸びる県道百三十五号線は車通りが多く横断に苦労するため、たくさんの観光客や海を目指す地元民の利用する姿が見えた。回り道をすれば信号付きの横断歩道もあるが歩行者には少し遠い。敢えて避けて通る必要もない。二人はそこそこに開放感のある地下を用いて県道を潜った。


 地下歩道を抜けると一気に海沿いへと躍り出る。彼女は満面の笑みを携えて、江ノ島と本州を繋ぐ橋の欄干に手をつき延々と広がる海に胸を踊らせた。チョコレートのようなスカートが海風に靡いて彼女は帽子を片手で押さえた。


 少し遅れて六輝吉も彼女の隣に立つ。


「冬の海なんて凍えるばかりだと思ってたけど、こんなに清々しく、気持ちよくなれるなんて」


「ああ、同感だ」


「凍えるばかりだと思ってる所に、か弱き女の子を連れてくるなんて。六輝吉のサタン! ルシファー!」


「鬼! 悪魔! みたいなノリで神話の悪魔の名を叫ぶな。その類の悪目立ちは俺が一番嫌うやり口だ。口を慎め。あと、俺が肯定したのは清々しく、以降だけだから」


「ボケたのは私なんだけど怒涛のツッコミすぎて、逆に引くわ」


「勝手に引くな。お前が始めたんだからちゃんと責任を持って対応しろ」


「そんな、コールセンターの上司みたいな事……」


 言いかけて、彼女は再び海に注視した。


 会話中に彼女が何かに夢中になるのはよくある事だ。青年も彼女に倣って静かに波立つ橙の海へ視線を送る。その時、同時に視線の先に映る傾きを増した太陽が時間の経過を青年に知らせた。腕時計を見ると時刻は午後四時二十一分で、確かに目前に太陽が浮かぶのも頷ける時間帯だ。あと約七時間半で一日が終わる。そう思うと気が緩んでしまって、すぐに振り払うように拳を強く握った。


「あー、惜しい!」


 彼女の言葉で我にかえる。再び海に視線を向けると、そこには自然に翻弄されているサーファーの姿があった。成る程。彼女はずっと彼を見ていたらしい。濡れた長髪をオールバックにした逞しい体付きの男性は負けじともう一度、海へと舞い戻っていく。


「サーフィン出来る人って凄いよね。体幹しっかりしてないと板に乗る事すら難しそうだし」


「そうだね。更に波に乗るってなったらまたそこから技術が必要になるんだろうと思うと見た目の爽やかさからは想像もつかないような過酷なスポーツなんじゃないかって思えてくるよ」


「でも波に乗れるなんて少し羨ましくもあるんだよねぇ。私もなみのりしたいなぁ」


「サーフィンの事をそんな、みずタイプ技みたいに言う人はじめて見たわ」


「いやこれはサーフィンやってる人みんな普通に言うよ?」


「え、そうなの?」と六輝吉は少し俯いて答える。その顔は少し紅潮していた。


 六輝吉の勘違いを盛大に大笑いしていた羽流が落ち着くのを待ってから、二人は江ノ島を見据えた。遠くから見ると小さな島だが、目の前まで来るとそこそこに立派だ、というのが率直な感想だった。観光地として見るならそこそこどころでは無い手のかかりようである。江ノ島に限った話ではないが、こうした話題性に富んだ場所には常にたくさんの人間の尽力が成されている。誰かの努力が、誰かの楽しさを生み出している。そう思うと江ノ島という物そのものがたくさんの人が生み出したコンテンツ、作品のような気がしてそこに作者たちの意図を汲み取りたくなってしまう。


「じゃあ、そろそろ行こうか」


 モチベーションが上がって来たところで、彼は羽流の手を取った。しかし彼女は六輝吉の顔を見てから、何かを考えるように俯いた。


「ねえ私、海見てたら、水族館に行きたくなって来ちゃった」


「はぁ!? え、いやお参りは?」


 突然の提案に対し、青年は素直に戸惑いを表した。


 しかし彼女の表情は淡々とした物だった。


「いや、お参りはその後でも良いじゃん。水族館ってそんな遅い時間までやってないと思うし出来れば先に行きたい。お金なら私が出すし、ちょっと見るだけでも良いからさ、ね?」


 羽流は普段から自由奔放な振る舞いをするが我儘は滅多に口にしない。やりたい事は色々あるのだとよく口にしているし、実際自分本位にならない範囲で彼女は様々なことを青年を巻き込んで挑戦している。しかし予定を捻じ曲げてまで自分の意見を通そうとするような性格では無かった。その彼女が久々についた我儘だ。これを飲まずして彼氏を名乗ったりはできないだろう。


 彼女の手を引いて青年は水族館の方へと踵を返す。


「行こうか、水族館」


 俯いていた彼女の視線が青年に向けられる。


「え、いいの?」


「良いに決まってるよ。さ、最終入園時間もわかんないし早く行こ」


「……うん!」


 寒さで顔の赤らんだ彼女の飛び切りの笑顔を見て、青年も頬が緩む。もしかしたら彼女の性格がどうとか、我儘か否かとか、そんな事を考える必要は無かったのかもしれない。視界いっぱいに楽しそうに笑う彼女が映っている。自分にしか送られないその景色を、特等席で見れる。言う事を聞く理由はそれだけで十分だったのだ。






 4.




 現時刻は午後四時四十九分。江ノ島水族館の閉館時間は午後五時。そして最終入園時間は午後四時。つまり一言でいうと無駄だった。入園時間はとっくに過ぎておりここまでの数百メートルは徒労に終ったのである。


「まさかこんな早くに閉まるなんて。計算外だよ」


 六輝吉はそう呟く彼女へと視線を向けた。


 青年は、それなりに彼女の意思と意図を噛み砕いた上で水族館へ向かう事を肯定的に捉えたつもりだったのだが、閉館を知った彼女の反応は案外あっさりとしていて複雑な気分だった。


「ごめんね、無理に付き合わせたのにこんな結果で」


 両手を合わせて謝る彼女を見て青年は更に複雑な気持ちになる。別に謝罪されなくても腹を立てているわけではないし、申し訳なさそうに俯く彼女が見たくて水族館まで赴いたわけではない。


「仕方ないよ。近いからって閉館時間を調べなかった俺にも非はあるんだし」


 その言葉を聞いて羽流は安心したように胸を撫で下ろした。


「少し遠回りになっちゃったけど、江ノ島行こうか」


 来た道をなぞるように海沿いを戻っていく。そろそろ五時も近くなり夕方と呼んでも差し支えのない時間帯のはずだが依然多くのサーファーが波と戯れている。砂浜には並んで座るカップルや、ランニングをしている男性、犬を連れて散歩する老人の姿など、観光客に負けじと地元民ならではの賑わいを見せていた。


 六輝吉は彼女に海側を歩かせて手を繋いだ。


「あ、六輝吉ってこういうことできる人種だったんだ」


「人聞きの悪い事を言うな。初デートから今に至るまで抜かりなくやってたわ」


 潮風に揺れる髪と彼女の楽しげな仕草を見て、ようやくいつもの彼女に戻ったのだと安堵する。同時にこの幸せな時間が永遠に続けばと切に思う。そんな事、期待しても無駄だとわかっているのに。


「ごめん、電話だ」


 バイブレーションにしているのか、青年の気づかぬ間に鳴っていた携帯を上着のポケットから取り出し、左手で謝罪の意を表してから応じる。


「もしもし? どうしたの朱里」


 彼女の口から出たのは彼女の友人の名だった。歩みは止めぬまま、彼女は通話を続ける。


『羽流、大丈夫!?』


 通話口からは迫真の大声が響いた。それは青年にも聞こえるほどで、二人して体が強張ったのをお互いに感じた。通話口から少し耳を離して彼女に返答する。


「大丈夫って、何が?」


『今日、彼氏とテラモ行くって言ってたじゃん!』


 テラモ。辻堂のテラスモールの事だろう。映画を観た場所だ。


『あそこで午後三時半ごろ、無差別大量殺人があって、モール内が大パニックになったって』


「え!?」


 彼女の驚く声に青年は驚いた。


 無差別大量殺人。という普通に生活しているだけでは聞きなれない単語に彼女は戸惑っているのだろう。無理もない話である。それに先ほどまで自分たちがいた事を考えれば反応過敏になるのは当然とも言えた。


「私は今江ノ島にいるから大丈夫だけど、その犯人はどうなったの?」


『現行犯逮捕されたからこれ以上の被害は出ないけど、被害者は軽傷の人も合わせて二十人を越えてる。巻き込まれてなくて本当に良かったよ』


「そんな……。もしあの時、CDを買いに出てなかったら……」


『それに藤沢駅付近でもでも何台もの車が衝突する大事故があったらしいし、今日は藤沢にとって本当に厄日だと思う。出かける人が多いから事故が増えるのも仕方ないけど、せめて羽流は巻き込まれないで!』


「そんな、巻き込まれないでって言われても事件は突然起きる物だし」


『そんな刑事ドラマみたいな台詞吐いてないで。絶対に気をつけてね!』


「いやそれは良いんだけど、事故ってその……」


「羽流!!」


 羽流が言葉を続けようと思ったその瞬間、青年は彼女を思い切り突き飛ばした。


 体が背後へと跳ねて転がるように地を滑る。その際スマホが手から離れてしまい、彼女と同時に、そして彼女より数メートル離れた地点まで滑ってしまう。そして彼女が離れていくスマホに目を奪われている間に六輝吉は無慈悲に、無情に、自動車に突き飛ばされた。


 地に人が転げ落ちる生々しい音が羽流の耳に絡みつく。六輝吉を跳ねた白い自動車が不安定によろめくそぶりを見せ、歩道と砂浜を隔てる柵に思いっきりぶつかる。六輝吉の頭からは大量の血液が流れ出ていて、荒い呼吸をするのみで横たわった体は動かない。


『ちょっと、何今の音!?』


 通話口からの友人の声が聞こえた時、漸く羽流は我に返って立ち上がった。視界の先には赤く倒れる彼氏が今にも消えてなくなりそうになっている。その事実を受け入れまいと彼女は全力で駆け寄った。


「六輝吉! ……六輝吉!」


 その体を起こそうとして、やめる。医療の知識など彼女は殆ど知らないが、致命傷を負った者の体を動かす事は危険だと聞いたことがある気がしたからだ。


「き、き、救急、救急車!」


「……は……る」


 微かに口が動いて荒い呼吸の隙間から声が漏れる。


「喋らなくて良いから!」


 とめどなく溢れる空気を口を抑えて飲み込み、涙が溜まる目を必死に動かして自分のスマホを探す。首を動かし漸くその位置を確認すると、震える膝を奮い立たせながら必死にスマホにしがみつく。


「……助けられたんだ。本当に……良かった」


 通話を切り、震えて言うことをきかない指で必死に数字を打ち込む。しかし震える指は違う数字を連打してしまい、なかなか例の番号を打つ事ができない。


「こうなる予感はしてた……。どこにいても……まるで狙われてるようだっ……たから」


「喋らないでって言ってるの!」


 叫ぶ声は潰れていて、涙はとうに瞳から溢れている。それによって視界が塞がれてしまっていて、彼女が正常にスマホを操作できる状態じゃないのは火を見るより明らかだった。


「君たち、大丈夫か!」


 騒ぎに気づいた人々が次々と駆け寄り、状態を確認してくる。その中には救急への連絡をかって出る者や、事故を起こした自動車へ駆け寄る者もいた。それに気づいた彼女はスマホを捨てて彼の元へと駆け寄る。流れる血は未だ止まらず、呼吸は相変わらず苦しそうだ。


「六輝吉、大丈夫!?」


「……大丈夫……だよ」


「大丈夫なわけないでしょ!?」


「……大丈夫……もう大丈夫だから」


 彼の掌が近くに膝をつく彼女の太ももに触れる。


「十二回」


「え?」


「……君が死んだ……回数だ」


 羽流の戸惑う顔を見て六輝吉が微笑む。


「……でも……もう……ループしない」


「ふざけないで!」


「……だから……大丈夫…………」


 彼の手が彼女の膝から崩れ落ちる。微かに聞こえていたはずの呼吸が止まる。


 彼女は止まった彼を見下ろした。地面に突っ伏し、鮮血を流し、微笑みを残していった彼氏を見下ろした。


 彼は言った。「彼女は十二回死んだ」と。「もうループはしない」と。


 もしも彼が全てを知っていたとしたら。連続殺人犯がテラスモールに午後三時半頃に現れること。藤沢駅付近で大規模な交通事故が起きること。そしてそれを避けるように行動していたとしたら。彼女が避けるように、誘導しようとしていたとしたら。


 彼女が死ぬことが、彼が今日をループするトリガーになっていたとしたら。


「……はは」


 しかし、しかしだ。そんな突拍子もない現実味のない話、誰が信じるだろう。死に際に放たれた一言にしては、あまりにも芝居がかり過ぎてはいないだろうか。あまりにも決まり過ぎてはいないだろうか。


「……どうなってんの」


 だが話を聞いていた相手が、或いは彼女ならどうだろう。


「……意味わかんないし」


 例えば……


「終わらないよ」


 袖で目元を拭いて立ち上がる。涙に邪魔されず鮮明に映し出された世界。視界いっぱいに開ける片瀬海岸が歪んでいく。歪みは徐々に大きくなり、やがて闇が世界に広がっていく。彼女はそれを見てため息を吐いた。


「はあ……これで二十八回目だし」


 無限に広がる闇が彼女の体を蝕んでいく。開けていた視界が徐々に闇に侵食される。そしてやがて何も見えなくなったかと思うと、彼女の意識はその闇に紛れるように溶けていった。


 朦朧とする意識の中、彼女の頬に一粒の結晶が落ちて消える。またやり直しだ。

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