1-9
「斎賀さん。今日はもう遅いので古物店の事については明日でという事でよろしいですか?」
「そうしてくれると助かるよ」
「では、私はこれで失礼します」
丁寧に一礼して踵を返す仁村を見送る。
仁村真夜という少女は俺と同い年の17歳だと言っていたが、学校には通っていないのだろうか。ふと、そんなありきたりの疑問が頭に浮かぶ。そして、あの樫という寮長は何歳くらいだろうか。
同い年という事はあるまい。
「まさかな」
大人しく部屋に戻ることにした。
部屋には最低限の家具が備え付けられていたので生活するのに不自由は無さそうだった。着替えがもう少し欲しいところだが、それはおいおい揃えていけばいいだろう。
シャワーを浴びてさっさと寝てしまう事にした。
脱衣所で服を脱ぎ、替えの服がないのでそれを畳んでから浴室に入る。限心が服を脱ぎ散らかして、それを俺が回収する、というのが日々のお決まりだった。…振り返っても彼女はいない。
笹原桂のあの言葉が、俺の頭の中でループして響いていた。
『それで…魂魄還元法が亡くなった人間を蘇らせる事が出来るか、だったね』
『その答えに最も近づいていたのは、何者でもない君の師匠、斎賀限心だよ。そして恐らく、』
『彼女は完成させたからこそこの場にいないのではないかな?』
限心は自分の研究について俺に教える事をしなかった。知り得る限りの全ての知識を俺に授けたと言っていたが、それだけは頑として俺に教えなかった。『徹には魔法の才能がないから』というのがその理由だったが、それならばそれ以外の魔法の知識についても俺にとっては不要ではないだろうか。
笹原の言葉を信じるならば、限心の研究は死者を蘇らせる事に関連するものなのだろう。
もしかして、
その最後のピースがあの"弔い"だったのではないだろうか。
「いやいや…」
それこそありえないことだ。
きっと笹原は何か勘違いをしているのだろう。斎賀限心というたた一人の魔術師は俺の腕の中で息を引き取り、その最後を俺が見送った。その事実は覆らない。
シャワーの蛇口を捻って暖かいお湯がでるまで待つ。
死んだ人間は蘇らない。都合よく愛した女が現れる事を期待しても、その期待に裏切られた時に俺が悲しくなるだけだ。
シャワーは暖かくならない。
「ん?」
その後、どれだけ待ってもシャワーが暖かくなる事はなかった。ガスの元栓を探してみたがどこにあるのかもよく分からない。素っ裸でうろうろする事に急に虚しさを覚え、どっこいしょとソファに座り込んだ。
「あー、そういえば屋上に露天風呂があるんだっけ…」
露天風呂というか大浴場があるのだろう。いよいよここは高級旅館なのではないかという疑念が湧いてくる。真夏の夜に露天風呂というのもなかなか風情があるのではなかろうか。俺は重い腰を上げて屋上へと向かう事にした。
脱衣所はかなりしっかりとした作りだった。
綺麗に畳まれた衣類が衣類籠の一つに置かれている。
どうやら先客がいるようだ。
「………」
すぐにそれが寮長の樫だという事がわかった。腕組をして仏頂面で露天風呂に浸かっている。
声を掛けて欲しく無さそうなオーラを漂わせていたので俺も黙って身体を洗い、静かに露天風呂に浸かる事にした。星は見えないが遮るもののない黒い空が開放感を感じさせた。
静かな夜だ。
限心と出会ったあの雪の夜も、同じような夜だった。
あの出会いがなければ、俺は今頃どうなっていただろうか。失血多量で死んでいたか、あるいは追手に捕まっていただろうか。限心に拾われなければ俺は俺のままではいられなかっただろう。そして誰かを愛する事も知らなかったはずだ。
その愛する女はこの世界のどこにもいない。
彼女が俺に残した『好きに生きろ』という言葉が俺に重くのし掛かっていた。
「耳を塞げ」
「は…?」
仏頂面で湯船に浸かっていた樫が唐突に耳へ指を突っ込んだ。
耳に水でも入ったのかと聞き返そうとしたところで、
夜の帳を引き裂く大砲のような爆発音が響いた。
爆発に合わせて露天風呂の水面が揺れている。
「………ここの所有地以外には音が漏れないように環境改変魔法が為されている。心配するな」
まったくもって的外れな回答であると、俺の顔面を見て気付いたのだろう。
樫は、屋敷の横側に広がっている小山を指差した。
「………あれも笹原の土地だ。ここ最近"伊井田"が深夜にあそこで何かをしているようだ」
「その伊井田さんとやらは毎晩こんなことを?」
「………大抵はあの爆発音がなればその晩はそれで静かだ」
樫はそれで語る事はないと口を閉ざして再び仏頂面に戻った。
しかし、一つ確認しなければならない事がある。
「あの。俺の部屋のシャワーが暖かくならないのですが」
「………ガスの開栓は寮長の仕事だな」
樫はまるで他人事のように呟いた。
俺がその様子を凝視してようやく気付いたようだ。
「………寮長は俺だったか。明朝にはなんとかしておく」
「おねがいします」
愉快な寮長のお陰で今後の生活が楽しみになりそうだ。
肩の力を抜いて湯船に浸かりなおし、俺はそっとため息をついた。
まだまだ温泉に浸かる様子の寮長に一声かけて、俺は一足先に上がる事にした。火照った身体を冷まそうと、自室の窓を開けて夜風に当たった。気持ちの良い風に思わず目を細める。
視界の端に人影を見つけた。
爆発音が響いた小山の方向から歩いてくるその人影は、漆黒のローブを纏っていた。フードから漏れ出た長い髪を見て、俺はある人物を想起せずにはいられなかった。この場にはいない、この世界のどこにもいない俺が恋焦がれる女だ。
「…」
あれが伊井田というもう一人の寮生なのだろう。
きびきびとした足取りで寮へ向かってくるその様子を視界に収め、俺はありもしない郷愁のような、じっとしていられない形用しがたい感情に微かな苛立ちを覚えた。俺の内面で湧き上がるこの感情に説明が出来ない事に対する苛立ちだ。
もっとも近しい感情を敢えて上げるとするならば、それは『寂しい』という感情だった。