1-4
町の中心部を目指すバスに揺られながら俺はこれからの事を考えていた。人が集まるところへ向かおうとしているが行く宛があるわけではない。しばらく食っていくだけの現金はあるがそれもいつかは尽きる。
バス車内の吊り広告に目が留まった。
『笹原古物商------店主・笹原桂』
どこかでその名を見た覚えがある。たしか限心から譲りうけた魔術書の中にその名が記されていたはずだ。
探り出した魔術書の著者名にその名はあった。
彼女が言うにはこれは比較的マトモな魔術書だという。魔術の存在を未だに疑っている俺からすればマトモであろうがなかろうが大した差はない。
著書名にその名があるのだからこの人物も著名な魔術師なのだろう。魔術師の技は一子相伝門外不出が当たり前だそうだが、この手の魔術書は体系化された初歩的な技術書のようなものなので問題ないのだという。魔術の真理に対する表現方法は魔術師それぞれで見解が異なるが、この本には最もそれらしい事が書いてあるという。その意見を持てるという事は限心自身が魔術の深淵とやらに王手を掛けている事になるので、彼女が本を出版するべきだったのではなかろうか。
「めんどい」
きっと、彼女ならそう言うだろう。
バスの微かな振動に揺られ、車外の景色が変化していくのを横目に眺める。
彼女に拾われたあの雪の夜以来、人の世界には戻っていない。刺激の無い生活だったかと言われればそんな事はなく、むしろ刺激しかない生活だったと改めて思う。魔術師の持てる知識の全てを叩きこまれしごかれたが、それに劣らず蜜月というには甘すぎる日々を過ごしてきた。俺という人格は彼女によって形成されたと言っても過言ではない。
景色の変化は無いが、彼女によって満たされていた日々は悪くないどころかそれしかあり得ないと受け入れる事が出来た。だから人々のいる世界へ戻るにしては、今更、なのだ。
あまりにも彼女色に染められてしまっている。
しかし、彼女が俺に望むのは自由に生きる、という事。
俺が望まなくても彼女がそう望むならば身の振り方は考えなくてはならない。
一緒に死んでくれ、そう言われれば喜んでついていったのに。
笹原桂。
魔術書の著者。
外界に繋がりを持とうとしなかった斎賀限心が残した中で、唯一の魔術師の繋がりだ。微かな繋がりとは言え、今の所それだけが俺の道しるべだ。
市街地に入り、最初の停留所で降車する事にした。丘の上のその停留所周辺は、高級住宅街で構成されていた。高い塀と見るからに金が掛かっていそうな作りの豪邸は、見る者を圧倒させる。あまりにも場違いな場所で降り立ってしまったと少し後悔したが、町を見渡せる坂道に差し掛かり思わず足を止めてしまった。
広い空、かんかんと照りつける暑い日差し。
模型のようなディテールで町が広がっている。
水たまりに反射した陽光が、俺を歓迎するように迎え入れた。
「丘上が豪邸だらけなのも納得だ」
ゆっくりと坂道を下っていく。早朝のためか人通りは少ない。
ぼそぼそと歩く老犬と共に散歩する女性が、俺を追い越していった。目を細めてゆっくり歩いていく俺は奇異に見えたに違いない。
笹原古物商とやらを目指すには良いが、場所が分からない。バスの吊り広告には店名と店主の名前しか記されていなかった。一体何を宣伝する目的の広告なのか、その得体の知れなさが魔術師らしいと言えばらしいが。とはいえ広告を出すくらいなのだから店の看板くらいはあるのだろう。町を練り歩けばいつかは辿り着けると期待したい。
古物商のイメージは、漠然と古臭い昔の物が所狭しと並んだ店舗を想像しているのだが、実際はどうだろうか。限心と共に暮らしていた場所にはインターネットもテレビも無かったので外界の情報を得るには限心から直接聞くか、本などから得るしかなかった。敢えて情報を遮断していたのだろう。世間の事やごく一般的な常識について、俺の情報は限心と出会う前とそう変わらない。それだけ彼女との暮らしは浮世離れしていたという事か。
ぶらぶらと当ても無くしばらく歩いたが、何の変哲もないどこにでもある日本の地方都市という印象を受けた。夏休みなのだろうか、時折自転車に乗った小学生らが過ぎ去っていく。彼らからプールの塩素の匂いが微かに届き「ああ、戻ってきたのか」と、そんな事で人々の世界へと戻ってきた事を改めて実感する。
しかし、困った。
これでは次の手がない。
手と言えば、いつだったか限心はどうにもならなくなった時のための奥の手を用意していると言っていたな。心の余裕がどうたら、と。
自分以外を変えるのか、自分自身を変えるのか。これは個人的に思うのだがあの言葉は俺に投げかけたのではなく、自分自身に何かを問うていた言葉なのではないだろうか。
限心は魔術の知識の全てを教えたと豪語していたが、自身が探究している内容については一切を秘密にしていた。彼女を見送った時の儀式魔法についても何も知らされていない。そう言った所は骨の髄まで秘密主義を貫く魔術師らしいというか何というか。
あてもなく彷徨う事に限界を覚えていた頃、公民館のような場所にあるだだっ広いスペースで何か催しが行われていた。強い日差しを避けるためにビーチパラソルやタープが雑多に広がり、簡易的なテーブルの上には様々な品々が広がっている。それなりに賑わいがあるらしく、焼きそばやかき氷を売っている出店もあるようだ。
入口に立て掛けられた手作り感溢れる看板には「青空フリーマーケット」と手書きで記されていた。
手がかりはなさそうだと他を当たろうかとしたが、ふと、それが目に留まった。
初老の男性が座るテントには古めかしい背表紙の本が並んでいた。見た事のない外国の言葉が記されたそれらの本の一冊に見覚えのある一冊があった。著者名は『笹原桂』。それだけが異質に見え、まるで俺を手招いているかのように誘っていた。気付けば店主の前でまじまじとそれを眺めていた。
「おや。若いのに珍しいねぇ」
「この本が気になるのですが」
「ああこれかい?さてどんな内容だったか…」
促してみるが男性は頭をぽりぽりと掻いて肩をすくめた。
「似たような本がありすぎて覚えていないね。欲しいなら安くしておくよ」
「いえすみません。同じ本を持っていまして。著者名と同じ名前の古物店があるようなので探しているところでした」
意外と魔術書というのは流通しているらしい。
街中のありふれた場所でこうして売りに出される程度には。
「それで、店を見つけたらどうするつもりなんだい?」
「…うーん。いえ、改めて考えてみると決めていませんでした。大切な人が残した本だったので、何かに縋りたい気持ちがあったのかもしれません」
「それは是非に見つかるとよいねぇ」
これ以上の収穫は無さそうだ。
俺は頭を下げてその場を後にする事にした。
しかし立ち去ろうとした所で男性に声を掛けられる。
「そのお店の場所は教えられないけれど作者がどこにいるのかは知っているよ」
「え?」
その言葉の違和感に思わず呆けてしまう。
「目の前にいるじゃないか」
道理とは異なるものを人は異端と呼ぶ。正常かそうでないかを区別するのは人の物差しでしかない。その物差しの尺度が狂っていないと誰が証明出来るのだろうか。常人と狂人の区別をつけようとする行為は自らの安心を得るための誤魔化しに過ぎないのだ。
魔術師、笹原桂は常人ではない。
静かに微笑むその瞳は狂気を孕んでいる。
机の上で開かれた魔術書。そのタイトルは『魂魄還元』
魂を素材とした魔術を指南する、非道の魔術書である。