1-3
寝物語に私、斎賀限心の話をしよう。
というよりもこれは私とアイツの話だ。
魔術師、と巷では呼ばれているが、私としては自身の事を研究者であると自負している。生命を構成する血、肉、骨、これらのパーツを単純に結びつけるだけでは生命は存在しえない。
知性や感情といったソフトなパーツはいつ、どの段階をもってして発祥しうるのか。
哺乳類であれば母親の胎内でのある瞬間に発生する、大抵の人はそう論ずるかもしれないが私は新たな可能性について探求を進めている。
と…、その諸々を一から説明するのが煩わしい場合、私は自身の事を魔術師と称している。元より他人に理解される必要は無く、魔術師が探究するテーマは門外不出、一子相伝の極秘事項である。
魔術師が用いる奇蹟の技に目がくらみ、多くの魔術師を囲い込もうとする物好きや組織、機関は少なくはない。それを保護と取るか、搾取と取るかは魔術師各個人の判断に任せられる所であるが、私のように隠れ潜み探究の道に身を投じる者もいる。
むしろ本来はそのような在り方が魔術師であるのだ。
その少年を拾ったのはある雪の降る夜のこと。
いくら山中で息を潜める生活をしているとはいえ、食料や諸々の品々はその都度調達しなければならない。質素倹約を志すつもりはないが、こう見えて小食なので一度に大量に買い揃えれば数か月は引き籠る事が出来る。
食品や日用品を買い求めるには当然、現金が必要となるが世間に出すことのできない研究を生業としている私がどのようにして得ているか。
研究の副産物として時折、魔力の塊が結晶化したものが産まれることがある。並みの魔術師であれば生涯を掛けて生成し続けてようやくほんの数グラム程の一欠けらを産みだす事が出来るような代物だ。そうまでしなければ具現化し得ないそれは、『愚者の石』と呼ばれている。そう呼ばれる理由には諸説あるようだが、生涯を掛けても使い物にならない微量しか得られないそれを敢えて求める愚者がいたのではないか、と私は考察している。
それは卑金属を金に変換する事のできる媒体となりえ、それは不老不死の霊薬にすらなるという。ちなみに不老不死のご利益を得られるというのは少しばかりの誤解がある。四肢を欠損した者が一晩でそれを元通りにする程度の効能はあるが、それは生命力を代償として瞬間的な奇跡を代行しているにすぎない。魔術の基本原則である等価交換と何ら変わらないのである。
私の場合、無数に産み落としたそれを使って金塊を作りだす事に有益性を見出している。愚者の石一塊で100g程の金を生成することが出来る。金を鋳型に流し込みインゴットに生成する作業もあるのだから、愚者の石を金へと変換する事のコストパフォーマンスはそれ程高いとは思えない。
とはいえ100gの金があれば数か月の間女が食べていくには十分な金銭を得られるのだ。
魔術師が生涯を賭して僅かに得られる愚者の石をそのまま売り払う事が出来れば、余程そちらの方が利益にはなる。しかし流通など決してしないであろうそれらの出処を魔術師達は必至になって探ろうとするはずだ。厄介事に巻き込まれるよりかは、いくらかの労力で確実に金銭を得られる方を私は選んだのである。
足がつかない、かつ口の堅い換金屋で換金を終え、財布が重くなることと反比例して足取りが軽くなる私は、雪の降るとある地方都市で宿へと戻ろうとしていた。
「さむいわねぇ」
買い求める物品の量が量だけに下界での滞在は2,3日を予定している。
金のレートが高くなっていたようで手数料を差し引いたとしても、いつもより財布は重くなっている。財布が重いということは嗜好品を多く買えるという事で自然と笑みも浮かぶ。
スリップ防止のチェーンを付けた車がほぼ徐行のような低速でのろのろと道路を進んでいる。冬になるとこの地方はどこでもこのような景色が見られる。雪は降りやむ気配を見せない。宿に戻る前にコンビニエンスストアでタバコと今晩の夕食を買っていく。
宿泊しているビジネスホテルへの通り道には大き目の公園があった。日中に子供が作ったのだろうか、既に原型をとどめていない雪だるまが公園の隅に鎮座している。
ふいに口元が寂しくなった。
雪降る夜に吸うタバコは格段の味だ。
先ほど買っておいたタバコを早速咥える。一応周囲を軽く見て人がいない事を確認した。
指先で発火させた黒い炎がタバコに火を灯した。
軽く吹き出した紫煙が空間へと消えていく。
静かな夜だ。
ベンチに積もった雪を払い腰を落ち着ける。
肩に載せていたビニール傘から白い粉が舞った。
寝ても覚めても研究についての考えが離れないのが私の常である。しかし何からの邪魔も無い夜には余計な事も考えてしまう。頭に巡るのはこれまでの私の生き様だ。思えば多くの失敗があった。思い出と共に置いてきた人もいる。年ばかりを重ねてここまで来てしまったのが私という魔術師なのかもしれない。
血の匂いがした。
常時展開している魔術式の一つが私に警告を発している。
足を引きずりながら無理やり走っているような音がする。適当な想像だったが存外にそれが的確な予想であった事をすぐに知ることとなった。
子供がこめかみから血を流しながら公園へと入ってくる。
これくいの子供の年齢はよく分からない。
私にもそういった時代があっただろうか?
「はぁ…はぁ、」
右足はケガをしているというよりは辛うじて身体にくっついているという惨状だ。骨やら肉やらが飛び出して痛々しい。実際想像を絶する痛みなのだろう、少年の顔は苦痛に歪んでいた。薄く白くなった公園の地面が少年の身体から溢れる血で滲んでいく。
その少年は、私に気付かなかったのだろう。
私の座るベンチを素通りしていく。
私はタバコの煙を静かに吹き出した。
その動作にようやく気付いたのか少年は肩をビクつかせてこちらを振り向いた。そこに人がいたのかと驚いた表情である。
何と酷い顔をしているのだろう。
絶望や諦念といった負の感情を集めて掻き混ぜて捏ね合わせたような表情だ。瞳にはそこに私がいたという驚きがあったが、それもすぐに消えた。すぐに公園の出口へと振り返り、私の方から視界を外した。
「痛そうだね」
「…」
「もうちょっとで死んじゃうよ、きみ」
口を開く様子は無い。
足を止める事も無く少年は進んでいく。
「何かから逃げたいのかい?」
「…」
「逃げても逃げても何からも逃げ続ける事は出来ないよ」
「…なら」
「ん?」
少年は引きずる足を止める。
意外と可愛い顔をしている。困った顔で私を見据える少年の印象が変わった。
「ならどうすればいいってんだよ…」
「逃げるのは悪い事じゃないよ。私も世間様から逃げ回っている生き恥晒しの人生だからねぇ」
乾いた笑いを紫煙と共に響かせる。
「しかし私は、どうしようもなくなった時の為にどうにでも出来る奥の手を用意している。心の余裕とは別の道を常に用意しておけば自然と生まれるものだ」
「…意味が分からない」
「正確にはオプションは二つだ。私以外の全人類をどうにかしてしまう手。そしてもう一つは私自身をどうにかしてしまう手だ。影響範囲は最低限なのにコストパフォーマンスは後者の方が何十倍も重い。しかし全人類を皆殺しにしてしまっては明日からの食い物に困る」
タバコもね。
咥えタバコの先から灰がまとまって落ちていく。
「実際選択肢があるようで逃げの手は一つしかないのだが…。まあいざっていう時の脱出手段があるのはいいものだよ、少年」
「良く分からないが、俺には逃げる先は一つしかない」
少年は公園の出口を指さす。
「そして反対側からは君を破滅させる者がやってくると?」
「…」
少年は逡巡し、迷った挙句に首を縦に振った。
「ふーん。意外と素直じゃん」
迷いし者を導くのは聖人君子の仕事であり、私はその対極の極悪非道の悪鬼羅刹、魑魅魍魎の部類に位置するものである。
ゆえに私は少年に救いの差し伸べるのではなく逃げる事の選択肢の一つを提示するのだ。
「じゃあ私の物になる?」
私の物になるのだ。自分からその誘いに乗ってもらわなければその契約は成立しない。私は『ちょいちょい』と少年を手招きする。
「…」
絶望と諦めが浮かぶ表情に変化が見られる、…といった事はなかった。
少年は計算をしたようである。
今の自分とこれからの自分。
その大怪我をした上で生き続ける自分の未来を想像し、そして、決めたのだろう。
より深い闇に沈んでいくという選択を。
足をもつれさせながら少年はそれでもゆっくりと私に近づいていく。
「ウチは三食おやつ付きに季節毎のレクリエーション満載福利厚生完璧幸せ環境だよ」
「もちろん仕事もしてもらうけど、何大した事じゃない。もしかしたらケガすることもあるけど今の君に比べたら大したことじゃないよ」
「逃げる君を追ってくる誰かさんに対しても完璧対応サービス付きだよ」
その瞳からは涙が零れている。
そんなに悲しそうな顔をされるのも心外である。
「もし、それを望むならば」
今にも倒れそうな少年へ手を差し伸べる。
「私の物になるつもりならば、ここに口づけしなさい」
迷う素ぶりは無かった。実際少年にあまり多くの時間は残されていなかったのだろう。軽い口づけの後、少年は私にもたれ掛かるようにして意識を失っていた。
「まったくしょうがないなぁ」
まったくしょうがない事だが、既にこの少年は私の物である。所有者として持ち物には責任を果たさなければならない。
少年を抱きかかえ改めてその顔をまじまじと見つめる。
「申し遅れたね。私は魔術師、斎賀限心だ。」
少年の名は徹。
私は徹の師となり母となり、そして予想もしていない事に、恋人となる事になるのだ。