8 森の娘と辺境の村1
「ティレ殿のお見立てどおりだった」
数日後、ハインツは王都から送られてきた調書をティレの前に置いた。
「症状が出た者たちが愛飲していた発泡水はすべてエイドリア領近くの泉から湧き出たものだった。しかも日ごろから多飲していた者に症状を訴える者が多い」
ティレは、顎に手を当てて調書を読んでいたが、ハインツを見上げると言った。
「……そうですね。今現在、比較的大量に摂取していても症状が出ていない人は若い男性が多い。おそらく体力のある方たちなのでしょう。体も大きく、内臓も強く、許容量が多い。でもこの方達も、このまま飲み続ければ--」
「既に飲用はやめさせている」
「ありがとうございます」
ティレはにっこりと笑うと言った。こんなに情報を集めていただいて大変だったでしょうとねぎらう言葉に、急ぎ馬を走らせた騎士も報われるというものだ。
ティレは資料に目を戻すと、素早く目を走らせながら言った。
「この泉に連れて行ってください。できれば今すぐに」
「……日帰りというわけにはいかない距離だが」
「はい」
ハインツの顔をまっすぐ見る。強い眼だった。
正直に言うと、現地がどんな状態かの調査までは行えていない。泉のある山のふもとに村があるということまではわかっているが、まずは王都の現状の報告を優先し、源泉の調査には至っていなかった。ハインツ個人としては、どんな危険があるかわからない場所にティレを連れて行くのは気が進まなかったが、ティレは森から派遣された正式な調査員だ。私情を挟んで拒否するわけにはいかなかった。
急な話でもあり、まずは早馬を送り、現地の調査には、二日後にハインツとティレで向かうことにした。護衛騎士数名も別についてくる予定だが、事件性がある場合に備えて、こちらは騎士の身分を隠して陰から護衛することにした。
エイドレア領までは馬車で3日の距離だ。調査の間は、軽装のワンピース姿であったティレだが、出発の朝に現れたティレは、最初に出会った時の旅装束であった。庭のテントまで律儀に畳んで背中に背負っている。
その姿に、ひと月ほどもたっていないのに、なんだか懐かしい気持ちになりながら、ハインツは、ティレの荷物と自分の荷物を馬車に積み込むと、ティレとともに馬車に乗り込んだ。
行程はおおむね順調だった。天気にも恵まれたし、早馬を走らせた騎士たちが、途中の街の宿を取っていたので、テントを使う事態にもならなかった。もちろん屋敷での騒動を忘れていないハインツは、ティレの部屋は、一階に取らせた。
馬車の中でも、初めて二人で馬車に乗ったときが嘘のように、自然と会話することができた。主には、これから向かう村と源泉についてわかっていることと、考察したことの情報共有であったが、それでも道すがらの景色について話したり、その日の気候について話したりと、任務を離れた会話もできるようになっていた。
だが、あと少し、明日には源泉近くの村に着くという夜に立ち寄った町で、問題が起きた。
ハインツは、騎士服の威力を存分に発揮して重々しく伝えた。
「部屋は二部屋予約してあったはずだが」
王都の騎士の不機嫌な顔に宿の店主は震え上がった。偶然、その宿場町で毎年行われている祭りと重なり、宿が満員だったのだ。例年、この時期は同じグループ客は一部屋に雑魚寝をしてもらっているのだが、この宿場町の利用者は商人や平民が多いため、これまで特に問題が起こることなどなかった。しかし、貴族相手にそうはいかない。早馬に乗った軽装の騎士が来た時に、確かに二部屋と言われた。騎士が二人で来るものだと思い込んで、いつものくせで一部屋しか用意しなかった自分の失態を店主は心から後悔しているようだ。
「大変申し訳ありません!年に一度の書き入れ時で、大変混乱しておりまして。ほかの宿にもあたってみたのですが、どこも満室で空きがないようでして」
「……ううううむ」
ハインツは唸った。ここでこれ以上ハインツがごねれば、宿の主人は他の客を追い出してでも部屋を用意するかもしれない。それはハインツの本意ではなかった。
しかし、貴族階級で育ったハインツにとって、いくらなんでも若い女性と二人で同室というのは憚られる。ハインツは、ふとティレの荷物に目を止めた。
「ティレ殿、申し訳ないが、テントをお貸し願えないだろうか」
「……?」
ティレがきょとんとハインツを見上げる。
「私は、テントで泊まることにします。主人、裏庭の一角を貸していただけないだろうか」
「それはもちろん!」
店主は、自分の失態のせいで王都の騎士に切り殺されなかったのを感謝するように大きくうなずいた。
--しかし。
「……何故ですか。一緒に寝ましょう」
ハインツは、ぎょっとしてティレを見た。ティレは顎に手を当てて難しい顔をしている。
「私は同じ部屋で大丈夫です。それに野宿はこの国では望ましくないと聞きました」
「……」
唖然とするハインツに宿の店主の好奇心を隠し切れない視線が刺さる。
「……いや」
なんとか言葉を絞り出したハインツはティレの荷物の上にくくってあったテントを奪った。
「主人。裏庭はどこだ!」
--その夜。
「なんなんだ。文化が違いすぎるにもほどがある」
ハインツは、満天の星に見つめられながら、テントを設営していた。森の民は普段どのような生活をしているのだ。何のてらいもなく、同室に泊まろうなどと言ったティレにひどくイライラした。イライラしているせいでいつもより手際悪く、時間をかけて設営し横になった。テントには、ティレの薬草の香りがして、なかなか寝付けなかった。
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ティレは、宿のベッドで一人、天井を見上げていた。
最近自分がおかしい。
森から出たのは初めてだ。森でも、限られた人としか付き合ってこなかった。
初めて森を出るティレを心配して、ゲルグ国への手紙には若い女性が行くとわざわざ書いてくれた。
ゲルグ国は、紳士の国だと聞いていたので、やはり、ティレに合わせて女性の騎士を派遣すると返事が来た。
そうしてやってきたのがハインツだった。
ティレは驚いた。
銀色の髪を短く切って、美しい騎士服に身を包んだハインツは、これまで見たこともないほどきれいな顔をしていた。しかし、果たしてこんなに大きな女の人がいるものだろうか。
しばし、呆然としたティレは、勇気を持って聞いてみた。
お迎えの騎士なのかと聞くティレに、ハインツは即座にそうだと答えられた。
では、ハインツが手紙にあった女性の騎士なのだろう。
そうティレは思うことにした。そう思ったら、声が出るようになったのだから現金なものだ。
しかし、ハインツは声も低いし、周りの人はハインツのことを坊ちゃんと呼ぶ。坊ちゃんというのは、男の子どもに使う敬称だと聞いていた。
もしかして、何か手違いがあって、ハインツは手紙にあった「お迎えの女性騎士」ではないのではないか。
ティレは、目をつむって、首を左右にぶんぶんと振った。
駄目だ。
ハインツは女性でないといけない。
そうでないと、ハインツを見て温かくなる心も、ドキドキする気持ちも、持ってはいけないものになってしまう。
ティレは、息を深く吸い込むと、ハインツに対する疑念がわくたびにするいつもの「おまじない」を行うことにした。
ハインツは女の人、だから、ティレの気持ちは言わば友人に対するもの。だから、大丈夫。
ティレは、慣れない旅で疲れた体が眠りにつくまで、毎夜の恒例となっている、この「おまじない」を繰り返した。