6 森の娘の意外な一面2
ティレが調書を隅々まで読み込んだ結果、やはり一番怪しいのは、貴族の間で流行している発泡水であるという結論に至った。
しかし、発泡水は主に王都で広く流行しており、飲用していても症状のない者のほうが圧倒的に多い。
ティレの指示に従って、産地の特定を急がせたが、いくら貴族相手の流通ルートがある程度限られるとは言え、症状の出ている者のいる家の販路を特定するのには、かなりの労力を要する。調査のため王都に派遣した騎士からの報告によれば、結果が出るまでにはしばらく時間が必要だとのことだった。
「--村にですか?」
そんな中、今日も律義に調書を読み直していたティレはハインツの申し出を聞いて、書類から目を上げた。
「ああ。原産地の調査には時間がかかるし、せっかく来ていただいているのだ。たまには調査を休んで我が領地をご案内したい。ここにいてもどちらにせよ、しばらく動けそうもないからな。調書ももう何度も読んだだろう」
確かに今、ハインツやティレにできることはほぼない。調査に時間がかかるとわかった時点で、村から屋敷に通っていた騎士達は一旦王都に帰っている。こちらで調査結果を待つより、王都で産地特定に協力した方が良いとの判断だった。この平和な村でティレの護衛は、ハインツが一人いれば十分だというのもある。
ティレは、ゆっくりと調書を閉じた。
「……そうですね。お心遣いありがとうございます」
そう言って頭を下げた。一緒に過ごす時間が増えるにつれ、ティレもハインツとは普通に話してくれるようになったし、ハインツもいつの間にかティレに対して砕けた口調で話すのが当たり前になっていた。
ハインツが村にティレを連れて行こうと思ったのは、ティレが来てからこれまで、ろくなもてなしもできていないと気づいたからだ。調査のために来てもらったのだから、余計なもてなしなそ必要ないのかもしれないが、それでも時間に余裕があるこのタイミングで何か調査以外のことをするのもいいだろうとハインツは考えた。それに自分の育った土地と言ってもよいこの村をティレに見せれば、もう少し打ち解けられるのではないかと思ったのだ。
-- 一人で森を出るのは初めてだと言っていた。
明るくふるまっていても、まだ少女だ。毎日木の下で休憩をとっているのも森が恋しくてのことかもしれない。
たった一人で見知らぬ土地で見知らぬ人々に囲まれる気苦労は、人の感情の機微に疎いと言われるハインツでも、容易に想像できた。
母の形見だというペンダントを触る癖も、ティレの不安な心を表しているように、ハインツには感じられたのだ。
早めの昼食をとって、いつものように少し木の下で休憩した後、二人はヴァーグナー家の馬車で出発した。騎士団から借り受けた馬車もあったのだが、今日は休日だということをティレに示し、任務のことは一時忘れて欲しかった。
「小さな村だが市もたち、それなりに栄えている」
馬車の中でハインツは村について説明する。この屋敷はヴァーグナー家にとって別邸にあたるが、幼い頃は、母や姉と共に夏の間をいつも過ごしていた馴染みのある屋敷だ。村人もハインツのことを赤ん坊の頃から知っていて、領主様の末っ子として親しみを覚えてくれている。
村の中心地で馬車を降りる。振り返ると小高い丘の上に先程までいたヴァーグナー家の屋敷が見えた。
常闇の森の近くということは田舎と言っていい地域ということだ。隣国に接している国境ならいざ知らず、「森」に接しているこの村は、大陸の構造上交易路があるわけでもなく、商業の中心というわけでもない。しかし、ヴァーグナー家の采配が良いのか、気候も手伝ってか、名産品をそれなりに生み出していて、小さな村なりに栄えている。村の中央広場には屋台なども多く出て田舎町とは思えない賑わいをみせていた。今日は月に数度の市の日で、特にたくさんの店が出ているようだ。
「ちい坊っちゃま!」
広場に入ると、早速、屋台の店主達から声をかけられた。
途端にハインツに気づいた村人に囲まれる。
「久方ぶりですな。いつ来られたんですか」
「今回はいつまでこちらに?」
「ちょうど食べごろの果物が入ったんですよ。いくつか持ってってくださいな」
「ちい坊ちゃま! 村の学校に新しい先生が来たんだよ!」
馴染みがあるは少し語弊があったかもしれない。ヴァーグナー家の末っ子ハインツは、村人からはマスコット的に人気があるのだ。赤ん坊の時から知っている村人も多い。
「もうその呼び方はやめてくれ」
そう言いながらも、ハインツは笑顔で差し出された果物をかじり、子どもの頭をなで、村人たちと楽しそうに会話する。
ふと横を見ると、ティレが不思議そうな顔でハインツを見ていた。
何か聞きたいことがあるのかと目線で促す。
「ーー何故、ちい坊ちゃまと?」
「私は4人兄弟の末っ子だからだ」
「いえ。そうではなくーー」
「あれ! この人だあれ?」
その時、ハインツの隣にいたティレに気付いた子どもが声をあげた。
今日のティレは、帽子こそかぶっていないが、ワンピースの上からフード付きのマントをかぶり、ブーツを履いている。見慣れない格好に物珍しそうにティレを見上げている。
これまでの様子から心配したが、意外にもティレは、臆することなく小さな少女の前にしゃがみこんだ。
「はじめまして。ティレと申します」
「ティレ?」
聞き慣れない名前に少女が首を傾げる。
「坊ちゃま、この方は?」
「森の民だ。調査を手伝っていただいている」
村人の問いにハインツが答えると周囲がざわめいた。
「……森の民だってさ」
「……初めて見たぞ」
「父ちゃんは、昔、見たことがあるって言っていた。ほんの時たま、姿を現すっていう」
ハインツは、むっとした。そんな珍獣のように言わなくてもいいではないか。
貴族ほど、マナーをしつけられているわけではないことはわかっているが、若い女性に対する態度ではない。自分だってこの間まで森の民など見たこともなかったことは忘れることにした。
しかし、ティレは聞こえているのかいないのか大人たちの発言を気にすることもなく、少女と会話を楽しんでいるようだ。
「そうですか。おじいちゃまが。どのような症状なのですか」
「あのね。ときどきおなかが痛くなるの。でも、痛くなくなったらケロッとしているの」
「お熱は?」
「痛いときは熱いよ」
「そうですか」
ティレは、顎に手を当てて考え込んだ。そして、マントの中にかけているバッグに手を入れると、小さな包みを取り出した。
「これは、おなかの動きをよくする薬です。おじい様に差し上げてください」
「ありがとう!」
少女が笑顔で言って薬に手を伸ばした。その時--。
バシッという音がしてティレの手にあった薬の袋が宙を飛んだ。
「怪しいものをこどもにくばるんじゃないよ!」
「おばさん!」
中年の女性がティレの差し出した薬を叩き落としたのだ。
「坊ちゃまの連れの方ですから、悪く言いたくないですけどね。子どもの話だけでそんな怪しい薬を渡されたって、飲ませられるわけないじゃありませんか! しかも森の民なんて!」
女性が捲し立てる。
「--な!」
ハインツは、憤った。日頃村人に腹を立てることなどない。領主の一族であるハインツは、村人にとって絶対的な存在だが、だからこそ寛容でなければならないと教育されてきた。だが、今回は本気で頭にきた。この村の領民が、異民族だというだけでこのように差別的な言動をすることに衝撃すら覚えた。
ハインツの目の前で、ティレはただ空になった自分の手を見つめていた。