4 森の娘の知見
何はともあれ調査は行わなければならない。それがティレがここに来た理由だからだ。
騒ぎが収まってティレと共に朝食をとった後、ハインツは執務室として使われている部屋にティレを案内した。
朝食中も何かしでかさないか、ハインツははらはらしたが、コックが気を遣ったのだろう、難しい作法のいらない食べやすいメニューだったことが幸いしたのか、大きな問題は起きなかった。
執務室でハインツは、机にあらかじめ用意しておいた事件に関する調書を広げる。
ここ最近、ゲルグ国の一部の貴族の間で「奇病」が流行していた。最初は、なんとなく疲れが取れない、怠くてつらい、といった症状なのだが、だんだんと悪化し、体を起こすこともできなくなる。先日、ついに高齢の貴族が一人亡くなった。医師が診てもはっきりした原因は見つからず、王の指示で「森の民」に協力を仰ぐことになったのだ。貴族にしか流行らない「奇病」は、亡くなった貴族が庶民に人気のない人物であったこともあり、庶民の間で「驕れる者への呪い」として噂になりかけており、事態の早期の収拾に王も躍起になっていた。
これまでのやり取りで、この事態をゲルグ国の中枢部も森の民も、「呪い」だとは思っていないことでは共通認識が取れている。具合の悪くなった貴族達は、何らかの形で薬物や毒を摂取したとみていた。
そのため、森の民であるティレがやってくるまでの間に、その者たちが参加した茶会や夜会、好んで飲み食いしていたものを調べ上げ、調書にまとめておいたのだ。
ティレは、ハインツの用意した調書を「ありがとうございます」と言って受け取った。調書はゲルグ語で書かれたものだが、戸惑う様子もなく、すらすらと読んでいる。
マントは脱いでおり、昨日のブーツは軽い布製の靴に代わっていた。ひざ下丈のシンプルなワンピースを着ていて、その襟元と袖もとには刺繍が施されている。森の民は刺繍が得意なようだ。思った通り華奢な体つきでほっそりした首からは細かな装飾の施されたペンダントをかけている。そして、帽子を脱いで現れた髪の毛は瞳と同じく見事な黒色だった。二つに編み込んでそれをアップにまとめている。ゲルグ国にはいない色で、ハインツはついじっと見てしまった。
「あの、……黒毛はご不快ですか?」
おずおずと心配そうに尋ねるティレの質問の意味が分からず、ハインツは目を瞬いた。
「いや、珍しいと思っただけです。我が国にはない色なので。ーー不快とは?」
「いえ。--ご不快でなければ良かったです」
ティレが顔の前で両手をひらひらと振った。
黒髪を厭う。そういう文化があるのだろうか。あいにく文化面に疎いハインツにはわからなかった。
あんなにつややかに煌めく髪が不快とは、まったく解せない。やはり、文化を重んじる奴の考えることはわからないと、騎士である自分に満足した。
その間にティレは、たった今のやり取りなど忘れたように、既に熱心に調書を読んでいる。
昨日の時点で、ゲルグ語が話せることはわかっていたが、専門用語を多用した調書を苦も無く読む姿を見てハインツは舌を巻いた。やはり少女のような見た目でも、言動が多少おかしくても、森の民は森の民なのだ。
木で出来た柄に洋服と同じく細かい刺繍をした布を巻きつけたペンで紙に何かを書きつけつつ、調書を読みながら、なにやらぶつぶつつぶやいている。書きつけた文字はハインツには読めないものだった。森の民は大陸中の言語を自由に操るというが本当のようだ。噛み砕いて説明する必要があるかと考えていたハインツは拍子抜けした。それだけではない。今朝までのおどおどした様子は鳴りを潜め、時折挟む質問や指示も実に的確だ。森の民を侮っていたわけではなかったが、やはり見た目に引きずられていたのだろう。意外な聡明さにハインツは驚いた。その横顔を眺めていると、熟練の技術者に助言を仰いでいる気になってくる。
ハインツは大人しく助手に徹することにした。
「爵位もばらばらで、皆が特定のお茶会や夜会に参加している様子は見られないですね」
調書をある程度読み進めたところでティレが呟いた。
「お恥ずかしながら権力闘争も考えましたが、皆、普段からの派閥もバラバラで勢力争いからきているとも考え難く、苦慮しているところです」
ハインツの言葉にうなずいたティレは調書を置くと、伸びをした。
「とにかく全部見ていくしかなさそうです」
「ええ、できる限りお手伝いいたします。明日からは昼の間だけですが、村に滞在している者たちも来ますので、なんでも言いつけてください」
「ありがとうございます」
ティレが頭を下げた。
その時、コンコンとドアがノックされた。
入ってきたのはメイドだった。
「昼食はどういたしましょうか」
「もうそんな時間か。私はここでいいが、ティレ殿は?」
ティレは、調書から目を上げた。途端におどおどした様子になる。胸にかけたペンダントをいじりながら遠慮がちに言った。
「……あの。もしご迷惑でなければ、庭に張らせていただいたテントで食べてもいいですか?」
メイドがちらりをハインツを見たので、ハインツはうなずいた。
「では、持ち運べるものを用意してくれ」
「かしこまりました」
頭を下げて下がったメイドがしばらくして再び現れ、昼食が入ったバスケットが用意されると、ティレはいそいそと書類を片付け始めた。
「ティレ殿、まだまだ書類はたくさんある。根を詰めても長続きしないので、ゆっくり休んできてください」
ティレはびっくりしたような顔でハインツを見た。そんなに驚くようなことを言っただろうか。
「ありがとうございます」
うれしそうに笑うと、あっという間に部屋を出て行った。あんなに素早く動けるのかと驚くような速さだった。
--奇妙な娘だ。
あんな風にも笑えるのか。
ハインツは、ひとりごちながらティレのバスケットの中身と同じサンドイッチにかぶりついた。
「ーー遅い」
ハインツは一人部屋でつぶやいた。
確かにゆっくり休んでくれと言ったのは自分だが、いくら何でも遅すぎる。
ハインツは、とっくの昔に空になったサンドイッチの皿をそのままに、立ち上がって庭のテントに向かった。
「……寝ている?」
ハインツは昨日から独り言ばかり言っている。
昼食休憩からなかなか帰ってこないティレの様子を見に庭に張ったテントまで来てみると、ティレはテントの横の大木に寄りかかって寝ていた。
せめてテントの中で寝ろ!
という言葉は、何とか声に出さないで耐えた。
このあたりの治安は決して悪くないし、わざわざ領主の屋敷までやってきて悪さをしようとする者はいないだろう。だが、ティレは若い娘として、この国の民が当たり前に持っている危機意識を持っていないように見えた。
腹を立てたまま、ティレ殿、と声をかけようとして、ーー思いとどまった。
日の光の下でも真っ黒なティレのおくれ毛が、ふわふわ揺れている。口元が少し緩んでいるので、幸せな夢でも見ているのかもしれない。
--森の民とはいえ、昨日到着したばかりの少女だ。緊張もしていたし、疲れているはずだ。
迎えに一緒に向かった同僚たちにも今日は、休みを与えている。少しくらいゆっくりしても罰は当たらないだろう。
大きな木の根にほほを寄せて、気持ちよさそうに眠っているティレの横にハインツは腰かけた。夏が終わり、冬の気配が届く前の秋の風が気持ちよくほほをなでる。
「奇妙な娘だ」
ハインツは、またひとりごちながらティレが目を覚ますまで、番犬よろしく隣に座り続けたのだった。




