森の娘と公爵の様子
「叔父も驚異的な回復を見せている。これまではどんなに手を尽くしても徐々に悪化していったのに。森の民の知識はすごいのだな」
兄にそう言われてハインツは冷や汗をかいた。
ティレと二人、いつもの庭での休憩に行こうとしていた時に、クラウスに声をかけられたのだ。季節は春の終わりから夏に変わり、森に面した屋敷にも濃い緑の香りが立ち込めていた。
クラウスは公爵の回復は純粋に薬草などの治療によるものだと思っているが、実際にはティレが継続して治癒魔法をかけている。
ティレによれば、治癒魔法は毒素自体には効かないそうで、毒素で傷んだ内臓を少しずつ修復していているとのことだった。しかし、公爵が食事はともかく水分を多く摂取できるようになったのは、治癒魔法の効果が大きい。
おかげで薬草茶の摂取量も安定し、流動食であれば、ある程度の量を摂取しても受け付けないということは無くなっていた。
相乗効果というものだろう。
ハインツは、表情に出さないように慎重に隣の妻を見た。
ハインツもティレも謀略に長けているとは言いがたい。案の定、ティレもハインツと大差ない表情をしていた。
「――? どうかしたか?」
「いえ。……お役に立てたならよかったです」
小さな声でティレが応えた。
兄が去って、二人が庭に出ると木陰が動いた。
「キエム?」
ティレが声をかけると屋敷からは見えない場所にキエムが現れた。
腕を組んで、眉間に皺を寄せている。
「あんたたち――」
声まで不機嫌だ。
「魔法を使うなら、バレないようにもっと上手くやれよ」
どうやら先ほどのクラウスとの会話を聞いていたらしい。
「公爵の回復具合なんてどうとでも言えるだろう? あれじゃあなんか隠しているのがバレバレだ」
「そ、そう?」
ティレが、心配そうにハインツを見上げる。ハインツも、困ったような顔をして黙るしかない。
「いいか。隠せないなら魔法はほどほどに。ここまで回復したんだ。あとは薬草と食事でなんとかなるだろう?」
キエムはそう言い切ったが、意外にも今度はティレが難しい顔をした。
「――そうかしら。公爵様の毒素は消化を司る器官に留まっているとは限らないわ。血をめぐって思わぬところが弱っているかも。それを修復するには治癒魔法は有効だと思う」
姉弟はしばらく、どちらも目を逸らさなかったが、先に降参したのはキエムだった。
「――じゃあ、疑われないように、もっと上手くやれよ。嘘がつけないにも程がある」
「……それは……。気をつけるわ」
「……俺もなるべく気をつける」
殊勝に肩を縮こませる姉夫婦をキエムは疑い深そうな目で眺めたが、ため息をつくと肩をすくめた。
「まあ。あんまり力むとあんたたちじゃ逆効果だ。やましいことしてるわけじゃないんだから、堂々としてればいいさ」
「キエム……。お前はいい奴だな……!」
「――! やめろ! くっつくな! 頭触んな!」
ガシガシと義弟の頭を撫で回すハインツがキエムと戯れ合うのを見て、ティレは微笑んだ。
そうだ。やましいことをしているわけではないし、第一、ティレが無理をしない程度の魔力では、薬草や食事療法と合わせなければ、目にみえる回復は難しい。目に見えて指示を出している療法以外に他の力が働いていると確信される可能性は低いだろう。
それからも公爵は、順調な回復を見せ、少しであれば固形物も食べられるようになってきた。
会話も安定してできるようになり、そろそろハインツは、ティレがじっくり話す時期がきたのではないかと感じていた。
そんなある日、二人は兄クラウスに呼び出された。
「当時、叔父上の王位継承権を巡って対立していた貴族のリストだ」
その日、遅めの朝食を終えたハインツとティレを呼び出したクラウスは、一枚の紙を差し出した。
「我が国の王位継承争いは、幸か不幸か王位継承権者自身でなく、周りの者たちの思惑が強い代理戦争の様相が強かった」
ハインツも現王と公爵の仲は決して悪いわけではないと聞いていた。姉の子であるクラウスを引き取ったあたり、クラウスの母王女との仲も悪いわけではないのだろう。
「叔父上の暗殺を企む可能性があるほど強硬派だったのはこの三人だ。まあ証拠はないが」
クラウスが指さしたのは、現国王派の貴族だった。強硬な現国王派だった割には現在は重職を与えられているわけけではないように見える。
「前にも言ったかな。最終的に現国王は穏便に王位に就いた。叔父上が王位継承権を放棄したのが決定的だけど、母上も隣国に嫁いで、戻ってきても継承権の復権を求めなかったしね。他の兄弟もそれまでには王位継承者から外されていた」
二人の考えていることがわかったのだろう。クラウスが説明した。
「なるほど。現王はどちらかというと中立派の貴族を重職に据えて、政権のバランスを図ったんですね」
「そうだ。現在の宰相は、最後まで誰を支持しているかを明言しなかった侯爵家の者が務めている。中立派がそんなに多いわけではないから、他の職は各派閥のバランスを見ながら据えているといったところだ」
では、この三人と同等の職位には、当時、クラウスの叔父であるアルベール派だった者もいるのかも知れない。
「毒殺については、公爵閣下を当時襲った実行犯がその毒殺も企てたとは?」
「いや。実行犯と叔父上は面識がなかった。あの頃、叔父上は厳戒態勢の中で生活をしていたから、接点のない者が密かに叔父上の周りに毒物を忍ばせるなんてことはできなかっただろう」
なるほど、ハインツは腕を組んでつぶやいた。
「襲撃犯と毒殺を企てた者は別ということだな」
「そうですね。――少なくとも実行犯は」
静かに答えるティレの言葉に、クラウスは眉を上げてティレに目をやった。
「そうだね。黒幕は捕まっていないと見ていいだろうね。現王が即位したことで叔父上の身の安全は保たれたから、当時、それ以上は踏み込まなかったようだ。せっかく数十年ぶりに政情が安定したばかりだったからね」
自ら王位継承権を放棄した王子の、解決した暗殺事件を深追いしても良いことはないと言う判断だったのだろう。
ティレは、じっとクラウスからの資料を見つめていたが、ふと目を上げてクラウスを見た。
「――普段の、体調が悪くなる前の公爵閣下はどのような様子でしたか?」
瞬きをしたクラウスは、前のめりになっていた体を起こし、ソファの背もたれに体を預けた。手を組んで懐かしいものを思い出すような笑顔になる。
「そうだな。普段から物静かな方だよ。身の安全を図る意味もあるけれど、中央政治には関わらず、領地の経営に専念していた。中央には赴いてもいない。……そのための連絡調整役として僕がいるくらいだからね。いつも――、お一人の時はよく森を見ていた。叔父の部屋は森に面して作られていただろう? 夜にはよくあそこの窓を開け放って酒を飲んでいた。森をじっと眺めながらね。……そういえば、若い頃聞いたことがある。ずっと窓を開けていたら暑いし寒いし虫が入ってきませんかってね。叔父上は、虫以外のものが飛び込んでこないか待っているんだよと言って笑っていた。時々不思議なことを言う人だったよ」
何か飛び込んで来ないか――。
兄のその言葉にハインツは息を詰めた。
ティレと出会った事件。
ハインツが単身乗り込んだ敵地で死を覚悟した時、ほうきに乗って飛び込んできたティレ。
ティレが実は「魔女」で、ほうきに乗って空を飛ぶことは、森の外ではハインツだけが知る秘密だ。家族にも使用人にも友人にもその事だけは、話したことがない。
公爵は、もしかするとその秘密を共有できる人なのかもしれない。
「……そうですか」
小さな声であいづちを打ったティレも同じことを考えているのだろう。
兄がその秘密を知っていることはないだろうが、聡い人だ。ティレの返事に何かを感じたようだった。
「一度、きちんと話をした方がいいのではないかな」
クラウスはティレをまっすぐ見た。
「毒物についての心当たりも、昔の話をすれば思い出すかも知れない」
ハインツもそれは考えていた。それに、以前ティレが言っていたくらい、公爵はティレときちんと話ができるほど回復しているように見えた。
「それにお互い何か言いたそうな顔でお互いを伺い合うのを見るのもなかなか居た堪れないものだよ」
いたずらっぽく笑って言うクラウスに、申し訳なさそうに肩をすくめるティレだったが、確かにと力強く夫に言われて、少し頬を膨らませた。
「ハインツ様もですか?」
妻に怒られて、ハインツは両手を上げた。それから真面目な顔になって言う。
「閣下にとっては辛い話もあるだろうが、それだけではないはずだ。事件解決にも必要だと思う」
ティレが真顔になって考え込んだ。公爵に母のことを話す時はきちんと伝えたい。そういう観点から言えば、公爵は体力的にもティレの話に付き合えるほどは回復している。
「――わかりました」
ティレは頷いた。その手は、胸元のペンダントに触れていた。




