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森の娘と白銀の騎士  作者: 四葉ひろ
第二章

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森の娘と公爵閣下

 公爵邸は、森に面していた。

 森が公爵領側に迫り出した、その頂点にあたる場所に公爵邸は面していた。

 それは守りの面から見ても、有益に思えたし、まるで森に守られているような場所に建てられているようにも見えた。


「叔父は出迎えることができないから、落ち着いたら部屋に案内しよう」


 クラウスに言われた二人は、滞在のために用意された客間に通され、旅装束を解いた。


 公爵は、屋敷の奥の私室に寝かされていた。

 2階の窓の大きい部屋で、外にはすぐ森が見える。

 部屋の中心には、大きな天蓋付きのベッドが置かれていた。

 

「叔父上、要請していた森の民が治療に訪れてきてくれましたよ」


 ベッドには、男性が一人横たわっていた。枯れ枝のような手とこけた頬が彼を老人のように見せていたが、近づいてみると案外若く、ハインツの母クラーラくらいの年齢ではないかと思われた。


 クラウスの叔父、アルベール・ダルシアン公爵だった。

 

 護衛としてティレの後ろから付き従っているハインツには、ティレの緊張が痛いほどに伝わってきた。自分と初めて会った時とはまた違う緊張感だった。


 ハインツの気遣わしげな視線を感じながらティレは男の顔を見ていた。自分と似ているだろうか。やつれていることもあるのか、色味が違うからか、はたまたまた別の理由か、ティレにはその男と自分が似ているのかわからなかった。実の父に会ったら何か直感のようなものがあるのでは。なんとなくそう思っていたが、残念ながらどちらかというとクラウスにあった時の方が親近感があったくらいだった。

 ティレは、少しだけそのことを残念に思いながら、静かに口を開いた。


「初めまして。――森の民ティレです」


 だが、ティレが声をかけた瞬間、それまで、話しかけられても反応薄く、虚空を見つめていたアルベールが明らかに表情を変えた。


「……マナ?」


 掠れて小さな声だったが、ティレには確かに聞こえた。鼓動が急に早くなる。その声はクラウスにも聞こえたようだ。驚いた顔をしてアルベールに歩み寄った。

 ティレは、足が動かなかった。ただこれだけは伝えなければと思った。


「……マナは、私の母です」


 アルベールは目を見開いた。近づいてきたクラウスに縋るような目を送る。一人では起き上がれないのだということが見てとれた。

 クラウスがティレを振り返り頷いたのを見て、ティレは足に意識して力を入れて、アルベールの視界に入るようにベッドへと歩み寄った。


 旅装束を解いたティレは、森の民が好んで着る刺繍の施されたワンピースを着ていた。

 ハインツと結婚してからは、森の民の伝統衣装ばかりでなく、ゲルグ国の服もよく着ていた。領主夫人として相応しい格好もすることもあったし、一方で村人の普段着はとても動きやすく作られているため、羨ましくて、いくつか手に入れた。


 だが、今日は、初めて公爵に会う今日は、森の民としての服装をしようと決めていた。ハインツに初めて会った時のように旅装束のマントのままでも構わなかったが、長旅を経て衛生的とは言い難い旅装束では衰弱した依頼相手に最適とは言い難かった。

 

 ワンピース姿で歩み寄ったティレを見て、アルベールは今度は意外そうな顔になった。


「……君は森の民なのか?」


 小さく躊躇いがちな、掠れた声でなされたその質問に、ティレはやはりアルベールは自分以外の森の民に出会ったこともある人間なのだと確信した。


 ティレの見た目は一般的な森の民とはかなり違う。そしてその原因は目の前の人間である可能性が高かった。

 ティレと同じく、アルベールの方もティレの顔を見ただけでは、何かを確信することはないようだった。


「はい。私は森に生まれ森と育った森の民、あなたの治療に全力を尽くしましょう」


 アルベールは、何か言いたそうな顔をしたが、それを見ても、その日ティレは、アルベールが自分の父なのではないかとはっきりと彼に告げることはできなかった。ティレに続いて挨拶をしたハインツに答えただけで、体力が尽きてしまったのだ。騎士の礼を取るハインツの挨拶の口上の間に、アルベールはうとうとし始めた。

 クラウスの言う通り体力はかなり落ちているようだった。


 ティレは気持ちを切り替えて、意識を手放したアルベールの診断をすることにした。


「なによりも内臓が弱っているようです。毒素がたまっていて、それをうまく排泄できていないのだと思います」

「毒?」


 クラウスの眉が鋭くゆがめられた。

 ティレは慌てて顔の前で両手を振った。


「いえ、ここ最近、なにか急性の反応を起こす毒物を摂取したわけではなさそうです。もともと溜まっていた毒素が、加齢と共に症状として現れたのではないかと」

「……手立てはあるのか」

「慢性のもので、もはや体質のようなものなので、完治は難しいかもしれません。ただ、今は症状が強く出て、なによりも栄養と水分が足りていないので、毒素を排出しやすいよう薬を煎じます。それをお茶にしてこまめに摂取することからはじめましょう」


 完治は難しい。

 その言葉にクラウスは、ショックを受けたようだが、さすがに取り乱したりはしなかった。


「……どの程度まで回復する?」

「やってみないことには。食事が少しずつでも摂れるようになると良いのですが」


 クラウスの話では、ここ最近は食事はおろか、水分もあまり摂れていないようだった。

 ティレは、まず、こまめに数滴ずつでも水分を取らせるよう使用人に指示を出してもらった。


 それから、持参した薬草をいくつか組み合わせて混ぜ合わせ、それを煎じたお茶を作ることにした。


「――疲れていないか?」


 部屋に戻り、一心に、薬草をすりつぶすティレの横で、ハインツは、ティレの世話を焼いた。ティレは顔を上げている少し考えた。


「――そういえば、疲れていません。でも、これが終わったら休憩します」


 ティレは、森を出てハインツと一緒に暮らし始めてから、何度か疲労をためすぎて、体調を崩した。

 森の中よりも、森の外に出て生活することはティレにとって体力を消耗するものなのだということを、忙しかったりするとつい忘れてしまうのだ。

 最近は、自分でも限界が分かってきて、疲れを自覚していなくても、無理をしなくなっていた。


 ティレは、数日分の茶葉が完成したところで、使用人を呼んで、淹れ方を指示した。そして、屋敷の中で、森と接した場所にティレが足を踏み入れてよいか聞いた。

 

「屋敷の中はどこもご自由にお使いいただくようにと言われております。森と接しているとなれば、西側の庭が一番近いかと」


 四阿もありますので、お茶の準備をさせていただきますという使用人に、配膳は不要なので、持ち運べるような軽食だけ用意してくれるようにハインツは頼んだ。

 兄の家の使用人なので当然だが、名目上、護衛として付いてきているハインツと森の民ティレが、実際には結婚して何年も経っていない若い夫婦だということを使用人は把握しているようで、微笑ましげに了承され、二人きりで庭に出してくれた。

 気恥ずかしいが、ティレの体質はあまり公にしたくはないので、他に人はいない状態にしてくれるのはありがたかった。


「ふう……」


 西の庭は、本当に柵もなく森に面していて、大きな木が庭に向かって迫り出しているくらいだった。

 その迫り出した木の幹に身を委ねるとティレは息をついた。

 ハインツはその隣に腰掛けた。

 バスケットには軽食と水筒が詰められていたので、ハインツが敷物を敷いてお茶をカップに注いだ。


「ありがとうございます」

 

 ティレがお礼を言ってカップを受け取る。

 森から直接迫り出している木はやはりティレの体質に合うらしい。少し寄りかかって休んだだけで、ティレの顔色は随分と良くなっていた。食欲も出てきたようで、バスケットの中身を物色している。この分ならせっかく用意してくれた軽食も無駄にはならなそうだ。


「……公爵の容体、実際のところはどうなんだ」


 ハインツに聞かれて、ティレはカップに目を落とした。


「そうですね。クラウス様にお話ししたことが、だいたい全部なんです。今は毒素がどうこうというよりは、栄養不足の方が深刻です。まず栄養が取れないと。そのためには少しでも内臓の調子を良くしないといけません」


 ティレによると、今のままでは固形物を食べることは難しい状態だった。薬草で体を少し内側から温めて毒素を出して、内臓の動きをよくすることが今できるほとんど全てだということだった。


「――事件ではないんだよな」


 あれだけ体調が悪化する毒素。誰かに盛られたと考えるのが一番自然に思えた。しかしティレの話では急性のものではないという。


「そうですね。……少なくともここ最近、誰かに命を狙われたわけではないと思います。でも政情が乱れていた頃に何が起きたのか、それを調べてもいいのかもしれません」


 ティレは森の奥に目を向けた。

 茂みが少し動いた気がした。ハインツは嫌な予感がした。


「――危険はないのか」

「どうでしょう。まずはクラウス様に、ご相談させていただくのがいいかもしれません」


 でも無理はしない約束なので少し休みます。


 ティレはそう言って、ハインツの肩に寄りかかった。ハインツは難しいことは後で兄に相談してから考えることにした。


 ここは森の香りが強い。なんとなく故郷の集落の雰囲気を近くに感じる一角だった。自然に任せているように見えるが森に続く庭は、森と一体感が出るようにわざと無造作に手を入れられているのだとわかる。屋敷が森と共にあるようで、ティレは嬉しかった。

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