19 森の娘と常闇の森2
しばらく進むと急に開けた場所に出た。
見たことともないような大木が何本か立っており、木の根元のほらには、家の玄関のようなものが付いている。どうやらこの大木自体が森の民の家のようだ。家の周りには不思議な火のようなものが宙に浮いていて、集落全体を明るく照らしていた。
「ここが俺たちの村だ。うちは、三人暮らしで手狭だから、隣の伯父の家に泊まってくれ」
なぜか、その場を仕切りだしたキエムが、幻想的な風景にあっけにとられているハインツを家に案内する。家のドアは勝手に開いたように見えた。
家に入ると、寝台のようなものに寝かされる。ティレが近づいてきて、ハインツの右腕に触れた。まばゆい光がさして徐々に弱まると、ハインツの右腕の怪我はきれいに消えていた。
「突然連れてきて、驚かれたでしょう」
ティレは微笑むとハインツから一歩下がろうとして、ふらついた。とっさに手を伸ばしたが、キエムが支えるほうが早かった。
「ティレ。お前はもう帰れ」
厳しい声だ。弟と言っていたが、ティレとそんなに年が違うようには見えないし、キエムのほうが随分と大人びているように見えた。
「ーーでも」
ティレは、逡巡してハインツをちらりと見た。視線が交わりハインツはドキリとしたが、口は開かなかった。
「明日話せばいいだろ。細かいことは俺と伯父さんで説明しとくから」
ティレは、しばらくためらうようにキエムとハインツを見ていたが、足に力が入らない自身の状態にあきらめたのか、伯父の家だというこの家から出て行った。自分の家に帰ったのだろう。
「ティレは、魔力が弱いんだ」
ティレの姿が完全に消えると、キエムは寝台の横の床に座り込んだ。ハインツは驚いた。ハインツにとってティレは、不思議な力を持つ偉大な森の民そのものに見えた。しかし、森の民からしたらティレは魔力の弱い娘なのか。
「あれだけ飛んで、あんたの傷も治したら、たぶん立ってるのもやっとだ」
「……すまない」
思えば、ハインツは何度も傷をティレに治してもらっている。最初の小さな傷は普通の傷薬だったが。前回も傷を治した後にふらついたし、負担が大きいものなのだろう。
「ここに来た人間は初めて見た」
キエムが感慨深げにつぶやいた。そうだろうなと思った。自分も森に入った人間を聞いたことがない。自分より若いキエムが見たことがなくても何ら不思議はない。
「いろいろ依頼は受けるが、こんなに巻き込まれたのは初めてだ。」
キエムは、鋭い目でハインツを見た。これまでも愛想がいいわけではなかったが、敵意と言ってもいい目を向けられたのは初めてだった。
「あんた、ティレをどうする気だ」
ハインツは、目をそらす。答えられなかった。いや、答えたくなかった。
これで終わりだ。そう思った時、会いたいと思った。家族でも親友でもなく、ティレに。
それがどういうことか、いくら鈍い自分でもわかっているつもりだ。
「……どうするつもりもない。ただ、一度ティレと話したい」
キエムがふんっと鼻を鳴らしたのが聞こえた。
馬鹿にされたのかと思って顔を上げたが、思いのほか柔らかい眼をしていた。
「まあ、そうしてくれよ。こっちに帰ってきてから、うじうじうじうじ鬱陶しいったらなかったからな」
ーーもう寝ろよ。
そう言われて何故か顔の前に手のひらを向けられた。
次に気が付くと朝だった。
朝起きると、ティレとキエムの伯父夫婦だという中年の男女が朝食を用意してくれていた。途中から、伯父の息子の家族だという若い女性と子どもが合流した。年若い親子の夫であり父である叔父の息子は今は仕事で出ているという。伯父はキエムと同じ明るい緑系の髪色とエメラルド色の瞳を持っていた。伯母は秋の紅葉を思わせる赤い髪に赤茶色の瞳だ。嫁と子どももどちらかというと明るい髪色だった。
どうやらこの集落には、これにティレの家族を加えた三家族しか住んでいないらしい。森の民は小さな集団で暮らすものなのだろうか。
勝手に入って勝手に休んでしまったことをわびたが、どうやら昨日はキエムが魔法で無理やり自分を寝かせたらしい。あいつは、自分で状況を説明するのが面倒になったんだな、難しい年ごろなんで勘弁してやってほしいと逆に謝られた。
ゼイムと名乗る伯父は、ティレが森を出ている間も帰ってからもこの事件について裏からひそかに探っていたらしい。自国の問題を自国で解決できる状況ならできるだけ介入しないのが森の掟なので、ギリギリまで見守っていたという。今回は政治的な問題が絡んでいたのでなおさらだった。
「だがあなたが単身敵地に乗り込んだと聞いてティレが飛び出しましてね」
ーーまあお気づきの通り、ティレは全く荒事向きじゃないのでキエムが慌てて追いかけたんですよ。
どうやら森の民というのは、自分が思っていたよりも組織的に動くものらしい。表向きはティレが派遣されたが裏では伯父たちがひそかに動いていたとはゲルグ国の誰もが気づいていなかっただろう。
「王都では、あなたと連絡がつかないことから既に兵が動いています。それまでは村にいていただこう。侯爵はここまでは入ってこれないので、大丈夫です」
王都の動きまで把握しているのか。詳しく聞くと、侯爵には幻惑のまじないをかけているという。森の奥に向かってハインツを探しに分け入っていると思っているが、実際には森の入り口をぐるぐると回っているだけだ。騎士団には、入り口付近は分け入っても大丈夫なように整えてあると伝えているので、おそらくそこで捕縛されるだろうということだった。
とりあえず、多勢に無勢でハインツ一人であの傭兵軍団をどうこうできるわけではないので、言われるまでもなく騎士団が来るまではここに滞在するしかない。自分の置かれた状況を理解したハインツは一番気になることを聞いた。
「ティレは?」
昨日の夜は歩くのもやっとな様子だったティレの様子を思い出す。
「一晩寝たら元気になって畑に行っています。この家の横の畑じゃなくて薬草畑の方、ーーホア」
伯父がそういうと心得たとばかりに伯母が立ち上がる。ハインツを案内してくれるようだ。ハインツは素直に甘えることにして自分も立ち上がった。腕はもう全く痛くなかった。
薬草畑は家からは少し離れたところにあった。
ハインツは逸る気持ちを抑え、ホアの、のんびりした歩調に合わせて歩く。
「ティレは、あんまり外に出たことがない子なんです」
ホアは歩調と同じのんびりした口調で言った。
おかしなことしませんでした? と聞くホアにとっさにうまく答えることができず口籠る。
そんなハインツの様子を見て可笑しそうに笑った。
「でも良い子なんですよ。とっても優しくて。ーーわかりづらいけどね」
ふふっと笑うホアに今度はハインツも笑顔を返した。
「はい。知っています」
背の高いハインツの目を下から覗き込むように見たホアは、ふっと視線を外すと前を指さした。
「あそこが薬草畑。ここまで来たらもう迷いませんよ。ーーティレをよろしくね」
嬉しそうにも寂しそうにも見える笑顔をハインツに向けてホアは戻っていった。
ハインツが足を踏み入れた薬草畑は、想像と違って野原のようなところだった。高さがバラバラな草が好き放題に伸びている。どれが薬草でどれが雑草なのかハインツには全く区別がつかない。一際草の生い茂った一画がさわさわと動いている。近付くと思ったとおり、その中にティレはいた。
しゃがみこんで作業をしているようだ。
後ろから近づく足音に気づいたのか、ティレがくるりと振り向いた。近づいて来たのがハインツだと知って少し目を見開いた。
スカートをパタパタとはたきながら立ち上がる。
自分の家にいるからか、これまでより気が抜けているように見えた。
「体調は?」
「お加減は?」
二人の声が重なる。
「大丈夫です」
「大丈夫だ」
また重なって、目を合わせた二人はどちらからともなく笑い出した。
笑っているティレの手をハインツは掴んだ。ティレは笑いすぎて涙を目尻にためたままハインツを見上げた。
「ーー会いたかった」
ハインツはティレの頬を両手で掴んだ。ティレは真っ直ぐにハインツを見た。抵抗はしなかった。
「怒鳴ったりして悪かった。あれから何であんなに腹が立ったのかずっと考えていた。多分俺はお前には男として見てもらいたかったんだ」
ティレはかぶりを振った。
「私、ハインツ様のことが好きでした。女の人だから安心して好きになれた。いいえ。安心するために女の人だと思い込もうとしていたんです。本当にごめんなさい」
「俺が男だとわかっても好きか」
上擦った自分の声が気恥ずかしかった。
ティレはふふっと笑う。その拍子に涙が一粒こぼれ落ちた。それが答えだと思った。
ハインツはティレの頬を掴んだまま顔を近づけた。
お互いの唇が触れる直前、目を閉じたティレの瞳からもう一粒涙がこぼれた。




