2 森の娘の奇妙な生態1
意気込んではいたものの、やはりハインツは自身と周りの予想に違わず、馬車の中で女性相手に気の利いた会話などできる人間ではなかった。
幸いだったのは、相手がハインツにおしゃべりの相手をしてほしいと思っていなかったことだ。
娘は相変わらず俯いて、おとなしく座っている。
こちらを見上げないので、ハインツは不躾ながらまじまじと娘を観察することにした。
一人でやって来ると連絡が来たので、こういうことには慣れているのだろうと思っていたが、白くなるくらい握りしめた手を膝に押し付けているところを見ると、相当緊張しているようだ。
馬車に対するあの反応を見ても、普段は森の奥で暮らしていて、あまり外に出てきたことがないのかもしれない。まあ、よく外に出る森の民のほうが珍しいとは思うが。
そうやってじっと観察していると、ハインツは娘が時々、ちらちらと馬車の窓を気にしていることに気が付いた。
ーー外が見たいのだろうか。
ハインツは馬車の窓にかかっているカーテンを開けた。
「きゃっ」
突然横から出てきたハインツの腕に娘がびくっとしたのでハインツは慌てて手を引っ込める。
「失礼しました。ずっと揺られているだけでも退屈でしょうから、外の景色でもご覧いただければと思いまして」
「あ、ありがとうございます……。すみませんーー」
「いえーー」
やはり、会話は続かなかったが、娘は外の景色を見ると、表情を一変させた。
窓の外には、まだ実り切っていない麦畑が広がっている。
キラキラと目を輝かせて、車窓の景色を楽しんでいる娘に、ハインツはごく自然に浮かんだ疑問を口にした。
「森の民は普段、馬車には乗られないのですか?」
娘は、はっとしてハインツを見た。まるで、自分が話しかけられるとは思っていなかったような顔だ。びくびくしすぎではないか。ハインツは思った。ハインツは大柄で体格こそいかついが、王都では美丈夫で通っている。その見目麗しさを補って余りある唐変木であることも、大変不本意ながら、王都の令嬢たちに知れ渡っているが、ハインツの所属する王宮第二騎士団長のように、熊のような大男というわけでもないし、そんなに恐れられる覚えはない。
おそらくむっとしたのが顔には出ていたと思うが、娘はハインツを見たあと、すぐに顔を伏せたので気づいていないようだ。
「はい。普段は歩きやほ・・・」
言いかけて、娘は固まった。
「ほ?」
「ええと。あまり森から出ないので」
それきり娘が黙ってしまったので、ハインツは深く追及しなかった。「森の民」の生活様式に興味がないかと聞かれれば、正直ない。王都で有名な唐変木ハインツは、文化とか芸術とか女心とか、そういったものには全くと言っていいほど興味がないのだ。あまり外に出ないという自分の予想が当たっていたことだけで満足することにした。
ハインツは窓の外を見た。ハインツをちらっと見た娘もつられて外を見る。
「この辺りは麦の生産が盛んで、一帯が麦畑になっています。もう少し進むと村の中心地に入ります。このような辺境ですが、そこそこの規模の村なので、楽しめると思いますよ」
娘は黙ってうなずいた。どうやら森の民は無口なようだ。
その時、ハインツは突然あることに気が付いた。
「森の民よ。お名前をお伺いしてもよいのでしょうか。どのようにお呼びすれば?」
最初に聞くべきだったかもしれないが、森の民を名前で呼んでいいのか、ハインツははっきりわからなかったのだ。しかしこうやって一緒に馬車に乗って、多少なりとも会話をしていると、名前がないと何分、呼びづらい。本名でなくてもよいから、何か呼び名を教えてほしかった。
娘は相変わらず緊張しているのか小さい声だが、逡巡することもなく、あっさり答えた。
「あ、ティレです。森の民には皆さんの姓にあたる部分はないので、ティレとお呼びください」
なるほど、ゲルグ国にはない名だ。姓を持たないのは驚きだが、躊躇なく答えたところを見ると名前を呼ぶのに、ややこしいルールはないらしい。
「私はハインツ・ヴァーグナーと申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は普段王都で王宮騎士として勤めておりますが、この辺りは我がヴァーグナー侯爵家の領地になります。本領ではありませんが、邸宅がございますので、そちらに滞在いただき、調査にご協力いただけば。私のことはハインツとお呼びください、ティレ殿」
「ーーはい。ハインツ様。お世話になります。」
ハインツが穏やかに接したからか、ティレと名乗った少女は、安心したように黒い眼をきらめからせてにっこりと笑った。ゲルグ国にはない眼の色に惹かれて思わずじっと見つめてしまったことに気づいたハインツは、ごまかすように外を見た。いくら剣術バカとか女心が全くわからないと言われているハインツでも年頃の娘をぶしつけにジロジロ見てはいけないことは知っている。既にティレが俯いている間に相当見た後だったが。
娘は、そんなハインツの様子を少しの間遠慮がちに見つめていたが、特にこれ以上会話が続かなそうだと思ったのか、また窓の外を眺め始めた。
この辺りは、小さいながらも農業が盛んな地域だ。農産物を使った加工品生産も盛んで、意外と商業も発達している。そろそろ田園地帯を抜けて、村の中心地に入ろうとしていた。
村の中心地には、広場もあって市場もある。この規模の村の市としては大きいほうだろう。
「ティレ様は、森の外に出ることはあまりないのですか?」
いい加減黙っているのも気詰まりで、ハインツは聞いた。なぜかティレは少し口籠もったが、言葉を選ぶように答えた。
「一人で出るのは初めてです。たまに外に出るときは、いつもは家族が一緒だったので。……あの、私一人では、ご不安でしょうが精一杯頑張ります」
ぺこりと頭を下げたティレを安心させるようにハインツはうなずいた。
「森の民の力は疑うべくもありません。こちらこそよろしくお願いいたします」
そして律義にティレに頭を下げた。
ハインツが頭を下げたことに少し驚いた様子のティレは、照れ臭そうに笑って、マントの裾を引っ張った。
「今回の事件の概要は?」
世間話ばかりしていても間が持たないため、ハインツは馬車が村を抜けて、屋敷への道へ入るころには、本題に入ることにした。
ティレも、表情を引き締める。おどおどした様子がなくなり真剣な声音で答えた。
「はい、手紙は読ませていただきました。何か、薬物が関係しているのではないかということで、私が伺うことになりました。」
「ティレ殿は薬に造詣が深いのか?」
「ーーええ。多少は詳しいかと。精一杯頑張ります」
返答は無難なものだったが。ハインツは返答までに微妙な間が空いたのに気づいた。自分のことを聞かれるのはあまり好きではないようだが、森の民が選んで遣わせた人材だ。信じる以外の選択肢はなかった。
ヴァーグナー侯爵家の邸宅は、森からしばらく馬車を走らせた丘の上にある。本来の領地はもう少し王都に近い場所にあるため、普段は信頼のおける家令に領主代理を任せている。将来長兄が正式に侯爵位を継いだときには兄弟の誰かが管理することになるだろうが、それはまだ先のことだ。
丘を上りきり、屋敷に着くとその家令が出迎えた。
家令はよくできた男で、森の民を見ても顔色を変えることはなく、いつも通りの礼をとって客を出迎えた。
ティレは、馬車の時よりも更に大きく口を開けてヴァーグナー邸を見上げている。その様子を見て森の民は、大きな建物は見たことがないのかもしれないと思った。そういえば森の民は質素な生活を好むと聞いたことがある。
ティレの部屋は、2階の客間に用意した。屋敷の中を物珍しげに見回していたティレは、階段を上る段になって、目に見えて慌てだした。
「あの、上に上るんですか?」
前を歩いていた家令が振り返る。
「客間は2階にご用意させていただきました。何かご不便が?」
「……いえ」
そう言いながらも、明らかに目が泳いでいる。半歩後ろについていたハインツは、何故そんなに動揺することがあるのかといぶかしんだ。
しかし、少し逡巡した後、目をつむるとティレはままよといった感じで、階段に足を乗せた。一歩一歩階段を上がっていく。石造りの階段にティレのブーツがかっぽかっぽと音を立てた。
ーー高いところが苦手なんだろうか。
部屋の前まで案内したところで、あとはメイドに任せることにした。
「ティレ殿。本日はお疲れでしょう。食事は部屋にすぐに運ばせますので、本日はゆっくりお休み下さい。調査は明日からということで」
ティレは、ここに至っても何故か落ち着かない様子であったが、小さな声でハインツに礼を言うと部屋に入っていた。
客間に案内するあたりから少し様子がおかしかったのが気になったが、森の民はもしかすると皆平屋に住んでいるのかもしれないなとハインツは結論付けた。
一緒についてきていた兵士は夕食後、村へ降りた。森の民は大勢と過ごすのを嫌うと聞いたため、屋敷にはハインツと普段屋敷に勤めている者だけが残ることにしたのだ。他の者は村の宿を拠点とし、日中だけ屋敷に通うことになっている。
一人になって、ハインツは自室のベッドに突っ伏した。
ーー疲れた。
やはり、自分はこういうことには向いていない。剣をふるったり体を使って働くのが性に合っている。政治的な駆け引きのほうがまだ楽だ。
張っていた気が抜ける。子どものころよく過ごしたこの屋敷の匂いが緊張を解いていく。
そのまま、ハインツは意識を手放した。