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森の娘と白銀の騎士  作者: 四葉ひろ
第一章

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14 森の娘との別れ2

「もう少しゆっくりしていけばいいのに!」


 休暇の残っているマルティナが名残惜しそうに、ティレと話している声が馬車の外まで聞こえる。


 ティレは、報告書を完成させた翌日の朝には、森からやってきた時の装束に身を包み、皆が朝食をとっている場に現れた。ご丁寧にテントもその背に背負っている。


「皆さま、本当にお世話になりありがとうございました」


 荷物ごとぺこりと頭を下げたティレは、そのまま一人で出ていこうとする。


「待って、待って。ティレちゃん。朝食くらい一緒に取りましょうよ」

「そうだ。しかも歩いて森まで帰るつもりか。朝食の後、馬車で送らせよう」


 マルティナとユリウスが慌てて引き留める。確かに、この丘を降りて町を抜けて森まで行くのは、歩くのには難しい距離だ。結局、一緒に朝食をとった後、馬車で森の入り口まで送っていくことになった。


 すぐにティレの分の朝食も用意され、マルティナとユリウスがティレとの別れを惜しみながらも、楽しそうに会話をしている横で、ハインツは昨夜と同じく黙々と朝食をとった。失礼な態度を詫びたとはいえ、気まずさはあまり変わらなかった。

 ティレは、マルティナからの質問に答えるばかりで自分からは話さないので、ハインツと話すこともない。


 森の入り口まで送っていくための馬車には、再びティレとマルティナが乗り、馬に乗ったハインツが付き添った。ユリウスも護衛を引き連れてついてきた。


 屋敷の者たちとは、朝の間に別れの挨拶をすませたそうだが、家令をはじめ、皆、出発の時には玄関まで見送りに出て、ティレとの別れを惜しんでいた。どうやら村に降りた時に少女に薬を渡したように、空いている時間には使用人達の相談にも乗っていたらしい。年寄りや子どもがいる女性が多いこの屋敷でティレは皆に感謝されていたようだ。


「ティレ様とお会いできたこと、私共にとって僥倖でございました」

「こちらこそ、とてもよくしていただいてありがとうございました。皆さまのこと忘れません」


 メイドの中には、別れに涙ぐんでいる者もいる。ハインツは、内心、いつの間にこんなに使用人と仲良くなったのかと驚いた。


「通いの者も、調査に来ている騎士たちも村にいます。皆、ティレ様に挨拶をしたいと思いますので、是非、町にも立ち寄っていただきたいのですが」


 家令からのたっての願いで、ハインツ達は屋敷のある丘を降りると村の広場に馬車を止めた。

 どこで聞きつけたのか、屋敷で働く者や騎士だけでなく、村の者たちも広場に出てきていた。


 ティレとはほぼ行動を共にしていたはずのハインツも気づかないほどいつの間にかティレとの親交を深めていたようだ。皆、口々にティレとの別れを惜しんだ。


 人の輪の中から、一人の少女がティレのもとに近づいてきた。いつぞや祖父の具合が悪いと言っていた少女だ。後ろには、ティレを怒鳴りつけた女性も一緒にいる。


「おねえちゃん! おじいちゃんの具合よくなったよ! おくすりありがとう!」


 少女が差し出した花束をティレは嬉しそうに受け取った。


「ーーすまなかったね。あの後お医者様にもちゃんとした薬だって言われたよ。わたしゃ、学がないもんで、森の民って言うのは怖いもんだと思ったんだよ。お医者様に、すごく頭のいいすごい人たちなんだって聞いた。あの後も薬を届けてくれてありがとうよ」


 ハインツは驚いてティレを見た。いつの間に?ティレが恥ずかしそうに笑っている。


「ーーあの、屋敷の方がおうちに帰る途中に届けてくださっただけなので。でもおじいさまが良くなって良かったです」


そして、しばらく手渡された花束をしげしげと眺めた後、一本の花を抜いて少女に手渡した。


「この花の根は、煎じて飲むとお薬と同じような効果があります。薬ほど強い効果はないのですが、少し調子が悪いくらいなら効くと思います」


 少女の顔がぱっと華やいだ。


「ありがとう。お姉ちゃん!」


 ティレらしい気遣いだ。これでティレがいなくても少女の祖父は体調を整えることができるだろう。

 そう。ティレがいなくてもーー。ハインツは、知らず握りしめていた両手を無理やり開いた。


 ひとしきり皆と別れを惜しんだ後、村の皆に見送られながら、馬車は森に向かった。


「ティレ殿、ゲルグ国を代表して申し上げる。この度のご協力、感謝に堪えない。ゲルグ国は今後も森の民と良好な関係を築いていくことを願っている」


 森の入り口までくると、屋敷でのふざけた様子を収め、正式な騎士の礼をとってそう伝えたユリウスに続いて、マルティナがティレに抱き着いた。 


「ティレちゃん、せっかく仲良くなったのに、寂しいわ。何かあったらいつでも来てね。何もなくても来てね」


「ありがとうございます。お力になれたかはわかりませんが、大変良い経験をさせていただきました。こちらこそ親切にしてくださったご恩は忘れません」


 ティレは二人にそういうと、ハインツに向き直った。


「ハインツ様、失礼なことをして本当にごめんなさい。ハインツ様にお世話になったこと、ずっと忘れません」


「……ああ」


 ハインツは胸が詰まった。いろんな想いが渦巻いて、うまく言葉にできなかった。

 ティレは、少し俯くと覚悟を決めた顔でハインツに一歩近づいた。ティレの顔が近づいて来る。ハインツの心臓がはねた。


「ハインツ様……」


 ティレがハインツの耳もとにささやく。柔らかい吐息が耳をくすぐり、ハインツは、ティレに腹を立てていたことも罪悪感にさいなまれていたことも忘れて、ごくりと唾を飲み込んだ。


「調査は急いで下さい。なるべく内密に原因を突き止めてください。どうかお気を付けて」


「は?」


 ーーはねた俺の鼓動を返してほしい。むっとして、体を引いてはっとした。

 真剣な顔だった。ハインツも表情を引き締めてうなずく。


「わかった。ティレ殿にご尽力いただいたこと無駄にはしない」


 それは、一緒に調査をしていた時のハインツだった。ティレは、ようやく少し嬉しそうに笑った。その笑顔を瞳に映したハインツの胸は苦しい。

 笑みをおさめたティレはしばらくじっとハインツを見つめていた。その表情からはどんな思いなのかは

ハインツにはわからなかった。人の思いに鈍いと言われる自分でなければ、ティレの思いがわかるのだろうか。ティレは、くるっと踵を返すと皆と距離をとった。


 そこで振り返り、ぺこりと頭を下げる。


「みなさん、ありがとうございました!」


 そして、森に向かって歩き出した。


 その時、ハインツは気付いた。

 いつの間にか森の入り口に若い男が立っていた。浅黒い肌に鈍い薄緑色のマントを羽織っている。肌の色とは対照的に明るい色の髪を隠す気はないようだ。その髪はマントの色を反射してか、それとも反射しているのは森の色か、緑色に輝いているように見える。


 ーーあ、という暇もなかった。


 ティレが男に気付くなり走り出したのだ。そして、飛びつくようにその男に抱き着いた。


 頭を殴られたような衝撃に、ハインツは、息をのんだ。


 抱きついたティレを男が慣れた様子で抱き留めた。そのまま何か話している。


 ーーハインツの心臓が先ほどと違う音をたてた。


 男が、ティレを腕に抱えたまま、こちらを見て会釈する。それは、同族を送ってきた者たちへの何気ない挨拶だったのかもしれない。だが、ハインツにはティレとその男の世界と自分の世界の境界線をはっきりと見せつけられた気がした。


 二人は、森の奥に消えていった。


 既に日は高くなっているのに、風はいつまでも冷たかった。


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