12 森の娘の誤解2
「ティレ殿!」
様子のおかしいティレに驚いたハインツが、一足飛びにティレに近づく。王子の御前なのは完全に頭から消え去っていた。
だがティレを支えることはできなかった。ティレがものすごい勢いで後ろに飛びのいたからだ。
ハインツは、驚きに目を見開いた。最初の頃はともかく、最近は近づいても触れても恐れられることはなかった。それが、明らかにハインツを避けたのだ。ハインツは、少なからずショックを受けた。
しかし、この次に来た衝撃に比べれば、この程度のことは取るに足らないことだった。
「……やっぱり」
震えるティレが声を絞り出す。何故かティレもひどくショックを受けているようだ。
「……お……」
話したいが、衝撃が大きすぎて言葉にならない様子だ。
「お?」
ハインツは再びそうっとティレに近づき、支えようとした。しかし、ハインツの手から、ティレは見たこともない勢いでまた飛びのいた。ーーそして叫んだのだ。
「ーー男の方だったんですね!」
ハインツが、これまでに聞いたことないような大きな声だった。
「……は?」
今度はハインツがぽかんとする番だった。一体何を言っているんだ。
ティレは、目を泳がせながら、いつにない早口でしどろもどろに話し始めた。ハインツに話しているのか独り言なのか判別がつかない。ハインツも、混乱を極めていて間抜けな顔で聞くだけだ。第三王子のユリウスや姉のマルティナも何が起こっているのかわからないという顔で黙って聞いている。
「ーーいえ、女性にしてはずいぶんと体の大きい方だなとは思っていたんです。坊ちゃまと呼ばれてるのも変だと思いました。時々、ご自分のことを『俺』と呼ばれていたし。でも、お迎えに来るのは女性騎士の方だと伺っていたので……。お迎えの騎士の方ですかと聞いたら、はいと答えたし、ゲルグ国の騎士の方を見るのは初めてでしたし、確かにお屋敷にいらっしゃるメイドの方や村の方たちと比べたら、体も大きいし、でもそれも訓練のたまものかと。そう言われれば、声も低いし、でも、いえ、あの、その……」
「な……!」
ティレが、何を言っているのか理解した瞬間、ハインツの頭に血が上った。
「俺が女だと思っていたのか!」
びくっとしたティレが、勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!」
「あ、あはははははは!」
同じく状況を理解したらしいマルティナの笑い声が、ハインツの神経を逆なでした。
気が付けば、鬼のような形相で怒鳴っていた。
「俺のどこが女に見えるというんだ!」
その声にティレは飛び上がったと思うと、きゅっと縮こまった。そのまま小さくなって震えている。普段のハインツならその常でない様子を心配しただろう。しかし、今のハインツは、その様子を気にかける様子もないほど混乱していた。こんなに腹を立てたことはないというくらい腹が立っていた。なんなら裏切られたような気までしていた。
恐怖で小さくなって震えるティレと怒りで拳を握りしめて震えるハインツの間に訪れた沈黙を、笑みを消したマルティナがため息とともに破った。
「ハインツ。怒りすぎよ」
そしてティレに近づくとそっと肩を抱いて手をとった。
「弟がごめんなさいね。女性騎士を送ると言ったのに約束を違えてしまったのはこちらだわ。最初から私が向かえばよかったのに。しかも、それをきちんと説明していなかったのね。ティレ様は全く悪くない。私からも謝罪させていただきます」
マルティナはユリウスをチラリとみた。直前になって、お迎えの騎士をマルティナからハインツにすげ替えた張本人であるユリウスもまた、気まずさを覚えたのだろう。ゴホンと咳払いをするとティレに近づいた。しかし、いまだ怯えた様子のティレがびくりとしたのを感じ取ったマルティナに目で制され、足を止めその場で膝をつく。
「ティレ殿の迎えの約束を違えたこと、私からも謝罪しよう。森の民よ。我が国の無礼を寛大な心でお許しいただきたい」
ティレもさすがに王族からの謝罪を無碍にするわけにはいかないと思ったのか、それでも微かに震えながら、マルティナの影に隠れるようにしたまま小さく頷いた。
「マルティナ。ティレ殿の馬車にはお前が同乗しろ。ハインツ。マルティナの馬、乗りこなせるな」
「は!」
「……は!」
すっかりおびえてしまったティレを見て、ユリウスは、そう命じた。マルティナが、ティレをなだめながら馬車に乗るのを見届けて、ハインツは、マルティナの馬にまたがった。このまま、屋敷に向かう。この後、ユリウスとマルティナは護衛と共にヴァーグーナー邸に滞在することになっているとのことだった。
「ーーなんだなんだ。ずいぶんとご機嫌斜めじゃないか」
怒りがおさまらないまま馬を走らせるハインツの隣をユリウスが併走する。ユリウスとハインツは同い年で幼馴染の間柄だ。任務中はもちろん、王子で騎士団長であるユリウスの命は絶対だが、仕事を離れたところでは親友と言ってよかった。
「女の子に間違われるなんて昔は日常茶飯事だったろう」
そう。今でこそ厳ついと言っていい体格のハインツだが、声変わりが始まる頃までは、その綺麗な顔と着痩せする体型で、しょっちゅう女の子と間違われていた。母が姉の騎馬服や平服をアレンジして着せたがるので、なおさらだった。
当時も多少イラッとはしたが、ハインツはそこまで気にしていなかった。立場上、家の命令なのか、単にユリウスの見目が原因なのか、数多の令嬢たちに執拗に付きまとわれるユリウスを見ていたし、王子に対してもあれだけ遠慮のない令嬢たちが、ただの侯爵家の三男である自分に執着したらどうなるかを考えるとむしろ女と思ってくれていたほうが都合がいいかもしれないくらいに思っていた。
もともと人の評価を気にするたちではない。王家に近しい侯爵家という由緒ある家柄に生まれ、将来的には騎士となって騎士爵を賜る可能性もあるとはいえ、末っ子で今の時点で継げる爵位もないハインツには貴族付き合いも興味のあるものではなかった。家族も長兄たちとは違い、ハインツには最低限の社交しか求めなかった。
だから、今、ティレに女性だと思われていたからといって、自分でもどうしてこんなに腹が立っているのか分からなかった。ティレのおかしさにはずっと振り回されてきた。森の民の常識は、自分たちの常識とはずいぶん違うのだろうということも理解したつもりだった。今回だって同じことだ。
だがどうしても怒りがおさまらない。
ずっと女だと思っていたなんて。ティレと過ごしたこれまでのいろいろな出来事が頭をよぎる。こんなに長い時間一緒にいたのに。
「なんなんだ」
ハインツは、ひとりごちた。
ユリウスが何か話しかけているが、馬の蹄の音で聞こえないふりをして、全て無視した。王子であり上司であるユリウスに対して大変な不敬だが、無視されたユリウス自身が楽しそうにしているため、二人の親しい関係性を知っている周りは何も言わない。
「ーーなんなんだ、一体」
ハインツの言葉は、秋の風の中に消えた。




