11 森の娘の誤解1
次の朝、ティレを迎えに行ったハインツは、出発の挨拶と礼をするため、村長の部屋に向かった。
「村長、大変世話になり感謝する。宴まで開いていただき、感謝に絶えない」
「村長さん、お世話になりました。とても素敵な村ですね。あの、村に井戸は一つだけですか」
ティレの質問に、ハインツと村長はそろってティレの顔を見た。突拍子もないのは相変わらずだ。
それでも、村長は律義に説明した。
「いえ。大元は、村の中心にあるあの井戸ですが。あの井戸から村のいくつかの場所に水をひいています。いくら狭い村とはいえ、一か所だけでは不便ですから」
「そうですか。じゃあこの村で使われている水は全部、元を辿ればあの大きな井戸からとっているんですね」
「ええ。今日は一段と寒くて、急に井戸の水も冷たくなったようですが、そういう日は、村中の水に同じことが起きるのです」
「それは良かったです」
ティレは、にっこりと嬉しそうに笑った。
「……はあ」
村長はティレの言わんとする意味が分からず戸惑っているようだが、ティレは構わず、ペコリと頭を下げると別れの挨拶をした。ティレの中では有意義な情報だったようで嬉しそうだ。ハインツにも意味が分かったわけではないが、ティレがおかしなことを言いだすのにはもう慣れた。ティレに続いて、村長に会釈をすると、村長の家を辞した。
村長の言う通り、今朝は、これまでにない涼しさだった。村長は、別れ際に秋が深まってきたのを感じると話していたが、確かに日の長さもだんだん短くなってきている。本格的な冬が始まる前にある程度目途がついてよかったものだとハインツは安堵した。
帰り道は、行きの道程にあったようなトラブルもなく、あっという間だった。今日の夜には、元居たハインツの屋敷に到着する予定だ。
屋敷について報告書をまとめたら、ティレの役目は終了だ。なぜ源泉に毒素が流れ込んだのかを引き続き調査をする必要があるが、あとは基本的にゲルグ国だけで調査を進める。
同じ馬車の中、向かい側に座るティレを見つめる。
最初は戸惑ってばかりのハインツだったが、今はもうすぐティレが帰ってしまうことを少し寂しく感じているのだから、慣れとはすごいものだ。
そういえば、ハインツは森の民のことを何も知らない。ティレの普段の生活についても聞いたことがなかったということに今更になって思い至った。
「ティレ殿は、普段は何を?」
ティレは一瞬、きょとんとした顔をしたが、森での生活を聞いたことが分かったようだ。顎に手を当てて考えながら答える。
「……森では、薬を作っています。私たちの村は自給自足なので、そちらも」
「今回が一人では初めてと言っていたが、誰かと一緒に時々は森の外に出ることもあるのか?」
「……あまり。外の国に薬を売って歩いているような人もいますが、私はあまり外向けには作っていないので」
ということは、ティレが森の外に出る機会はかなり少ないということだ。今回の調査が終わったら、今後は二度と会えない可能性もあるのか。ハインツは、ティレに出会うまで森の民と接したことがなかった。森の民の商品を扱っている商人などは馴染みの森の民がいる者もいると聞くが、そもそも外に出る森の民が全体のどのくらいなのかもわからない。
ティレともう会えなくなる。そう考えると、ハインツを強い焦燥感が襲った。
「ティレ殿、事件が解決したら……」
ハインツが腰を浮かせたその時、突然馬のいななきと共に馬車が止まった。バランスを崩し、ティレのほうへ倒れ掛かったハインツだが、片手をつくとすぐに体勢を整えた。剣を抜いて、御者席をうかがう。御者は驚愕の表情を浮かべて動けないようだが、襲われたり、ケガをしている様子はない。ハインツはティレに顔を近づけるとささやくように伝える。
「絶対に動くな!いいというまで外の様子をうかがうのも駄目だ」
真っ青な顔で胸の前でペンダントを握りしめたティレはコクリとうなずいた。
ハインツは、周囲を警戒しながら外に出る。
--そして、目を疑った。
「久しぶりだな、ハインツ」
馬に乗って、悠然と馬車を止めている人物。それは、騎士団の総団長であり、ハインツの幼馴染でもあるこの国の第三王子ユリウスその人だった。
「白銀の貴公子」と呼ばれるハインツに対して「黄金の貴公子」と呼ばれるユリウスは、その名の通り黄金の髪と光が当たると黄金に輝く瞳を持っている美丈夫だ。
そしてハインツをこの調査の担当にし、ティレを迎えにやらせた張本人でもある。
そして、その後ろに控えているのは、
「姉上!」
近衛騎士団の騎士服に身を包んだ姉のマルティナもいた。兄弟の中で唯一同じ母を持つ姉は、ハインツと同じ白銀の髪で顔立ちもよく似ている。瞳の色だけが違ったが、菫色の瞳も白銀の髪によく映えていた。
「お疲れ様、ハインツ。急なことでごめんなさいね」
にっこりと笑いながら姉が言った急なことというのが、今回の任務のことなのか、今まさに馬車を止めていることなのか、はたまたその両方なのかはわからなかったが、ハインツは賢明にも軽くうなずくに留めた。
この姉に余計なことは言わないのが一番だ。王宮騎士とはいえ、王宮の通常部隊で警護に当たっている自分に比べ、姉のマルティナは生え抜きの近衛部隊、しかも王族の側近だ。地位でも実力でも、いまだかなわぬところにいた。そして口喧嘩でも……。
マルティナは、ハインツの態度に満足したように笑うとハインツの後ろに目を向けた。そして相好を崩す。
その顔に嫌な予感がしてハインツが振り返ると、外の騒ぎを聞いたのだろうティレが恐る恐ると言った感じで馬車から顔を出していた。
ハインツは舌打ちしたくなった。絶対に動かないよう言ったのに。
それに対してユリウスとマルティナはご機嫌だ。
ユリウスは馬を降り、腰にかけていた剣を従者に渡してティレに近づいた。同じようにしてマルティナも一歩後ろからついてくる。
ティレの前までくるとユリウスは膝を折り、正式な騎士の礼をとった。ユリウスが行えば皆従うしかない。数十人いる近衛騎士たちも同じように膝をつく。もちろんハインツも従った。
「ゲルグ国騎士団総団長ユリウス・フォン・ゲルグと申します。我々が会合から戻る道程であなたに会えるとは僥倖でした。森の民よ。この度のご助力心から感謝する」
ティレは、馬車から顔を出したままの状態で不安そうにハインツを見る。ハインツがうなずくと、恐る恐るといった感じで馬車から出てきた。
「森の民ティレです。丁寧なごあいさつありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。王族に対する礼ではなかったが、森の民だ。奇妙に感じても誰も顔には出さなかった。さすがエリート集団の近衛部隊だ。もちろん、普段から何を考えているかわからない第三王子ユリウスもにこやかに挨拶を受け取った。
王子が立ち上がるのを待って、マルティナが近づいてくる。
「初めまして。ハインツの姉のマルティナです。本当は私がお迎えに行くとお伝えしてい
たのに、伺えず申し訳ありません。弟に不手際はありませんでしたか?」
そう言って、ハインツによく似た顔でにっこり笑った。
「……」
ティレは、ぽかんとマルティナを見た。完全に固まっている。心配したハインツだが、王子の手前、そう好き勝手にはうごけない。しばらくにこやかなマルティナとぽかんとしたティレは見つめ合っていたが、マルティナがその表情を保ったまま、何とかしろという視線をハインツに送ったのにつられたのか、ティレもゆっくりハインツに視線を移す。
マルティナとハインツを交互に3回は見た後、ティレはぷるぷると震え始めた。




