1 森のはずれに立つ娘
その娘は森の入り口に立っていた。
小柄な娘だ。大柄な王宮騎士であるハインツの胸あたりまでしか背がない。
ハインツは、自国のはずれ、常闇の森との国境にいた。「森の民」のお迎えを仰せつかったからだ。
「森の民」は初めて見る。仕事柄、他国民を見かけることの多いハインツだが、ハインツの属するゲルグ国の民をはじめ、これまで見たどの国の民とも全く違う服装だ。頭には大きな帽子をかぶっていて髪を見せないようになっている。ふくらはぎの中頃まである分厚いマントを羽織っており、身体の線もわからない。その下には布製の短いブーツを履いていて、その全てに繊細で手の込んだ刺繍が施されていた。
これが、世界中の叡智を集め、不思議な力をも使いこなすという神秘の民「森の民」の旅装束なのだろう。
ただでさえ、重装備な娘の表情は俯いていて全くわからない。
「ーーお迎えにあがりました、『森の民』よ。あなた方の智慧と力を我々にお貸しいただきたい」
ハインツは跪き、騎士の最敬礼を取った。王都で「白銀の騎士」の異名を持つハインツのプラチナブロンドの髪が風になびいた。
跪いたことで俯いていた娘の視界にハインツが入った。ふっと目線をハインツに向ける。はっと息を呑んでぎゅっと目を瞑られた。何か小さな声でぶつぶつと言っている。娘は目を開けて一瞬だけハインツを見ると、そしてすぐにまた視線を外された。
「……」
ハインツはじっと森の娘の言葉を待った。
「……」
森の娘は何も言わない。沈黙が流れた。
「……」
ハインツは、普段王宮騎士をしているが、その中では特にエリートというわけではなく、飛び抜けて階級が高いわけでもない。このように使節の代表となるのは初めての経験だ。普段から付き合いがあるのも社交辞令が得意な貴族や開けっ広げな性格の騎士たちで、こちらが何も話さなくてもあちらが勝手に話してくれる人種か、拳で語り合えば足る人種だ。この森の民の娘のような態度を取る人間にどう接したらいいのかわからず戸惑った。ハインツの後ろに控えている使節団も自分たちの想像と違い、なんだか様子がおかしいと感じているようだ。
「……」
耐えられん! ハインツは元来、気が短い。沈黙を続ける娘に、いい加減しびれを切らして返事を促そうとして息を吸い、そして気付いた。
ーー震えている?
よく見ると娘は小刻みに震えていた。小柄な娘がブカブカのマントの下で震えている様子はまるでおびえた小動物のようだった。
ハインツは、声を出そうと吸った息をそうっと吐くと、もう一度静かに吸った。
「ーー森の民よ。我が国はあなたを歓迎する。どうか恐れずお知恵をお貸しいただきたい」
先ほどよりは柔らかい声が出た。森の娘は、もう一度目をあげてハインツを見た。娘の真っ黒な瞳に銀髪に空色の瞳のハインツが映っている。
「……お」
「お?」
「お迎えの騎士の方ですか?」
「……はい」
なるべく優しく聞こえるように、静かな声で答えた。妙な緊張感がある。しかし、ハインツのその返事に娘はホッとしたようだ。
「……よ」
「よ?」
「よろしくお願いします」
蚊の鳴くような声でそれだけ言うと娘は深く頭を下げた。
ハインツは慎重にうなずくことで、それに答えた。まるでおびえた猫が逃げないように、細心の注意を払う子どものようだ。どこか他人事のようにハインツは思った。
ハインツが属するゲルグ王国のあるこの大陸は中心に深い森を持つ。森を取り囲むように大陸には5つの国が存在するが、この森はそのどれにも属していない。各国の人々は、決して森の奥深くに立ち入ることはない。大陸の反対側にある国に行く時でも、森の外縁を迂回するか、海路で向かうのだ。
何故なら、その森に許可なく踏み入るのは、この大陸に住む人間たちにとって、タブーだからだ。常闇の森と呼ばれるその森に案内なく入った者は二度と出て来られないという。だが、その常闇の森で生活しており、唯一自由に行き来できる者たちがいる。それが「森の民」だ。その生態や文化は詳らかにされていないが、どこの国にも属さず、独自の文化のもとに生活していると言われている。森の民は、不思議な力を使い、世界中のあらゆる知識を有している。そして、普段は常闇の森深くに暮らしていて、必要な時にだけ森の外に出てくるのだ。森の民は自身の力を異民族に使うことを惜しむことはない。これまでも「大いなる智慧」と「比類なき力」により、多くの民人を救ってきた。各国は、「森の民」に敬意を表し、決して森を侵攻しようとはしない。そもそも森に立ち入って無事に帰ってくることができるとも思えなかった。
自国では解決できない「困りごと」があると、各国は森の民を頼る。各国と森の狭間にある連絡箱で連絡を取り合い、必要であれば「森の民」が派遣され、その力を借りるのだ。
連絡箱は、古くから森のはずれにある。各国ごとに森との境界線に沿っていくつか設置されている。不思議なことに連絡箱に手紙を入れると、次の日には返事が返ってくる。そのため連絡箱が置かれている森との国境には、連絡小屋が立っており、その時々の連絡係が寝泊まりできるようになっていた。
今回も連絡箱で森の民と連絡を取り合い、調整を行ってきた。最後に森の民から届いた「調査をする者を派遣する」という書状に書かれた日時の通りにハインツは森の民の出迎えにやってきた。本来来るはずであったハインツの姉マルティナの代わりだ。マルティナは、ハインツと同じ騎士だが、階級はずっと上で、第三王子の側近として近衛部隊に所属している。常闇の森との境目に領地の一つを持つハインツの生家ヴァーグナー侯爵家は、代々騎士を多く輩出してきた家系だ。その領地内に「森の民」との連絡小屋を持っている。今回の依頼では、その連絡小屋で連絡をとり、その領地にある屋敷に「森の民」を滞在させ、状況の説明と下調べを行う手筈になっていた。
だが、直前になってマルティナが来ることができなくなった。隣国との国境で問題が起こり、政治的な問題も絡むとのことで、急遽ゲルグ国騎士団総団長を務める第三王子が出向くことになったのだ。王子が行くとなると、側近であるマルティナも同行せざるを得ない。しかし今更、森の民との約束を反故にするわけにもいかない。そのため、ヴァーグナー侯爵家として、森の民を迎えるという大役を急遽ハインツが務めることになったのだ。
今回は一族の領地に招くこともあり、ハインツがゲルグ国側の代表だ。馬車に並走する騎馬は早々に同僚に埋められ、ハインツは 「森の民」の娘と同じ馬車に乗せられることとなった。
日頃、気が利かないとか剣のことしか頭にないとか言われるハインツは女性の相手をするのが苦手だった。しかし、今回はそうも言っていられない。
ぽかんとした表情で馬車を見上げている娘に手を差し出す。淑女に対する当然の礼として、馬車にエスコートしようとしたのだが娘は差し出した手に全く気付かないまま、意を決したような顔をして、馬車のステップに足をかけた。ハインツはまぬけにも右手を差し出したまま、一人馬車の前に残された。後ろで同僚が笑いをこらえているのを感じた。しかし、今は振り返って同僚を怒鳴るわけにもいかない。ハインツは一つ息を吐き、目を閉じた。
「異民族だ。文化が違うのだ。自分たちの常識は通用しないのだ」
三回深呼吸をしながら、そう繰り返して、先程の娘と同じく意を決した顔で馬車に乗りこんだ。




