第四章 第2話 貧民街
短い髭を、頬から顎に掛けてぐるりと蓄えた男性。
キャリーの父、アンドリューだった。
仕事中ではないらしく、私服でいる。
その姿を見て、キャリーはいつ叔母さんの家から帰って来るのだろう、と思った。
もしかして、叔母さんの家がここから近いのだろうか。
キャリーに会いたい。
ほんの少しの時間だけでいい。
キャリーに会いたい。
アミィは邸と反対方向に去って行くアンドリューの背中を追って、大通りを渡り出した。
馬車が途切れなく通る大通りを、数台の馬車をやり過ごしながらようやく渡った。少し先で、アンドリューが道を左に折れるのが見えた。
それを追って道を曲がると、アンドリューは声を掛けるにはまだ遠い距離にいた。
足を速めるアミィの前で、アンドリューは更に角を曲がり、細い路に入って行った。
アンドリューが折れた角の前まで来て、アミィは足を止めた。
見覚えのある、薄暗い路地。
この先は貧しい者達の家が続いていて、奥へ入り込むとドウア市でも最下層に属する貧民街になっていることを、アミィは知っていた。
アンドリューの背中が、その路を奥へと進んで行く。
まさかキャリーがこんな所にいる筈はない。
路地の手前で、アミィはアンドリューの行き先を訝しんだ。
貧民街の奥は、小綺麗な身なりで、ましてや食べ物やお金を持って入っていい所ではなかった。
少しの葛藤の後、結局引き返そうと思って、アミィは体の向きを変えた。
だがそこから足を動かせなかった。
奇妙だと思った。
トーラン家の使用人が、なぜこんな所に。
もう一度振り返る。
遠ざかって行くアンドリューの背中が見えた。
胸の中がざわざわとした。
キャリーの顔を思い浮かべた。
数秒、躊躇って、アミィは遂にその路地に足を踏み入れた。
アンドリューはもう随分先まで進んでしまっていた。
速足で、アミィはその背中を追った。
細い路の両側にひしめき合う小さな家には次第に壁の塗装すらない掘建て小屋が混じるようになり、そのどれもがひどく汚れていて、崩れ落ちそうだった。
三回、角を曲がった時、アンドリューが建ち並ぶそんな家の一軒に入って行くのが見えた。
あばら屋ばかりだが、この辺りの家はみな空き家なのではないかと、アミィは気が付いた。
路上にはゴミが散乱していて臭っていたが、生活の匂いがしなかった。
その時だった。
突然誰かに後ろから肩を摑まれ、アミィは声のない悲鳴を上げた。
恐怖のあまり、空気の固まりが喉を通過したのに、声は出なかった。




