第一章 第7話 初めて交わした言葉
娘が会話に応じたという知らせは、マーガレットが帰宅してからラルクの許にもたらされた。
仕事の続きをするつもりだったが、それを後回しにして、ラルクは彼女の部屋へ向かった。
情けない、とは思うのだが、彼女が最初に会話を交わした相手が自分以外の人間であったことが、正直ちょっと悔しかった。
彼女のために心を砕いて来たのにという、傲慢な自負が自分の中にあることを、否定できなかった。
不遜だ。
よくない、と思ったが、結局心から平静にはなれないまま、ラルクは娘の部屋の前に着いてしまった。
兎も角彼女と話をしよう。
そのことだけを考えようと心に念じて、青年は娘の部屋の扉を叩いた。
返事を待つ。
一拍おいて、小さな声がした。
「どうぞ。」
遂に彼女の言葉を聞けた。
また口をつぐんでしまう可能性はあったから、そこには安堵して、ラルクはドアを開けた。
アミィはポツンと、ベッドの上に腰掛けていた。
ラルクの姿を見て、病人の様なぎこちない動きで、彼女は一応立ち上がった。
若い主人の指示でランプはもう一つ増えていて、部屋は少し明るくなっていた。
「やっとあなたの言葉が聞けた。」
微笑んで言ったラルクの整った顔を、相変わらずの怯えた、だがどこか縋る様な目で女は見上げた。
ラルクは娘をソファの方へ促した。小さく頷き、彼女は従った。
一体なぜ、彼女はいつもこんなに不安そうなのだろう。
ふと思い、青年は相手の過去に興味を持ったが、彼女とどの程度の話が出来るのかは分からなかった。
二人はランプの置かれたソファーテーブルで、向かい合って腰を降ろした。
慎重に、ラルクは切り出した。
「マシューから聞きました。名前はアミィ?」
娘は一度頷き、小さく「はい」と応えた。
「今までよく黙っていられたね。喋らないで、苦しくなかったか?」
少しおどけてラルクが言ってみると、アミィは驚いた様に顔を上げ、初めてラルクの目を見た。
「わたし………」
釣り込まれる様に呟いてから、彼女はまた顔を伏せ、口をつぐんだ。
たっぷり5秒、間があった。辛抱強くラルクは待った。だが続く言葉はなく、彼は一言だけ「え?」と尋ねた。
その一押しに、彼女は応えた。
「………人間が怖い…………」
なんと応えればよいのか、分からなかった。
娘は俯き、唇をきつく結んでいた。
その瞳の中に、数えきれない痛みが見えた。
数秒、彼女を見つめ、ラルクは立ち上がると、娘の前まで進んで、屈み込んだ。
「君の名前が聞けてよかった。――年齢は幾つなの?」
アミィは驚き、目を上げた。すぐ目の前に、髪の色と同じ、ラルクの赤味がかった茶色の瞳が、優しく笑っていた。
これまで感じたことのない様な安心感が、さざ波となって彼女の胸に広がった。
ふっと心が和んだ。
「17、です、ラルク様。」
初めて笑顔を浮かべ、彼女は答えた。
「そう。」
心からほっとしたのはラルクも同じだった。
数日前に死に掛けていた娘が、今目の前で笑っている。
それでもう充分に報われていた。