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浮浪者の娘  作者: 大久 永里子
第一章 言葉《ことば》
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第一章 第3話 夏の庭

 浮浪者の娘はほぼ一日中、用意された三階の寝室か、庭の片隅でじっと座っていた。

 まだ元気に動けないせいもあるのだろうが、一言も言葉を発せず、表情も虚ろな彼女が何を考えているのかは、分からなかった。


 ろうそく一本なくなっても使用人達が騒ぎそうなので、ラルクの方から敢えて誰か一人が必ず彼女に付き添う様命じてあり、その上で娘には邸内を自由に歩いてよいと伝えていたのだが、その自由は駆使されていなかった。


 そんな娘に存在感がなく、無害だからであろう。

 使用人達も彼女の存在をあまり気に掛けなくなっていた。


 ラルクはマーガレットと寄り添ったまま、庭を見下ろすその窓辺へ歩み寄った。

 花盛りの初夏の庭は、光に包まれていた。その花の中に埋もれる様にしてたたずむ娘を見つめながら、ラルクは話を切り出した。


「マーガレット。」

「はい。」

 やや固いラルクの声に、何か真面目な話があるのだろうと察して、マーガレットは笑顔を収め、ラルクの腕の中で静かに彼にを合わせた。

「先週、街で死にかけてる浮浪者の女性に出会ったんだ。」

「ええ―――――…?」

「放っておけなかったんで、体が回復するまで面倒を見ることにしたんだ。お父様達には内緒にしてるんだが―――――――………」

「お父様に内緒?」

 マーガレットはラルクが浮浪者を引き取ったことの是非より、その父にそれを隠していることを気にした様だった。


 ラルクは既に市政の多くにたずさわっており、充分に社会的な立場を築いてはいた。

 だがまだ跡を継いだ訳ではない。

 厳密に言えば、浮浪者をを引き取る物理的、経済的余裕は、ラルクが有している物ではないのだ。


 マーガレットは若い自分達の立場をわきまえていた。

 彼の父にそれを伏せておくのは、筋が通らないと思えた。

 ラルクもそれは分かっている。気まずそうに、青年はうなずいた。


「兎に角死にそうなのを放っておけなかったんだ。そう長い間にはならないつもりだから。元気に動ける様になったら、働き口を世話するつもりだ。」

「ラルク…。」

 マーガレットはなお賛同しかねるようだった。無理もない。ラルクも苦笑するよりない。心配させたくはなかったが、楽観的な話だけをするのは、嘘になってしまう。彼女に対して不誠実ではありたくなかった。

「まぁなかなか心を開いてくれなくて困ってるんだが……まだ名前も教えて貰えないんだ。丁度あそこに見える、彼女だ。」

 恋人の視線を追って、マーガレットは庭の一隅いちぐうに目を落とした。思いがけず美しい女性をそこに見つけて、彼女は少し驚いた。



 光をその身に絡め取る様な、美しい娘がそこにいた。

 娘は粗末な服をまとい、ゆるやかに波を打つ金髪も無造作に束ねているだけだったが、花壇のへりに腰掛けてじっとしている娘の姿は、まるで花の精霊の様だった。


 ラルクが彼女を連れて来てから十日の間、娘は日毎ひごと、更に美しさを増していた。

 頑固に肌にこびりついていた垢は毎日用意される風呂で徐々に落ち、折れそうな体の線からも病的な匂いが遠ざかり、適度な力が感じられつつある。削げ落ちていた頬にも女性らしい丸みが生まれ始めていた。


「綺麗な人!嘘みたい。」


 マーガレットが感嘆の声を上げた。

 疑念を抱かぬマーガレットの素直な反応に、彼女への信頼と誠意が益々強くなるのを感じながら、青年はただ無言でうなずき、庭にたたずむ女を見つめた。そして恋人達は同時に異変に気付いて、身を乗り出した。



 小さな犬が、猛然と庭の中を走って行く。

 

 トーラン家の飼い犬のうちの一匹だ。


 多くの花が植わっている邸のこの一画では犬を放さないことにしているのを、マーガレットも知っていた。

 

 逃げ出したらしい小さな犬は、嬉し気にしっぽを激しく振りながら、飛ぶ様に駆けて行く。

 

 6、7歳位の女の子が、必死にその後を追っていた。

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