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「ここに来たのは、それもあったのです」
僕はネイに連れられて、まずはギルドに登録することとなった。登録には身分を保証するものが必要なようだった。でなければそこらの犯罪者の隠れ蓑として使われてしまう。ただ今回は、ネイとアメリアという強力なバックアップもありつつ、かなり簡素的なやり取りで登録が進んだ。
「トキトウカナメ様……。はい、ではライセンスを発行しますので、利き腕を出してください」
「こうか?」
腕を出すと、肘までまくられ、手のひらを上にするようにしてカウンターに載せられる。その手首に受付嬢は自分の手のひらをかざすと、目を閉じた。
「契約の神ミュシモーよ。古き契約にもとづき我が願いを叶えたまえ。この者に、契約印を授けよ」
受付嬢の手のひらが発光し、その光が僕の手首に吸い込まれると、ピリッとした痛みに身体がビクついた。注射をされるのと同じような感じだ。
「終わりました」
手首には、見たことのない独特な紋章が、押し印のように現れていた。それはイレズミとは違って、紋章の形に皮膚がくぼんでいた。
「これが……ライセンスか。これっであれか。ステータスとかいえば、能力値とかが見えるやつだな」
なにも表示されない。ネイたちをみると、頭の上にハテナが浮かんでいるのがみえた。
「あ、そういうのない世界なんですね……わかりました」
「一度聞いてみたかったんだが」
とアメリアが口をひらいた。
「転生者は必ずといっていいほどそれをやってガッカリしているようなのだが、なにかの儀式かなにかなのか?」
僕はどこかにいる転生者たちを思った。
「いや、今のは見なかったことにしてください……」
この世界のルールはだいたい見えてきた。
想像していたいわゆるゲーム設定的な世界とは、だいぶ違うようだ。
ステータスはないし、レベルもない。死んだら生き返らない。それに転生者もたくさんいるらしい。
なんの変哲もない、世界が変わっただけの現実だ。
ただ、魔法はある。
「で、使い魔は、どうやれば回復するんだ?」
ネイに尋ねると、あっち、とギルドの奥を指差した。右側にはカウンターがあり、左手には冒険者同士が交流するための酒場がくっついている。ちょうどその真中を突っ切るように通路があり、看板が下がっていた。
その文字を僕は読めた。
「『回復屋』?」
「そこで魔力を回復します。使い魔は術者の魔力を貯蓄することで形を維持しています。でも術者が持っている魔力は普通そんなに多くなくて、使い魔が形を取り戻すためにはだいたい一日や二日はかかります」
「確か、そんなこと前もいってたな」
ネイはうなずいた。
「『回復屋』は、術者の魔力を一時的に増強させることで、使い魔の貯蓄をはやめるところです。ここなら、すぐに使い魔は戻ってきますよ」
「へえ」
バッテリーの急速充電のような感じか。ずいぶん便利な施設があったもんだ。
「いいじゃん。さっそくやろう」
ネイがギルドのカウンターで受付をする。傍目にみても、明らかに大量の金を出しているのに、僕は驚いた。
「もしかして、すごく高いのか?」
アメリアに尋ねると、彼女はニヤニヤしながらうなずく。
「そうだ。お前程度の奴が受けられるものではない。だが、せっかくの機会だ。しっかり回復してこい」
僕は促されるまま看板の下をくぐると、薄着の白いひらひらの服をきた女の子が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませー。さあ、どうぞ!」
女の子は僕の手を遠慮なくつかむと、その腕を抱きかかえるようにした。
胸が容赦なく腕にあたり、僕の頭は急速に熱くなった。
「え? なに? ここ、そういうところ?」
「そういうところですよー」
女の子は明るくいいながら、僕を店の奥にぐいぐい引っ張っていく。
すっかりのぼせた僕は、鼻の下をのばしながらついていったが、店内の角を折れたあたりで、奥のほうから叫び声が聞こえて、一気に縮んだ。
「……え?」
叫び声は尋常ではない。耳をすますと、しきりになにかいっているように聞こえる。
「あ、あの……?」
女の子は叫び声など意に返さないように、僕の腕を抱きかかえたまま引きずっていく。反発する僕などおかまいなしだ。
「あちらの部屋ですからねー」
叫び声が聞こえてくる部屋の前を通り過ぎるとき、室内から「やめて。許して」と嗚咽するような声がして、僕は泣きたくなってきた。
「な、なあ。お嬢さん? こ、これやばいやつだよね? なにするところなの、ここ?」
女の子はニコニコしながら、僕の顔を見上げた。
「だから、『そういうところ』ですってー」
「そういうところって、どういうところなのよ!」
僕はまったく混乱して、逃げ出そうとしたが、想像以上に女の子の力は強かった。腕をがっしりと掴まれ、まったく抜け出ることができない。しまった。このために腕を組まれていたのか。
気がついたときは手遅れだった。
空いた部屋に引きずりこまれると、そこには頑丈そうな椅子が固定された状態であった。ご丁寧にも拘束するためのバンドもあった。部屋には天井まで届く木製の棚がいくつもあり、色とりどりの液体が入った瓶がずらりと並んでいた。何事もなければ『綺麗』で済むような光景だったが、この状況でこれだけのものが並んでいると、考えられる可能性はひとつしかない。
「この薬を、僕に飲ませるのか……?」
椅子の前にいた白衣の男が振り返った。メガネが光を反射して不気味に光っている。
「君、はじめてにしては察しがいいね」
カルテのようなものを手にとり、ふむふむ、と読みこむ。
「カナメ君。私は回復屋の主人をしているカナタ・トシという者だ。私の両親は、君と同じ転生者だったんだよ。だから大丈夫。心配はいらないよ。死ぬわけじゃないからね」
なにが大丈夫なのかわからない。
僕は半ば羽交い締めにされながら椅子に拘束される。
「せ、先生。これからなにをするんですか……」
僕の心臓はつぶれそうなほど高鳴っていた。
「ふむ。そうか。はじめてだと不安だよね。そうだ。目隠しをすれば怖くないよ」
「はあ?」
いうがはやいか、カナタは僕に手早く目隠しをして、なにもみえなくした。
文句をいおうと口をひらこうとした瞬間、なにか金属製の硬いものが口にねじこまれ、開いたままになる。
「これから君に、いくつか薬を飲んでもらうよ。なあに、飲み薬だから。全部飲んでね」
やめてくれ、といおうとしたが、無理やりあけられた口から出たのは、意味不明な言葉だけだった。
「じゃあ、ひとつめいくよー」
冷たい液体が口の中に流れこんでくる。
あ、意外においしい。
なんというか、いちごシロップに近い。
「いいよいいよー。次いくよー」
これなら全然ウェルカムだ。次に流されてきた液体は、メロンシロップのような味。いいね。ちょっと甘ったるすぎて、炭酸で割りたい気分。
「次が最後だよー」
最後は何味だろう。流されてきたものは、甘酒のようなどろりとした感触。無味。
ちょっとがっかりしつつ喉を伝うのを感じていると、突然、舌が猛烈な熱さを持ちはじめた。
「へんへい、ひはがあういへす」
「はい?」
カナタが口輪を外してくれた。
舌が熱い。それはみるみる喉のほうに伸びてくる。
やけどとかとは違う。まるで炎を飲みこんで、その熱さにあぶられ続けているような感覚。
「やばいやばい。熱っ! なにこれっ!」
「その薬はね、三つが合わさって効果が出てくるんだよ。大丈夫。死にはしないから」
熱さは喉をつたい、肺のあたりを通って、胃に落ちこんでいく。
僕は身悶えした。のたうちまわりたかった。どこかに全身を打ちつけて、少しでも痛みを分散させたかった。
自分でも信じられないほど、獣のような叫び声を出しながら、椅子を破壊できるのではないかと思うほどの力で拘束具を引きちぎろうとしたが、まったくびくともしない。
頭の中が沸騰したかのようにぐちゃぐちゃになる中、一部だけがおそろしく冷静に、隣の部屋で聞こえていた声の意味を理解していた。
心臓のあたりが爆発しそうなほど熱くなり、そのままみぞおち辺りがメルトダウンするのではないかとすら思えた。
しかしきついのはそこまでだった。心臓の熱さに気を取られているうちに、いつの間にか舌や喉の熱さは消えていた。ただただ胸をかきむしりたい一心で身体をもだえさせているうちに、その熱さはうそのように消えてしまった。
「……え? うそだろ……」
代わりに、活力にも似たものが残っている。それが急速に固まり、身体から抜け出して形をつくると、明るく発光して猫の形をとった。
「す、すごい効果だ……」
カナタは笑いながら拘束を解いてくれた。
「あらかじめいっておきますが、トイレはあちらです」
「はい?」
いっている意味はすぐに理解できた。急激な腹痛と便意。
僕は転がるように部屋をでると、トイレに駆けこんだ。
すごい! この世界のトイレは僕たちの世界とほとんど一緒だ! などと喜ぶ間もなく、全身の体力を消耗する勢いだった。
げっそりして戻ってきた僕に、カナタは笑ったままいった。
「過去の転生者のおかげで、トイレはかなり現代風にしているんですよ。トイレと食事に関しては、どの世界の住人も貪欲ですからね」
「あの……」
すりよってくるともぞうをなでながら、僕はカナメに聞いた。
「転生者って、どれだけいるんですか?」
「たくさんいるよ。そこら中というほどでもないけど、数年に一人くらいのペースかな」
「その人たちって、今なにをしているんですか?」
ああ、とカナタはいった。
「来たばかりの転生者は、だいたいそれを聞くみたいだね。昔転生者だった父がいってたよ。この世界にきたのは、なにか理由があったんじゃないかって。なにか使命があって、それでここに送られてきたんじゃないかって。でも、父は結局母と結婚して、私を産んで、それだけだった」
「なにもしなかった、と?」
「最後まで生きた、という点においては、したといえるだろうね。元々いた世界では志半ばで死んじゃったらしいからね。そういう人はたくさんいるよ。なんていうんだろうね、天啓とか、啓示とか、そういうのがくるのをひたすら待ってるんだ。それでそのままなにもしないですごす人たち」
「……」
僕はなにもいえなかった。それを察したのか、カナタは明るくいった。
「さ、君はやることがあるんだろう。治療は終わったから、もういってもいいよ」
「ありがとうございました」
受付嬢にうながされて回復屋から出た僕は、食事をしていたネイたちと合流した。