魔法使いとの対決
どういう理屈によるものなのか、はるかに素早いはずの僕の動きを、魔法使いは完全に察知しているようだった。しかし魔法使いは僕のことを完全に見くびっている。もしかしたら、ただの養分としか思っていないのかもしれない。
それなら逆に好都合だ。
気がつく前に終わらせてやる。
僕は音速を超える速度で黒球に接近すると、対象を絞った。
「時任要の名において命じる。時よ、戻れ!」
黒球が想像を絶する反発をはじめた。目に見えるほどの魔力の光り輝く奔流を、底なしの勢いで飲み込みはじめたのだ。
「ぐくっ……」
僕は骨が折れるのではないかと思われるほどの圧力を感じた。分厚い魔力の壁で黒球を何重にも包みこみ、無理やり時計の針を逆回転させる。その針の重さといったら、溶接された鉄を折るようだった。
(…………よしっ)
戻した。一秒、黒球の時間を戻すことに成功した。
一秒戻す力の感覚を得た僕は、それを数万倍に増強した。全身の血管が脈打ち、はちきれんばかりに膨らむ。頭が沸騰しそうだった。
黒球は球体を保っていられなくなり、ドロリとした不定形な物体になる。ほんのわずかな――現実でいえば、1秒もかかっていない――間で、黒い物体はドロドロに溶け小さくなり消えた。
なにかが割れる澄んだような音とともに、なにかがはじけた。
そのときの衝撃で、僕ははじき飛ばされた。
魔力のほとんどを使い果たしたのに加えて、全身の血管が破裂して血まみれになっていた。僕はきりもみしながら広間の壁に叩きつけられたが、痛覚が異常をきたしているのか、痛みも感じなかった。
「カナメ!」
ネイが駆け寄ってくるのがわかったが、視界がぼやけてよくわからない。アメリアが僕の前に立ちふさがって、剣を構えた。
「無事か!?」
「な、なんとか……」
ネイが回復魔法を使おうとする痛みに恐怖を感じながら、グッと堪える覚悟を決めた。
「やったのか?」
僕はアメリアを見上げながら言った。
「……奴がいない」
アメリアは警戒しながら言う。
「黒い球は消した……それで魔力はなくなったはずだ」
ネイが回復魔法を唱える。とたんに激痛が全身を襲う。
「う……が……あ」
魔法使いと戦っていたときよりはるかに痛い。死ぬほどの痛みにもだえること数秒。破れていた皮膚は元通りになっていた。
痛みが引くと頭が冷静になってきた。
「……ネイ」
僕は、一仕事終えて息をつくネイに声をかけた。
「はい?」
「術者が死んだら、使い魔は消えるのか?」
「はい。そうですね」
僕は大急ぎで起き上がると、自分の魔力残量がどれほど残っているか調べはじめた。
「ど、どうしたんですか?」
「ダンジョンはまだ残っている。ダンジョンが魔法使いの使い魔なら、残っているのはおかしいだろ」
「あっ……」
二人はようやく気がついたようだ。
魔法使いはまだ生きている。
だが、何百年もかけてため続けた魔力は失ったはずだ。
そのとき、広間全体が鳴動しはじめた。全体が徐々に軟化し、石造りの床がぶよぶよの柔らかな触感に変わっていく。
見た目もグラデーションを描くように赤みがさしていき、表面にあわぶくのようなものがいくつも浮かんでくる。
みるみるうちに、石でできた広間だったところは、不気味な、まるで巨大な体内にいるかのような場所に変貌していった。
「な、なんだこれは……」
考える間もなく、広間の感覚が狭まってくる。出口に繋がる通路は閉じてしまっていて、完全に閉じ込められてしまっていた。
「まさか……こいつが本体だったのか?」
「え?」
「ダンジョンは使い魔じゃなくて……ダンジョンこそ、魔法使い自身だったんじゃないか?」
「そ、そんな馬鹿な……」
今まで魔法使いの体内を徘徊していたなんて、想像しただけで吐き気がしてくる。しかし状況としては、そう考えるのが一番合理的に思えた。
「魔法大戦にやぶれて、地下に逃げた魔法使いたちが、巨大なダンジョンを生み出せるほど魔力が残っていたとは思えない……むしろ自分自身をダンジョンに変えて、入りこんできた奴らを食って魔力を吸収していたのだとしたら……」
そして徐々に魔力をためながら、拡張していく。腹いっぱいになったところで広げた体内を閉じていき、元の姿に戻る――。
ダンジョンを破壊するか?
魔力回復薬はまだあった。これで回復して、ともぞうの時間を巻き戻せば、膨大な魔力を回復させることは可能だ。しかし、そのあとどうする? ダンジョン全体を風化するまで加速させるか? それとも生まれる前まで巻き戻すか?
いや、ダメだろう。
ダンジョン全体を範囲にしたら、どんなに魔力があってもとても足りない。それに今、この状況は、かつてないほど魔法使いを追い詰めているのは間違いない。ここでリセットするリスクはあまりに大きい。
そんなことを考えている間も壁が迫ってきている。アメリアが何度斬りつけても、血しぶきが出るだけで止まる様子はない。氷柱を突き刺したところで貫通しない。どれほど厚みがあるのか、まったくわからなかった。
この状況にあっては、時間を巻き戻すしかない―」僕はそう覚悟を決めて、魔力回復薬の蓋を開けた――と、そのとき。
僕は唐突に、ダンジョンが魔法使い自身だという考えの有効な解法がひらめいた。
「ネイ、回復魔法だ」
「え?」
僕はネイに回復薬を押しつけた。
「ダンジョンに回復魔法を使うんだ。ありったけのやつを」
「え? え?」
ネイはわけがわからないといった様子で、僕を見返している。
「ダンジョンに? 回復を……ですか?」
言っている僕自身もはっきりと理由があったわけではない。焦った頭の中で狂った結論を出しただけなのかもしれない。しかし、ダンジョンが魔法使いの肉体なんであれば、回復魔法は効くはずだ。
回復魔法は細胞を活性化させる。今や肉の壁となったダンジョンになら、回復魔法はダイレクトに影響を与えるはずだ。
「はやく!」
ネイはわけもわからず回復薬を飲み飲むと、あまりのまずさに涙目になりながらもなんとか飲み下し、ぶよぶよの肉に両手を添えた。
「癒やしの神メタティネスよ。古き契約によりネイ・ローイックの願いを聞き届け給え。かのものを癒やし給え!」
広間を構成していた肉塊が、悲鳴にも似た鳴動をした。
壁面のあらゆるところが裂けたり結合したりしながら、極太の骨を何本も折るような鈍い音があちこちから響く。そのたびにダンジョンは痛みにもだえるかのように震えた。
床が盛り上がり、天井に穴が開く。僕たちは跳ね除けられるかのようにそこから外に飛ばされた。
空があるはずの場所は、ダンジョンの入り口であった。僕たちは転がるように出て、ダンジョンの口が圧縮されるように閉じていくのを見守った。
僕はネイの使い魔であるカイの時間を巻き戻し、彼女の魔力を事実上無制限に使えるよう維持に努めていた。そのおかげか、彼女はダンジョンが完全にふさがって肉の塊になるまで魔法を維持することができた。
回復魔法が途切れたあと、かつてダンジョンがあった先には、見上げるほどの高さがある赤く熟れた肉塊だけがあった。
それはもはやかつての威圧感のあるものではなくなっており、意志も感じられないただの塊になっていた。
警備兵たちが恐る恐る近づいて槍を刺してみると、塊はビクリと震えるだけでそれ以外の反応はない。勢いづいた彼らは、斧や剣を手に次々と切りかかり、肉塊を細切れにしていった。
こうして、ダンジョンは文字通り解体されたのであった。




