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 通路の幅は人二人が手をひろげられるくらい。高さはそれと比べるともう少し低い。青みがかったレンガで補強された壁は、見事に四角形の通路を作っている。どこもかしもがボロボロで崩れかかっていた。だいぶ昔に作られたものらしい。


 天井の石造りは床や壁と違って巨大な天然石が屋根のように重ねられているためもう少し頑強そうだったが、壁が崩れれば一緒に落ちてくるのではないかという考えが、逆に不安にさせた。


「ニャア」


 足元で声がして反射的に見ると、ともぞうがいた。


 僕は声を出せないほど感動して、ともぞうを抱き上げた。ともぞうもまた青白かった。ほのかに発光している。そして気がついた。その光が通路を照らし出していたのだ。


 気分が落ち着いてくると、僕はようやく周囲を観察するだけの冷静さが戻ってきた。


 それとともに、通路内に立ちこめる匂いに気づいた。不快感というよりは嫌悪感をもよおすこもった匂い。とんでもない古びたかびくささの中に、なにか入れてはいけないものを煮詰めたような「天然吐き気成分満載」のすっぱいものと、生ものをそのまま放り出したような湿り気。それに加えて、明確にわかる血の匂い--。


 僕は前後を見回した。


 ともぞうの光がとどく範囲はせまい。すぐに闇に溶け込んでしまっている。視認性はせいぜい五メートルといったくらいか。


 僕は照らすものがないかと自分の身体をさぐってみて、おや、と気がついた。


 裸だ。


 まごうことなき裸。


「え? なんで?」


 おかしいだろ。なんで裸なんだ。


 これじゃ変態だ。


 しばらくの間、僕の脳内は疑問符しか浮かばなかった。


 と、不意に遠くでなにか聞こえた気がした。


 鳥肌が逆立つ。僕は反射的に姿勢を低くした。


(なんだ……?)


 全身を耳にして、通路の先に神経を集中させる。ともぞうが僕の膝によじのぼったせいで、光が遮られ、闇がより一層濃くなった。


「……」


 聞こえる。かすかに。


 悲鳴? いや、というよりは雄叫びに近い。断続的に響く金属を打ち鳴らすような音。


 なにをしている?


 いや、想像はつく。


 男の見せた紙に書いてあった。「剣と魔法の世界」だと。この通路の作りは、僕の見立てが正しければダンジョンだ。つまり僕はダンジョンの中に素っ裸で現れたのだ。そして先から聞こえるこの音は、おそらく戦闘音。


 誰かが戦っているのだ。なにかと。


 先程から漂っていた血の匂いは、まさに正面の通路の先から濃厚なものが流れ込んできていた。


「……!」


 騒々しい音がひとしきり止むと、通路の先から圧力を感じる一迅の風が吹き込んできた。まるで空気が押し出されてきたかのような。


 声する。


 泣き叫ぶような声。高い。たぶん女性だろう。


 それが近づいてくる。


「うそだろ……」


 僕は立ち上がると、後ずさりした。


 来ている。確実にこちらに来ている。


 女性の声はしきりになにか叫んでいた。


「……て!」


 それが徐々に理解できる言葉になっていく。


「た……けて!」


 その意味を了解する前に、僕は背中をむけて走り出した。


 頭の中で(なせ助けないのか)という言葉が半鐘のように響く。


 助ける?


 なにをバカなことを。


 裸の人間になにができるというのか。


 それに僕はまだこの世界のことをなにもしらないのだ。


 情報がない中で動き回るのはあまりに危険。自分の身を危うくさせる。


 つまりここは逃げるのが一番賢い選択だ。


「ニャア」


 ともぞうが腕の中で鳴いた。


 僕の足が徐々に遅くなると、止まった。


 自分でも不思議な気持ちだった。リスクが高すぎる。でも、ここで立ち止まらなければならない気がした。


「そうさ。ともぞう」


 僕はともぞうをおろしながらいった。


「この先、道がどうなっているのかもわからない。道はわかれているだろうし、もしかしたら落とし穴とかあるかもしれないだろ。だから、中を知っている可能性のある人と一緒にいたほうがリスクは低いんだ。今の僕の目標は、このダンジョンから出ること。なら、その実現性の高い可能性を選ぶべきなんだ」


 そうさ、そうだ。リスク計算をすればわかる。こっちのほうがリスクは低い。


 僕は振り返ると、自分の手を見つめた。


「ともぞう、魔法を使うぞ」


「ニャア」


 ともぞうの発光が強くなる。


 その光が僕に流れ込む感じがする。まるで霧を払うように、脳裏にある種のイメージが浮かんでくる。それが形をつくって、一連の文字になっていく。


(これが魔法……呪文か……)


「ともぞう、光を強くして通路の先を照らすことはできるか?」


 ともぞうは身震いすると、毛を逆立てるように発光を強くした。視認距離が二十メートルほど先まで一気に伸びる。


「た、たすけて!」


 暗闇の先から切迫した声がする。


「こっちだ! こっちにこい!」


 風圧が強くなってくる。それにまじって生臭い匂いも。


 光のとどく範囲に人影が入り込んできた。


 ローブだろうか。足首までとどく生地は股下のところで割れていて、走るたびに大きくまくれあがっている。その上からマントのようなものを羽織り、フードで顔を覆っている。背丈をこえる大きさの杖を手に持ち、必死に走っている。


「たすけてください!」


「はやくこい!」


 僕は驚愕した。この子。恐ろしく足が遅い。


 必死に走っているのはわかる。だがみるからにトロい。


(よし)


 僕は脳裏に広がる魔法のリストから、ひとつ選んだ。


「これが僕のファーストマジックか」


 手の平を女性に向ける。ともぞうから流れてくる魔力が激しさを増し、光量が落ちた。


「時任要の名において命ずる。時よ、加速せよ!」


 女性の足が青白く輝いた。と、その瞬間。女性の速度が百倍に跳ね上がった。


「たああああああ!」


 女性はこれまでとは別の悲鳴をあげながらテレポートしてきたかのように正面から僕に激突した。


 僕たちはからまりながらゴロゴロと転がる。


 僕は彼女を押しのけようともがいた。どこを押してもやわらかい。全身硬直する気持ちで、ごろりと転がした。


 今はこの程度でパニクっている状況ではない。彼女が走ってきた通路を注視する。


「ともぞう! 光を強く!」


 再びともぞうが明るさを増す。すると光と闇の境界線に、赤く光るものがひとつ出現した。その高さは天井ギリギリ。ためらう様子もなく光の中に踏み込んでくる。


 ガシャンと金属音が響いた。大人の胴体ほどもある足。そこから鳥のように逆関節に伸び、鈍い黄金色の胴体につながっている。胴の両側からは腕が四本ついていて、見るからに研がれていない、刃こぼれした曲刀を持っている。頭部には巨大なレンズのような目がひとつ。


 すべてが金属製で、体内からはしきりに機械的な動作音が響いている。


「な、なんだこいつは……」


 少なくとも最初に出会っていいタイプの敵ではないのは確かだ。


「た、たすけて……!」


 起き上がろうとした女性は、腰がぬけたように僕の足元にすがり、僕のほうを見上げて--硬直した。考えが頭に到達していないかのように目が点になっている。


「え……あの」


「いうな」


 いいたいことは痛いほど伝わってきたが、問答をしている余裕はない。


 機械仕掛けの敵は、狭い通路いっぱいを壁をこすりながら迫りくる。さすがに図体がでかすぎるためか、勢いはそれほどでもない。彼女の驚くほどの遅さでも逃げ切れたのは、ひとえにこいつがでかすぎたせいなのだ。


 しかし機械は、腕を全面に突き出して、粉砕機よろしく通路いっぱいに回転しはじめた。音速に達した音が恐怖感を増長させる。もはや刃こぼれしているとかどうとか関係ないレベルでやばい。細切れどころかミンチになる。


 さすがの僕もうろたえたが、足元にいる彼女は顔を涙でぐしゃぐしゃにして、悲鳴をあげることすらできなくなっていた。


(ここでやるしかない)


 やるといっても、倒せる保証はない。今の僕は、動きを止めることができればまずは上等だ。自分の能力を過信しすぎないことが肝心だった。


「時任要の名において命ずる。時よ、とまれ!」


 とたんに、機械の腕がピタリと止まった。すさまじい音がして、腕部がねじれ、その隙間からゼンマイやバネが飛び出てくる。前進しようとしていた身体は突然とまった腕に阻まれ、まるで壁で激突したかのようにぶつかって止まる。


 予想していた以上の効果だった。


(時魔法……やべぇなこれ!)


 俺はこの状況にも関わらず心が踊った。自分の力をもっと試したくなってきた。


 腕の時止めを解除すると同時に、今度は機械の右足……ちょうどスネあたりに狙いを集中させた。


「時任要の名において命ずす。時よ、加速せよ!」


 しかもただの加速ではない。秒ごとに数百年単位がかかるレベルにまで引き上げた魔法をかけてやった。すると右足首がボロリと崩れ、消滅する。


 風化したのだ。


 金属製の部位は、数百年の経過によってチリになったわけだ。


(予想通りだ)


 機械は支えを失って転倒する。これでやつの攻撃力と速力を失わせた。


 いける、いけるぞ。


「おい、君」


 僕はなにが起こっているのか理解できない様子の彼女に声をかけた。


「え?」


「こいつの弱点はどこにある。どうすれば倒せるんだ」


「え? あの……」


 彼女はうろたえた様子で視線をさまよわせた。


「あなた……なんで……」


「いいからはやく教えろ!」


 彼女はビクッとして、しろどもどろになりながら機械のほうを指差した。


「ど、胴体の真ん中にコアがあります。それを破壊すれば……」


 そこまで聞ければ十分だ。


 僕は狙いを起き上がろうとする機械の胴体に狙いを定めた。


「時任要の名において命ずる。時よ、加速せよ!」


 先ほどと同じ要領だ。やつの胴体が急速に劣化してボロボロと崩れていく。


「ニャオン」


 ともぞうが悲しげに鳴いた。ハッとしてみると、ともぞうが半透明になって消えかかっている。


「なっ!? と、ともぞう!」


 僕は慌ててともぞうを抱きかかえた。


「ともぞう! ともぞう! ど、どうして!?」


「使い魔が……魔力を使い切ってしまったんです」


 女性が力なくいった。


「し、死んじゃうのか!?」


「い、いえ、使い魔は消えても魔力が戻れば復活します。でも、その様子だとあと使えても一回しか」


「消えても死なないんだな!?」


 僕が叫ぶと、彼女はガクガクとうなずく。


(あと一回……十分だ)


 機械の胴体には丸い穴が空いていた。崩れた歯車の間に、赤く光る球形の物体が見える。


(あれがコアか)


 機械を停止させるためには、コアの動力を枯渇させればいい。しかし動力源がどれほど持つのかわからない以上、生半可な加速ではこちらが逆に危うい。しかも、ともぞうの様子から察するに、一回とはいえども範囲も威力も落ちるのは明白だった。


 やるからには、残った魔力を威力に全振りしなければならない。


 それなら--。


 僕は機械に向かって走り出した。ねじ切れた腕をくぐって胴体に肉薄する。


 胴体に腕をねじこみ、コアに手のひらを押し当てた。


「時任要の名において命ずる。時よ、加速せよ!」


 手にひらに接触している部分のみに限定した超加速。


 名づけて『超局地的時間加速(マキシマムハイペリズム・アクセレーション・零式)』とでもいったところか。


 加速によって本来数百年、いや数千年かけて供給されていたであろうエネルギーがいっぺんに全身を駆け巡り、体内の部品はその膨大な供給量に耐えきれず爆発した。


 僕は急いで機械のもとから転がり逃れると、小規模な爆発を繰り返して崩れ落ちるさまを見守った。最後の魔力を使い切ったことで、ともぞうは炭酸が蒸発するように細かな光の粒として消えていく。

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