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舞いあがった火の粉が髪の毛の先にあたって、焦げくさい匂いとともに消えていく。僕はそんなことを気にする隙もなく、倒れたリンに駆け寄った。
「リン! おい!」
氷と炎がぶつかりあい、砕けた蒸気が暴風雨と化して、雨が降りはじめていた。その風に煽られるように踊り狂う火の筋が、氷塊の中を血管のように貫いていく。
「う……ぐっ……」
リンが絞ったような苦しい表情で意識を取り戻す。
「ネイ! こっちだ!」
数歩先で固まっている法衣の背中に大声をかける。ふりかえったその顔は朱くほてっていながら、瞳は恐怖で凍りついていた。
突然天井の一部が崩れ、ネイの頭上に――。
「止まれ!」
僕はかろうじてそれの時を止めた。
「はやく! こっちに!」
ヨロヨロと歩いてくるネイを手繰り寄せるように近くによせると、その耳元に顔を寄せた。あまりの爆発音の連続で、耳が馬鹿になっていた。
「ネイ。リンを連れて、一度通路に出るんだ」
「そ、そんな……」
「リンは重傷だ。ここで魔法をかけても危険なだけだ。一度安全圏まで下がってから、様子を見つつ回復させるんだ」
「は、はい」
僕はネイの肩を叩いた。
「頼んだぞ」
うなずく彼女を置いて、僕は本題に振り返る。
アメリアはドラゴンにすきを作るため、細い氷柱を何本も撃ち出していた。その彼女に襲いかかる巨大な前脚を、ガデムが体全体をおおうほど巨大な盾で受け流す。その盾には、鋭い爪の跡が何筋も彫りこまれており、角は欠けはじめていた。
二人の連携は見事だったが、それも限界を迎えつつあるのは明らかだった。
ハヤトが僕のところへ駆け寄ってきた。
「ダメだ。あいつ、自分の弱点をわかってる。腹を晒そうとしない」
「わかってる。第二プランでいく」
「へっ。ついに俺の出番か」
ハヤトがドラゴンの背後に回るように駆け出すとともに、僕もまた、アメリアたちのもとへと走りだした。
――持ちこんだ魔法回復薬は残り二本。
地響きを立てながら動きまわるドラゴンをかいくぐり、ガデムが爪を弾いたすきをついて、一気に駆け出す。
「第二プランでいく!」
僕はそう叫びながら、回復薬の一本をアメリアに放り投げた。その瓶の蓋を一閃して開けたアメリアは、空いた手で受け取りざまに口へ流しこんだ。
「うえっ……まず」
「いけるんですか?」
ガデムが切羽詰まった声を出した。
「ハヤトが背後にまわりこんでる。影縫が成功したら、あとは僕がやる」
「奴の尻尾にあたったら一撃ですよ」
「わかってる! なんとかひきつけてくれ」
アメリアが口を拭った。
「カナメ。いけるのか?」
「回復薬はもう一本ある」
「……やれるのか?」
「やるしかない。手持ちの駒はこれで終いだ。もうひと踏ん張り、なんとか頼む」
二人はうなずいた。
「影縫が成功したら、お前たちはすぐ通路に後退する……」
言い終わる前に、アメリアが僕を突き飛ばした。
(くっ……!)
僕は転がりながら態勢を整える。見ると、先ほどまでいた場所が爪でえぐられていた。
視界の端で、ハヤトが天井にはりつくのか見えた。
――今だ!
「アメリア!」
「アウカよ! 我に力を! 《重氷塊連撃》コキュートス・エグゾレイ!」
巨大な氷柱が何本も地表から突き出し、ドラゴンの喉元に殺到する。それを察知していたかのように、ドラゴンは怒涛の勢いで炎の奔流を解き放った。
氷の壁に炎がぶつかり、室内が白色に包まれる。
その空間に、各々の影がくっきりと形作られた。
ハヤトがひらりと天井から離れる。落ちていく先は――ドラゴンの影。
「マルフよ! 我が願いを叶えたまえ! 《影縫》!」
そのまま短刀を影に突き立てた。
その瞬間、ドラゴンの動きがピタリと止まった。
――今だ!
僕はドラゴンに向かって突進した。痙攣する前脚を乗り越え、懐に潜りこむ。
間近だとよりドラゴンの巨大さがわかって、改めて身がすくみそうになる。
僕はドラゴンの肌に手を押しあてて、その冷たさに驚いた。あれだけ炎を撒き散らしているから熱いのかと思っていたが、まったく見当違いもいいところだった。
(だからアメリアの攻撃にも耐えられたのか)
僕は意識を魔法に向けようとした。と、そのとき、ハヤトの悲痛な声がした。
「カナメ! もうダメだ!」
(まじかよ)
数秒しかもたないのか。
僕はとっさに瓶をつかむと、ハヤトのほうに放り投げた。
「そいつを飲め、ハヤト!」
そして僕はアメリアたちにむかって声を張り上げた。
「逃げるぞ! 急げ!」
僕は返事を待たずハヤトのほうへ駆け出していた。
彼はドラゴンの影にダガーを突き立てたままの姿勢で、まさに瓶の中身をゴクゴク飲んでいるところだった。その額には玉のような汗が浮かんでいる。
ドラゴンがわずかに動きかかったのが、再びピタリと止まった。
しかしこれもわずかな間しか持たないだろう。
僕とハヤトの間は、少なく見積もってもだいぶ距離があった。彼が魔力のほとんどを使い切ったあと、その体を引きずってドラゴンの攻撃をかいくぐれるとはとても思えなかった。
(もっとはやく……!)
そのときふいに、僕の脳裏にネイが思い浮かんだ。彼女との最初の出会いのとき、自分がとっさに行ったことが天啓のように降ってきた。
(そうか!)
僕は自分の中に魔力を広げた。
「加速!」
突然、周囲のすべてが遅くなった。
僕の全身だけ、ほかよりはやくなっている。身体機能だけではない。脳の認知機能も加速していることで、状況を冷静に見ることができた。
やたらと床が滑る中、体感時間としては十秒足らずといったところでハヤトのところまでたどり着いた僕は、ほとんど氷の上にいるかのようにツーっと滑って行き過ぎてしまい、さらに同じくらいの時間をかけてなんとか戻ってきた。
ハヤトは僕のことに気づいているのかいないのかよくわからない顔で、かつて僕がいた方向を見つめたまま動かない。
僕はハヤトを持ち上げようとしたが、重くてとても持てない。少し逡巡してから、彼にも僕と同じ魔法をかけることにした。
彼の頭に手をあてて、魔力を全身に流しこむ。
「加速しろ!」
「うおっ!」
ハヤトが素っ頓狂な声をあげた。僕は耐えがたい倦怠感がじわじわと全身に広がりつつあるのを感じて焦りを感じた。
「ハヤト。行くぞ」
「な、なんだこれ!」
「はやくこい!」
ハヤトの首根っこをグイッと引くと、僕たちは連星のようにくるくる回りながら、スケートリンクのように滑りはじめてしまった。
「やばいやばい! すごく気持ち悪い!」
僕は通路のほうにむかって必死に足をかいたが、ツルツルと滑ってまったく効果がない。
「少しは手伝え!」
怒鳴ると、ハヤトはようやく気がついたように周囲を見渡すと、おもむろに持っていたダガーを地面に突き刺した。それが杭のようになって、やっと踏みとどまることができた。
ハヤトはダガーをオールのように操って、スイスイやりだした。
二人の外では、影縫から解き放たれたドラゴンが、目を凝らさなければわからないほどゆっくりと動きはじめていた。
(こいつは……使える……)
僕はドラゴンのあまりのトロさに驚き、これならたやすく倒せるのではないかと夢想した。しかし今はダメだ。気だるさが限界に達しつつある。このまま倒れたら寝てしまいそうなほどの疲労感が、徐々に体の自由を奪いつつあった。
二人は体よく通路にすべりこむ。
そのままツイッといくと、すぐ正面にほとんど止まっているように見えるアメリアとガデムの走る後ろ姿に追いついた。
その頃には僕の疲労は極致に達していて、話すこともできなくなっていた。なんとかハヤトの肩を叩いて知らせたつもりになって、そのままの勢いで魔法を解除した。
すさまじい破裂音と衝撃で、僕は失いかけていた意識を取り戻した。前を走っていた二人もそれに巻きこまれ、四人揃って吹き飛ばされる。
「いっ……てえ……」
僕は壁にしこまた体をぶつけて、呼吸が止まった。
痛みと疲れでわけがわからなくなっていた。立ち上がろうとしたが体がおそろしく重く、頭もボーッとしていた。
「な、なんだったんですかね……」
ガデムが身を起こし、砂埃の舞う通路を手で払いながら言った。
「わからん」
アメリアはドラゴンのいた部屋を警戒しながら踏み出そうとして、その足元に転がっていたハヤトにつまずいた。
アメリアはギョッとして、引きつった顔で軽くその体をつま先で小突いた。
「……やめろ」
ハヤトはうつ伏せのままつぶやいた。
「なぜお前がここに……」
「カナメの魔法だ。身体が痛くて動かない。あっちにカナメも転がってるはずだ。引きずっていってくれ」
ガデムが見にきて、ようやく僕も発見される。




