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僕に直撃する寸前で、炎は壁のように硬直する。
しかし全体を止めたわけではない。炎のごく表面だけの時間を止めることで、魔力を極限まで節約する。絶え間なく続く炎の奔流は、自身が構築する炎の壁に衝突して左右にわかれ、部屋全体に広がる。僕は魔力を調整して範囲を広げ、広がった炎でさらに壁を作っていく。
その背後では、累積していく炎によって灼熱に拍車がかかり、ダンジョンを形作っている石材が溶けはじめた。
(こいつは……本物の化け物だ)
桁が違いすぎる。このままでは数分も持たない。作戦を切り替える必要があった。
しかし身動きができない。魔力が枯渇すれば即死。魔法を解除しても即死。
僕は集中力を切らさないよう、慎重に通路のほうへとゆっくり移動していく。
とにかく集中し続けるのが難しい。少しでも歩くと、止められている炎があちこちほころびが出てきて、猛烈な熱風が吹きつけてくる。目の前に迫る炎壁の色は、もはや黄色から青色に変わりつつ会った。どう考えても尋常な熱量ではない。
じりじりと通路まで後退できた僕は、魔法の範囲を徐々に狭めていく。ちょうど通路を塞ぐ程度まで有効範囲を縮めたことで、だいぶ楽になった。
余裕ができたぶん、後退の速度をはやめる。
(このままいけば、逃げ切れる……)
そんな気持ちを見透かしたかのように、急に圧力が消えた。
僕はいいしれぬ不安を感じて、集中力が途切れるのも構わず、駆けはじめた。
魔力の穴が空いたところから、熱風が吹き込んでくる。その隙間から、粘質性のある液体へと変貌した泡立つ赤いドロドロの中で、ドラゴンが不思議そうにこちらを見ていることに気がついた。
天井から雨のように溶けた岩が垂れ落ち、ほとんど肩まで浸かるほど全身をマグマに覆われていながら、ドラゴンは平然としている。
その溶けたマグマが、溶けたチーズのような遅さで足元まで迫ってきていた。
僕の判断ははやかった。
取っておいた魔力回復薬を胃に流しこみつつ、魔力範囲をマグマ全体に広げる。
(遠距離じゃダメだ)
すべてを時間調整に注ぎ込まなければ足りないと踏んだ僕は、ふと足元のマグマが目にとまった。
「時任要の名において命ずる!」
僕は魔力でくるんだ手をマグマに突っ込んだ。
「時よ、加速せよ!」
魔力がマグマの中を伝う。
バキバキと音を立てながら、伝播とともにマグマが凝固していく。その流れがドラゴンの元まで伝わると、魔物の動きがピタリと止まった。全身マグマをかぶっていたのだ。それが瞬間的に固まったことで、身動きが取れなくなったのである。
黒曜石のように結晶化した室内で、ドラゴンの目だけがギョロリと輝いている。
僕は時を戻したマグマから手を引き抜いた。ダメ元で手の周囲の時を止めていたおかげで、火傷も怪我もない。
(逃げるなら今しかない)
しかし足が動かない。明らかに魔力を使い切っていた。
動悸が激しい。焦りと不安、それに疲労感から足が震える。
足を前に踏み出そうとして倒れた。
腕で這いずろうとするが、身体が鉛のように重かった。
視界が暗くなってきて、意識が飛びそうになる。
(やばい……死ぬのか、僕は……)
そういえば、魔力を使い切ったらどうなるのかを考えていなかった。
(でも、まあ、一人の犠牲でほかの皆が助かったのなら、差し引きは得だっただろうか)
これだけ時間稼ぎをしたのなら十分だ。僕は内心満足して--意識を失った。
※ ※ ※
気がつくと、僕はベッドで横になっていた。
マットレスは固く、身動きしようとすると身体がバキバキに固くなっていて、思わずうめき声が出た。
するとドアが開き、ハヤトが顔を覗かせた。
「おう。よかった」
そのまま部屋に入ってきたハヤトは、ベッドの横にある丸椅子に腰掛けてため息をついた。
「無茶な奴だよ、お前は」
「皆は、無事だった……んだよな?」
ハヤトは苦笑いを浮かべた。
「まず自分の心配をしろよ……無事だよ。もちろん。お前のおかげでな」
「僕は……どうやって?」
「俺が助けにいったんだよ。感謝してもらいたいね」
「……まじで助かったわ。本当に死ぬかと思った」
だろうな、とハヤトはニヤリと笑った。
「ドラゴンはどうだったんだ?」
「まだいたよ。お前がどうやったのかは知らんけど、鉄の固まりみたいな中でもがいてた」
「……よかった」
僕が安堵の息を吐くと、その腹をハヤトが叩いた。
「よくねーよ。お前、一週間も寝てたんだぞ」
「まじか……」
そして、ハッとした。
「てことは、蘇生できてないもう一人は?」
「それだよ。お前、はやく蘇生してもらわないと困るんだけど」
「いや、困るって……く、腐ったりとか」
「ああ、それはガチガチに凍らせてるから大丈夫」
よかった、と思いかけて、全然よくないことに気がついた。
「でも僕の魔法って、時間を巻き戻すから、腐ってるかどうかとか関係なかったわ」
戻す時間が長くなるぶん、凍ってようが腐ってようが関係ないのだ。
「蘇生できそうなのか?」
「魔力が持てばね、たぶん」
「それに関しては心配するな。魔力回復薬を何十本も揃えた」
「えぇ……。確かにそれならできるかもしれないけど……」
あのクソまずい薬を飲みながらやるのは、相当きつそうだ。
「ただその代わり、ちょっとお前には見世物になってもらわないかん」
「……ん? どういうこと?」
ハヤトの言った意味は、遺体を安置しているというダンジョン前まで行くとすぐにわかった。
『蘇生できる』という噂を聞きつけて、驚くほどの群衆が取り囲んでいたのである。
僕は完全にビビってしまい、遠目でそれが見えたあたりで足が止まってしまった。にも関わらず、ハヤトはよせばいいのに「これから蘇生をするぞ! 道を開けろ!」などと叫んだものだから、混乱に拍車がかかった。
モーゼのような気持ちだった。人波が二つに割れて、道が出来上がっていく様は。いつの間にか人々はシンと静まりかえって、その中を歩く僕に注目している。
僕を聖人かなにかと勘違いしているのではないだろうか、と思われるほど、人々の目は異常な熱を帯びていた。それにグサグサ突き刺される当人である僕は、この場を即座に逃亡したい欲求と戦い続けなければならなかった。
かろうじて足を動かし続け、遺体の保管されているというテントに入る。もうそれだけで今日の仕事はすべてしてしまったあとの気分になった。
あとから入ってきたハヤトが、
「いやーまいったまいった」
などと言っている。殴ってやろうかとも思ったが、腕を持ち上げる気力もない。
僕の姿が見えなくなると、テントの外では再び騒がしさが戻ってきた。皆が各々なにか言っていて、それらが合わさってただの騒音ができあがっている。
「ほら、この先だ」
ハヤトは急かすように僕の腕をひっぱった。ヨロヨロとついていく。テントはいくつかの区画に分けられているようだった。布張りの幕をくぐると、急な冷気に身震いした。
その場にはネイとアメリアのほかに、回復屋のカナタと、蘇生したリンもいた。
「皆さんお揃いで」
僕は神妙な顔をした一同を見回してから言った。
「……よかった」
ネイは目をうるませながら、祈るように両手を組んでいる。
「ネイ様は毎日お前を看病してくださっていたのだ。感謝しろ」
アメリアはやや疲れた顔で補足した。どうやらこの部屋の冷気は彼女由来のもののようだ。全身から白く凍った空気が広がっていくのが見える。
「皆無事でよかった」
僕は素直に言った。
「もう体調はよくなったのか?」
リンは僕の全身をなめるようにみながら言った。
「寝すぎて身体が痛いくらいかな」
ハハハと笑ってみせるが、誰も笑わなくて気まずくなる。
「さあさあ、ここに集まった目的を果たしましょう」
カナタが手を叩いて意識を変えた。
彼は机にゾロリと揃えた回復薬を指差した。
「回復薬はいくらでも用意しますから、蘇生、ぜひお願いします」
「ずいぶん気前がいいんだな」
僕が茶化すと、カナタは肩をすくめた。
「いろいろ考えまして、あなたを後援することにしたんですよ」
「ほう?」
「あなたのその魔法……蘇生できるとしたら、とんでもないものです。蘇生するためには膨大な魔力が必要だと聞きましてね。運よく私は魔力を回復するための店をやっている。となれば、やることは決まっていますよ」
ネイがおずおずと近寄ってきた。
「ごめんなさい。私がカナタさんの申し出を受けてしまったのです」
「申し出?」
「はい。あの……」
まあまあと、カナタが間に入ってきた。
「それはとにかく後でいいでしょう。皆さんの話が本当なら、時間がすぎるほど蘇生は難しくなるんでしょう? 私自身もまだ本当に信じているわけでもない。まずは蘇生させるところを見せてもらってから、それから話しましょう」
僕はうなずいた。
二人を数時間巻き戻すだけで魔力を使い切ってしまったのだ。
一週間となれば、どのくらい大変か想像に難くない。一分一秒でも惜しいのは確かだ。
カナタのはぐらかしかたは気になるものの、元々蘇生させるつもりだったし、大量の回復薬が必要になるであろうということも事実だ。それを快く出してくれるというなら、願ったりだ。
「時間が惜しい。やろう」
「そうこなくては」
カナタは嬉しそうにいそいそと準備をはじめる。
「使い魔は出せますか?」
ふむ、と僕はうなった。
「勝手に出てくるものじゃないのか?」
「ああ、すいません。来たばかりなんでしたね……。使い魔は持ち主の意志で出すことも消すこともできるんですよ」
「へえ。どうやればできるんだ?」
「感覚的なものなので、説明しづらいんですが……消そうと思えば消せるし、出そうと思えば出せる……としか」
「この世界で生まれた人たちは、生まれたときから使い魔がいるんだ。だからそのへんの機微はわからないのさ」
ハヤトが助け舟を出した。
「中にはどうしても消せなくて、ずっと出しっぱなしの転生者も多いよ」
「そういうお前は? 使い魔いないな」
「俺は消せるから」
ハヤトは意地悪く笑った。
「だから、そのやり方を教えろっての」
「しょうがねぇな」
ハヤトは頭をポリポリかきかながら、僕のへそあたりを指差した。
「お前、丹田って聞いたことあるか?」
「たんでん? なんだそりゃ」
「気功とかでよく言われんだけどな。そのあたりに気を貯めることで力が出せるってやつなんだけど、ここに使い魔が出入りするってイメージだな」
「ほーん?」
僕は首を傾げた。
「……わからねーか」
「要するに、腹に力を込めろってことか?」
「別にりきむ必要はないが、まあそんなもんだ。それで案外シュポンと出てくるかもしれない」
「シュポンとって……」
「いいからやってみろって。時間がないんだろ」
「お、おう」
僕は脇腹に目一杯力を込めた。
「意識だよ、意識。力はいらねーの」
「こ、こうか?」
俺は深呼吸すると、下腹部に意識を集中させた。そうしてみると、今まで感じたことのない、質量のない水の流れがかすかに感じられた。
「いいぞ。いい調子」
その水を、意識の手で腹のところへとかき集める。するとそれが粘土のように形作りはじめた。
「お! やったな!」
いつの間にか閉じていた目をあけると、ともぞうが足元に現れていた。
「お、おお! やった! すごい!」
はしゃぐ僕に、カナタは適当な拍手を送った。
「はいはい。はやくやってくださいよ。待ちくたびれてきましたよ」
ほかの人たちも冷たい視線を送っている。なにせ部屋はキンキンに寒いのだ。誰もが長居したくないのだろう。
「そ、そうだったな」
僕は咳払いすると、遺体に手をあて、意識を集中させた。
「時任要の名において命ずる。時よ、戻れ!」




