出勤タイムアタック
「くそっ……」
僕は小さくつぶやいた。
窓をしめきったワンルームの部屋。電気もつけない暗い部屋。
手にはコントローラーをにぎりしめ、ゲーム画面を凝視する。
画面では主人公の回避をミスして、瀕死級のダメージを受けていた。
(やばいやばいやばい)
あと一撃受ければ確実に死ぬ。
いや、死ぬのはなんとかなる。回避には自信がある。問題は時間だ。あと三十秒でこいつを倒さなければいけない。脳裏でパターンを読む。この攻撃をかわして、次の攻撃の前に一撃食らわしてひるませ、もう一撃--ダメだ。間に合わない。
突然、時計のアラームがなって、僕はビクリとした。
もうダメだ。集中力が切れてしまった。
時間は七時。つまり朝。仕事に行く準備をはじめる時間。
「また徹夜か……」
はあ、とため息をつく。
ノートを開き、鉛筆でかかった時間を書きつける。
(やっぱりここでつまづくんだよなぁ)
どうしても焦ってしまうのは、自分の悪い癖だ。そんなことを考えながら服を着替える。
ニャアといって、猫のともぞうが僕の足首にからまってきた。
「まずはこいつの餌だな」
僕はエサ箱に餌を入れると、ともぞうがガツガツ食べているスキをついて猫のトイレ掃除を済ませた。
腕時計を見ると、家を出るまであと十分ある。
脳裏で朝食をここで食べるか、コンビニに寄って買うかの計算が行われる。ゲームと同じだ。
(ここはコンビニ……いや、駅ナカキヨスクだな)
「ともぞう。おとなしくしてろよ」
首筋をかいてやると、ともぞうはゴロゴロと鳴きながら、「もっとなでろ」といわんばかりにからみついてくる。それをようやく振り払うと家を飛び出した。
僕は坂上のカーブを攻めるように曲がりながら、眼下に広がる町並みにチラリと視線を走らせた。
ゲームだったら、ここから崖を飛び降りて直線距離を取ったほうがいいのにな、などと考える。現実ならきっと骨が折れるだろうが、ゲームならHP1までは全快とほぼ同義だ。
華麗に改札口をくぐり時計を確認する。
目標タイムより十秒はやい。いいペースだ。僕は階段を駆け上がり(そのほうがタイムがはやい)、キオスクに向かって歩きはじめた。
「まもなく~。列車が到着します~」
間延びしたアナウンスが流れる。アナウンスが流れてから電車が到着するまでは約三十秒。僕はもうキオスクに到着した。サンドイッチとコーヒーを手に取るのに二十秒。支払いは電子マネーなら十分間に合う。
慣れた手つきでドリンクラックをあけてペットボトルを取ろうとしたとき、ふと、その先にいる影が気になった。
(ん? なんだ?)
スーツ姿の男性だった。おかしなところはなにもないが、いつもと違う気がした。いや、明らかにおかしい。立っている場所が前すぎる。
と、男はなにもない地面にむかって足を踏み出そうとしていた。
(おいおいおいおいおい!)
僕は駆け出していた。すばやく距離を計算する。残された時間は? 二秒か、一秒か。間に合わない。僕は思い切り手を伸ばした。
とどけ--!
そのとき一迅の風がふき、男のスーツがあおられてめくれた。その裾の先に、ギリギリ指がとどいた。僕はそれを必死につかむと、引っ張った。
前のめりになっていた男は勢いよく後ろにひかれ、力学的な反作用によって、そのぶん僕は前に出た。つまり入れ替わった。
けたたましい警報が駅内に鳴り響き始める。構内に入ってきた電車が急ブレーキをかけながら警笛をならしている。迫りくる電車の正面に、僕は投げ出された。
--逃げる時間は--。
ない。
僕は死んだ。