死の終焉と生の芽吹き
都内某所の超高級高層マンション。
オートロック式ファミリー志向賃貸。
家賃だって最低月50万は必要。
最上階は96階。
無駄を一切省いた機能美。
テラスに繋がる避難経路、オサレな切り窓、飾り気なしのエレベーター扉、水捌けが良いテラスのタイル。
娯楽などは近隣の駅近くにアミューズメント施設が。
生活を送ることに不安を覚えることはない。
アミューズメント施設を内蔵するアウトレットには衣食住に関する店舗が営業されている。
外に太陽の光を浴びる手間を割く愚行を冒さずに済むデリバリーサービスの飽満さもある。
両親が先祖代々受け継いできたデリバリー企業だ。
デリバリー業界のシェア率は92%だ。
他の追随を許さない業績だ。
今日の天気は生憎だ。
朝は晴天が地平にまで手を広げていた。
昼頃には空模様が崩れた。
廊下には天の恵みがビートを刻んだ名残。
今はゲリラ豪雨が降り頻る夕暮れ。
階下を眺めれば、ビニール傘をさす会社員やOL、学生が帰路を急いでいた。
「はぁ、終わった」
些末な課題を完了させた程度の疲労で趣味のドローイング(イラスト作成)を切り上げた。
手早くイラスト投稿サイトにアップを済ませ、リクライニングチェアから腰を離した。
四時間もの間作業をしていたせいか筋肉が強張っていた。
男はカップに入ったブラックコーヒーを嗜む。
コーヒーは豆から挽き、疲労感の度合いによってシュガーポットから砂糖の
完飲すると、かちりと陶器特有の音を立てた。
ノートPCをシャットダウンさせ、畳んだ。
自室を一望し、無音を噛み締め、電源センサーで明かりを消し、部屋の扉を普段通り粗雑に閉めた。
まだ誰も帰宅していない静かなリビング。
何も想うところなくだだっ広い我が家を抜け、檜造りの玄関でローファーを着用。
「昼見た時は土砂降りだったが、今はどんな感じだ?」
朝は宅配ボックスに届けられた自分宛ての荷物を取りに1階へ降りたっきり外を観ていない。
玄関の匂いを鼻に取り込み、平常心を更に落ち着かせる。
暇を潰しに行くみたく、手ぶらで家を後にした。
「雨、止まねぇな。ま、都合良いか、そっちの方が」
天を仰いだ。
電子機器の類いを携帯せず、ドアの鍵にロックをかけた。
コツコツとローファーを転がし、階の端にある階段を昇る。
階段を目指す道中住人に姿を確認されなかった。
三部屋離れたところに住む幼馴染みも確認されなかった。
雨も相まってかマンションの人出は少ない。
コンシェルジュも今日は出勤日では無いようだ。
コンシェルジュはエントランス付近に専用の個室を設けている。
手摺に手を任せることもなく、一段一段天上を確実に翔けていく。
階上を視界に捉えても、やはり、人出はなかった。
憂鬱の象徴のゲリラ豪雨が人の足を鈍らせるのか?
階上とはいえ、ここは96階。
つまり、最上階。
屋上にも人の気配は感じなかった。
最新の防犯システムを完備しているが、中から外に対しての設備はザルだ。
「やっぱり、壊れてるな」
建て付けの悪いドアを強引に引き剥がす。
ギギィーンと金切り声を囀った。
一人でその奇音を鼓膜で聴く。
カラスやカエル、動物の気配も全くない。
あるのは、避雷針や非常用階段の扉などと無機質なものしか存在しない。
自室からここまで、脚に刷り込まれた本能が男をこの場に運んだ。
ここより遠くの場所はこんな、くすんでないだろう。
チャプチャプ、チャプチャプ、ローファーの先端に蓄積した水溜まり水がコンクリートに落ちる。
屋上の面積は50メートル×70メートルと広い。
扉を開けるなり、その歩みは一直線に縁へ向かう。
タイルが小気味良い音を奏でる。
用水路を激流が轟々と荒い息を立てる。
鉄柵や鉄条網の類いは設置されていない。
ここへの立ち入りは原則禁止だ。
故に、対策は施されていない。
外すことは容易、鉄扉を持ち上げることは至難。
この場に訪れても重量挙げにうんざりし、後退する者が後を絶たない。
それが可能な者はフリーパス状態。
縁までの障害物はもう何もない。
男は雨に打たれながら、黙々と歩く。
哀惜の念も深悼の心も持ち併せない。
ただただ日常の延長線上の行為を。
そして、先のない希望に脚を乗せた。
男は眼下250メートルを見下ろすことはしない。
絶壁の前に立ち尽くす彼は、心情を物語る。
「あぁ、つまらない人生だったな……………………。
アイドルや芸人、俳優女優、歌手やタレント、インフルエンサー、ユーチューバーにも一切興味ねぇし。
楽しみの対象が日に日に減っていく……。
此処から飛び降りれば、こんなクソったれな人生と、世界に…………オサラバ出来るんだ。
アイツには悪いが……それほど仲良くなかったし。
まぁ…………いいか。
そういえば……最後の晩餐なんて考えもしなかったな。
晩餐じゃないが、コーヒーになったな。
どうせなら、もっとこだわったドリップにしたら良かったな……」
雨に身体をボコボコに殴打されながら漏らしていたが、風切り音、雨音に溶かされた。
その心に悲しみ、怒り、負の情動は欠片もなく、無が占拠していた。
ちょっとばっかし回想を終えると、重心を右前方に移し、身体を虚空に晒した。
重心移動により、常時発生していた風の咆哮が下方に猛烈スピードで殴り飛ばす。
「───────────────────────」
死に逝く時に視るものといえば、走馬灯。
走馬灯と言えば、何を思うのだろうか?
両親、愛する人、友人、のようなかけがえのない相手?
両親でも、愛する人でも、友人でもない。
俺にそんなものを視るほど大事な奴はいない。
まぁ、思い出すならアイツだけだろうな。
アイツは、友人に位置しないから例外だな。
…………………………話を戻そう。
自慢話、愉快、心踊る、のようにプラスの思い出を刹那的に想起するものだろうか…………否。
寧ろ、良い思い出など皆無。
憎悪、悪因悪果、悲運、空虚感、悲壮感をフラッシュバックさせる思い出ばかりが脳裏を蔓延り充溢。
落下時間は体感時間にして10分にも感じたが、実際には10秒にも満たなかった。
空気抵抗を受けていたが、そんな些事どうでも良かった。
そう些事だ。
結末は揺るがない。
取捨選択は俺が決断した。
某かに唆されたりもない。
もう一度言おう、俺が決断した。と。
宙を舞う。
肉体は舗装されたコンクリートに擲られ、街路は血塗られた。
肉が飛散し、骨は露見し、血を噴き出していた。
幸いか、この時間帯は人通りがなく、落下直後は騒ぎにならなかった。
これ幸いか、雨ですぐに洗い流された。
この時期は梅雨で水量には事欠かないので、スプリンクラーの人為的に消火する必要はなし。
刹那的な鮮血の遺体の痕跡を残しながら。
「こ、これで…………ほ、本当に、し、死……ねる………………」
崩れゆく肉の器の中で歪んだ魂は訥々(とつとつ)と隻語を語る。
悔いも未練もなく、この世を去れることを魂に抱き、両瞼を閉じた。
力尽き意識を失った。
そして、数分後には誰も彼を気に留めることもなく日常が稼働していた。
──なぜなら
死体から。
赫々(かっかく)と肉片が。
艶めいて輝く、骨格が。
燦爛と赤黒く、血漿が。
通行人から見れば誰が逝ったのか認識することが不能な程、肉片、骨はもちろんのこと、血痕も跡形も無く、消え去っていた。
不自然なほどキレイなくらい。
鑑識の指紋、色素判定、DNA判定が不可能なくらい。
消えていた。
……………………………………………………………はずだった。
………………………………………………死んだはずだった。
……………………………大願が成就したはずだった。
─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─
再び目を覚ました。
「暖かい」感触を頬に感じたのが、キッカケだった。
「こ…………こ、こは、どこだ?俺は、死んだ……のか?」
朦朧とした意識の中、伏臥のまま独り言を呟く。
ここが、死後の世界なのか。
そう感じるほど真っ白な景色が世界を形創っているのか?
一見無色に見える無彩色の『白』が死後の色なのか?
だが、頭が徐々に覚醒してきた。
黒を基調とした壁、王室で使われているような極彩色豊かな椅子が一点置かれていることを感知。
床には赤い絨毯が敷布。
床暖房が効いていた。
空間は天井、壁を感じさせない無限であり、夢幻を感じさせた。
「暖かい」ものの正体はこれか。
次に、人の気配を感知。
それは、女だった。
その女は、彼の横に屈んでいた模様。
服装は、ジャケットスーツを着用。
「…………………………大丈夫ぅ?」
女は彼の右頬を嫋やかな指で啄きながら、呆れと配慮の混じった声で訊ねた。
靴は履いてなく、下肢全体で地面を掴んでいた。
「…………だ、だ……れ………だ?」
彼は顔だけを上げた。
スーツによって締め付けられ強調されている暴力的な胸を視認すると、掠れた声で囁いた。(顔は判別出来ていない)
「………………こ、ここは?………………お、おまえは?」
「あっ、ようやく、目ぇ醒めました?
あなたは…………死にました。
それも………無惨に。
…………詳しくは……言わないでおきましょう」
「俺は、死んだのか」
女の朧気な輪郭へぽつりと口を吐く。
脚を上下左右に動かす。
脚の感覚を取り戻す。
脚先にコツンと何かが当たった。
手を上下左右に動かす。
手の感覚を取り戻す。
手が床を探る。
床の材質を確認。
硬質材料かと推測した床はマットだった。
女は続ける。
「ここは、死後の世界の一時的な居留地です。
そして、私は案内人。
イロヴィータ・キロゼ」
彼はイロヴィータと名乗る女性に相対すると、視界の靄が晴れていく。
左眼の目許のチャームポイントである涙ぼくろを捉える。
温厚そうな性格を表す目許を。
大人の品性を漂わせる均整の採れた顔立ちを。
同時に脳内に流れ込んでくる膨大な情報量に途方に暮れていた。
睡余間もないからか。
脳の処理が追いつかない。
オーバーヒートなどの失敗もない。
視覚、聴覚、触覚の五感の内、三つの感覚をフル稼働させる。
その風体は「会社勤めをするOL」と定義づけるのが現状況で最もしっくりときていた。
矢継ぎ早に状況を語りながらブルジョワ感満載な瑪瑙、オーストリッチの革、樹齢2000年のブラジリアン・ローズウッド製のアームチェアーに腰を掛けた。
こほん。と咳払いし、クッションを置いた。
一呼吸により男も薄らだった感覚が覚醒。
パニックも収まりつつある。
「あなたにはこれから異世界に行き、冒険者になって貰います。
そこで、ミッションをクリアして下さい。
詳しいことは私にも分かりません」
懸河の弁だ。
口を挟む余地を与えない。
神の挙止だ。
「はっ、えっ、なに?異世界?冒険?ミッション?」
数分間の思考ログアウトから復帰すると、唐突のことに戸惑いを隠せずにはいられなかった。
生前は、暇を持て余した生活を過ごした。
あらかたの娯楽に興じる資金力は私有していた。
賭け事、デジタルゲーム、映像作品鑑賞、スポーツ生観戦、マンガやライトノベル紙媒体作品、一般向けゲームやギャルゲー、年齢制限付き成人向けゲーム、投資を。
『異世界』『転生』『冒険』、と思春期真っ盛りで二次元コンテンツを齧っている者ならば、これらのワードを耳にすると興起で虚脱状態になるだろうが、蓮にとってはそうでもないようだ。
それよりもクエスチョンをぶつけたい衝動に駆られた。
「立ち直る」よりも「取り戻す」感覚を手繰り寄せる。
水を打ったような声が掛けられる。
「落ち着いてください。
あなた…………いえ、輿水蓮さん」
「……………………………………………………っ」
「もしもーし?輿水蓮さん」
名前を呼ばれたことで放心の境地から帰還を遂げる。
疑問もあることを意識の水面にぷかぷか現出した。
同時に感情も湧いてきた。
やっとの想いで、朽ち果てる事が出来ると確信していた。
砂上の楼閣を崩すが如く大願が邪魔された。
怒りがグツグツ煮え滾るのも当然だろう。
『理性の化け物』と呼ばれた蓮ならば平静に辿り着くことも容易いだろう。
実際、1秒にも満たず憤怒は鎮火した。
けれど、稀覯な体験を阻まれた失意はドン底に突き落とされた。
よって蓮は氷の鎧を纏い、自前の鋭い眼光、サバンナで獲物を睨み殺すような狩猟者の眼でイロヴィータを睨みつける。
殺意は鎮火させたが、顔筋に染み出た。
「ふ、ふ、…………ふざけるなぁ!!」
未だ鉛のような重い身体を肘を用い、赤絨毯に這う。
各神経を放恣に動かせない具合から自分の身体の調子をチェックするべく、部屋の俯仰を始めた。
どうやら首より上は可動するようだ。
傀儡の節々を操糸で使役させる様にぎこちなく。
憎悪を孕んだ、血走った眼で絨毯の上に粗雑に置かれている小物の一つ。
眼下のコンパクトミラーを覗き込んだ。
コンパクトミラーの存在に気付かないくらい、灯台下暗しだ。
「んな!!な、なっ、な…………何だコレは……………………」
前世の自分の顔とは明晰な違いが顕れていた。
骨格がゆがんでいたからか?
否。
顔のパーツが潰れていたからか?
否。
驚くことに顔は飛び降りた後と変化なし。
では、どの部分が変化したか。
それは、眼、だ。
本来は一点の黒き眼が、宝石の如く煌めく深い紫に変色を遂げていた。
隻眼ではなく、両眼にメタモルフォーゼが。
色素が揺らぎ、褪せたり、変移することはなく、紫色に定着していた。
コンパクトミラーのみを直視していたつもりだった。
瞳孔を限界まで晒し、角膜が渇くほど刮眼し、眼球は微動だにせず、イロヴィータも同時に鏡面を覗き込んでいたようだ。
そのせいで蓮の剣先のような眼が刺さり、相手に”眼を飛ばされた!!”と誤解を与えてしまった。
蓮に過失はない。
イロヴィータの自業自得だ。
「ちょ、ちょっと睨まないでくださいよ……………………」
彼女は友誼の絆を結ぼうと柔和な態度で向かい合う。
「あんたが何者かは知らんが、俺にその立ち居振る舞いは無意味だからな」
言い慣れない所為か脅迫紛いな言い分になってしまった。
違うか。
単に性格を反映しただけの対応か。
故に、イロヴィータは元来の静謐な顔を崩し、怯えた顔へ変質させた。
蓮に低姿勢の言葉使いは神経を逆撫でされるようなもの。
前世の忌まわしい記憶を追体験しているようで、腹に据えかねる。
荒ぶる心を理性で制御し、恐怖から平穏の表情へとスイッチした。
スキンシップの第一段階として親しげに名前を呼ぶことに決心。
「……れ、蓮、さん」
だが、こういった初対面の人間相手はどうにも苦手で、掴みが分からず、不作法な語調になってしまった。
決して人見知りする性格ではない。
人見知りとは無縁の人生だった。
人と積極的に関係を持とうとはしなかったが。
失礼な言動を回避しようとするのが、苦手なだけだ。
「…………よし、分かった。
お前のこと、これからイロって呼ぶわ」
『イロヴィータ』と朧気ながらも名乗ったことを記憶にピン留めしていたことから、蓮の中で略称で呼ぶことが定着した瞬間だった。
イロヴィータには、甘受不可な呼び名だったよう。
「ちょ、ちょっと。
私の名前はイロヴィータか、キロゼって呼びな……」
「んんぁぁああ?!」
「ひっ、ひぃぃい」
「あっ……わりぃ………………」
イロヴィータが丁寧口調を崩し、神様らしく上から目線で「妥協しよう」と言い切ろうした。
耳敏い蓮には途中まで聞いたところで、どう対応されるか予想が出来てしまったのか、切っ先を制そうと思わずキレ気味に詰ってしまった。
この口癖は、在世の頃からなので、ご容赦を、と自省した。
蓬髪を掬い上げながら。
この部屋に来訪して幾度、月夜が回転したのか?
髪の長短に頓着しないほど、会話、背景、女に集中していた。
「あ、あっ、あばっ、は……、はっ、は、はい…………」
この二人の上下関係は出逢って早くも決定。
互いの生来の人柄が運命的にこの関係に落着させたのだろう。
今後、冒険のピンチでも崩れないだろう。
どのような土壇場でも…………
どのような絶望でも…………
暫く、二人の間に気まずい空気が場を支配していると、イロヴィータがくずおれて虫の音も発せずにいた。
状況が進展しないと察し、蓮が沈黙を破った。
「と、ところで、俺はこれからどうなるんですか?イロヴィータさん?」
さすがに、やり過ぎた。と反省をイロヴィータに示すため、腹這いながらも手を力一杯伸ばし、彼女の頬へ優しく添えた。
生前には、例え腕が切り飛ばされ、血飛沫を噴出しても頑なに他人のほっぺたを撫でようとはしなかっただろう。
優しさを注入する相手は選んでいた。
しかもごく少数。
ともすれば、この接触は蓮にとっては小さな一歩。
これが、生前に出来ていれば…………………………
「こ、コホン。
えーとまず、生きていた頃をバックアップし、それを私たちの上司に診てもらいます。
あ、もちろん私はあんまり閲覧しませんよ!
あんまり!
そして、どのような冒険をするかを選んでもらいます。
どんなっていうのは……うん!
向こうで聴いて下さい!!
最後に、衣服を交換してもらいます。
その格好で転生すると、向こうで目立ちますからね。
血もベタベタ付いてますし。
それが完了次第、転生準備終了です」
想定外のフォローに、暫く(しばらく)落胆していたイロヴィータは調子を取り戻し、涙を飾った眦を拭う。
すっと立ち上がると、先程までの饒舌な語り口調に戻り、転生の一連の流れを説明。
言われて、蓮は血塗れの服装を確認。
ここからは、女神然としたいのか、最初に腰掛けていた椅子に戻り、傲然と構え直した。
その様相を蓮は心穏やかに見守っていた。
まるで、父親が溺愛する愛娘に向ける慈愛の精神で。
小指ほどの申し訳なさと、えも言われぬ庇護欲を拵えた双眸を女神様に。
第三者による客観的実年齢はイロヴィータの方が上だが。
客観的精神年齢は蓮の方が高いだろう。
覚醒直後の荒廃した気分も少し持ち直した。
硬直した節々も弾性を帯び、自由にコントロール出来る。
イロヴィータは椅子から尻を上げ、ポケットより銀貨を掴み、親指で弾いた。
「それでは、転生診断に入ります。
この診断の結果次第で、貴方の異世界での役割が決定します。
このコインに触れて下さい」
綺麗な弧を描き、金属音を響かせながら蓮の掌へと吸い込まれた。
蓮が銀貨を掌で掴むと、銀貨が輝き、部屋一体を光が覆い、冒険者としての適性判定が完了した。
もっと大仰な儀式みたいに臨むものだと、見積もりを立てていた蓮は幾許か拍子抜けだ。
こういう儀式は、ライトノベルで、何重にも光を反射させ、色が入り乱れて、もっと派手な趣向を凝らすものだと先入観が勝っていた。
「では、続いて服装を変えましょうか。
どんな服が良いですか?」
冒険には衣装が必要不可欠だ。
冒険に限らず、服は必要だ。
まさか、裸で冒険する訳にもいくまい。
今の蓮の身なりは冒険に出掛ける以前。
飛び降り時の装い、ジャケットにジーンズとローファーと、面倒臭がりな学生の休日ルックといったところだ。
あまりブランドアイテムは好まない。
安上がりなコーディネートでシックに決めている。
そのままの身なりであれば問題なしだが、転移前は血塗れルックに身を包んでいた。
この部屋で物質を処分することは不可能なのが定理。
気を失っている蓮を気味悪がり、血をしこたま蓄えた衣服は蓮の傍らにワープさせた後。
男のシンボルを床に擦り付けたままだ。
シークレットゾーンを遮断するものがないのはイロヴィータ自身が落ち着かない。
代わりと言ってはなんだが麻の布を切れ端程度に覆った。
そして、意識覚醒に至る。
転移後に強制的に身ぐるみを剥がれ、麻の布を腰に巻いただけでイロヴィータは終始、頬を火照らしていた。
それでも、このままでは業務を進められず、死にたてホヤホヤで上手く力が入らずにいる蓮に肩を貸し引き起こす。
引き起こした際に彼女の右乳房の外側に彼の右掌がモロ接触。
揉んでしまったようだ。
彼女は顔を茹でダコほど紅くなった。
彼は神経の麻痺で肘より先に感覚が伝播していないおかげ(?)でサーモグラフィーの上昇はなかった。
この部屋には科学の粋が備わっているらしい。
俺には探知し得ないサイエンスツールが隠蔽されている。
蓮の体勢が伏臥から直立になるまでに30分を要した。
「そうだな〜。んー。じゃあ、これにするか?それともこれか?」
イロヴィータが服装の選択肢を大量にアイコンにして表示。
脚の裏で幻惑な地面を踏みしめる。
脚の握力が返還されるまで、30分間。
イロヴィータと二言三言のラリーしか響かなかった。
蓮は名称検索と表示された検索エンジンで入力し、矢継ぎ早にアイコンを立体映像として出力。
『普段着』と入力して。
カテゴリーは五つ。
『トップス』『パンツ』『アクセサリー』『その他』『特殊』の五つ。
『その他』はタトゥーやカーディガンなど幅広い。
『特殊』は制服系が専ら。
服に頓着しない蓮はせせらぎのようにスワイプし、千に一つのめぼしい衣装にチェックをつけていく。
「へー、ジャージに、スウェット、学園制服、学ラン、スーツっと、他にもいろいろあるな」
蓮の選択をイロヴィータは服装の説明が記載されたA4判の本をペラペラとページを畳みながら、適当に耳朶で捉えていた。
衣装なんて別に何でも良いだろ。と、浅慮な挙動でアイコンをタッチし、『決定』のウィンドウをタップ。
「これにするか」
衣装の意匠にしか関心を寄せず。
詳細を閲覧せずに。
イロヴィータは蓮の言葉を話半分に。
「あっ、えーっと。
ちなみに服装によって特殊スキルが付与されますよ」
ダージリンの注がれたティーカップを啜りながら。
優美なティーを愉しむ神。
問題は何もない。
そう、私に過失、誤謬、失態はない。
これは私のステップアップのための仕事なんだ。
「ふーん。はっ?ちょっと待て!!」
「えっ?」
刻、既に遅し。
間髪入れず、光の速度で選択されたアイコンの服装に変わる。
肩から下を白光が稲妻を模して苛烈に迸った。
蓮は黒の無地のスーツに黒のネクタイと、全身真っ黒の服装と変身前と相変わらずな恰好になった。
彼の選定した衣服には残念ながら特殊スキルは付与されていなかった。
靴は転生デフォルトの草履に交換された。
(装備等は転生後に購入して貰います。と、イロヴィータに変装前に勧告を受けていた)
診断結果と思しき用紙が上からヒラヒラヒラと舞い降りて、それを手にしたイロヴィータは蓮にとって虚を突くことを口走った。
「貴方のプロフィールにとても興味を唆られました。
そして、貴方のこれからの冒険にも興味が湧きました。
私も貴方と異世界にご一緒します。
というか、この仕事いい加減飽きてきまして。
ちょっと上司さまー?有給使ってもいいですか?
私、働き詰めで全然消化してなかったと思うんですが?」
何故か異世界への同行を願い出たイロヴィータは、上司からの承諾待ちをしていると、いいよ。と、再び天から書状で許可が下りた。
会社の上下関係を垣間見た瞬間でもあった。
玉座の間を思わせる豪華絢爛な半面と無趣味人の自室の半面に暗鬱を蒔いた。
そして、彼女は蓮に微笑みを譲渡すると、掌を床に向け、気合いを込めた。
「繋がれ、次元の異なる禍々しい門へ。トリップゲート!!」
「お、おい、禍々しいって………………な、なんだコレ?」
急遽、魔法陣が蓮を中心とした位置に発現すると、イロヴィータが蓮の左腕に抱きついた。
彼女の柔らかい丘陵は彼の骨太な腕によりひしゃげた。
「ちょ、な、何だ?」
「それでは、異世界へ行きましょうかああぁぁぁぁ!!」
蓮はイロヴィータを剥がそうと両肩を掴み押し退けつつ、周囲をキョロキョロし狼狽えてる間、イロヴィータは、剥がされまいとしがみつつ、テンション高めに甲高い声で異世界出発を宣言した。
「う、う、うわぁぁぁああああ!!!!」
「久しぶりに遊べぇぇぇぇるぅぅぅぅわぁぁぁぁ!!」
蓮とイロヴィータは玉響に躯篭が青い光に包まれると、魔法陣の中に居た二人は霧散した。
同時に空間の調度品も一つ残らず、彼らと共に消失した。
これからの冒険への期待値は云わずもがな。
蓮は地平線を這うくらい平行、いや、地下にめり込む以上のマイナス加減。
イロヴィータは、退屈や怠惰を飽きるほど喰ったためか、やる気120%爆上がりと正反対。
そんな二人が消失した部屋に残ったのは、床暖房の駆動音だけだった。
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「「うわぁぁぁあ……あ……あ?」」
白い粒状の光が人影を形作って辺りに散布。
頓狂な音源が二つ分、誰も見当たらない地に散満した。
スーツ姿の女、全身真っ黒の男が途轍もなく茫洋な平原に出現した。
二人共両手を突いたまま出現を果たし、首だけを動かして状況把握に努めようとした。
状況の一切を掴めずに会話が幕開けた。
いや、そういうと語弊があるか。
人が一人もいない閑散としている、と置換すべきだな。
無人なのは寸毫だけかもしれない。
「ここ……どこでしょう?」
「おい……、もしかしなくても、分からないのか?」
「…………………………はい」
「どうしようか」
「さあ?」
「「はははははははははははははははははは………………………………………………はぁーあ」」
手掛かり、糸口が皆無で、途方に暮れ、嗤うしかなかった。
困惑のボルテージを減衰させると、二人は顔を真っ青にして冷や汗が頬を伝い、地面を一滴の水が潤した。
先行きが真っ暗になりそうな匂いがプンプン充満すると、不安から息の詰まる状況が続き、絶望で立ち尽くしていた。
つまり、二人の異世界冒険の開幕は早速躓いた。
「あ、あわ、あわわ、あわわわ……、ど、どどど、どうしよう……」
パニックの火種を鎮火出来ると信じ、笑い飛ばした。
男は平静を獲得し、女はパニックから脱しきれずにいる。
男は、手掛かりを見つけるため、町や、建物を必死に捜すが、地に草が生い茂っていたり、所々地割れで土が荒れていたりと何の推測の手掛かりも無く、忙しなく周囲を確認していた。
女は男がしていることに歯牙にも掛けず、乾ききった土を弄って、気を揉んでいた。
男はこの地に転移させられる直前を思い出す。
マグマが噴き出す険阻な表情を露呈させかけたが、「コイツを怒鳴ってもどうもならんか」と自らを諫言。
昂る血潮を宥め、手を顎に当て深慮する。
この世界のことを。
この転生後のことを。
ミッションとは何か。
あとはこの面倒な女とか。
身の振り方を念頭に入れ、目下最大の事案に取り掛かる。
それは現時点である。
「あれは……一体何だ?」
男は左手を額に当て屋根を作り、遠方を目を懲らして見ていた。
遥か彼方で、黒い点がもぞもぞと動いていた。
その点は、影になり、確実にこちらに近づいて来ていた。
竜胆色のローブを深々と被り、宝飾されたサーベルを鞘に入れた冒険者が女の視界にも映った。
血や汚れを染み込ませていない姿で、冒険者然とした風貌。
女は、よく10キロ以上離れたこの距離で人が接近していると気付いたなぁ。と男に驚嘆していた。
歩くペースは相変わらず、急ぐこともなく、20分くらいを要し、三人は邂逅を果たした。
「あの…………どうかしたんですか?」
女性と思しき声の冒険者は二人を見兼ねて、人二人分を空けた傍で立ち止まった。
男と女はこれまでの経緯を斯く斯く然然、と女性冒険者に説明した。
勿論、『転生』という事実を誤魔化しつつではあるが。
「分かりました。
では、ここから一番近い、10キロのところに街がありますから。
そこまで連れて行きますよ。私もそこに用事が有るので。
……ところで、二人の服装……何か変ですよ?
服装もそこで着替えた方がいいですよ。
そのままだと、あの中で余所者だとすぐにバレますよ」
「「有難うございます」」
「いえ、感謝されるほどのことではありませんよ。
あぁ、あと私は冒険者ではありませんので。
先程からそう思われていそうだったので」
男と女はこの女性が切れ者であると、困惑も躊躇もなく、瞬時に腑に落ちた。
そこに、明確な根拠はないが。
男は生前、人の行動、口調、性格を見る洞察力を鍛えていたため。
女は死者の歴史を逐条していたため、人間の本質を読むことに長けている。
「礼を述べてばかりで自己紹介していませんでしたね。
私は、イロヴィータ・キロゼ。こちらは輿水蓮。
以後、お見知りおきを」
「私は、アトロ。
あの街で暮らして猟師をしています。
自給自足で生活しているせいか、よく冒険者に間違われます。
困ったことがあれば、相談して下さい。
冒険についてはあまり役に立てないと思いますが」
アトロの襟元、胸元、手首に冒険者の証拠となるものは絶無。
彼女の身形から不審者感はぷんぷんと漏れている。
装備が匂いを助長していた。
得体の知れない雰囲気が冒険者ぽさの正体だろうか?
二人は軽く頭を下げ、最低限の礼節を異世界で初めて尽くした。
これ幸いにと、アトロと名乗った猟師も身の上を語る。
すると、二人は親切な女性の後に追尾し、この平原から近い街へ三十分弱掛けて歩いた。
道中、アトロからあの街について諸々と指南を受けながら。
『猟師』を生業にしていると言った割には平原の一帯には獣の血の匂いはなかった。と、蓮は儚く思った。
双脚が土を踏み、草を踏み、煉瓦を踏む。
双脚に疲労が蓄積し始めた時分、石の壁が聳え立っていた。
#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#─#
『ローグ』
この世界では、冒険初心者が生活するため、酒場や宿屋の街として知られている。
冒険者のためだけでなく、吟遊詩人、旅役者のような芸人やその地で生活を営む人の拠点でもある。
勿論、ベテラン冒険者も居を構えており、親切な女性狩人に二人が連れてこられた街である。
街近郊は疎らだが、弱いモンスターが分布している、と観光マップに掲載されている。
「何か、思っていた街と違ったな」
「え、えぇ……。
でもここから、私たちの大冒険が始まるんですね!!」
外壁は地面に金具を喰わせた大門、街の賑やかぶりを見せつけるように冒険の入り口、と例えられる構え。
蓮は拍子抜けというより、圧巻の印象を受けた。
転生前でも指折り数えるほどしか比類するものがなかった。
イロヴィータは気圧されていた。
あの部屋しか『生』を授かってから見て来なかったのだから。
そして、今度こそ二人の異世界生活が開幕した。
街並みは、異世界での定番「中世ヨーロッパ」では無く、「半中世ヨーロッパ、半現代」と言った世界観。
「貴方達はまだ、冒険者じゃないんですよね?」
「はい」
ローブを深々と被った女性、アトロは、顎に手をやると、思案し疑問を二人に投げかけた。
無許可無資格で指定場所に侵入すると罰則が課せられる。
その許可なければどうにもなるまい。
『ではまず、「壮烈者の集い」に行った方が良いですね。
登録しないと『冒険者』として活動出来ないので。
後の詳しいことは「壮烈者の集い」の職員に直接聞いて下さい。
場所はここから、真っ直ぐ進むと、ザラトの石膏像があるので、そこを左に曲がるとこの街で一番大きい建築物があります。
そこに入って下さい。
では、私は用事があるので、ここで』
アトロはこの街の地図を取り出し、道順を二人に説明すると、そのまま地図を手渡した。
三人は頑丈そうな外壁前まで行動を共にすると、今後の行動が各々バラバラのため、別々の方向へ動いた。
イロヴィータが地図に執心する一方、蓮はアトロの挙動が大門との距離が縮まるにつれ大門を怯える様に見えた。
アトロはこの大門にトラウマでもあるのだろうか?
外壁入口から露店通り、雑貨通り、ザラト像と目星になる景色を進み、『壮烈者の集い』と思しき城砦のような壮大な木造建築に到着し、扉を開けるとそこは冒険者や商売人の喧騒とした声で包まれていた。
中には換金所、相談所、新たに冒険者となるべく登録するためのコーナーがある。
会話を楽しむためのスペース、軽食を食べるための木組みのテーブルと椅子が置かれているスペースだったり大衆向けの設備もある。
二人は用事を手早く済ませるため、待ち人の少ない列の最後尾に並ぶ。
他の列を構成している人には、この街に来た者、初級冒険者、観光客、紛失届の提出、探索や討伐依頼の持ち込みといった多岐に渡って利用されている模様が伺える。
それは、用途別でなく、一緒くたに受け付けている。
「えっと、まずは登録、登録っと」
「あ、それならあそこに分かり易く書いてありますよ」
蓮が『登録所』を探していると先に彼女がプレートに何の工夫も無く、その世界の文字で『登録所』と刻印されている場所を発見した。
数十もの窓口が敷設されている受付。
この時間帯は人が少ないのか、少人数しか並んでいない窓口ばかり。
二、三人後ろに並び、順番が回ってきた。
女性職員の顔が見え、説明を受けるべく、至近距離までとことこ歩いて行く。
登録所は、『壮烈者の集い』、通称『ギルド』で最も利用率が高い。
登録所は、冒険者登録のみならず、相談、依頼受付と他でやっていることも行っている。
それでも、一日の登録所利用者は群を抜いて多い。
職員は男より女の割合が高い。
特に、窓口の受付嬢は全員女性という傾向。
これは相談者が気軽に悩みや依頼を話しやすくする意図がある。
女性冒険者から女性受付へは、おしゃべりが盛ん。
男性冒険者から女性受付へは、セクハラが横行。
女性冒険者から男性受付へは、ややセクハラ気味。
男性冒険者から男性受付へは、あまり会話をしない。
世間話はどの組み合わせでも存在する。
まぁ、性格によりけりって具合もあるが。
しかし、立場が人を変えることも、また然り。
「いらっしゃいませ!!ようこそ冒険者の世界へ!!」
溌剌とした挨拶を発した役員はイロヴィータに負けず劣らずの美女だ。
ボーイッシュな印象を受ける顔立ちとブロンドショート、毛先を僅かに目に掛け、名札にクィカノと記されている。
彼女の列は他の受付嬢たちと比べて人気が段違い。
どうやら、人気No.1受付嬢という肩書きを冠しているらしい。
彼女は男女関係無く支持者がいる。
人気がスキルの【オーラ】を纏っている錯覚を方々に与えるようだ。
奇跡的に、今回は閑散としていたらしい。
好都合であった。
常にクィカノの列は一時間待ちだそうだ。
閑暇を持て余していた彼女は普段通りの受け答えをしつつ、それをおくびにも出さない。
「まずは、こちらのカードを」
蓮は彼女が一番人気の片鱗を垣間見た。
声の抑揚、顔の角度、目線の流し方。
相手に好印象と受け取られる所作を執っていた。
蓮は怪訝に思い眉を顰めるが、クィカノは無意識で己のスキルとして細胞単位で浸透している。
彼女は、自身に不審な目を向けられ、狼狽を見せた。
クィカノが意図的でないことを察すると、警戒の目を解き、話を戻した。
「このカードは?」
受け取ったカードの裏表を確認すると、見覚えのあるモノだったが、もしかして?という疑問を打ち消す為、クィカノに質した。
手渡されたカードはプラスティック製でICチップが埋め込まれたモノであり、見馴れたものであった。
各人のカードには10桁の数字が羅列した個人番号が粗彫りされていた。
そのカードには数字とは違い、石膏像の目元のように丁寧に、詳細が彫られていた。
「はい、こちらはモンスターを討伐したり、クエストを達成し、得た報酬を貯めておくカードです。
貯金額を確認、引き出しにはあそこの機械で指紋認証をして下さい」
それは、生前世界にあったクレジットカードとATMと全く同じ機能の物品だった。
いや、以上かもしれない。
生前は複雑な契約やら手順が不可欠だったが、異世界ではモンスターを討伐すれば直後に金が振り込まれていたり。
異世界では、報酬で金貨の手渡しは無いようだ。
だが、書類作成は金が振り込まれた後でも必須。
否、振り込まれた後だからこそ。
後に依頼被りを招かないため。
他に討伐モンスター毎の明細があったり。
魔法道具の売買や発掘物を質に入れたりと。
「続いて、冒険者としての資質を計測します。
そちらの台に手を置いて下さい。
他人には決して知られることはありません。
勿論、私にも分かりませんので。
あっ、これフリとかじゃないですから!!では……………………」
クィカノは手で、こちらです。と、窓口から体躯を現し、測定器である石板の方へと案内した。
見本となるため、クィカノが石板に手を翳すと燦然と青白い粒子を飛散させた後、念押しとばかりに誰にも知られることのないことを強調すると、再び窓口へ引き下がった。
石板は公然と晒されているが、ここから後は二人の任意行動。
冒険に駆け出すには必須項目、避けては通れない。
この分岐点で、冒険者か、それ以外に分かれ。
危険、安寧、どちらか一方の道を進む。
金、名誉、地位の全てを手に入れる。
あるいは、失うか。
それが、『冒険』である。
「じゃあ、早速」
「はい」
蓮、イロヴィータの順序で石板に手を翳す。
青い光が発光し、手をスキャンし、二人は測定結果を待った。
蓮は、あの白い部屋とは異なる測定方法にやっと異世界へ来たと実感。
すると、衝撃の結果が発表された。
「…………………………」
表情の変化を周囲に気取られないように、蓮は測定結果が記載されたヴィンテージペーパーをパンツの右ポケットにくしゃくしゃに握り潰しながら突っ込んだ。
その仕草を見たイロヴィータは特に留意する事なく、自身のプロフィールを心待ちにしていた。
蓮とは別の登録証色刷り機から勢いよく、色紙が吐き出された。
首元へ刃のようなそれが襲いかかって来たのを、蓮に倣い、手で………………掴み損ねた。
「……あははは……は……はは」
嬌顔に紅蓮が差し、数秒後、ルビーの光彩みたく照れた。
空を舞い、パサッとイロヴィータの後方に着地したヴィンテージペーパーをひょこひょこと歩きながら掌に収めた。
蓮に続き計測結果を黙読し、暫し落胆に打ちひしがれていた。
ただ蓮とは毛色の異なる落胆だった。
窓口に戻ってくる気配が感じられないと察し、クィカノが二人を呼び戻した。
「え、え、えーと、で、では、次にパーティー編成の詳細を説明します」
クィカノは二人の様子をオドオドしながら伺うと、冒険に際してのルール説明をいつも通りの態度で始めようとしていた。
────蓮とイロヴィータはクィカノが語り始めようとすると、それに応えるように、蓮は邪悪な表情(本人は至って普通の顔のつもり)から、真剣な表情(より一層険しい顔)へと一変した。
────イロヴィータは、自分でも他者からも貞淑な印象を認識した、と自覚させる程の佇まいでクィカノの説明を静聴する姿勢を取っていた。
二人の準備が整うと、クィカノが、ルール説明の際に毎回使うギルド備え付けの『冒険の基礎講座』と他の文字よりも大きめな見出しで銘打った黒板を窓口から運んできた。
「初めに、クエストについてです。
クエストは一人から受注出来ます。
難易度は組合が見定めてランク付けします。
ランクはGからSSSに分けられます。
内容は主に依頼者からの依頼です。
中にはモンスター討伐や素材採取があります。
他にはトレジャーハントや重要人物の護衛、マッピングなどですね。
次に、ダンジョン探索についてです。
ダンジョン探索の際はパーティーでの決行が条件です。
パーティーメンバーは三人以上で潜って下さい。
これは、冒険規定によって絶対遵守されています。
不文律として、レベルや経験を元に一人で探索可能な階層もあります。
当然、冒険規定を破れば厳しい罰が課せられます。
分かりやすい条項として禁忌スキルを使用したり、他の冒険者のアイテムを強奪したり。
他にも細々とした禁止項目がありますので。
もし分からないことがある時は窓口まで来て下さいね。
……………………っと、冒険についてはこんなものですかね。
次は、冒険者以外での働き方についてですけど、どうされます?」
「いえ…………………………結構です」
聞き漏らし、含みのある文言、冒険者に不利になる条項の有無を口頭説明の原本である冊子を縦覧した上で、苛察しようと改めたが、10秒ばかり間を喰って意見を鎮めた。
特に、不平な条件は見当たらなかったのだ。
「そうですか……では、もし分からないことがある時は窓口まで来て下さい」
手元にある冊子を捲りつつ、他に何か言い忘れていないか自分の記憶と対比していた。
自分の記憶が寸分違わず合っていることを再確認し、初級冒険者の二人が質問も無さそうなので、恭しく一礼して、仕事場に戻った。
その仕事場の状相を事細かに記せば、受付嬢たちがバックヤードで新規登録者の登録手続きや他の事務仕事を役所作業で捌いていた。
この時間帯は登録者でごった返す為クィカノも業務に焚き付けられているその一人。
むしろ受付で働く者よりもバックヤードでの勤務をする方が多い。
蓮たちは幸い、ピークタイムからズレた頃に並んでいたおかげなのか、後方に長蛇の列が弓なりにうねっていた。
手続き書類を、ローグ原産の木から造形されたラックから二枚取り出し、窓口に姿を見せた。
「では、この書類に名前と拇印をお願いします」
カラスの羽根で作られたペンと朱いインクを半分ほど注いだ枡を書類と共に持参した。
黒々とした艶のある羽根は安価で、狩り捕った魔獣の猛々しさを感じる。
インクは魔獣の血液を薄めたもので、朱肉よりも赤黒い色合いを四角い空間で主張していた。
若干生臭いのは、その場にいる冒険者全員が慣れている。
蓮とイロヴィータはこの鼻を刺す刺激臭に慣れるのに、暫くかかりそうだ。
提示された書類に蓮とイロヴィータは筆記体で名前を記入し、親指にインクを滲ませ、途中親指に滴るインクが羊皮紙に滲みつつも判を押した。
この世界では、疑問をもたれる字体だったが、無事認証された。
認証された書類はその場で二枚とも瞬時に青い火により灰に還った。
急な事態に口をあんぐりさせる二人。
『あれ、持って無くて良いのか?』と顔を見合わせていた。
どうやら燃えカスになることで諸々が滞りなく決済されるようだ。
その証拠に『冒険者登録の契約成立を遍く終えた』と報知が小さな花火の祝砲で彩られた。
クィカノが椅子のそばに常設している収納ボックスから『冒険者の指南書』の小冊子バージョン二人分を手前に並べた。
生計の立て方について一通りの説明─冒険者についてだけだが─を受けた。
冒険者登録を完了させ、クィカノと窓口で別れると、同建物内の休憩所でこれからの活動方針を決めることにした。
太陽が闇夜に飲まれるまで半時、『壮烈者の集い』は飲み食いの場として活気に溢れていた。
宴席の様相を呈して、一席を除いて盛り上がっていた。
その一席の面子は休憩所の椅子に坐す。
セルフサーバーの水が入ったゴブレットを啜り、溜息を吐く。
────溜め息は二つ分
何から何まで、受付さんに頼るのは二人も悪いと思うのか、最低限の下準備を知識として刷り込ませようと意気込みは充分。
しかし、あまりの無知ぶりに愕然とし悩みを源泉のように沸き出して来た。
無知なのは、現時点では無理もない。
こちらの世界に到着し2時間も経過していないのだから。
だが、拗らせた性格か、完璧主義故の高尚なプライドか、まあ……その理由はどちらでも構わないが。
その現れとして、イロヴィータはコップの縁をなぞり、蓮はコップを更に仰いだ。
水を潤したと脳は知覚した…………つもりだった。
だが、霞を食うだけに。
喉を潤すために、セルフサーバーでゴブレットに給水。
「ふぅ、受付の人の話によると、クエストの人数には充分ですがダンジョン探索は出来ない。ということですね」
こういう冒険モノは二人でスタートし、
「協力するのがデフォで、そこから仲間を増やすのが定石でしょう!!」
とイロヴィータは嘆き、
蓮は「ちっ、なんで他のヤツと組まねぇといかないんだ!!」と唾棄した。(蓮は胸中で廻らせた言葉)
「あぁ。
まずは、パーティーメンバーの募集からだな!!」
クエストは一人で受けられるが、稼ぎは1日の安い宿賃に満たない程度。
食費に換算すると、格安食堂なら2日分─一日3食で6食分─になるが、格安食堂では、質も量はなく、おやつにすらならない。
ダンジョン探索なら、発掘物次第で何日分かの生活費を懐に出来る。
よって、後者に目処を立てていた。
アイテム蒐集に関するルールはいくつか設けられてあるが、今は詮無きこと。
パーティーが編成完了次第、嫌でももう一人と話し合い深慮せざるを得ない。
クエストの報酬や探索で収集した魔石、伝説や伝承に登場する魔剣や聖剣、古式ゆかしい魔導書、強奪難易度10の激レア素材等、配分の折に。
「はい」
フェーズを第二段階に移行するべく仲間募集を決意すると、互いに不明瞭のまま保留になっていることを尋ね合った。
既に喧騒に掻き消される大声が飛翔する盛り場と化して、ひそひそ話をするにはうってつけだった。
万が一、他者に聴かれたらいけないと、机に肘を乗せ、可聴域まで、鼻がくっつく寸前まで向かいあった。
却って、一番目立つ一組に昇華していた。
他の冒険者は自分のチームや、太っ腹な同業者とバカ騒ぎを起こしていた。
当然、そんな有り様の中、小声で会話する姿に目を向けるものはいない。
コソコソ話など日常風景で目に留める輩は存在しない。
上級冒険者なら。
それ以外であっても。
そもそも、装備の具合からして素人ぽさが凝着し、大した情報ではないだろうと一擲。
「なぁ?受付の人は言ってなかったけどよ」
「はい。もしかして蓮さんも気付きました?」
『…………………………』
周囲がバカ騒ぎする中でひそひそ話は注目を集めることは必至だと確信しながらも聴かれまいとする方が重要だとシフトチェンジ。
双方が思惟するところは同じだったらしく、蓮は無言で首を縦に振った。
蓮が首を振った後にイロヴィータもゆっくり首肯。
沈黙のまま意思疎通する優位性を心内で合点した。
冒険者には、一人一つの『宝精』がある。
逆に言えば、冒険者以外には獲得不可能なスキル。
否、それは、アイデンティティー、個性と定義付けする方がしっくりくる。
それは、その人の性格・現状況・業・願望のいずれかを反映させた異能。
魔法、スキルとは全く別の能力。
能力とも違うだろう。
『宝精』そのものは能力としてはあまり機能しない。
正鵠を射るならば、能力の真価や進化を促進する薪のような燃料。
過去の出来事、その人間の履歴・素性をパズルとしてフィットさせ、自分の冒険者生活に影響をもたらす。
その格差は月とすっぽん、雲泥の差か、それとも階段の段差ほどの微々たるものかはさておき。
『宝精』には付随、分岐する、性質の不可解な力が、固い蕾が桜に変貌を遂げるように開花していく。
そして、『宝精』の詳細をパーティーメンバー以外に吹聴、仄聞されてはならない。
冒険規定にも第一条第一項に明記されている。
無論、冒険者にのみ解読可能。
偶に賢者や術師など知性長ける奴は精読出来る。
例え、パーティーメンバーにだけ許容されているとは言え、非常にデリケートでプライバシーな部分であるため、殆ど教える者はいない。
それは、この二人にも適用されるはずなのだが…………………………
「……………………イロ、お前の宝精を教えてくれるか?
嫌なら言わなくていいが?」
「いいですよ」
冗談のつもりで口元に手を添えて傍近の冒険者に聴こえないように、蓮が忍び声でイロヴィータの正面に囁いた。
あっけらかんとした態度で平然とイロヴィータは応対した。
まるで、お茶の間でテレビを見ながらせんべいをバリバリ食べる暇人のように。
麗しの労働者のような女と全身黒づくめの威圧感バリバリの戦士風顔立ちの男とのやり取りを目に留め、気にした様子の冒険者は皆無。
当の本人たちは、視界内の人の動向を注視しながら、会話を途切れさせないで続行。
「…………やっぱり、だめ…………だよな……」
お茶の間テンションもとい気軽な承諾の言葉が耳に入らなかったのか、思案顔をして顎に手を充て、少々落胆した素振りを見せると。
「い!い!で!す!よ!!!!」
イロヴィータが、今度はこちらも同じく口に手を添えて、再度の了解の返事をひっそり声で目一杯張り上げると、蓮に漸く意思が伝播した。
そのリアクションが信じられなかったのか、蓮は、いいのか?という意をもう一回目配せすると、イロヴィータは二回、首を縦に軽快に振った。
両手を膝上に静置し、深呼吸で胸と肩を三回ほどアップダウンさせる。
『私の宝精は………………「女神の精」です。
生憎、冒険者としては役に立ちそうにないですね。
でも、まぁ神の私にはお似合いですよね!!
ハハハハハハ………………ハァ…………』
気恥ずかしさ、申し訳なさが勝り、心細げにボソボソ呟いた。
最後に自虐的な乾いた笑みを浮かべた。
冒険では主戦力としての活躍は望めないと彼女自身が身に染みて、蓮と同程度の背丈、グラマラスな体躯がみるみる縮こまる。
未だ雑踏が続くが、この時ばかりは深閑とした刻が狭い範囲で過ぎ去った。
「そ…………そうか」
蓮が、イロヴィータに鬱屈としたテンションで賛意を渋々示した。
ゴブレットに注がれた二度目の水を飲み干すとイロヴィータの何の不自然でない質問を受領した。
「ところで、蓮さんの宝精は何ですか?」
「……まぁそれはいずれ解るから。
いや……、知らない方が今後の冒険の…………為……だな。
………………っていうか、よく分からないんだよな」
冒険者シートは『漢字』ではなく、この世界の言語である『スラン語』で記述される。
スラン語では、読解不可なため、『ひらがな』に変換されたような錯覚を『スラン語』の上に見せる。
(英語を日本語訳に自動変換するようなもの)
勿論、勉強すれば絶対読解不可という訳ではないが、結構な期間を要する。
外国人が日本語を、また、日本人が外国語を習得する学習要領である。
つまり、効果には個人差があります。ということだ。
イロヴィータは蓮が一体全体どんな宝精を宿したのか、無性に訊ねたく、焦燥感に駆られた。
その迫り方は、急ブレーキを踏み、危うく相手にヘッドバットをかます勢いである。
腰掛けていたウッドスツールを弾き飛ばすほど。
「でっ、で、で、なっ、な、なっ、何という宝精ですか?」
『あ、あぁ。
えーーーーとっ、「きょ……、う……、じ、ん」って書いてあるな』
イロヴィータが古紙に『女神』とすんなり解読できたのは、自分の存在と、あの白い空間で過ごした日々、処理した事務仕事に対する自負が『めがみ』を『女神』と直感的に理解させたから。
まぁ、最適解らしい藉口ではなく、別の読み間違いをする余地が無いからなのだが。
『「きょうじん」?
どんな漢字なんでしょうか?
それにどんな効果があるのでしょう?』
「俺に訊ねられても。
ちなみに、どんな漢字だと思う?」
『んーーーーん。
「強靭」ってことで、身体が鋼やダイヤみたいに硬質化するとか?
あるいは、「凶刃」ってことで、武器を強化したり、鋭くしたりとか?
他は特に考えられないですね』
「…………だよな」
「「うぅーーーーーーーーーーん」」
二人は頭を悩みに悩ませ、とどの詰まり蓮の宝精の正体は黒い霧の枢軸に閉ざされたまま。
かの冒険者たちは、モヤモヤを抱えながら、のっそりのっそりと熟考、潜考を巡らせ、『壮烈者の集い』を後にした。
この禍根が、冒険を、人間を、世界を、彼女を、絶望に陥れるとも知らずに。
#─#─#─#─#──#─##─#─#─###─#───#─#─#─#─#─
西の空が碧の上に朱の絵の具を被せる。
未だ宿を確保出来ていない状態の蓮たちは、宿に泊まれるかどうかという状況だ。
資金が充分かを確かめる必要がある為、ATMらしき機械が設置されている専用施設―MB[Money Bar]と店頭に立て看板が置かれた―にてバンクカードの残高をチェックしていた。
ローグの平均宿賃がどのくらいか不明だが、お金が豊富なことを望まないことはない。
この世界のATMは前世界のATMと違い音声が一切出音しないタイプだった。
異世界に推参したばかり、両者の預金残高が何を基準に貯金されているかドキドキハラハラしながら待機していた。
どうやらドキハラしていたのはイロヴィータだけだったようだ。
「ふーん……なるほど」
妙に納得した顔で個室から出てきた。
前世界では詳細を液晶に表示させるタイプだったが、この世界では残高を紙にのみ写し刷り出すようだ。
その用紙をすぐに焼却できる焼却ゴミ箱という、可燃ゴミを感知すれば、灰に還元する機能を併せた屑入れが個室脇に一つずつ備えている。
蓮は世界に優しいエコな人間なので、屑入れにポイっなんてことはしない。
その中に人間は排除されている。
あくまでも、自然にのみ向けられる慈悲。
焼却するかは各人の自由。
焼却すれども、自然に還るだけで、煤塵にすらならない。
現状をパーティーメンバーで確認、呈示するために個室から出て保持。
そういうケースがメジャー。
稀に、パーティーメイトの明細を盗み見することで内部崩壊、疑心暗鬼に陥るパーティーがあるくらいだ。
まっ、モーマンタイってことだな!!
この二人が互いに猜疑心に囚われることは絶無。
寧ろ、転生を果たした今、二人は運命共同体となったのだから。
「…………………………………………………………」
隣が仕切りで別個の部屋を、この世の絶望だぁぁぁぁ!!!!!!というくらいドス暗いオーラで沈みながら姿を見せると、イロヴィータはめっきり悄気ていた。
彼女の右手には残高詳細を記したと推測される、くしゃくしゃのメモが握られていた。
「どっ、どうした?」
あまりの落胆ぶりに濃厚な怪訝と薄めの憂患をブレンドし訊ねた。
落ち込んだ彼女は丸めた紙を彼に呈示し、再び俯く。
蓮が覚悟を決めて、皺くちゃの紙から皺を均した。
自分の残高では見たこともない0の少なさに声を殺して驚いていた。
イロヴィータが自分を伺っている姿勢を、上目遣いで涙を湛えた状態で迫っていることを捉えた。
「お、お前……こんなに金欠だったのか…………。
な、なんか……ごめん」
手に取っていた詳細を彼女に返すと、可哀想な目をイロヴィータへ向けながら自分のカードを見せ返した。
当のイロヴィータは視線に気付かずに蓮のカードを無感情で強奪し、記載されている数字を一瞥した。
反射的に嗚咽を漏らすほど。
「……………………おえぇぇぇぇぇぇ!!」
そして、見たこともない数字に、あまりの額に、一の位から数え始めた。
「一、十、百、千、万、十万、ひゃっ、ひゃく、百万…………い、いっ、一千万!?!?!?」
周囲の冒険者の鼓膜に余裕で届く程の音吐で叫んだ。
然し、この事態になると予測してか、防音処理が施された個室に予め場所を移していたおかげで誰一人、否、彼女の頓狂で劈くような声音は蓮の耳にだけ届いた。
「ちょっ、ちょっと。
何でこんなに貯蓄あるんですか!!
たかが学生がこんなに稼げないでしょ!!」
イロヴィータが鼓膜を劈く甲高い音を、蓮の襟元を掴み身体を揺さぶりながら発した。
「お……、おっ……、お、落ち着けっ」
「じゃ、じゃあ、どういうことか教えて下さいよ……」
蓮は視界を目紛るしく逆転させられ酔いそうになっているところ彼女の肩をがっしりと掴む。
制止させると、イロヴィータは彼の襟元を掴んでいた手、涙腺を緩め、表情は悄然と。
幾らか気分が静穏を取り戻すと、一転してハリセンボン化してむくれた。
貯金残高はどうやら在世中と同額の貯蓄がバンクカードに反映されるようだ。
在世中、つまり生前の所持金である。
イロヴィータの落ち込みぶりから「神の懐事情は世知辛いんだな」と悟った。
神々しさとは無縁の金欠神は、風格を漲らせる小富豪人間に如何なる方法で金を稼いだのか問いを投げた。
「株…………だったか?
いや、違うかFXだったか?
………………………………それとも、資産運用?
ま、くだらないことだ。
それよりこの金は滅多なことでは手を付けたくないからな」
欲望の赴くままに使い込んでも余る多額の金がある事実を知っても全くテンションが上がっておらず、地を這う急降下気味、何かを憎むような眼差しを空に飛ばす。
女神のイロヴィータでも、人間の、蓮の浅い事情ならいざ知らずそこまで深い事情は存じず、前世界で「ワケあり」のレッテルを貼られていただろう結果には容易に行き着く。
「………………今後は食い扶持、宿賃に困らないようにクエストなり、ダンジョンへ潜るなりするか。
商いという手段もあるが、まずは冒険することで世界を知るか」
「……………………はい、そうですね。
じゃあ、まずはやっぱり、パーティーメンバーの募集になりますね」
彼は苦虫を噛み潰しながら問いを返し、彼女の肩に手を置き宥めながら、金銭の所得方法を提案。
彼女は彼の提案を受諾。
当初の最優先事項を滞りなく済ませる算段を立て、近場にあるリーズナブルな宿屋を捜すべく、二人はMBの扉を開け街並みの石灯龍を瞳に反照させた。
ひとまず、金を崩さずに生活しよう!!という、内容からはあまり前向きな意思が感じられない方針が決まった。
陽が沈み、月が頂きに君臨した暗夜。
宿探しは苦戦していた。
宿屋が少ない訳ではない。
冒険者が多すぎるのだ。
ロッジや旅館、たまにログハウスが居を構え、宿泊街として機能している。
過剰駆動している。
要するに、パンクしそうなのである。
その宿探しの途中、物騒な噂がそよ風と共に耳を擽る。
行きずりの男女六人編成パーティーの冒険者が噂していた。
ちょうど自分たちが拠点にしているロッジに帰還する頃だったろうか、
「なぁ、アイツもう捕まったのか?」
「アイツ?あぁ、アイツね。まだ捕まっていないみたい」
「確か、この前はザラト通りで出たって」
「マジか!!この辺りも治安が悪化するのかなぁ……」
「まぁアイツが捕まれば全て元通りになんだけどな」
「それにしてもアイツ、凄い腕の持ち主だったよね」
「あぁ。
あの男、最近レベルアップしてレベル13だったはず。
そのガチムチ戦士を容易く切り刻んだんだから相当な腕だよな。
やっぱり男なのか」
「いや、意外と女かもしれないよ。
でも、ガチムチ戦士を切るってことは筋力が高いってことでしょ。
っていうか、ガチムチ=(イコール)軽装備ってことだから自己責任の面が否めないよね」
「「「「「「クワバラクワバラ」」」」」」
退屈しのぎ代わりに、あること無いことを人の耳に届くボリュームで言い合っていた。
今の蓮とイロヴィータの情報量にとっては、だが。
一党は冗句を宿泊先の扉が閉まると同時に打ち切った。
至極当然のように、世界事情に疎い二人も噂の尾を引いていた。
「イロ、パーティーメンバーの選抜、慎重に早くした方が良いな」
「そうですね。
そうしないと私たちが殺られてしまいますしね、蓮さん」
改めて用心を誓うと、辺りをキョロキョロとしてカードから引き出した五千ザラトを持ち金に、引き続き宿探しを再開。
すると、持ち金に見合った(初級冒険者として)リーズナブルそうな外観の二階建てホテルを見つけ、ウエスタンドアに前方向に力を加え質素な宿屋へ入った。
既に、8軒のモーテルで満室お断りを食らい、明日という日を跨ぐ寸前、9軒目の前に脚が木偶の冒険者がいた。
「イロ、今日はこのホテルでいいか?」
「あまり、無駄遣いは出来ませんしね。
この先何が待ち受けているか分からないですし」
店構えを品定めするようにから眺めた。
次いで、屋根の造り、窓の嵌め込み、基礎構造の安定具合、ドアのガタツキと、建物の評価基準となる箇所を概ねチェックした。
お眼鏡に適うと踵を返さず、店内への直進を選択。
綺麗好きな彼らがここまで宿確保できなかったのは、外観がそれなりの体裁を保った宿がないという一因がある。
見た目に清潔さ・修繕具合を考慮に入れて拒否した店舗数を含めば、28軒もの宿に足を運んだ。
宿屋のウエスタンドアが軋む音に十人十色の冒険者が意識だけを入口付近に変遷させた。
真夜中にこの宿にチェックインする冒険者はとても珍しい。
この宿は、他の宿泊施設と異なり、宿賃相場より2割ほど高値。
外観は質素、安価という売り。
内観は反対に拘りまくり豪奢なガラス細工が吊るしてあったり、バスルームに一手間加えてある。
何も知らないヤツからしたら詐欺レベルのギャップあり宿だ。
内装は全体的に妖しく薄暗いムードを醸し出している。
宿泊者は概ね、高級志向のベテラン冒険者や観光目的で懐がほっかほっかの貴族寄りの庶民。
稀にローブやフードを被った正体不明の衆人も。
初級冒険者が泊まるには、最低一年は無駄使いはできないご褒美的ホテルに該当する。
「すごい………………ですね」
「ん、そうか?
まぁ……そうか」
意見の相違が行動にラグを生じさせた。
永い間、殺風景な仕事場で豪奢なインテリアに目が馴れていない女は、喉元を無防備に上方に釘付けだった。
男は、爛々と輝く玄関に何度も何度も胸糞悪い思いをさせられるヤツらが羽虫の如く集る様をダブらせたが、もう関係ないと、靄を完全に蒸発させた。
しかし、凶夢にトリップしたのも1秒未満。
消化すべきタスクのため、大して後ろ髪引かれることもなく、目障りな光源を疎みながら制服を着た女性の対面へ。
案の定というべきか、その場に居る八割の冒険者が見目麗しい美女に眼をやった。
そんな宿のスポットライトが彼女を浮かび上がらせる。
男の方は天使をスポットライトに置き去りにしたまま交渉を始める。
ガラスの色彩豊かな光芒が彼女を一層神秘的な存在へと昇華していた。
この建物を訪れる者は、男性7割、女性3割といった具合。
女性が泊まるのは、男性同伴でなく、女性同士のお泊まりがメイン層。
殊更、天使と凡夫の男女ペアは悪目立ちが過ぎた。
勝手気儘に、無軌道に、冷評が交錯せざるを得ない。
この高級ホテルだろうと。
元来、この宿は貴族向け超高級ホテルとしてオープンする計画だった。
それに貴族側が待ったを掛けた。
「いくら高級志向とはいえ、そんな庶民の住宅地に誰が行くものですか!!」と聞く耳をもたれずに計画は破綻しかけた。
予算を搾れるだけ搾って建造したのだから、狙いを変えて運営していこうと前向きに検討した結果、辛うじて今日まで朽ちずにやって来られた。
「御貴族様も認める本格高級ホテル」と喧伝することで貴族社会も密接に連関していると、事後承諾させる強硬策を執ることで。
「天上の猫」──この街随一の高級ホテル。
構造は各階12部屋設けられ、階層は七階建て。
値段は最上階に近ければ近いほどバカ高い。
コンシェルジュも一人一部屋仕えている。
移動手段は階段のみ。
エレベーターやエスカレーターのような電気駆動装置は実在していない。
だが、各所であべこべな科学進歩が認められる。
一体どのような分野が成長しているのだろうか?と蓮は推理を巡らせていた。
話を戻そう。
他の宿泊施設との差別化を図るべく、サービスや室内装飾の意匠を国家一流細工師が直接手を加えた芸術的かつ巧緻なガラス細工、クラフトに至るまでこの宿は一流が施工したことで高名である。
高名さは、悪名と美名両方をひっさげている。
当の本人たちはその惚けや猥雑さを含む視線に気に留めず、フロントへ歩を運んだ。
フロントのホテルマン用の椅子に脚を組みながらフィギュア然として腕を枕にした女性の前に二人は立ち尽くした。
受付の女性は浅い眠りから覚め、寝ぼけ眼を擦り男女の冒険者に焦点を合わせる。
「…………んにゃ?
…………何泊……ッスカ?」
高級ホテルに相応しくない態度で、涎をアクセサリーに、冒険者たちを迎えた。
いや、接客業のマナーとしては如何なものか?というレベルの言葉使いで間の抜けた調子でマニュアル通りのセリフを伸びをしながらなぞる。
「とりあえず…………、一泊で……。
で、いいよな?」
ホテルマンの不遜な対応に苛立つほど器の小さい客ではない。
彼にとって、その程度の接客は可愛い部類に位置すると、歯牙にもかけないで応対を進める。
「………………えぇ。
とりあえず、……………は」
自分が酒場やテーブルからの突き刺すような視線に包囲されていることに数分後──辺りの静けさが異様な熱気を羽織った一階部分で一人、まるで存在感を示す、闇夜に白光を迸らせる満月の如く──に察知し針の筵感を否めなくなり、居心地の悪さを紛らわすため唯一の同行者である彼の背を注視していた。
その流れで慄然とした声で彼に意志を伝えた。
態度は正反対なれど、当面の問題をどう解決するかに気を取られ、双方お座なりな語気に。
「じゃぁ、200ザラト」
ポケットに忍ばせた銀貨2枚を代金トレーに放り、次の交渉段階に移ろうとした。
鑑定士の真似事をしているのか、眼窩の周りに光輪が出現し、細工をを判定していた。
相手が目を細め、浅い溜め息を吐き、銀貨2枚を彼の手に戻した。
「………………………………………」
女店員は親指を立て、手振りだけで自分の背後の壁に立て掛けてある料金表を指した。
料金表には、1日の宿泊代から部屋のクラス、サービスの質によって異なる代金が記載されていた。
代金を間違えるのも無理からぬことであった。
ここに足を運ぶまでは200ザラトで事足りる宿ばかり。
見物したホテルの中には、一泊20ザラトもざるに点在した。
サービスの質の低さ、調度品の整備不良は著しい。
最も酷いホテルはホテルとすら口にしたくないホテルもあった。
故に、法外な値段設定のこの宿の料金表を見た蓮とイロヴィータは眼を見開いた。
「………………ちなみに、どの部屋が空いているんだ?」
このセリフは言うまでもなく蓮だ。
すぐさま脳の正常活動を再開したが、イロヴィータは割高感に拒否反応として熱暴走という放心状態に陥っている。
象徴として旋毛から蒸気を燧烽の如く放出。
希望としては最安値の所に泊まれるようにと心の内で祈っていた。
他のプランや部屋番号毎の値段が印刷された紙を見ながら。
女店員が今し方、空き部屋と今回の宿泊はどの料金体系に該当するかを確認を終えた。
「おっ、一階の……突き当たり……だったかな?
一番安いトコがまだっすね!!
料金は……4000ザラトっす」
「えっ…………、高っ!!!!」
「結構値が張るんだな」
4000という無視出来ない数字が鼓膜を通過したことで蓮の背への一点集中の夢想から現実へとイロヴィータを力強く引き戻す。
女店員が金額を虚偽報告していないか蓮が表情を読み取る。
蓮とイロヴィータはこの世界の文字とシステムに依然不慣れであるため文字の判別が容易ではない。
虚偽が見られないと判断すると──千ザラト相当の金貨を4枚、百ザラト相当の銀貨を9枚、十ザラト相当の銅貨を10枚──計五千ザラトの入った麻袋を取り出す。
内ザラト金貨4枚を会計台にパチンと弾き、部屋の鍵を女店員から受け取った。
何事もなかったように掌裡の銀貨2枚を音を立てずに元の場所へ。
ざっくばらんな指示のもと部屋へ歩行。
1階の一番奥に位置する為分かり安い。
101の道中、衆目を避けることは叶わなかったが、邪な目を気にする暇も無く、贅を尽くした造形に二人とも眼を奪われた。
場は足湯、賭博場、ビリヤード台などリラクゼーションや娯楽施設の色が濃かった。
1階の宿泊客は翌朝の冒険に向け、早寝早起きをモットーに活動している者、部屋呑みでどんちゃん騒ぎ!!な者たちで十把一絡げに出来ない冒険者たちで占められている。
同業者たちの過ごし方をリストアップしていると、今夜の部屋まで着いていた。
今夜の塒となる部屋のドアノブを捻り、中へ入ると左隅にベッドが一台置かれ、シャワー室、洗面所、と宿泊部屋として生活する上で何の不足も無い空間だった。
部屋は館内ほど豪奢ではなかったようだ。
それとも、この部屋だけが装飾過小なのだろうか?
その分、機能美に秀でている。
問題点を一つ除いて。
ベッドが一つしかない。
「イロ……、どうやって、夜を過ごす?」
「え、えっと。
どどどど、どうしましょう……!?」
常に冷静沈着を心掛けている蓮でも、この状況に愕然としながらイロヴィータの方を見た。
鏡写しのように、とはいかなかった。
イロヴィータはモジモジと羞恥で身悶え、さらに、緊張で声が幾分か上擦りながら蓮を見詰めた。
数分の時間の沈黙を場が包み込んだ。
だが、沈黙という無言のプレッシャーが、数分という短い時間を何倍にも引き伸ばしていた。
緊張という手枷足枷から釈放され平静をその身に纏うと、重く閉じていた口唇を持ち上げた、蓮が先に。
「しょうがねぇし……、一緒に寝るか」
「えええええーーーー!!!!」
頬をポリポリと掻き、立てた人差し指をベットに向け折衷案を提言。
彼女は奇想天外な落としどころを提案され、手から汗を噴き出させ、オドオド震えながら叫ぶ。
「じゃあ、俺が下で寝ようか?」
『蓮さんにしてはこっちの世界に来てから初めてなのでは?』『蓮さんにも『慈悲』という言葉が辞書に載っている』と、思える気遣いに感銘を受けた。
けれど、それも束の間だった。
「まぁ、お前が俺に何の恩義も感じていないのなら、な!」
「………………へ?」
「これからの冒険、疑う余地なく!!!!
確実に!!!!
負担がかかるのが明確で!!!!
その上、今回、俺の金で宿代も払ったしな!
なっ!!!!」
「うっ…………、い、一緒に、ね、寝ます」
誠に遺憾ながら、渋々ながら、不承不承、やむを得ず、ぎこちない首肯をした。
イロヴィータは下心で提案を申し出たと勘繰ったが、蓮には露ほども下心なく、寧ろ相手を慮るようなエチケットだと悟った。
この時季は前にいた所と違い、気温が零度下回る。
部屋内は外に比べ、当然幾分か暖かい。
だが、住居技術は天と地の開きがあるため床冷えを防止する機構は確立できていない。
そのため、床は外ほど寒くはないが一晩を過ごすには堪える。
一人で寝床に入るにも、やはり一晩は辛いだろう。
その対策として同衾を命令。
何故なら、住居環境は前世テクノロジーを引き継いでいないようだからな。
「まあ、俺も別に女性に地べたで寝ろ!
何て言わないから」
蓮はイロヴィータに彼なりのフォローを見せた。
項垂れているイロヴィータを傍目に軽い手振りでスペースを空けて、と示しながらベッドに尾てい骨を沈み込ませた。
「どっちから入る」
沈黙と呼べないほど短い静寂を二人のおおよそ合致した思考が蓮から零れた。
今日は宿探し活動しか行っていないものの、やはり汗は掻く。
(歩くという行為だけなら脚が棒ならぬ、釘になるほど歩いた)
このムズムズする気持ち悪さを払拭したいため、二人は附設されているシャワー室で汗を流すことにした。
「じゃ、お前から入ったらどうだ?」
「……えっ?」
「ん?
おかしいか?
俺から入ってもいいんだが?」
「いやいや、是非入浴せてもらいます!!」
順番をイロヴィータ、蓮に決定。
イロヴィータは、更衣室兼浴室にて汗でベタベタの衣服を脱ぎ、アメニティを手に、ガラス張りのシャワーブースに後姿を見せた。
シャワーヘッドから温水が湧出し、天女の湯浴みタイムが始まった。
彼女の大渓谷がが如き双乳の谷間をなだらかに水滴が下り、臍の海門を通航し、2本の肉柱付近のデルタ地帯に留まり、タイルに滴った。
タオルで石鹸を泡立て、皮膚を傷付けないフェザータッチで、手、首、胸部、腹部、背中、脚の順に、今日の汚れを取り除いていった。
身体中に付着した泡をシャワーの奔流で洗い流す。
瑞々しい乳白色のもっちもち美肌が水煙を纏う。
水煙が髪まで浸潤が及ぶと、本格的に髪のトリートメントに突入。
この世界に、シャンプー、リンスがあるか、又は、浸透している可能性は未知数だ。
幸いこの高級ホテルにはアメニティがシャワーブースに充実している。
髪のトリートメントを始めた。
予洗いを念入りに、シャンプーを泡立て、指先で頭皮をマッサージし、髪同士が擦れないよう丁寧に泡を落とす。
清潔な髪に元通りになると、次はコンディショナーを用意。
シャンプー使用後に水気を絞り、コンディショナーを手で伸ばし、毛先を中心に浸透させる。
漱ぎ残しを無くす為、三分程度シャワーからぬるま湯を流し続けた。
「ふんふんふ~ん♪♪ふんふふ~ん♪♪」
丹念な手入れを施した後はお気楽な鼻唄を口遊み心のコリを解消した。
それからは、5分ほど要して着替え必備の洗面台横の簡易クローゼット(湿気対策として換気扇完備)からバスローブを取り出し、髪に枝垂れる水滴を軽く拭いてベッドに腰を乗せた。
───妖艶と純真を同居させた女神が湯浴みの最中、蓮はといえば───
然して、暫し蓮は今までの展開を自分ながらに振り返るべくシャワー音に背を向け、寝転がりながら愚痴っていた。
「ったく。
どうしてこんな事態になったんだ。
漸く俺は楽になれると思ったのに、そもそも、ミッションって何なんだよ!
こういうのに王道な魔王討伐とかか?
それとも英雄になれとかか?
いや、それ以前に時間制限ありなのか?
稼ぎはどうすれば?
何か技術進歩も無茶苦茶やし!!
ぬおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉーーこれからどうすればいいんだああぁぁぁぁっ!!」
後頭部を腕で覆いながら身体をグネグネと動かし、ローリングな悶え方をしていた。
──女体よりも、自身の悩みに頭を抱える事態だった──
イモムシの行動模写の最中、部屋が湯気が埋め尽くす勢いで充満した。
同時に、鼻腔へ甘い薫香を届かせた。
「ふぅーーーー。
サッパリしましたー。
でも、出来れば、お風呂に入りたかったですね!」
シャワールームから、バスタオルで髪を挟みトントンと叩き、水気を拭き去り、ホテル支給のバスローブを纏い、一つしかないベッドに腰掛けた。
既に先程までの醜態を解き、膝に手を着けて浪人然とし、イロヴィータが出てくるのを待っていた。
「蓮さんも浴びたらどうですか?
さすがに、汗を掻いたでしょう?
湯加減も丁度良かったですよ!」
「あ、あぁ……」
手の甲に粒の汗を滲ませ、ばつの悪い物言いを漏らす。
彼の口調は荒いが、乱暴狼藉を働くような無頼漢ではなかった。
「俺も入浴るわ」
「どうぞー」
彼女はバスローブでベッドに天井を眺めながら沈んでいた。
手を振りながら、蓮を更衣室に見送った。
入れ替わるように更衣室でインナーとパンツを脱ぎ、全裸になり引き締まった肉体を確かめた。
更衣室に入って解ったことがある。
ガラスの外は、漠然としかベッド側を見れないが、完全防音が施されている。
何を話しているのか、騒いだり、喚いたりしても一切漏れない。
故に一人悶絶パフォーマンスを観られずに済んだと一安心。
次に、イロヴィータはこの仕組みに気付かなかったのか?と蓮は首を捻った。
疑問を、己の肉体に転生がどれほど影響を与えられているか?に戻した。
その、程度次第で戦いのスタイルや冒険の手順を思考し直さないといけないと真っ先に感じていたからだ。
決して、自分の筋肉に見惚れていた訳ではない。
ホ、ホントだよ?
蓮は身体の変化の有無を筋肉でチェックを確信すると、今度は転生前一番違和感を覚えた『眼』をラグマット前の、髪や眉、歯磨きの際、身なりを整える洗面所に設置された円鏡へと集中させた。
鏡面には禍々しく『紫眼』がくっきりと映し出されていた。
親指と人差し指で瞼をこじ開けて、眼の血管、白目の密度、視神経の異常などの検査をしたが、至って正常。
「…………なんだこれ?」
この眼になってから異常と呼べる異常に悩まされることはなかった。
痛み、変色、挙動諸々の違和感に。
痛みはじくじく、ジュクジュク、ゴロゴロと熟れ時の果実みたいに。
変色は、紫から腐乱した色に。
視界も明快だが暗澹と。
などと、変貌の始まりがどこまで展開されるのか?と脳のニューロンを走らせる。
こうやって鏡とにらめっこすること2分。
「ま、うだうだしてもしゃーないか」
洗面台についた両手を引き剥がし、シャワー前にペタペタ脚を動かした。
再び、シャワー場を水蒸気が包んだ。
────水も滴るいい男に絶賛変身中の蓮に対し、イロヴィータは────
穏やかな息を吐きながら水の温度上昇による自然現象を見守っていた。
湯気がガラスに張り付いたことで、モザイクの下に浮き彫りになった彼の裸体がぼんやりと出現した。
彼女は寝転がりながらタオルで毛先から頭皮までをポンポンと包む作業を先程まで自分がモザイクの世界にいたことを天啓を授かったように思い出した。
作業中の手を止め、自分がどのような状況に置かれ、蓮にどのように見られていたか思い直すことで、先の彼のきまりが悪い態度を赤面しながら納得した。
シャワーを浴びていた当人には感知不能。
鏡のような薄いガラス板で区切られているため、グラグラ揺らぐ理性の持ち主の人間では鼻血を噴出するような、甘美で淫靡な暴力的な──二つのマシュマロは活き活きと吊り上がり、吊り橋のような細腰に牽引される形で引き締まった艶やかなヒップ──裸体のシルエット(ぼんやりと)を蓮の水晶体に像を結んでいた。
蓮は女性の裸体を想起させるシルエットを目前にしても、精神を律することが可能な人間で、イロヴィータが動揺する展開は未然に防いだ。
それでも、沈黙を貫くという初心さは残っていた。
──そして、今現在、お通夜のような重苦しい、しかし新婚初夜の気まずさに類似した無音に包まれていた──
二人ともバスローブ姿で躯が内側から火照り、それが湯気となって発生し、ムーディーな雰囲気を醸し出していた。
人2人分のスペースを空け、会話のキャッチボールの主導権をどちらが握るか、緘黙に拍車がかかる。
緘黙を切り裂いたのは、やはり!と言うべきか、蓮だ。
寸刻前のミラー事件の問題点を先延ばしには出来ない。
蓮は相手も問題をシェアしていると踏んだ。
「ああー、それなら、無料の大衆浴場があるから今度からはそっちに行ったらどうだ?」
「ええ、そうですね。
……こ、今度……行ってみます。
蓮さんは何処で湯浴みするんですか?」
「……俺は部屋のシャワーで良いから」
イロヴィータも同質の問題を拵えていた。
後に、数秒の逡巡を見せたが、性格と情報を無用に晒さないために一人でいることを選択した。
大衆浴場は男女ともに、前世界もこの世界も情報漏洩のフィルターを通し難くなる。
蓮とイロヴィータには迂闊に手前の情報をバラ撒く訳にはいかない。
しかし、情報弱者である彼らは何か、世界の兆しを掴まなければ冒険を始めることもままならない。
故に、苦渋の決断として情報収集を一決した。
ただ、その決意は蓮の内だけで留めたものだが。
「私がお風呂で情報収集しますから。
お風呂では色々と奔放になりますからね!
こういう時は情報がないと!」
抜けている、のほほんとしたキャラと想定していた、イロヴィータの人物像は上方修正が脳内で施された。
ただ、蓮は自分が行動したくないからイロヴィータに擦り付ける訳でない。
イロヴィータは人に話し掛けられ易い顔立ちを持っている。
蓮では、何か画策していると猜疑心を向けられかねない兇悪な風貌のため。
「あぁ、助かる」
「えへへへへ」
蓮がどのような詐術で彼女を騙すか思惟を巡らせていると、彼女の方から発案され、ポロッと感謝してしまった。
この何気ない感謝がイロヴィータに告げられた正真正銘の初の謝辞。
得体の知れない感傷が胸に渦巻いた。
一方の蓮は特に心に留めなかった。
髪に付着していた水分を取り終えると、少量の水分を含んだタオルを折り畳みながら、膝の上に湿ったタオルを置き、感傷を一旦棚上げに、話題に加わった。
「情報収集の件は決まりっと。
…………次は、仲間集めだな」
「やっぱり、そーなりますか?」
「仲間については明日になってからってことでな」
「……では、お休みなさい」
蓮は当然の帰結を、両手を後ろに着き、疲れと呆れを滲ませながら呟いた。
彼女は、蓮と僅かな間隔を空け、背中合わせにベッドに横たわっていると、徐に眠気に駆られ別世界へと旅立った。
これにて、2人の一日は終いになった。
と、蓮は思った。
彼女が廂間の彼方に意識を飛躍させるのを見送った。
蓮は彼女に背中を向け、木目が目立つ壁に目の焦点を合わせ、疲労と生理反応がもたらす重力に従い瞼を閉じた。
「死んだり生き返ったり、忙しない一日で情報が処理しきれないな。
まぁ、それは睡眠で何とかするか」
最後に独言とも愚痴とも解釈可能な恨み言を呟いて、意識を夢という大海原に冒険させようとした。
このまま曙光で意識の覚醒を迎えようとしたが、就寝直前、天井に膨大なグラフが投影された。
初めに計測した項目とは異なる項目が淡い青色の残滓として現れ、睡眠妨害を被った。
項目は100は越えていた。
全容を精解は不可だった。
「な、……な何だ?
…………敏捷性?
…………攻撃力?
…………防御力?
…………叡智?
…………耐久力?
…………精神力•霊魂?
…………魔力量?
…………適性職?
スキルに、魔法に、宝精…………か。
はっきりしているのは、さっき見たやつだけだな」
躰を起こし目を擦り、上空を掴んだが、手が虚を切るだけだった。
この異常事態に困惑した蓮は隣で心地良く寝息を立てているイロヴィータの方に慌てたように首を回した。
しかし、一切の転変が生じていないことが見受けられた。
現在の急な異変は自分だけに適用されていることを推測。
今の、暴論でも構わない、納得させる程の論理が見つからない。
このことは、自己認識だけに留めておくことに決意。
5分後、天井のグラフは泡となり視覚化されることはなかった。
100項目を越える事柄のため、概観は出来なかった。
この現象は毎夜発生するのだろうかと懸念が過った。
だが、疲労困憊のこの躯は猛烈な睡魔の色仕掛けで意識を手放した傀儡のように寝床に吸い込まれた。
そうして、長くも短くもある一日は終わった。
────太陽が地平を割る朝ぼらけ────
この街の二番目に高い望楼から金管楽器の空気を裂く甲高い声が、ローグの街に吹き荒れた。
20分程、ハイノートを操る奏者の芸術を市民の耳を支配した。
この音は、市民の目覚まし機能を果たしている。
中には、耳障りな警報だと批判する市民もいる。
蓮も「耳障り派」を支持しようと、この時迷うことなく挙手するだろう。
「ああああああああ!!!!
うるさぁぁぁぁぁい!!!!」
「んんーー?
何ですかー?
うるさいですよー」
イロヴィータは快眠を蓮の叫号により妨害されたが、どこか清々しい寝起きだった。
当の本人は最悪の寝起きだったようだが。
顔だけでは、良い寝起きか最悪の寝起きかどうか判別が出来ない程の。
身繕いを済ませ宿を発った。
服装は昨日と同じもの。
かつて聖堂として重宝され、老朽化によりバー兼喫茶店へ生まれ変わった『ホーリーチューン』へと朝食を食しに、太陽の傾きより8時と推測される時間に入店した。
朝食の皿には魔獣と生物が主に目立つ。
他の皿には植物性魔獣だったり、と牛や豚のような見慣れた生物は料理されていなかった。
背もたれのない椅子に座り、喫茶店の方のメニューをペラペラと捲る。
手頃な値段の苦味と酸味を融和させたコーヒーに似た風味、しかし、色味が茶色ではなく白色の表面が張っているカップの絵の商品をオーダーし、追加の朝食を考え中。
「見たことねぇ料理ばかりだな。
だが、似ている料理やドリンクもあるな。
なぁ、決まったか?」
「はい、決まりましたよ!」
つまらない、もとい朝の落ち着いた空気にぴったり、の会話をメニュー選びで展開し、
「すいませーん!
この、ニジイロクイナのバジルソテー下さい!」
「俺は、シースコーピオンのホットスパイシー漬けを」
「…………う、承りました」
辿々しいながらもメニュー名を伝えると、ウェイトレスが厨房にオーダーを通し、3分ほどで料理を乗せた皿が二つテーブルに運ばれた。
皿と共にカトラリー(ナイフとフォークだけ)がナプキンに包まれながら運ばれた。
ウェイトレスが、ごゆっくりと。と言い残す間際、そそくさと二番テーブル(蓮たちが利用)から鼻を摘みながら逃げた。
業務を放棄する訳にはいかず、別のテーブルのグラスやカトラリーを下げに業務へ復帰した。
「見た目はアレですけど、味は鶏肉より美味しいですよ!!
彩りが良いと思えば、良い事ばかりですね!!」
「あぁ、こっちも激辛よりも激辛って感じだな」
「す、すごい臭いですね……」
「ん?そうか?香しい臭いじゃないか?」
「ソ、ソウデスネ」
未知の味覚に舌鼓を打つ冒険者たちは朝食を済ませ、飲料水を二、三口含み、食休みを満喫していた。
因みに、シースコーピオンのホットスパイシー漬けは舌だけでなく、目も刺激する激辛料理である。
テーブルに運ばれた時はガスマスクを着用したウェイトレスに、食事中に至ってはウェイトレス、ウェイターがガスマスク着用。
他の冒険者たちは防臭対策が不十分なのか食事中や歓談中にも関わらず脱兎の如く四散した。
この注文が通った時に嫌な顔を微塵も匂わせないポーカーフェイスは、ここの従業員凄いな。と蓮が驚きを顔に貼り付けるほど見事なものだった。
臭気が収まると四散した冒険者たちも元に戻る。
蓮に怨めしい視線をぶつけることでいつものホーリーチューンの様相を取り戻してきた。
用を済ませ、居心地が悪くなった場所で大切なことを相談したいと思うほどイロヴィータの肝は据わっていない。
ホーリーチューンの二番テーブルに合計代金30ザラト、銅貨3枚を放置し、食という人間の贅を堪能した。
次のステップを認識するため、二人はギルドを目指した。
朝食後の時点でギルドの声量はミュートに近かった─昨夜の夕食は大音量と比喩して遜色ない。
ギルドの従業員は黙々と開店準備を行っていた。
それは受付嬢のクィカノも例外ではなかった。
彼女は、掃除や書類整理の雑用等に駆り出されていた。
受付嬢は公務員のような扱いであるが、給与体系は歩合制と、前世界とは異なる。
鼻を押さえていたイロヴィータが痛い匂いから脱し、新鮮な空気を肺に吸収したところで、朝の話し合いがギルドの談話スペースで繰り広げていた。
どうやら、シースコーピオンのホットスパイシー漬けは2軒離れた『壮烈者の集い』通称『ギルド』の館内まで激臭で侵されていたようだ。
クィカノだけでなく、他のギルド事務員も鼻腔にカプサイシンを通さないようにしていた。
傍目で淑女の働きぶりを一瞥し、これからの展望を賑わってきたギルド内で合議し始めた。
「初っ端は、メンバー集めか?」
「ですよね~。
でも、どんな人を入れるんですか?
私は、同じ初級冒険者なら報酬の分け前でトラブルになりにくいと思うから初心者にした方が……」
「んー……どうすっかなぁ。
初心者だけだと、そういう場合意見が分かれて揉めるだろ。
まぁ、金の配当にはあまり文句は言わねぇよ、俺は」
蓮が金銭に頓着しないのは偏に貯金残高の有無が関係しているのだろうと、イロヴィータは心の中でピン留めしていた。
「あんまり無欲過ぎて、変な奴認定されても困るし、若干多いか少ないかの報酬にしとくわ」
「ええぇぇぇぇええ!!
働きに応じた報酬にしましょうよ!
そっちの方が禍根が残らないと思いますけど?」
だが、蓮の補足を疑問から企みに遷移させ、消化し切った。
「……………………」
やはりメンバーは重要なファクターなのだろう、さしもの二人とて、迂闊な指針を提示する訳にはいかない。
沈黙が五分続く。
蓮からは意外な発案が、寧ろ嫌いな兆候が見受けられる候補が意見として、ピースが生まれ出た。
「……どんな奴をパーティーメンバーに入れるかだが、女冒険者だけにしようと思う」
どうやら、蓮に男色の気はないのかもしれない。
イロヴィータは男色を疑っていたようだ。
「は、は〜ん。
蓮さんも、そういう憧れあったんですね!」
重い話を始めるような熱誠な眼でイロヴィータに語りかけると、彼女はニタリと卑しい笑みを浮かべた。
彼女は、どうせ自分の欲だけで言ってるんでしょ!と呆れを溢れさせていた。
しかし、
「は?」
イロヴィータの問い掛けを無碍に、口を歪ませた。
その態度は如実で、爪でテーブルをコツコツと小さく叩く態度。
不快感を露に眉を顰め、言葉の続きを黙ることで催促した。
「いや、いいんですよぉ。蓮さんも男の子ですからね。
ハーレムっていう状況を夢見るのも……
も、もしかして私もハーレム要員だったりして!!
きゃ、きゃ、きゃあー!!
なんちゃって…………」
イロヴィータは人差し指で彼の眉間を小突くと、指を絡める手の組み方をし身体を左右に梃子のように揺すりながら乙女モードにスイッチオンしていた。
乙女モードもバッサリ打ち切られるのだが。
「おい……。
俺が、そんなことのために…………。
そんなくだらないことに…………。
女冒険者ばかりのパーティーを作りたぁあいっ!て言う訳ないだろ。
俺は早くここから出たいんだからな!
そこんとこ忘れんなよ!」
芝居がかった口調で話し始めると、後に指先を彼女に固定したまま叱責を飛ばす。
芝居の中にも割合、決意や気迫が染みていた。
イロヴィータの乙女モードに蓮は苛立ちを覚えるだけで、ギャップ萌えの属性は有していないようだ。
蓮にデレを行使するにはデレ値のパラメーターが足りなかったのか。
それとも、彼女にデレさせ値が足りないのか。
まぁ、彼女のデレは分かりづらいタイプなのだろうか。
「えっ?
それじゃ、どうしてハーレムパーティーを作るなんて言い出したんですか?
蓮さん!!
もしかして!!
蓮さんて、僧侶?坊さん?涅槃?のどれかだったんですか?!」
「いや、どれもあまり変わらないだろ」
怒りの矛先を失った蓮は事由を手短に零す。
欲望を満たす行為ではなく、他者貢献の行動だったようだ。
「イロ、昨日から今も男冒険者にチラチラ見られていたぞ」
ゴブレットに入った水をちびちび飲みながら、そこそこギルドの人口密度が高まり、周りの男性冒険者がイロヴィータに忍ばせる視線へ気付かれないアイコンタクトを向けつつ、蓮は正面を見遣った。
「…………はあぁい?つまりぃ?」
ろくに人と接する機会がなかったのだろう。
相対的な対象もなく自分がどれだけ異性、同性の中にも視線を向けられる程魅力的な女性だと認知していない様子を彼女から覚った。
ドリンクサーバーから抽出した帝国農園直送オレンジジュースをストローで啜るイロヴィータは、?を浮かべ蓮の話にしか注力していない。
「つまり!
お前目的でパーティーに入って来られたら絶対!
メンドーなことになるだろっ!!」
「だから、女性だらけパーティーにすると?
んんー、俄かには信じ難いですねぇ。
本当にぃー?」
彼のシリアスムードも彼女には通用していない。
知ったこっちゃない。
水が残ったゴブレットを放置し、
「それじゃ、街で仲間集めに行くかー」
デスクを真っ二つになるくらい勢い良く叩きつけ、
「あ……。
ちょ、ちょっとー、待って下さいよー」
イロヴィータも放置し、手荷物も無い蓮はそそくさと建物を去った。
躓きながらも、慌ててゴブレットを倒し、ギルドを後にする暴虐を追い縋った。
建物から一歩出ると、昨日とは打って変わって閑散した町並みが望めた。
ギルドには、まずまずの人数が居た。
朝市や魚河岸が無いこの観光地的ポジションの街は朝活する者はごく少数。
仲間集めを意気込んだが、冒険に最も必要なものを具有していない。
そのことを自覚し、今は装備捜索道中と洒落込んでいる。
防具屋、武器屋、鍛治屋とファンタジー世界に適した店構えが軒並み続いている。
この界隈は、鎧やローブを靡かせる冒険者で時間帯を問わず繁盛していた。
炉、鞴のボゥボゥ鳴る空気の音。
鍛造の金槌が生み出す金属音。
鎧や剣独特の鉄臭さ。
食糧など普遍的な生活の匂いは砂粒ほども臭わせない通り。
冒険者のための領域。
一般人は立ち入らない世界。
本屋が数軒建ち並ぶ。
全てが魔道書や呪文書など冒険者しか需要のない本ばかりの店舗。
それが、ここ『ジャンク・ボックス』という一帯。
「冒険に出るにも、道具を揃えないとな。
必需品を忘れてたわ」
「道具を揃えるとするなら……あそこと、あそこと、ここと……ですね」
客人の層や陳列品のファッション性を目や首を右に左に旋回させチェックしていた。
イロヴィータは、ご自由にお取り下さい!!、と貼り紙が施された立て看板の足元に布置された冒険者ガイドマップを手に、蓮と必要な道具を購入する手立てを討論中。
「イロ。まずは、お前の装備からだな」
「いいんですか?
私、お金ないですけど?」
守銭奴の、吝嗇家の蓮にしては天変地異でも発生してしまうのでは?と気でも触れたか?と疑念を抱いてしまうイロヴィータ。
彼の注力する分野は何だろう。
威力、装飾、安全性、汎用性、それとも………………。
自己の 迷宮に囚われる始末。
「必要最低限の装備はないとダメだろ?
その代わり、安い装備だけどな」
迷宮の出口は値段か。と彼女は句読点を打った。
「ええええぇぇぇぇーーーー!!!!
そ、そこは、お高い奴で…………。
お、お願いしまぁぁぁぁあす!!!!」
砂の城よりも脆い希望を築いた刹那。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁあ?
ふざけるな!!」
低く腹の底を震わせる静かな怒気を込めた声音で説教。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
無闇に叱った蓮ではない。
「いきなり、初級冒険者の俺たちが最上級冒険者の装備を使っても、扱いきれないだろ?
それに、金を無駄遣いできないしな!」
レア武器が手に負えない冒険の素人では金の無駄遣いになってしまう。
素人には素人に適切な装備でなくては。
「うっ、うぅぅぅぅう……………………」
「だが、そこは交渉次第だ」
「蓮さん!!!!!!」
蓮は無闇矢鱈にイロヴィータを虐めたいのではない。
金を流用するにしても意味のある使途でなくてはならない。
まぁ、時折贅沢をすることを妨げたりはしないだろう。
その金は議論の余地なく、蓮の有り金ではあるが。
一悶着、いちゃいちゃとも解釈される一連の行動を中止すると、マップを折り畳む。
ジャンク・ボックスと刻字されたアーチを潜る。
アーチから数えて左側から3番目の防具店『鋼鉄の護り』──両隣は、左側がポーション店、右側が低級魔獣買い取り屋──という比較的良心的な価格設定で低レベル冒険者に大人気な店に足を向けた。
『鋼鉄の護り』
初級冒険者向け防具店、防具店の中では良心的な店として有名。
店員は一人。
店長だけで切り盛りしている。
道具は全て店長の手作り。
クラスが最上級鍛冶師に到達していない故完璧には及ばない。
不完全さが安値提供に貢献している。
品数は少ないが、その分一つ一つが頑強に精製されている。
スイングドアを抜け、ディスプレイの鎧を着た木偶人形に歓迎された二人。
「いらっしゃい」
無骨で味のあるバーのマスター風な地を轟くハスキーボイスが出迎えた。
無愛想な店主が整備道具メンテナンスの片手間で二人に目を向けた。
イロヴィータは店主へ会釈しながら入店したのに対し、蓮はそのまま彼女の横を素通り、挨拶をスルー。
マネキン兵士たちが並ぶ店の奥へと歩を進めた。
メンテナンスに区切りをつけた店主が
「おい、若いの」
と立ち上がり、腕を組んで蓮の前に重石が凝然と佇む。
大男が訝しげな目を下へ向け、装備を一見した。
「…………ん?
何だ?」
十人十色な防具類に没頭していた蓮も不躾な目を双眸へと突き刺した。
二人が漂わせる任侠人ようなピリピリした空気をイロヴィータはびくびくおたおたしながら見守っていた。
「………………何する?」
査定が完了したのか、鎧を数種見繕いつつ、台座に並べ親指で決定を促した。
この店主は料金的には優しいが、一度足を踏み入れたなら何か一つ商品を購入しないと逃がさないとばかりの迫力があった。
革鎧、鎖帷子、合成革鎧、鉄鎧、木型鎧と安価な鎧を準備した。
そこは、上級鍛冶師だけはある。
性能だけでなく、品質も良好。
初級冒険者に好まれる店舗は伊達ではない。
「どれが安いんですか?」
「木型鎧だ。一式で1000ザラト」
「一番高いのは?」
この店舗の売り値幅を確かめたい蓮がピンキリを要求しつつ店内を隅々まで観察した。
初心者を対象にしたとの触れ込みだったが、中級クラスでもターゲッティングしているのでは?と感じる陳列棚の多さ、高価な鉱物で配った盾、鎧、兜の数。
「………………一番は。
……この妖魔石で錬成されたスケイルアーマー。
…………一式100万ザラトだ」
大男が指を店の角に示し、異様な光条を放つ鎧がそこには現存していた。
スケイルアーマー近傍の防具は件の防具ほど豪華なものでない。
それでも10万ザラト捻出に値する材質、デザインが施された鎧がゴロゴロしていた。
初心者向けは店先、出入り口辺りに整然と並べられている。
暴戻な外面に反し、几帳面な内面。
内面に作用ではなく、職業に作用したのだろう。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
鎧と想起させる錆臭さや地味っぽさを微塵も感じさせない。
そのお陰か、所為かピリピリした空気が霧散した。
「イロはどれが良い?」
どこ吹く風といった風体で店内をうろうろ徘徊する蓮。
無暗に商品をベタベタ触るのはダメな事だと常識的な行動を脳に刷り込んでいた蓮。
レザーグローブやフットガード、ヘッドギアのような小物類も眺めるだけ。
周りを見遣り、何故そんなに気を張るのか、全く理解不能な蓮だった。
生前、他人の視線、感情にマイナス成分を含有させられていても無関心で迎えていた。
「んーと。
どれが良いんでしょうか?」
「あんた、適性は何だ?」
「えーとっ……後衛からの援護ですね」
朝食を摂った後に、今日のステータスを更新していた。
冒険者シートを毎日更新することは冒険者として鉄則のようなもの。
まぁ、その冒険をしないのならしなくても可ではあるのだが。
更新しなくても、能力やスキル自体は随時アップデートされる。
オートアップデートは円の頂点の針を跨ぐ刻。
ステータス更新可能地点はギルドが主流。
「…………後衛、援護ってこたぁ。
回復、治癒、耐性付与、強化あたりがメインか」
目当ての防具を繕うためマネキン兵士を一体、首根っこを掴んで蓮とイロヴィータの前に立たせた。
マネキンは光沢を購入希望者たちの目を潰すほど照らす。
輝きは格子状、彩りは結晶の光芒と色素の青白さを放っていた。
「おら、アンタには鎖帷子にダイヤモンドコーティングしたこの逸品を薦める」
「…………おいくら何でしょうか?」
前述した通り、ここの店主は低レベル冒険者に評判の良い防具店として経営が成り立っている。
大男は無精ヒゲを撫でる。
今回の代金をどうするか計算を真剣に悩んでいた。
悩みながらも二人の冒険者の瞳を凝然と見つめる。
二人の未来の勇姿を妄想しながら。
それが、現実になるかは別にして。
大男に御大層な能力は欠片もない。
彼が積み重ねた経験、知識、感性が全て。
確率は極めて低いだろう。
そして、苦難の末か手っ取り早いか、も別にして。
思慮から帰還した大男は時価を告げた。
「初心者割りで10万ザラトのところを……3万ザラトにしといてやる」
「ホントですか!!」
驚愕の宣告に声を荒げたイロヴィータ。
蓮も音にはしていないが、驚きを隠蔽し切れていなかった。
デスマスクには至れていないようだ。
何故そんな価格破壊を下せるのか、脳を必死で稼働させた。
理由は明白。
「代わりに、今後もご愛顧宜しくな」
不敵な笑みを貼付し、彼らの躯を後方に押させた。
蓮もイロヴィータも大男の、商売人として抜かりない側面を垣間見、彼の者等の冒険者生活のスポンサーへ支持することに決定した瞬間だった。
「やれやれ」
「やった!」
財布の紐を掌握している蓮と無一文のイロヴィータ。
おもちゃをねだる娘に渋々買い与える父親という構造が幻視するシチュエーション。
その構造は大男すら破顔させる効果を併せていた。
「まいどあり!」
顔に寄っていた皺が客受け最悪の頑固オヤジ仕様からプライベート用のダンディズム溢れるオーナー仕様に。
「はぁ…………っく!」
目、口から血を流すほど銭を失う悔恨が滲み出ていた。
ポケットの中から引力が作用したようだ。
肉を削ぎ落とす決意でキッチリ3万ザラトを金貨3枚で一括払いを果たす。
白銀硬貨は、金、銀、銅、どの貨幣よりも純度が高い。
不純物を一切含有しない硬貨。
金貨、銀貨、銅貨は10%弱の不純物を混ぜてある。
色は銀よりも白く輝き、鉱石のような光条を撒き散らす。
白銀硬貨の利用は幾つか条件がある。
一つ目は冒険者の装備・修理など冒険に必要な状況での支払い。
余程、巨額の決済が訪れなければ使われない。
通常の支払いは金•銀•銅の三種類の硬貨で行わなければならない。
金欠の場合でも、例外の使用を不許可とされている。
二つ目は商人が大口の取引を交わす際に一定額以上の手形としての決済。
記念硬貨としての側面も有する白銀硬貨。
金銭としてだけでなく、約束手形として機能する。
三つ目は政治・外交の証明書として運用される。
白銀硬貨には一枚一枚に数字が彫られている。
よって、偽造硬貨は鋳造されない。
最後の条件、四つ目は、貨幣を金銭面の利用を固く禁ずるという制約を大前提条件として。
重要な金を手放し、決まった現実を気落ちしても何もならない。
着地点に冷静さという自分を封じ込めた。
そういう金にがめつい部分は蓮も併せていると再認識したイロヴィータだった。
一つ商談が纏まった。
もう一つの商談も手堅く契ろうと店主はイニシアチブを握るべく口火を切った。
「兄ちゃん、あんたも買ってくだろ!」
今後、いや、冒険者になったからには防具は必需品。
買わない手はない。
だが、これ以上浪費する訳にはいかない。
いや、しかし。と、悩んでいたところで横から
「買っちゃいましょうよ~」
「おう、買え買え!」
「買わないと危ないですよ!」
「あぁ、買わないと損だなぁ」
悪魔の囁きで正面側面を囲われ、購買と節制の天秤が購買にキキキッと傾き、節制の重力が負けたことで防具選びに舵を切った。
「………………判った」
ただ、金の無駄遣いにしたくなかったからではない。
転生前は通信武術を嗜み、あらゆるジャンルの格闘技をマスター済み。
動画投稿サイト『ソーシャルムーブ』の『講習部門』の『格闘技』を閲覧し、動き、技を膨大なメモリーに収蔵。
動き、技を肉体に染み込ませ、サンドバッグドールを相手に日夜訓練をしていた。
己の鍛練がこの世界の人間やモンスターに通用するかを試さない内に不用意に総重量を大きくすべきではない。
尤も彼の願意は冒険に根差していない。
「よし!」
大男はどうやら商談が成立すると声が上擦り接客に熱意を注ぐ性らしい。
購入を終えたイロヴィータにも商品を勧める有様。
単独で種種雑多な鎧、盾を見渡している折、店主がイロヴィータには聴聞したことを蓮にまだ聴聞していないことを思い出す。
「なぁ、アンタの適性は何だ?」
「ん?えーっと、ちょっと視てくれないか?」
「ああん?なんでそんなことしないといけないんだ?」
「読めない」
「ああ?」
「俺、字が読めないから」
「そうだったのか」
「変か?」
「いいや、そんなことはない」
ローグの識字率は、読みが八割、書きが七割、読み書き両方とも出来るのが五割。
その内冒険者の識字率は読み書き二様可能は七割が習得済みという結果。
「まぁ、読み書き出来ないより出来た方がこの先色々と捗るしな」
「そうか……」
「ところで、何の話だったか?」
「俺の適性についてだ。なぁ早く読み上げてくれよ」
「悪い悪い」
少しの脇道を歩んだが、元の会話の道路に戻り、簡略化された冒険者カードを蓮から受け取り適性を読み上げた。
「なになに?超近接型闘士って書いてあるな」
「それってどんな闘い方がメジャーなんだ?」
「分かり易く言うなら。
最前線で、魔法を使わず、剣や拳で闘う感じだな。
……しかし、珍しいな」
「…………何がだ?」
「あぁ。
いや、超近接型闘士、別称フロントインファイター。
そう呼称しているのは、俺だけだけどな。
呼び方は自分で決めるといい。
あまりこのクラスに会ったことも、聞いたこともないからな」
「…………そうか」
蓮は初見時の冒険者カードでは読解出来なかった概要を噛み砕き飲み込むと、俺は自分をどんな適性コードで呼称するか、という瑣末事を考えていた。
実にくだらないことを。
超近接型闘士なら敵からの打撃、魔法を封殺する盾や鎧、装甲を用意する必要があるな。
と最初の交渉の終点へと戻った。
「アンタならあまり嵩張るモノより軽装の方が良いだろ」
今度はマネキン兵士ではなく、ベルトで留める革鎧、イロヴィータより安価な何のコーティングも施されていない鎖帷子などを先程の台座に並べた。
台座に乗っている一つ、異なる金属と不純物を混ぜた複合薄鉄板を一枚緩衝材にした革鎧を眼に留めた。
「……それにするのか?
お目が高いな」
店主が蓮の審美眼に感心を寄せた折、革鎧を触ろうとした折、変な音が鳴り響いた。
「どうした?」
「どうかしましたか?」
どうやらヒステリックな音は他の二人には可聴域に達していないようだと己と違う態度から察した。
「あ、あぁ。
もう少し考えてから決める」
「そうか」
店主は店の雑事に。
イロヴィータはこの店で店主の副業の手作りアクセサリーの類いを物色していた。
つまり、蓮から注意を逸らしていた。
何故ただ革を触ろうとしただけでこんな音が鳴るのか、原因究明しないと気が収まらない蓮はまたキィーーン音がサラウンドして止まなかったが、件の革鎧を掴んだ。
肩紐部分を掴もうとした瞬間。
何か反発した錯覚を知覚した。
いや、錯覚ではなく、電気が右手から体中に伝播。
痛みの耐性を転生前から付属されており、凄絶な痛みが迸った。
だが、まるで静電気がパチッと弾けた程度の痛痒を装うことが出来た。
決してドMというワケではない。
アラートが変化した。
キィィーーンからビィービィービィーというブザー音に。
その変化は昨夜の就寝直前に出現したグラフにも表れた。
グラフに初めて能力が追加された。
『ステータス』一覧に。
『嫌気防御』という要領を得ないステータスを。
「一体何なんだこの『嫌気防御』。
防御って。
ま、まさか……な」
心の声で呟きながら、推理や推論が趣味の蓮は現象と名称から不穏な、不利なステータス更新が為されたと唇を噛みしめた。
後に、2、3回手近な盾、鎧兜を指先で触れた。
どの感触でも同威力の電気が走った。
「悪いな、出費が厳しいからまた今度来る」
「そ、そうか…………。
残念だな。
また気軽に立ち寄ってくれよ!」
本音と建前を混在させた断り文句を店主に告げ、イロヴィータをアクセサリー売り場の綺麗な宝石細工を展示しているディスプレイから引き剥がす。
低レベル冒険者に親切な防具屋を時折、視界の片隅に見遣りながら別の店に入った。
退店時、印象的な行動があった。
強面坊主大男店主は冒険者が店からいなくなると、入店時の寡黙なダンディズム男、から指を口に咥え、だだ甘マザコン男へと下方修正せざるを得ない癖を発揮。
イロヴィータも、落ち着いた淑女という印象から宝石細工に未練タラタラな俗物っぷりを示す。
モデル体型のスリムな脚をバタバタさせ、店を離れながら砂埃を起こしていた。
双方の態度を見比べ、今後もあの店で買い物しても大丈夫か?
と一人納得した蓮。
「今度は何処に行くんですかー?」
「次は、刀屋だ」
「私、刀なんて使えないですよ」
「すまんな。
お前用じゃない。
少し試しておきたいことができた」
「……………………?」
今さっきお金がピンチで買えないと口実を宣ったのにどうする気なのか。
蓮の後ろをトボトボとお供しながら彼女はぶらついていた。
自ずから謝意を零す蓮は深刻さを滲ませつつ、目に付く武器屋をどこでも良いから捜していた。
観光客、冒険者、行商人、占術師、刀匠、彫金師、多くの人が行き交う通り──ジャンク・ボックスの外、通称:安穏通り──の端の武器屋に目星を点けた。
いつもの蓮らしさを付き合いの短いイロヴィータでも気付く、いや気付かせるほどの違和感をだだ漏れにしていた。
その違和感を尋ねずにはいられなかった。
「さっきから変ですよ蓮さん」
「あっ、えー、はぁー、まぁいいか」
異変にようやく気付いたイロヴィータにわざとらしく見えない塩梅で悩み、嘆息した蓮は道路の脇へ連れ込んだ。
通りが、蓮たちの不自然さに馴染んできた確度が上昇した。と折を見計らって一呼吸置き、口から言葉を紡いだ。
「ふぅ……これは冒険者生活に支障を来すレベルのことなんだが。
鋼鉄の護りで俺が数秒不自然な態度だっただろ?」
「そうですか?
アクセサリーに夢中で何だかよく分からなかったんですけど」
肝心の初装備物見だ。
命を預ける防備になるかも知れない。
命を預ける人間になるのだ。
それを伺い、彼女の洞察力の無さ、状況変化の把握力に呆れながらも咳払いを挟み独白を続ける。
「俺が革鎧を触ろうとした時だ。
体に電気が走ったんだ。
痛みはそれほど感じなかった。
いや、感じられなかったのか?
その正体が静電気で無いことは明解。
だから余計に理解出来なかった。
それで、あの店の防具を持ち上げようとした。
だが、結果は最初と同じ。
体に電気が走った」
両手が恐怖以外の反射反応に侵され、ガクぶるっと震える。
「なるほど」
蓮の独白が一区切りついたと察知。
適当な相槌を打ち、ここからより大事なことを切り出すのだと口振りから先を促すため黙った。
「あぁ、それで刀屋だ………………」
もったいぶる沈黙から顔を空に向けた。
「……………………はい?」
続きを促したが、逆にその真意について問い返された。
彼はイロヴィータの聞けば何でも教えて貰えるという態度が、このままでは今後の冒険で万が一の凶事に対処が遅れてしまっては後の祭だと、今の内に指導しておくべきだと考えた。
故に、ここは沈黙を貫いた。
彼女は蓮の試みの真意を読み取れなかった。
唐突に演技されても、戸惑うのが当然なのだから。
「すいません。
どういうことですか?」
「自分で少しは考えろってことだよ……」
手を頭部に当て、困苦に耐える。
状況打開を図るため、仕方なく本懐を説明する。
「刀屋に、いや魔法ショップに寄るのでもいいか。
魔法ショップで同じく商品に触れる。
それで反応があるか……わかったか?」
時間を無駄にロスするより、一挙両得な魔法ショップを訪れる結論に至った。
「わ、わかりました」
「…………本当か?」
「ほ、ホントです!
え、えーと。
さっきは防具で、今度は剣や魔法道具に触って、電気が起きるか起きないか……を確かめる……ですかね?」
訝しく女神を睨み、心の在処を蕪雑な手癖で弄する。
精神をドロドロのシチューを攪拌するように迷走させていた。
睨みを解き、イロヴィータの成長をじっくり待つことに。
自分の本意を急ピッチで推察したイロヴィータに冒険者カードをあっけらかんと開示した。
「…………あぁ。
電気が伝った時、ステータスの欄にあるだろ。
嫌気防御ってヤツだ。
もし、防御だけでなく、攻撃面でも類似ステータスがあったらってことで、魔法ショップだ。
魔法ショップはお前も用がありそうだからな。
ついでにってとこだ」
入用になるものが想定よりも多く、ダンジョン探索、クエストに中々繰り出せない。
ゲームやラノベの世界では拘うテーマではない。
中には、手間取る輩もいるだろうが、そういうヤツらも楽しみながらショッピングするだろう。
不承不承ながら目的地へと歩みを進めた。
目的地を刀屋から魔法ショップに更新して。
魔法道具を扱う店は『ジャンク・ボックス』には一店舗もない。
魔法関連店舗は『マギクスストリート』という『ジャンク・ボックス』の反対側の通り一帯に属している。
『マギクスストリート』は魔法物資以外は一切存在しない。
雰囲気も金臭さがべったりと染みついた印象の『ジャンク・ボックス』とは異なる。
薬草が絹織物の繊維や髪にまで侵略する刺激臭や香水や化粧品、アロマの甘美な匂い、多岐に渡る香気を薫らせる『マギクスストリート』。
地獄闇鍋の混濁した匂いの中、牛歩で鼻を摘みながら魔導書、魔法杖、魔獣対応薬、魔石反応剤、魔獣テリトリー分別剤の露店や優良店を忙しなく眺める冒険者たち。
まず需要を同時に満たすべく魔法道具店を探すことに。
だが店舗数がジャンク・ボックスを遥に上回り、目星を立て難い。
『鋼鉄の護り』店主のアドバイスをアウトプットし、イロヴィータの冒険道具を整えるべく魔法杖の店舗を巡ることをイロヴィータに提案した。
マギクスストリートの往還は複雑怪奇そのもの。
隘路、裏道、難路で構築されている。
整備に整備を繰り返し、迷宮、地下水路並にごちゃごちゃっと収拾がつかなくなっている状態。
それが却って摩訶不思議っぷりに拍車を掛ける。
現に道端から目的地に30分以上を浪費。
道中何度か道案内とオススメを尋ねながらなんとか。
当該目的地に指定されたのは魔法杖専門店『賢者の錫杖』。
店構えは普通の商店。
ウィンドウショッピングに出向いても、魔法道具を揃えていると気付くことはまず無理だろう。
発見に一苦労も二苦労もする。
「「はぁ、はぁ、はぁ」」
迷宮級都市通路と分類される『マギクスストリート』でスタミナを限界まで消費し、自分たちの脚が杖になった気分だ。
魔法杖専門店の評判を紙切れのパーツとパーツを合わせるように繋ぐ。
『名無し看板』。
『紅玉のドアノブ』。
『宙に浮くCLOSEの掛け看板』のヒントを手に『賢者の錫杖』に辿り着いた。
入店の際、コツがいることを以前利用した機会がある道行く者から享受。
「確か、ドアノブを三回叩き、看板をOPENに裏返すだったな」
ドアが木特有の自然を感じさせる色から血をべちゃべちゃと塗りたくった色に変化した。
変化後、『転移』の魔法が店先に出現し彼らを店内に誘った。
馥郁たる店内は魔法で溢れていた。
薬莢、惚れ薬、漢方薬、香辛料、香気を放つものが地中や天井裏、コーナーから漂う。
ただ鼻の奥を撫でる絡み合った微臭はたったの一種類。
香気すらも魔法で演出されている。
当店の展示方法は独特だ。
コンビニやスーパーマーケットの陳列棚のように密接度は高くない。
フリーマーケットじみた空間演出が為されている。
杖は浮遊魔法装置で総量3000以上が浮いていた。
装置は鴻毛たる物品のみを浮かすことが出来る。
装置の規模で浮かせられる重量も可変する。
この装置では人間などを浮揚させることは夢のまた夢。
魔法杖は全て空中に揺曳している。
在庫分でさえも。
従業員は3名。
シフト上の従業員は3名だが、総従業員は不明だ。
一言も喋らずに魔法杖の品出し、杖の埃掃き、客のオーダー用紙をチェックし期待以上の品を提供する優秀ぶりの仮面2号。
仮面1号の所在は不明。
接客サービスはほぼ店長が応対する。
この店の流儀として名前すら名乗らない。
店長だけは例外のようだ。
店長はザ・魔女の老婆でとんがり帽子にワンドを小脇に差し、深紅のローブを床に引き摺り埃を巻き込んでいる容姿。
埃を巻き込んだ、と言っても床掃除は未だ姿の見えない仮面1号と2号が徹底しているため、目に見えて汚れていない。
芸術とは正反対の味気無い右目を閉じた仮面を着用したマギクススタッフが新客を捉えると、『アラート』の魔法でもう一人のマギクススタッフとオーナー兼店長に通知した。
右目仮面(2号)が蓮たちを先導し、オーナーの許へ無言で案内。
「ようこそ、いらっしゃいませ。
旦那さん……と嬢さん、これはこれは」
嗄れた声音には地中から窺う魔に陥れる妖気を潜ませていた。
ここまで冒険者のアドバイス、というよりも不確定な情報でオーナーの性格の子細も大雑把に耳にしていた。
人外の境地、悦楽を貪る売女、実験大好き人間、人を人と思わない倫理観の持ち主などと。
冒険者共を値踏みする老婆は正しく噂に相違ある人物だった。
老婆としか形象出来ない風貌。
腰をストローのように折り曲げ、皺だらけの顔、総白髪の頭部。
妖魔が近寄った。
イロヴィータは妖しさを羽衣を纏うように佇む魔女に口が閉まらずにいると、蓮が代弁者となり用件を伝えた。
「魔女、コイツの魔法杖を誂えてくれ」
蓮は前世界で艶っぽい人や綺麗な人、他人が二度見する美女を眼球に捉えても動揺することはなかった。
それが異形の同類であっても。
亡霊の残滓であっても。
隣に棒立ちのイロヴィータとの初対面が何よりの証し。
イロヴィータを見た者は不浄な精神を刺激されたり、一転して天使に召されるか。
だが、彼は邪心を膨らませたり
御仁が如何な顔、髪型、体型、性格かも気にしない。
第一にそれらの要因で他人の印象を陋見に囚われない。
もっと遠いところに基準を置く。
お化け怖いなどと吐く肝っ魂の小さな漢でもない。
「魔女ではなく、ルシアと、お呼び下さい」
片目を瞑りながら左目で強制するように要求していた。
この世界では『魔女』という言葉は禁句なのだろうか?
左目仮面が二人の冒険者カードをルシアに空中で渡す。
この店の中でのやりとりは全て物を浮かせた状態で行われるようだ。
歴代の店員は一人残らず『フローティング』の魔法を使役出来る。
当然、現役のマギクススタッフも同様。
常時『フローティング』を使用していることに驚きつつも、蓮は冒険者カードがルシアの手にあることに疑問を抱かずにいれられなかった。
「どうして、お前がそれを持っている?」
「これ?
これは、貴方たちがこのエリアに入った時にオート状態でスキャンする仕組みに私が魔法を編んだからだわね。
まあ、『トレースキャン』はある程度魔力保有量がないと使い物にすらならないから利用しようとする魔導師も数少ないけどね。
それに燃費も悪いわね。
使い途もこれだけだわね。
メリットもあるけどデメリットの方が多いわね」
自前のワンドで冒険者カードをなぞる。
長さは四寸ぐらいか。
宝飾や細工の類いはないようだ。
ただ印字が八文字彫られていた。
二人の状態を粗放に流して正面に向き直った。
ワンドを仕舞い冒険者の顔を互いに3秒凝視した。
「何か……分かったか?」
眼を覗き内面まで調べられている実感を味わい、得体の知れないもどかしさを嗚咽のように吐き出した。
イロヴィータは蓮の感じる嗚咽を感じていなかった。
ルシアの妖しさから魔法杖に目移りし、未だ店内の浮揚する魔法杖に関心を奪われていたからであろう。
ルシアも話を夢現で清聴しているイロヴィータから注意を寄せる会話を投棄した。
その意思に蓮もこの店に来た主目的を頭の底から掬い上げ同意せざるを得なかった。
「嬢さん、どれか気になる杖でもあったかい?」
「えっ!い、いや。じゃあ……あの上から10番目右から4番目、左サイドのディスプレイで」
『賢者の錫杖』のディスプレイ方法は在庫分も空中に留まり、地面に接地している荷物、商品は一つとしてない。
商品は箱には入れず、魔法杖単体で販売。
ディスプレイは入口扉から左右ツーブロックに分かれ、直進すると店長のルシアが座るためのアームチェアが出迎えている。
客が魔法杖を選びディスプレイに身体を喰い込ませると、浮遊魔法装置の支配下にある魔法杖は客を避け、物見し易いように動く。
イロヴィータのオーダーを受け、ルシアが『フローティング』を使用し件の魔法杖を宙に漂わせながら事務長机にコトッと音を立てた。
事務長机の内側に戻るとアームチェアに腰掛け据え置いた魔法杖を査定し始めた。
彼女が精選した魔法杖は眼球大で球形の翡翠のような宝石が石留めされ、長さ82センチメートル、素材は月桂樹、側面に魔法構文が彫られた物。
「嬢さん、お目が高いね」
店主と言えど商品数は把握しているものの、全ての値段と効果、威名までは把握していない。
だが、この杖は現品限り。
名声を博する程の魔法杖『竜眼の涙』
始まりは、穹を司る竜を古の戦で聖騎士、勇者ら大国を挙げての討伐隊が戦を終結させたことにある。
その亡骸から竜の眼球、頭部、四肢、爪、鱗など身体をバラし、魔法道具への転用を考察し、魔法発動の可否を実験した。
結果からして魔法を行使することは可だった。
その一つが『竜眼の涙』である。
所以は、竜の涙である。
死んだ竜から両眼を摘出し、薬品で満たされた城に用いる石柱のような大きな容器にぶち込むこと20年。
竜の他の部位は既に細工、改造を凝らした国宝や武器に変化を遂げていた。
目玉は細工に着手するにはレベルが高すぎて、ほったらかしになっていたが、劣化した薬品に長年漬かることで網膜から結晶が零れ落ち続けた。
結晶は雫同士で結合し、より大きな結晶になり、掌サイズまで肥大化後、それ以上膨張することはない。
この無限ループ。
眼球から滴り続け凝固した結晶を全て地獄の釜の如き大鍋に敷き詰め、高位魔獣たちの血液を容器になみなみと流注し、アークウィザードとアークビショップの混成魔法『ブリザードアセンション』を各四人ずつの計8人で発動した。
【ブリザードアセンション】
宝石やそれに準ずる鉱物、結晶を熔解、氷結を循環させ、密度を低減する精密さを極める高等魔法。
基本的にアークウィザードとアークビショップ1人ずつで事足りる。
今回は国家事業であるが故に性能を最大限まで推移させるため当時のアークウィザード、アークビショップ総員8名で取り組んだ。
魔法発動は万事順調に進み、グランディディエライトのような宝石を生成した。
輝きからその人工魔石は『クラセハイト』と通称を与えられた。
クラセハイトの使用は細工するだけで国家事業級に類する。
何せ竜眼の涙という希少価値が付加され、一国を滅ぼす可能性を秘めた魔法量を有する。
故に迂闊に傷をつけたり、削ったりも叶わない。
ただ貴族のような上流階級の装飾品剣や盾の紋章の代替として埋め込まれる証に運用される事態は避けたいと願っていた事業運用者たちの謀により『実用性のある魔法道具』という処置に落着した。
『実用性のある魔法道具』と開発が再始動したことは良いものの、今度はどの魔法道具に昇華するかで議論は紛糾した。
激論の末、杖に石留めする方向で結論付けた。
そこからは軋轢や摩擦を生むことなく順調に、杖のモデリング、魔法構文刻印、クラセハイトの石留め、杖の最終成形、と魔法杖に必要不可欠な行程をクリアしたが、あと一歩のところで足止めを喰らった。
その項目は『完全合致適性者』が誰一人として該当しなかった点である。
『完全合致適性者』でなくても『準合致適性者』は複数人存在していた。
だが、国家事業という懸念点を含むと『準合致適性者』では『竜眼の涙』を潜在的資質まで発揮することが不可能な事実だけが残った。
故に『正統適性者』が現れるまで国の貯蔵庫に仕舞われた。
魔法杖は完成したが、使用者未定のまま百年以上が経過し、次第に国宝として厚遇されることもなく、魔法道具ショップや魔法杖専門店を転々と渡り、その果てが『賢者の錫杖』である。
査定が完了し、『竜眼の涙』を不燃木材の箱に片付け、客に突き出した。
「500万ザラトだね。おっと、ぼったくりとは云わせないよ」
「箱代も含むとか言わねーよな」
「安心しなさい。これは杖単体の値段だからね」
「安心出来るか!………………はぁ」
イロヴィータが木箱を確かめている傍でこの魔法杖を購入の手立てを巡らせていた。
その姿は初めて娘の携帯を買いに来た父親を如実に表していた。
蓮はイロヴィータが惚れ込んだ魔法杖を是が非でも我が物にすべくルシアに交渉のテーブルへと着座させた。
軽く咳払いを済ませ、
「流石に、一括は無理だ。それに分かるだろ。
俺たちはひよっこ冒険者だ金はない。だから値下げしろとも言わない」
一区切りまで息を継がず、捲し立てた。
「なっ、本当か?いや、本当ですかな?」
うっかり地が露わになってしまったと取り繕うルシアは必要以上に慌てていた。
蓮とイロヴィータは疑問符を頭に添付せずにはいられなかった。
だが、そんなことよりもまずは『竜眼の涙』と、意識を交渉に向けた。
「ああ。だから値下げの代わりに支払いプランを一括から分割にしてもらえないか?無論手数料は払わない」
ルシアもより具体的な話にテーブルに着き始めた。
「分割?それだけだと未払いが起こる可能性が高いですな」
「未払いの可能性?」
ルシアは手数料については目を瞑ることにしたようだ。
500万ザラトの手数料は相当な額になるだろう。
しかし500万だけの本体価格で、分割での支払いにしても困難だが手数料を加味したプランなら、踏み倒される可能性が極めて高いのが、現世界も前世界も同じである。
「冒険者なのにその可能性を見落としていたのですかな?」
「…………ん?」
準備のことで手一杯だった蓮は何のことか失念していた。
それは、この世界では常に離れることのないもの。
次は誰かも分からないもの。
「お前さんが死んだら未払い分はどうするんだってことですわ」
「なるほど。そんなことか」
「ん?」
ルシアにとっては死活問題に成りかねない事項だったのだが、蓮は石ころを蹴るくらいの気分で肯定した。
その辺りのことを無計画な訳がない蓮である。
「もし俺が冒険で死亡のステータスを有する事態になれば、この冒険者カードの残金を譲渡しよう。心配は不要。金はこの『賢者の錫杖』の総額くらいには足りるだろう」
「なぜ、一括にしない?」
「あまりこの金に手を付けたくないからな。
だから、冒険で稼いだ金で返すことにした」
蓮がはったりをかますとは思えない泰然とした姿勢に否定を挟めなかったルシア。
何とか言葉を捻り出すため一定のリズムで道楽として蒐集している煙管の数百の内の一本を右手の指で挟みつつ、もう片方の手を叩いていた。
煙管で叩いた回数が10回を越えたあたりで難産を達した。
「分かった。その提案を受けるわ」
提案を受け脳内でメリット・デメリットを考慮し、メリットが大きいと決断、分割の方向で購入を承諾した。
「初期支払いの額は……」
プラン説明を始めようとルシアが契約を進めたが、主導権を握らせはしない。
「支払いは完済まで同額だ。これは決定事項だ」
これがトドメになり、というよりは、交渉させる隙を与えない毅然っぷりに気圧された。
有無を云わせない、然も計画性があるような口振りに説得力が籠もっていた。
「わ、解った。そのプランで合意するわ」
と、頭で納得の烙印を捺すことが出来ても、心が簡単に容認しなかったのが引き攣った顔に露呈していた。
だが、ここで相手の一方的な不利益にならないように救済措置のように魅せる策を蓮が投下した。
「その顔は納得いかないって顔だな。解った。
じゃあ、臨時収入が入れば、余剰分は支払いに回そう。それで良いか?」
この台詞がダメ押しになり、双方の合意が為された。
「ところで、お前さん。お前さんの魔法杖は誂えなくて良いのかい?」
『旦那』から『お前さん』に無意識に変化していることから、「こいつに取引、交渉の類いで勝てない」と嫌悪感が漏れ出した証拠に他ならない。この際だから、毟り取れるだけ毟り取ってやると息まえたルシア。
「そうだな。俺も見てみるか」
ルシアが商魂逞しい商人らしい謀りを傍目に、イロヴィータへ破格で買い物をさせられて、米粒ほどの感謝に浸り上機嫌に見える蓮はもう一品買ってやろうか、と物色し始めた。
上機嫌の割には微塵も顔色が変わらないまま。
正直、『見える』だけで、本音は諦めが先行していた。
先の事象も重なり。
「蓮さんはどの属性が相性良いですかね?」
「うぅーーむ。お前さんには闇……か水……かな?…………ん?他にも?」
絞る唸り声を鳴らせながら、躰の芯、臍の辺りに廻る魔力の特性『魔色』を凝視し観察結果を冒険仲間と当人に報せた。
魔法杖の店主として名を馳せるルシア。
しかし、商才より魔法才能の優秀さが勝ると自負しているルシアは、自身の能力に翳りが見えて歯噛みした。
ここでは、『商売人ルシア』より『鑑定士ルシア』の色を全面に出した。
ガサゴソとなる荷物や商品の堆積物の山で埋め尽くされるはずの空間を浮遊魔法装置で混雑を避けつつ、顧客の満足いく杖を整理していた。
「っと、こんなものですわ」
「意外と、数は無いんだな」
浮遊魔法が付与された大荷物の中から更に加重浮遊魔法を行使した三つの魔法杖を蓮の前に誘導した。
三つの魔法杖を横に整列させた。
蓮から見て左、ルシアから見て右の魔法杖はシンプルイズベストなフォルムで、これこそ杖!な一品。
素材はローグから西南西の魔獣密集地帯『カリバリ』に繁茂している魔樹『シュハの樹』の幹。
属性は普遍属性で、威力は微弱ながら、地属性、水属性、風属性を有し、合成可能である。
名称を『凡俗の枯れ枝』と呼ばれ、初級冒険者に好評。
カラーリングは樹元来の紫色のみ。
『凡俗の枯れ枝』の隣の杖は普通とは言い難いフォルムだった。
禍々しい、不気味と敬遠される程の骸骨を杖全体に隙間なく埋め、骸骨が装飾というより骸骨が杖そのもの状態の『死神の杖』と畏怖されている。
骸にくっついている杖は、人骨をベースに魔法構文が彫ってある。
使用可能な魔法は闇属性オンリー。
その分、威力が群を抜いている。
カラーリングは黒と白の2色。
最後の一本は、『氷瀑の飛沫』。
他の2本よりも小振りで掌に納まり、ローグの北西の位置にある『ガーヴォル瀑布』に棲む魔獣が産む卵が孵化した折、滝の水滴が割れた卵の欠片の粘膜に吸着することで殻を覆うように形造る。
結果として、歪な杖となるがこの世に一つとない自分だけの杖となる。
一切人の手が加わることのない天然魔法杖。
名を『瀑布の鱗』とルシアが初めて銘打ち、あまり歴史のない魔法杖。
杖と呼称するより、石と呼んだ方がしっくりくる媒体。
特性は、水属性オンリー。
こちらは派生魔法が使用可能である。
例えば、水の気体状態である水蒸気や固体状態である氷を使った魔法が行使出来るといった具合。
カラーリングは水に相応しい色で、青と水色の2色が螺旋状に交差している。
と、ここまでこの魔法杖はこの属性が使える、派生魔法が使える、威力に特化しているなど述べたが、あくまで魔法杖は魔法発動の補助道具に過ぎない。
この杖を持っているから何でも出来るという訳ではない。
杖の使用者の資質が全てであると強調しておこう。
つまるところ、無能ならば何もできない。
それは、冒険者に限った『無能』である。
村人、司祭、貴族、国王、皇室などは『無能』でも回る。
逆に、鍛冶師、パラディン、マジックキャスター、アークビショップ、傭兵などは『無能』では決して許されない。
魔法杖を既に購入したイロヴィータは蓮が3本の魔法杖に触れようとする姿に熱い視線を向けていた。
ルシアは客であるイロヴィータが蓮の挙動に注視する姿勢をつまらなさそうに眺めていた。
仮面店員の二人は、冒険者二人が店主ルシアに面通しを終えた時点で持ち場に戻っている。
今この場には、ルシアとイロヴィータ、蓮の3名のみ。
突然の異変は音も無く訪れた。
3人にしか聞こえないボリュームの電気抵抗が発生。
「……っ。またか」
「「…………っ!」」
青白い光が1階全体を包んだ。
同時にステータス一覧に《嫌気魔法》と新たに記入された。
蓮は痛みと呆れと共に右腕で目元に陰を作った。
イロヴィータとルシアは突如出現した白光に両腕で顔を覆った。
発光は2秒間だけだった。
不幸中の幸いは作業中の二人がいる2階まで光が漏れなかったことか。
この事は、蓮とイロヴィータだけ、二人だけの秘密と決めていたが、いつまでも隠し通せるわけではないと、「誰か一人だけでも巻き込んじゃえ!」みたいなノリで、今後のお得意さまになりうる、信用に足る人物になりうるルシアを蓮が選択したまでに過ぎない。
「………………なんですか?」
晴天の霹靂に唖然とし、口調を本来のですます調に変異させてしまい、静かに蓮たちの顔を窺った。
蓮は観念したように表情筋を微動だにさせず、真顔をルシアに浴びせ返した。
イロヴィータは蓮が事情を話す、と前以て相談して決めていた為だんまりを貫いていた。
口をあんぐりとさせたルシアは魔法行使に最低限必要な集中力を保てず、加重浮遊魔法と浮遊魔法装置が断絶され、物音を生み出す寸前だった。
だが浮遊魔法装置の方は店内全ての商材が落下手前の魔力注入により持ち直した。
「ルシア、今からお前に俺たち二人しか知らないことを知らせる。無論、他言無用だぞ」
「…………はい」
緊迫した蓮の眼光に無駄口を叩く余裕も捻り出せず、畏まった端的な言葉しか返せなかった。
今のルシアと蓮はまるで年齢が逆転し、まるで妙齢の娘に父親が戒律を教えるようなシーンだった。
蓮が一から事情を語り始めた。
当然の事ながら転生については誤魔化した。
今までの事態を喋り終えた店内は、二階で静謐な音だけを奏でていた。
一階はすきま風が入ることもない密閉空間でひたすら無音が続いた。
ルシアは蓮が顧客になり得ないからといって即刻退出を命じる利益至上主義者とは違った。
彼の深刻な冒険者生活に更に暗雲が立ち込める事態に手助けとまではいかないが、イロヴィータの冒険者生活に助力する言質は取り付けた。
「なるほど。この嬢さんの力になってあげるわ。他言もしないわ。………………これでいいかしら?」
半ば事後承諾的言質だったのは否めないが。
「あぁ、助かる」
それでも、助力の有無は冒険する過程で決定的な差がある。
ルシアはイロヴィータの魔法杖『竜眼の涙』の専用収納革袋を通常接客時と変わらずに見繕いながら、質問をぽろっと溢した。
「クエストやダンジョンはどうするんだい?流石に何も装備しないので冒険するのは危ないでしょうに?」
人生経験の豊かさが培った豪胆さは脅迫じみた同意を申請された後でも発揮されるようで、新人冒険者へ示す親切心を蓮にも施した。
言われずとも聡明な蓮ならば、当面いや、今後も付き纏う問題なのは百も承知。頭を腕全体で抱え、
「ああああぁぁぁぁ!!!!マジでどうしよう!!」
と嘆きたかったに違いない。
泣き言を吐いても好転することは万に一つもないことを生前に身をもって味わっていた。
イロヴィータも現実を突き付けられ、蓮とは違い挙動として頭を抱えた。
「ううぅぅぅぅ。私も攻撃型魔法はないのでどうしましょう?」
「おい。そういうことをぺらぺら喋るなよ」
「………………へ?」
蓮はイロヴィータの耳元に口を運び、ルシアに伝わるように口元を右手で隠した。
ルシアは必死に一品を逸品に仕上げる集中力を注ぎつつも、アンテナは左側面の『レア』と短く記載された貼り紙辺りに向いていた。
音は完全に把握しているが映像は細工物を拡大出力にしていた。
「この世界では恐らく、実力が重視される。だから迂闊に自分の情報を吐くなよ」
シリアスな空気を霧散させる
「蓮さん、蓮さん。バレちゃいますよ!っっぷぷぷー!」
という秘匿性も蓮の意図もまるっきり無視したわざとらしい嘲笑でルシアへの大義名分を粉々に砕いてしまった。
「わ、分かった……よ。その件もだね」
顔を上げず獣皮を叩きながら蓮と心を一つにした。
魔法杖専門店『賢者の錫杖』で竜眼の涙と専用収納革袋、大切な何かをゲットすると、寂れた風を装っているマギクスストリートにポツリと放り出されていた。
「どうすっかなー!」
独り言をやや大きめのボリュームで叫ぶ。
誰か反応するかと期待したが返事は隣からのみ。
「蓮さん、蓮さんの装備どうしましょうか?」
ダウナーをキめたように徒労感を背負い、魔力で覆われた通りに背を向けた。
空はすっかり灯火が埋没する刻。
今日の宿、ご飯、お風呂、明日の過ごし方など。
目下、蓮の支度をどうすれば好転するかと。
この冒険先行き不安だな、トホホと彼女は心中で吐露した。
──────明朝、天然の光源が剥片をのそっと顔を見せた────
2回目の朝が来た。
二度目ということもあり、身支度は滞りない。
蓮は昨日のホテルでの宿泊を延長し、併設の井戸から山脈から引いた天然水を桶に溜め洗顔の最中。
「どぶじぶぉうが?」
桶に顔を突っ込み、覚醒と妙案を授かろうとしていた。
一方イロヴィータはぐっすりとお腹を晒しながら惰眠を貪っていた。
たまにポリポリと痒みを取り除いたりと。
イロヴィータの寝相を見下ろし、「はぁ、平和そうだな」とタオルで拭うことも忘れ嘆息した。
顎から水滴がポタッ、ポタッと床を撫でる音で意識を洗面台に移し支度を再開した。
天井に吊るした服をイロヴィータの顔を経由して手に掛けると、彼女は服を払い除けるように臍に腕を置いた。
何時まで寝てるつもりだ、こいつ。と辟易し、いい加減起きろと思い、蓮はデフォルトを纏うと、彼女の肩を揺すった。
手でなく、足裏で。
「むにゃむにゃ、ん?」
身体を起こし、バスローブで閉じ込めた決壊寸前の2つのバケツプリンをやじろべえチックに震わすと、まだ自堕落タイムを謳歌出来る!と察し二度寝を敢行しようとベッドに身を委ねるために天井に眼をやりながら、瞼を閉じる途中、同伴者の家畜を殺める睥睨を眼球で認める。
彼の眼差しはガムのミントを原料で口いっぱいに頬張るくらい眠気覚ましの役割を訴えてきた。
お、お、お、お起きます。はい、起きました!!と、上官に報告する部下、軍隊に似せた構図が完成してしまっていた。
イロヴィータも蓮と同じで慣れた捌きで素早く支度を整え、冒険を生き抜く魔道具を臥榻の側のキャビネットから装着。
前日とは異なり微かに嵩張る身体回りを気にしつつも、本日の目的を発見、達成しよう!と邁進する彼女だった。
超高級鎖帷子と激レア魔法道具を携えフォーマルなイロヴィータと丸腰でラフな蓮が昨日と同様に『ホーリーチューン』で朝食を摂っていた。
昨日とは違い、激辛や本格料理ではなく、お手軽料理を注文した。
店員も問題オーダーを連続で発注されずに済んで、怒りを客に向けないで胸を撫で下ろしていた。
他の冒険者たちは、椅子から少々腰を浮かせ店外に避難する準備をしていた。
中級冒険者や上級冒険者の中には後で、店から少し離れた場所まで出ると蓮たちを絞めようと誓っていた者もいた。
ベテラン冒険者になるとその思考に回路が至ることは殆ど無い。
そのお手軽料理は、サンドイッチ。具は、レタス、肉厚な牛肉、薄切りチーズ、とオーソドックスなサンドイッチだった。
二人がガンマンばりの真剣な表情で見つめ合いながら一飯を口にする。
「仲間集めか、問題解決、どっちから手をつける?」
口火が切られ、最重要テーマの取捨選択を相方に委ねた。人間味が薄い男でも、最低限の譲歩は内包していた。
当の相方は、食の悦楽に溺れていた。
純度の高い水を喉に招くことで空気を振動可能な空間を確保した。
「う~~~~~~ん。ごくっ、仲間集めですね」
イロヴィータは募集掲示板に屯している自分たちと同じ新人冒険者であり、違う新人冒険者へ瞳孔を投げた。
田舎から越して来たみすぼらしい風体の者。
親から譲り受けた装備を後生大事にして冒険者になるか迷っている者が受付嬢たちが応対する様子を追っていた。
受付嬢の中にはクィカノも忙しなく動いていた。
今日の役割はどうやら冒険者への接遇のようだ。
蓮も彼女の働きぶりを眺めながら募集の思索を巡らせていた。
「イロ、囮になってくれ」
「……………ん?はい?」
イロヴィータが呑気にラストオーダーで締めのスイーツ『ハーブチョコアイス』を頬張る中、蓮は視線と脳細胞を走らせていた。
2日という穴を埋める為に、ダンジョン探索が出来る最低人数あと一人を『壮烈者の集い』の人出が少ない朝食タイム、蓮とイロヴィータは『登録所』近くのテーブルで人の出入りを血眼に観察していた。
刻下、至上命令は人員確保。
仲間募集の手段は、募集掲示板に募集の旨を記載した紙を貼るか、呼び込みを掛け直接仲間にするか、仲介者に紹介を受ける、この三つが有力である。
仲介者を用いての仲間募集は初級冒険者や、田舎から出稼ぎに来た冒険者はあまり使えない手である。
呼び込みでの勧誘は実力や名声を博している冒険者ならいざ知らず、ペーペーの冒険者では希望者が集うことは魔王に遭遇するレベルで低確率の可能性である。
最も成功が見込める掲示板に広告を載せる方途を二人は採用。
成功率が高いと伝播されているとは言え、百パーセントの保障は約束されていない。
高くて半分に達すれば良好なくらい。
難易度低めクエストより達成困難な重要チュートリアルである。
冒険者の往来が『壮烈者の集い』に繁忙タイムを招くピーク、クィカノを含む受付嬢全員がてんてこ舞い。
蓮は窓口の一帯から少し外れに設けたラックから募集用紙を1枚掴み、イロヴィータの寛いでいるテーブルに戻る。
彼は右の三指でペンを支え羊皮紙にインクを走らせ、募集要綱をしたためていく。
代表者にイロヴィータ(女)、雰囲気はまったり和やか、人数二人、と明瞭になっている箇所は淀みなくペンを滑らせた。
これらは詐欺ではありませんよ!と羊皮紙の下部に小さな文字で記した。
次の欄は蓮の一人の意見を通しても意味はない。
むしろ、害が生じる源になる。
「お前は仲間に何を求める?」
「蓮さんに物怖じしない人ぉ?蓮さんと喧嘩しない人ぉ?
私たちの事情にツッコまない人ぉ?」
「ははははははははははははははははは」
「「あはははははははははははははははははははははははははははははははは」」
高笑いは『壮烈者の集い』の屋根まで届き、建物内の要らぬ注目を占有。
蓮のヘンなスイッチがオンに切り替わった。
「おぉーい!そんな都合良いヤツいるわけないだろぉぉぉぉーが!!!!」
「げふぅぅぅぅ!!!!」
イロヴィータは蓮の陰の(?)性格を垣間見た瞬間、裏拳ツッコミが胸元に滑空してきた。
裏拳の威力は肉体に触る直前に減衰させたが、それでも威力を殺しきれずに横倒しにされた。
「痛いですよぉぉぉぉ。げほっ、げほっ、で、どうするんですかその欄?」
手をつきながら冷えた床から自分の体温で温くなった木組み椅子へ。
ぶっきらぼう王子は床に転がる女神様に一瞥もくれず、羊皮紙に意識を移す。
「どぉーすっかなぁ?
…………………………よし!!!!!!!!!!」
「??????????」
すらすらっと難産だった勧誘条件の文言をペンに乗せ、末端までピッチリ埋めた。
蓮の速筆っぷりで内容が一文字も解読出来なかった。
蓮でさえも。
後日、懇篤を極めたプロパガンダが数ヶ所に。
──次回!!
勝手知らぬ異世界で蓮は怒涛の仲間集めへ駆ける!!