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異世界ネクロフィリア  作者: かきな
第一話 花は誰かの死体に咲く
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その8 さよならを抱きしめ泣きじゃくる


「そ、それで、スライムの居場所は分かったんですか?」


 エリザの依頼を受けた二日後の昼。彼女は言われた通りの時間にヨシノの事務所にやって来た。リタは

彼女に同様の紅茶と焼き菓子を差し出すと、今度は断ることなく焼き菓子を口に運んでいた。おそらく、一度食べたその味を気に入ったのだろう。


「ええ。もちろんです。見つけるだけなら容易いですからね。スライムの目撃地点は広く分布しますが、居住地となるとその場所は限定されます」


 説明のためにヨシノは羊皮紙に書かれたこの町周辺の地図を取り出した。


「私たちの住むトルーズの南にはアーシュという町がありますよね。アーシュの周辺は農耕地帯になっており、大規模な小麦の畑が広がっています」

「知っています。ベアトルスさんが、よくそこへパンを買いに行ってましたから」

「ええ、そうでしたね。ここで買うよりもアーシュで買った方がパンは安いですからね。その焼き菓子もアーシュで買ったものですし、農耕の盛んな町は食べ物もおいしいのですよ」

「……はい」


 ベアトルスが買ってきたパンの味を思い出してしまったのだろうか。エリザは少し唇を噛み、感情を押し殺すように表情を強張らせた。まだ子供であるが、彼女は孤児院では年長者である。しっかりしなければならないと、涙は堪えるものだと、そう自分を律しているのだろうか。

 リタはそんな彼女から目を逸らすように地図に目を落とした。地図にはその畑に隣接するように森林地帯が描かれており、そこに赤いインクでバツ印が付けられている。


「スライムは湿気の多い場所を好みます。体の殆どが液体ですから、日差しに当たると体温が上昇し、熱でコアが壊れてしまう恐れがありますからね。ですから、本来は森の奥地で苔や新芽を取り込んで生活していたんです」

「今は、違うということですか」

「ええ。アーシュの畑ではスライムによる被害が出ています。これは小麦と言うマナを多分に含む作物を人間が大規模に育て始めたことで森から外へ出る個体が増えていったのでしょう。人間が管理する場所には外敵が少ないですからね」

「な、なるほど」

「ですから、この周辺に出没するスライムはここの森に生息している個体が多いというわけです。そして、シスターベアトルスを殺した個体も、この場所で確認できました」

「ここに……」


 ヨシノが赤いバツ印を指さすとエリザは鋭い眼つきで、その地図を睨み付けた。そこに大切な人を殺した仇がいるのだから、その視線が並々ならぬ想いを含むのは当然だろう。


「それでは、この地図をお渡しすることでこの依頼は完遂ということでよろしいでしょうか?」

「は、はい。ありがとうございました」


 エリザは机の羊皮紙を手に取り、大事そうに抱えた。


「で、では、私はこれで帰ります」


 そう立ち上がったエリザをヨシノは扉まで見送る。そして、彼女が出て行く間際、なにやら小さな声で彼女に耳打ちをした。

 エリザは驚いた顔をしたが、しばらくしてヨシノに頭を下げ、逃げるように走り去って行った。そんな彼女の様子を見て、彼は満足げな表情を浮かべながら事務机へと戻っていった。


「彼女に何を言ったのですか?」

「伝え忘れていたことがあったので、それを教えただけですよ」


 ヨシノはあっけらかんとした調子で言う。


「人の心臓を取り込んだスライムは赤いという見分け方を、ね」


 意地の悪そうな笑みにリタは少し、エリザという少女を憐れに思うのだった。


◇   ◇   ◇


「はいはい、もう寝る時間よ」


 他の子たちを寝かしつけ、私は自分のベッドへと潜り込んだ。薄い布団に包まり、枕元に忍ばせた羊皮紙を取り出した。

 窓から差し込む月明かりに照らされ、アーシュ郊外の森に記された赤いインクがどこか不気味に輝く。いや、輝いてはいないのかもしれない。だって、ただのインクなのだから。けれど、こうも赤々と存在を主張しているように見えるのは、私の目がその一点に釘付けになっているからなのだろう。


「お姉ちゃん……」


 誰にも聞こえぬように小さく、小さく呟いてみる。親を亡くし、身寄りのなくなった私たちに優しく、時に厳しく、本当の家族のような愛情で接してくれたベアトルスお姉ちゃん。思い出の中で微笑むあの笑顔が、スライムと言う魔物によって歪められた。その突然の別れ、一瞬のさよならに心が追い付かなかった。小さな他の子たちが泣き喚くから、お姉ちゃんが居なくなった今だから、私がしっかりしなきゃいけない。

 そうして押し殺していた感情が仇の場所を目の前にした今、溢れだしそうになる。

 羊皮紙を抱きしめて私は決意する。この想いを断ち切るために、私が前に進むために、お姉ちゃんの無念を私が晴らして見せる、と。


「明日の朝、決行ね」


 決意を新たに、目を閉じる。

微睡んでいく意識の中、夢にお姉ちゃんの姿を見た。お姉ちゃんはどこか悲しそうに私を見つめる。何を悲しんでいるのだろうか。死んでしまった事だろうか。私たちと会えなくなってしまった事だろうか。それとも、お姉ちゃんの仇討ちを私がしようとしているからだろうか。

 朝、陽が昇る前に目を覚ます。早起きは得意だ。他の子たちよりも早く起きて、私よりも早起きなお姉ちゃんと一緒に水汲みに川へおしゃべりをしながら行くのが好きだったからだ。

 みんなを起こさないように静かに部屋を出る。静かな廊下に出る。足音のしない早朝の孤児院で私はキッチンからナイフを一本掴み取り腰のベルトに差し込む。誰かに見つかる前に行かなきゃいけない。院長に見つかったら、絶対に止められるだろうから。


「復讐なんて愚かしい行為だって、怒られちゃうかな」


 これが正しい行為だとは思わない。けれど、そうしないとどうにも収まらない激情が私の中で燻っているのだ。

 ようやく昇り始めた朝日に目を細めながら、私はアーシュへと繋がる街道に向かう。南の門にさしかかったところで、門番の人が私を呼び止めた。


「ちょっと君、こんな朝からどこに行くんだい」

「と、隣町にお使いです。昼までには帰らなければいけないので」

「それならいいんだけど、その腰のナイフはどうしたんだい」


 門番は視線を下に向け、その陽を反射し輝く刃を疑わしそうに見つめた。


「お使いに行くのにそんな物騒なものは要らないだろう?」

「ええ。そうかもしれません」

「なら……」

「でも、シスターベアトルスはそのせいで死にました」


 そう答えると門番は表情を強張らせた。そうして、どこかばつわるそうに表情を変えていくので、私は押し通れるだろうと確信した。


「通っていいですよね?」

「あ、ああ。そうだな。いいだろう」


 私はそうして街道に出る。初めて通る街道の空気はとても澄んでいて清々しいのに、視線の端にチラリと見える花束に胸が締め付けられる。哀しみが脚を捉えて離そうとしない。竦み始める脚。私をここに留めようとする感情を振り切るように駆け出した。立ち止まれば進めないような気がした。お姉ちゃんの死を悲しんでしまえば、復讐する気力もなくなってしまうような気がして。

 そうして無我夢中で辿り着いた森の入り口は、鬱蒼と茂る木々が朝陽を遮り陰鬱とした薄暗さに満たされており、少し怖い。


「でも……行かなくちゃ」


 私は腰のナイフを抜き、柄を強く握りしめることで恐怖を打ち消そうとした。爪が掌に食い込み、その痛みで私は自分を奮い立たせる。

 ゆっくりと、けれど、着実に森の奥へと進んでいく。どれくらい進んだのだろう。もう振り返っても黄金色の畑が見えない程深くまで来た時、正面の茂みからガサガサと葉擦れが聞こえ、私は身構える。

 茂みをかき分け、現れたのは青いスライムだった。50センチほどの大きさ、どこにでもいる普通のスライム。けれど、これがお姉ちゃんを殺したのだ。


「……っ!」


 私は振りかぶったナイフをスライムに突き立てる。若干の抵抗感の後にナイフが勢いよく沈み込んでいく。刺さった傷口からスライムの体液が噴き出し、ベタベタと手に付着していく。それに不快感を覚えながらも、この確かな手応えが私に一種の達成感を与えてくれた。

 初めは身もだえするように表皮をうごめかせていたが、次第に萎んでいくスライムはそのぶちまけた体液に沈んでいけば、もうそこにはスライムと呼べる存在は居なくなっていた。


「や、やった……やった!」


 思わず声を上げる。私はこの手でスライムを殺したのだ。仇を討ったのだ!


「い、いや、まだお姉ちゃんを殺したスライムは殺せていない」


 そうだ、違う。達成感のあまり思い違いをしてしまいそうだった。スライムなら何でも良い訳じゃない。私がしなければいけないのはお姉ちゃんの仇討ちなのだから、ここで退き返すわけにはいかない。


「奥に行けば、いるはず」


 一匹のスライムを殺したことで自信のついた私は臆することなく茂みをかき分けていく。そうして進めば、やっぱりスライムが何匹もそこに生息していて、私は目に付いたそれらすべてにナイフを突き立てていった。


「ふ、ふふふ」


 一つ二つと地面にシミを作っていく。何匹か反撃しようと飛び跳ねてくるが、ナイフを構えると避けることもできず、自ら刃に突き刺さっていく。その様が何だかおかしくて、私は思わず笑ってしまった。


「あはは。あははははっ!」


 驚くほど醜い自分の笑い声に私は戸惑う。こんな気味の悪い笑い方をしたことあったっけ、と思い起こしてみるも今の自分と一致する過去は思いつかなかった。ここに来て新しい自分を発見したことに私は不安になった。


「く、狂ってる? い、いや、そんなことない。私はただ、お姉ちゃんの仇を……」


 両手を染める青い液体を見つめると、高揚感に頭が満たされていく。こんなに興奮したのは初めてのことで、混乱する頭はけれどそれが正しく私の感情であることを教えてくれる。

視点が定まらなくなってくる。何かを探すようにあちこちに意識を向けていれば、ようやく探していた『奴』を見つけた。


「赤い……スライムだ」


 やっと見つけたお姉ちゃんの仇。再び強くナイフを握りしめると掌から滴る青い液体が少し赤らんでいく。逸る鼓動を抑えることもせず、私は勢いよく駆け出した。


「お、お姉ちゃんの……」


 赤いスライムは他のスライムよりも一回り大きかった。だから、私は背伸びをするように大きく振り上げ、跳びかかる。


「仇っ!」


 振り下ろすナイフに全ての怨恨を込めて、切っ先に鋭利な殺意を乗せて。


「え?」


 けれど、スライムに沈み込んだ切っ先はその外皮を貫くことはなく弾かれる。その予想外の結果に思わず手放してしまったナイフが地面に転がっていった。


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