その7 虚しさに生きる
「逸る気持ちは分かりますが、一度落ち着いて話し合いましょう。どうぞ、お座りください。リタ、彼女に紅茶を。あと、戸棚の焼き菓子を開けましょう。うんとバターの効いたやつです」
「分かりました」
リタがお茶の用意を始めると、少女は恐る恐るソファに座る。おそらく町で流れるヨシノの在らぬ噂を真に受け、ヨシノのことを怖がっているのだろうとリタは理解する。
「怖がらなくても大丈夫ですよ。私、死者の方が好きですが、生者を嫌っているわけではありませんから」
「な、何も安心できる要素がないんですけど……」
「おや、そうですか? けれど、敵意がないことだけは理解してほしいですね。ほら、私は博愛主義者ですから」
「で、でも、死者が好きなんですよね?」
「ええ」
「ゆ、歪んだ愛ですね」
「普通ではありませんが、真っ直ぐな恋情ですよ」
そうヨシノが微笑んで見せると、少女の緊張は次第に緩んでいく。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
リタが紅茶と焼き菓子を差し出すと少女は礼儀正しくお辞儀をする。
「遠慮する必要はありませんよ。どうぞ、召し上がってください」
「い、いえ。結構です」
そう断って見せるも、少女の瞳は焼き菓子に釘付けである。
「食べたそうに見えますけど」
「そ、そんなことはないです」
リタが見たままを指摘するも、少女は慌てて否定する。
「わ、私だけがこんな美味しそうなお菓子を食べるわけにはいきませんから」
「そうですか。では仕方ありませんね。リタ、私の分も下げておいてください」
「はい」
そうしてリタが焼き菓子の皿を下げると、少女は惜しそうな顔でリタの手元を目で追いかけ、その後、我に返ったのか頭を振って視線をヨシノに戻した。
「それでは、先に自己紹介を。私はここで探偵をしているヨシノといいます。あちらの少女が助手のリタです」
「わ、私はエリザです。教会の孤児院でお世話になっています」
「エリザさんですね。おそらく孤児院では年長のお姉さんなのでしょう。今日は皆さんの代表としてやって来たのですか?」
「え、えっと、そうです。でも、どうして……」
「見たら分かる、というのは意地悪ですね。孤児院の方であることは服で分かります。年齢はおそらく13才。孤児院では出産可能な少女は嫁に出されるはずですから貴方より年上は少ないでしょう。そして、大事そうに握りしめた革袋には貨幣が入っている。それも、少なくはない額が。貴方一人の小遣いではないと、私は考えただけです」
「そ、そうなんですか」
ヨシノの弁にエリザは感心した様子を見せる。ただの狂人という認識は少し薄れ、頼れるかもしれないという表情を浮かべ始める。
「そ、それじゃあ、私が依頼しに来た訳も分かってくれますよね」
「ええ。亡くなったシスターベアトルスは貴女たちにとって大切な存在だった。彼女の死を悔やんで、悔やみきれない恩讐がスライムの討伐という依頼に込められているのでしょう」
「だ、だったら、受けてくれますよね」
「もちろん、お断りしますよ」
「……え?」
エリザは驚きのあまり間の抜けた表情を浮かべたまま固まってしまう。
「ど、どうしてですか!」
数秒の思考の後、エリザは話の流れに合わない拒絶に疑問をぶつける。
「わ、私はお姉ちゃんの敵が討ちたいんです。でも、警備隊の人たちはスライムなんかでは動けないって言うから……。スライムなんかって何ですか。そのスライムが、お姉ちゃんを殺したのに!」
「ええ、ええ。貴女の怒りは最もです。貴女は確かに彼女の死を真っ向から受け止められる人です。私は好きですよ、貴女のようにきちんと死に向き合う姿勢」
「だ、だったら」
「ですが、それは探偵の仕事ではありません。魔物の討伐となれば、それこそ兵隊の仕事ですから、私がおいそれとやっていいものではないのです」
ヨシノは既に警備隊の兵であるラザールに嫌われているので、迂闊にあちらの領分に踏み込むとあることないことで捕まる可能性があるのだと、リタは依然冗談のように彼が語っていたのを思い出していた。
「な、なら、探偵の仕事なら受けてくれるんですか」
「もちろん。それを仕事にしていますからね」
「わ、分かりました。なら、依頼を変えます」
そう言うと、エリザは銅貨の詰まった革袋を机の上に置き、ヨシノを睨みつける。
「お……ベアトルスさんを殺したスライムを見つけてください」
「見つけて、場所を教えればよろしいのでしょうか?」
「はい。報酬は、この銅貨全てでお支払いします」
その袋には多く見積もっても50枚程度の銅貨しか入っていなかった。この事務所の相場はあの検死の仕事を除けば、銀貨2枚、つまり銅貨200枚が依頼料になっている。
「分かりました。引き受けましょう」
「ほ、本当ですか!」
けれど、ヨシノはエリザの依頼を快く引き受けた。リタはそれを不思議に思ったのだが、彼のことだ、何か思う所があるのだろうと取り立てて騒ぐことはしなかった。
「では、明日から調査に向かいます。調査結果は明後日の昼過ぎ、またここに来てもらうということで構いませんね?」
「は、はい! よろしくお願いします!」
そうしてエリザは立ち上がり頭を下げる。
「で、では、私は門限があるので帰ります」
「ああ、待ってください。一つ、聞きたいことがあります」
そう呼び止められ、エリザは小首を傾げる。
「孤児院には貴女を含めて、何人の孤児がいますか?」
「え、えーと、8人ですけど……」
ヨシノはそれを聞くと適当な袋に8つ焼き菓子を放り込み、エリザに手渡す。
「帰ったら皆さんで食べてください」
「え、ええっ⁉」
最初に抱いていたヨシノの人物像からは到底想像もできない行動に驚いたのだろう。まさか、死体に恋情を抱く人間が焼き菓子を土産に持たせるなど、誰が想像できるだろうか。
「そ、そんな、頂けません!」
「私からの孤児院への寄付だと思ってもらえればいいですよ」
「で、でも……」
施しを受けることを良しとしないのか、どこか複雑な表情をエリザは浮かべる。そんな彼女の態度をリタはじれったく思った。
「さっきは食べたそうにしていました」
「そ、それはそうですけど」
「ヨシノ様が気を遣ってくれたんです。大人しく受け取ってください」
「う、うう」
思わず高圧的になってしまうリタをヨシノが宥める。
「リタ、優しさを押し売るような言い方は良くないですよ」
「……ごめんなさい」
「い、いえ、そんな。私の方こそ、ヨシノさんの気遣いを無下にしようとしてごめんなさい」
「ふふふ、いいんですよ。さ、門限があるのでしょう? これを持って早く帰ったほうが良いですよ」
「あ、はい。ありがとうございました」
結局、エリザは焼き菓子の入った袋を抱え、走り去っていった。窓を覗けば少し日が傾き始めている。門限まで時間がなかったのだろう、とリタは理解した。
依頼人が居なくなり、再び静かになった事務所でヨシノは机の上に置かれた革袋から銅貨を取り出し、数を数え始める。
「ええと、45枚ですか。8人で出し合ったにしては多い方でしょうか」
「帳簿に記録しておきます」
「ええ、お願いしますね」
そう言うと、リタは事務机の上に置かれた革の装丁の帳簿を手に取り、記入していく。
「明日の朝に出ますよ。あまり遠出はしないと思いますが、一応それなりの支度をしておいてくださいね」
「分かりました」
帳簿を閉じると、リタは時計に目を向ける。針は終業時間を指しており、いつもであればそろそろ夕食をアリサの所まで取りに行く時間であった。
「夕食はどうしますか」
「ああ、そうですね。今日はあるもので済ませましょう。今、アリサさんの酒場に行くのはあまり賢い選択ではありませんからね」
「分かりました」
リタはキッチンへと向かう。パンと卵を焼いて、野菜を茹でて、そんな簡単な料理を作って、二人で机を囲む。ゆったりと流れる時間の中で、リタは先ほどの疑問をヨシノに問いかける。
「どうして、あの依頼料で受けたのですか」
「どうして、と言われると少し困ってしまいますね。明確な理由があって引き受けたわけではありませんから」
「ないんですか」
「ええ。彼女が死に対して向き合う姿勢や身銭を切る健気さに同情したわけでもありません。強いて言うなら、そうですね。私が死にたくないから、というのが理由でしょうか」
リタは少し思案する。死にたくないとは言うが、別に引き受けなかったとしてヨシノの命が危険に晒されるきっかけになるとは思えなかった。断ることでエリザが逆上したとして、彼が彼女に殺されることはまずありえないだろう。
けれど、少ししてリタは昼に彼としていた会話を思い出し、彼の真意を理解する。
「暇なんですね」
「暇なんですよ」
穏やかに暮れていく夜、リタは何とも自由なヨシノの弁に呆れながらも、彼らしいと微笑むのだった。