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異世界ネクロフィリア  作者: かきな
第一話 花は誰かの死体に咲く
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その4 悔やみきれず死んでも土には還る


「なぜだ」

「理由は簡単ですよ。最弱の魔物、スライムは打撃が効かないのです」


 打撃が効かなければ、武器を持たない格闘家が勝てないということは自明の理である。


「その表皮は薄く柔軟であり、延性に優れています。また、内臓を持たない液状の体は衝撃を吸収し、拡散させます。拡散された衝撃はスライムの表皮を打ち破ることなく、流動する体液によって相殺されてしまい、結果として打撃を無効化させるのです」


 水を殴るようなものなのだろう。


「ですが、刃物を持っていれば子供ですら倒すことができるせいでその危険性はあまり周知されていません。少しでも切り傷を与えれば体液が漏れ出し、そのまま息絶えるのですから見た目には最弱に見えて当然でしょう」

「確かに冒険者は必ずナイフを持たされると聞く。それは野営に役立つということもあるが、最も近くにいるであろう脅威から身を守るためだったのだな」

「そういうことでしょう。冒険者ギルドなどでは当たり前のことみたいですが、普通に生活していれば、そういった脅威も無縁ですから」


 スライムは魔物の中では群を抜いて数が多い。理由は繁殖能力の高さやエネルギー効率の高さなど様々であるが、単なる最弱のであればここまで数を増やすわけもないだろう。どれだけの外敵に襲われようと、有効な攻撃手段がなければその命を脅かされることはない。その秀でた生存能力こそが、数を増やし続けたスライムたちの強さなのである。


「ベアトルスさんは刃物を持っていなかった」

「でしょうね。隣町へのお使いに刃物を持っていては門番に止められてしまうでしょうから。教会の神に仕えるシスターが隣町で強盗などとは疑いたくもないでしょうが、貧困は聖者にナイフを取らせますから仕方のない懐疑なのかもしれませんね」

「だ、だが、それだけではスライムが殺したことにはつながらないぞ。確かにスライムに襲われ窒息したというのは理解できるが、だがそれでもこの鳩尾に開けられた傷口は明らか気にスライムでは付けられないものだ!」

「そうでしょうか? 私はそうは思いませんよ」

「はあっ?」


 ラザールの指摘をヨシノは軽い調子で否定する。


「なら、どうやってこんな死に方を、よりにもよってスライムが引き起こすと言うんだ!」

「その説明をする前に、まずは彼女の体内をよく観察してみましょう」

「なっ、お前の趣味に付き合うつもりはないぞ!」

「……そうですか」


 ヨシノは落胆したかのような、どこか侮蔑を含んだ冷ややかな視線をラザールにぶつけた。それは本当に一瞬の変化であり、瞬きをする間に元のにこやかな表情に戻っていたのだが、彼の顔を見つめ続けていたリタにはその僅かな変化を捉えることができた。


「では、仕方ありませんね。リタ、穴から見える彼女の体内を見たままでいいので説明してみてください」

「分かりました」


 どうして彼がそんな目をしたのか。その理由を考える間もなく、リタは指示された通り、死体の脇に膝を付け、その体内を覗き込んだ。


「血が溜まっています。胃腸が見えて、肺が見えます。肋骨は折れてません。ですが、食道は途中で千切れています」

「食道がちぎれているだと?」

「それはつまり、食い破られたということかね」

「それは分かりません。見たままを言ったまでです」

「ええ。それでいいんですよ、リタ。それでは、見えないものはありますか?」

「見えないもの……」


 どこか意図が含まれたヨシノの問い。リタは彼の意図に沿えるように必死に回答を探していく。見たままを言い、そして、見えないものを問われる。それはつまり、見えるはずなのに、見えない何かがそこにはあるということ。


「心臓、心臓がないです」


 リタは振り返りヨシノの顔を窺う。そうして目が合えば、彼はそれが正解であることを意味するように満足げに頷く。それが嬉しくて、リタは場にそぐわない笑みを浮かべた。


「気持ちの悪い娘だ」


 そんなリタの笑みにラザールは吐き捨てる様にそう呟いた。


「しかし、心臓がないというのはどういうことだね、ヨシノくん」

「心臓は全身に血液を送ると共に魔力の集積する場所でもあります。魔法を使わない人間でも日々大気から取り込んだマナは血液に取り込まれ、やがて心臓に貯蔵されていきます。それが無くなっているということは、魔力を好む魔物の習性に当てはまっているということなのです」

「だが、どうやって心臓をスライムが食らったというのだ。この穴もそうだが、スライムにそんな力はないはずだろ」

「さっきの食道」

「なんだと」

「食道がちぎれていた。あそこからスライムが体内に侵入した」

「その通りです、リタ。よく分かりましたね」

「えへへ……」


 頭を撫でられ、リタは無邪気な笑みを浮かべるが、ラザールはその理解の範疇を超えた推論に戸惑いを隠しきれなかった。


「す、少し待て。食道がちぎれていて、そこから体内へ入っただと? そんなことがあり得るか? 相手はスライムだぞ。体当たりするしか能のない魔物が、どうしてそんな惨い行為を……」

「それは語弊がありますね。スライムの捕食方法を知っていれば、これが自然な流れであることは明らかでしょう」

「自然な流れだと? この凄惨な死に方がか?」

「ええ」


 ヨシノは躊躇うことなく頷いて見せる。


「スライムは外敵を見つけた際、まず相手の呼吸器を塞ぎます。彼女の場合は口、そしてその奥の咽頭です。ですが、呼吸困難に陥った相手は必ず暴れ、スライムを引き剥がそうとします。そうしたら、スライムはどう動きますか?」

「魔物の思考など知るわけがないだろう」

「剥がされないように、奥に行きます」

「その通りです。スライムは更に奥へ、咽頭の奥、食道へまで身体を突っ込んでいきます。それは相当に苦しいはずでしょう。呼吸もさることながら食道への異物の侵入は身体が勝手に反応して吐きだそうとします。その嗚咽は体力を消耗し、結果として彼女の死期を早めていく。意識が朦朧とし、もはや嗚咽すら出なくなればスライムは阻まれることなく奥へと進んでいくでしょう」


 その感触を想像でもしたのか、ラザールはどこか具合悪そうに口元を抑える。


「しかし、スライムは形を自在に変えますがその堆積が変わることはありません50センチほどの大きさのスライムがある程度伸びるとはいえ、この細い食道が耐えることはできるでしょうか。残念ながら彼女はできませんでしたね。ちぎれてた食道から体内へと侵入したスライムは最も高い魔力を含む臓器、心臓へと至ったのでしょう」

「それが彼女の最期というわけか」

「私はそう思いますよ。いえ、そうとしか言えません。彼女の美しい死に様はこのような鮮烈であるが、普遍として存在していた死に会合したとしか説明の仕様がありませんから」

「なら……この穴はどう説明する」


 ラザールは忌々しそうにヨシノを睨みつける。


「同じことです。スライムが体内に侵入し、圧力の高くなった体内は比較的脆い部分から壊れてしまう。人間の急所と呼ばれる、鳩尾には筋肉がありません。スライム一匹分の圧力が加われば簡単に破れてしまうでしょう。そうして現れたスライムによって衣服も裂けてしまったのでしょう」


 そうしてヨシノは破れてしまった修道服をつまみあげ、その裏地にこびり付いた血を見せつけてみせる。それは内側から避けたことを意味する血の付着の仕方であった。


「シスターベアトルスはスライムに殺された。最弱と呼ばれ、誰も危険視していなかった魔物。ですが、その無警戒故に生まれてしまった死はあまりにも惨憺たる有り様を晒しあげ、見るも美しく、ああ、愛おしく彼女は息絶えてしまったのです」


 そうしてヨシノは彼女の死に恋情を募らせていた。だらしなく緩む彼の表情を見て、リタは死体に嫉妬する。意味のない嫉妬だ。彼の恋慕を一身に受け取る彼女がそれに応えることなんて、あり得はしないのだから。


「よくわかった。彼女の死因はスライムに襲われたからだな」

「ええ。そうなりますね」

「それが分かれば十分だ。ヨシノくん、君らはもう帰りたまえ」


 どこか薄情に聞こえるグレゴワルの言葉。けれど、それに不満を抱くことなくヨシノは頷いて見せた。


「ええ。そうさせていただきましょう。リタが持ってきてくれた夕食が冷めてしまいますからね」

「温め直しましょうか」

「魔法でですか? やめましょう。私、魔力の添加物はあまり好みではないですから」

「分かりました」


 リタはそうして現場から去ろうとするヨシノの後を追いかける。彼は死に対して並々ならぬ想いを抱いてはいるものの、それに執着することはない。


「もう死体はいいんですか?」

「ええ。彼女の死はしっかりとこの目に焼き付けましたからそれ以上は見なくていいんです」


 リタはそれに安堵する。


「さよならは一瞬です。その最中に全身全霊を込めたもがき、苦しみ、その煌めきが美しいのです」


 ランタンの明かりに照らされたヨシノの顔はどこか悲し気にリタの目には映るのだった。


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