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異世界ネクロフィリア  作者: かきな
第一話 花は誰かの死体に咲く
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その3 綺麗でもなんでもない無様の肯定


「おい、貴様っ!」


 しかし、その行為は激昂するラザールに引きはがされる形で中断させられる。


「死者を冒涜するかっ!」


 その憤りは常人の感性として正しいものであるだろう。抵抗できないことを良いことに、亡くなった女性の下着を覗き見る行為、それは明らかに彼女を辱める行為に他ならないように思えたのだ。


「冒涜だなんて、私ほど死者を愛している奇特な人間はいないでしょう」

「それが冒涜だというのだ! いきなり、衣服をめくり上げ、恥部を覗くなど!」

「目を逸らしてしまうことの方が冒涜でしょう。私は彼女の死を隈なく見ることで彼女の苦しみ、嘆き、哀しみ、その全てを理解し、味わいたいのです」

「それがどうして覗きにつながるのだ!」

「シミですよ」

「……なんだと?」

「彼女の下着にはシミができていたのですよ」

「……救いようのない変態が」


 もはや怒りも通り越したのかラザールは呆れ果て、嘲笑を口の端に浮かべる。けれど、リタは理解していた。確かにヨシノは死者に対して並々ならぬ想いは抱くものの、無意味に辱めるようなことはしないということを彼女は知っているため、その下着のシミにも意味があるのだろうと考えていた。


「シミとは修道服のものと同じものですか?」

「おそらく同じでしょうね。彼女の尿が下着と修道服共々濡らしてしまったのでしょう」

「それが、どうだというのだ」

「それは死に際に彼女が尿を漏らしてしまったことを意味しますね。死に際、それも自分の意思とは無関係に漏れるというのは、筋肉の弛緩が原因でしょう」

「筋肉の弛緩?」

「ええ。筋肉に力が入らず、脱力することです。このせいで漏れることを我慢できなかったのでしょうね」


 彼が確認したのは彼女が息絶える際に筋肉の弛緩によって失禁していたことであった。


「それは一つ、彼女の死因を明らかにする要素になります」

「なっ、死因が分かるだと?」

「ほう、ヨシノくん、ぜひ教えてくれるかな」

「彼女の死因は鳩尾の傷ではなく、窒息であることをこのシミが教えてくれました」

「窒息……」

「窒息だと?」


 それを聞いたラザールは死体の首筋を注視する。けれど、どうやら彼が期待していたものは見つからなかったようでやはりヨシノに食ってかかる。


「おい、窒息が死因だというならあの綺麗な首筋は何だ」

「ああ、とても綺麗ですよね! 血の気が引き、シミ一つない白い肌はこの暗闇に生える美しさを見せつけます。ランタンの明かりなんかで照らすのはもったいない。星明りの清純な白色で照らしてこそ、その白さがはえるとは思うのですけれど、如何せんそれでは調査ができませんからね。それだけが悔やまれます」

「そんな話は一切していない」


 彼の興奮を一蹴し、ラザールは話を進めようとする。


「首を絞めた痕が見当たらないと言っているんだ。首を絞めず、どうやって息が詰まるというのか」

「それは単純な話です。呼吸器を塞いでしまえばいいでしょう」

「呼吸器というと、口と鼻ですか」

「その通りです、リタ。正確には咽頭と呼ばれる喉の部分ですが、ここを塞いでしまえば人は呼吸することができませんから」

「喉の奥だと?」

「ええ。口から入り込み、咽頭を塞がれたことで、ベアトルスさんは呼吸困難に陥ったのでしょう。大変もがき苦しんだことでしょう。彼女はお使いの帰り道でバスケットを持っていたはずなのに見渡してみても周囲にはそれが見当たらない。おそらく振り回すうちにどこか遠くに放り投げてしまったのでしょう。次第に指先は痙攣し、力の入らなくなっていく身体は顔を覆う何かの重みに耐えられず、背中から倒れてしまう。何度か身体が跳ねるような痙攣を起こせば、もはや彼女は意識を失っていたことでしょう。筋肉は弛緩し、尿を垂れ流し、そして、彼女の鼓動は静かに脈動を止めていく。足元の土、少し抉れた箇所があるでしょう。それが、彼女が最後まで足掻いた痕跡ですよ。その死を美しく彩る装飾の様に、まるで絵画の背景の様に彼女を着飾る跡なのです」


 捲し立てるヨシノの弁にラザールやグレゴワルは圧倒される。死を嬉々として語る彼の姿を狂人と捉えることは間違いではない。常人ならば恐れ、忌み嫌うであろう死という事象にこれほどまでに踏み込み、そして、抱擁する人間を異端でないと誰が言えようか。

 奇異の視線は当然のこと。それを理解しているが故にヨシノもリタもそれを気にするような徒労はしない。狂っていると自覚している人間は狂っていると言われることに苛立ちの衝動を覚えたりはしないのだ。


「死因は分かった。だが、そこから犯人の目星は付くのかね」


 グレゴワルは努めて冷静に話を進める。彼にとって最も大事なのはこの事件の犯人でさる。誰がシスターベアトルスを殺害したかを突き止め、その犯人を捕まえてこそ、事件は解決したといえるのだ。


「犯人、と言われますと答えに困ってしまいます」

「そうか。致し方ないか。何せ、凶器すら分からない現状だ。目撃情報もなければ、現場に証拠も残されていない。そんな状況で犯人を推察しろと言う方が酷というものか」

「はっ。所詮、性的倒錯者だ。死体を眺めるしか能がないのだから、犯人捜しは我々の領分というわけだ」

「ええ。確かに貴方たちの領分でしょう。魔物討伐と言うのは」

「……今なんて言った?」


 嘲笑を止め、ラザールはヨシノの言葉を聞き返す。


「魔物、だと?」

「ええ。魔物です。シスターベアトルスは魔物によって殺されました」

「は、ははは。これは面白いことを言いだすじゃないか。確かに魔物ならこの腹の風穴も納得だ。ワーウルフなんかは素手で皮膚を突き破るらしいからな」

「面白いことでしょうか?」

「ああ。笑わざるを得ないな。魔物だって? そんなもの、いるわけないだろう」


 そうラザールが言ってのけるには理由があった。


「知っているだろう。人と魔物の大戦は既に集結している。神に選ばれた勇者を筆頭に教会の司教となった賢者、現在の騎士道剣術の祖である剣士、隠居されたが魔法学の発展に多大な貢献をした魔法使いの四人によって魔王は打ち倒され、魔物はその数を減らしていった事を」

「ええ。承知していますけれど、全ての魔物が消え失せたわけではないでしょう」

「だが、この周辺ではそんな凶悪な魔物の発見例はされていない。それこそワーウルフなんて、深淵の森の辺りまでいかなければいるはずもないだろう」


 深淵の森と呼ばれる森は、この町から遠く北に位置する。そこから一匹のワーウルフがこの地までやってくることなど、在り得る話ではない。けれど、それを承知の上でヨシノは言うのだ。これは魔物による死であると。


「この辺りで見られる魔物なんて、スライム程度しか……」


 そこまで言ってラザールは何かに気づいたように目を見開き、顔を上げる。


「まさか、お前はスライムにこのシスターが殺されたというのか」

「ええ。そのまさかです」

「スライム。体の殆どが消化器官で、酸性の体液によって取り込んだ食物をエネルギーに分解する魔物。その身体は柔らかい表皮で覆われていて、刃物で傷を付ければいとも簡単に死んでしまう」

「偉いですね、リタ。よく勉強しています」

「え、えへへ……」


 ヨシノに褒められ、リタは静かに笑う。けれど、そんな嬉しそうなリタの笑顔と対照的にラザールやグレゴワルの顔は怪訝そうに眉をひそめていく。


「スライムがこんな殺し方をするだと? はっ。馬鹿も休み休み言え」

「これには私も同意見だね。スライムに大人が殺されるとは到底思えないな」

「そう思うのも無理はないでしょう。何しろ、貴方たちは刃物を持っていますからね」

「なに?」

「こんな話をご存じでしょうか。世界最強とも呼ばれていた格闘家が家の近くにいたスライムと戦った話です。格闘家はもちろん武器の類を一切使うことなく、世界最強を勝ち取った己の拳のみで戦いを挑みました。その結果、どちらが勝ったでしょうか」

「そんなもの、当然格闘家が勝っただろう」

「ええ、誰しもがそう思うでしょう。最弱の魔物と最強の格闘家が戦ったのですから、最強を冠する格闘家が勝手しかるべきだと」


 その答えをリタは知っていた。事務所の本棚を埋める資料の中の一つ、魔物見聞録に書かれていた逸話であった。


「勝ったのは……スライムだったんですよ」


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