その1 街路樹も染まる寒空の下で
万人受けするテーマではありません。
グロやリョナ表現が苦手な方はご注意ください。
そこは町から少し離れた丘に広がる花畑であった。背の高い草に囲まれた、少し人目に付きにくいそこは心無い者に荒らされることなく、色とりどりの花々が咲き乱れる穴場であった。
「うふふ、できたわ」
鮮やかな色彩に囲まれながら、修道服に身を包んだ若い女性が微笑んだ。膝を折り、座り込む彼女の脇にはパンの入ったバスケットがあり、どうやらお使いの帰り道であることが分かる。そんな彼女の手には色とりどりの花々で作られた花冠が握られていた。それは彼女の頭を飾り付けるには小さいように思えたが、彼女は満足げな笑みを浮かべる。
「あの子たち、喜んでくれるかしら」
彼女が思い浮かべるのは教会に併設された孤児院で預かる子供たちのことであった。魔物との激しい戦いが終わった今でも、不幸なことに事故で両親を失う子供たちは少なからず生まれていた。そんな彼らを少しでも幸せにしてあげることが、自分に与えられた使命であると彼女は考えていた。
「うふふ、今から楽しみね」
子供たちの喜ぶ顔を思い浮かべ、胸の奥が温かい気持ちでいっぱいになる。そんな彼女を傾き始めた日の光が紅く染め始める。
「あら、みんなの分を作ってたら遅くなっちゃったわ。早く帰らないと院長に怒られちゃうわ」
積み上げていた花冠をいそいそと小脇に抱えると彼女は立ち上がった。そうして花畑から街道へと戻るために腰の辺りまで伸びた草原を掻き分けるように進み始めた。
がさがさと草の擦れる音が静かな草原に響く。けれど、どうだろう。そこに居るのは確かに彼女一人だけなのに、風も吹かないこの夕暮れの地にもう一つの葉擦れが、彼女を追うように近づいてくるのだった。
◇ ◇ ◇
カッチコッチと振り子時計が忙しなく時間を刻む。絶えず流れる時間の中で、時計は休む間もなく人々に始まりから終わりを告げる。日が昇れば起床を促し、日が沈めば終業を許す。町全体が一つの共同体として規律を持って動くための共通の指針となるべく、唯一休むことを許されない存在として、時計はこの寂れた一室にて夕刻を伝えた。
「今日も平和ですか」
「そうみたいです」
そこは何かしらの事務所のようであった。大きな事務机の前に来客用のソファとテーブルが置かれ、壁一面の本棚には何かしらの資料なのだろう古めかしい装丁の分厚い本が並べられていた。ほこりが被っていない様子を見ると、頻繁に使っているのか、あるいは丁寧に掃除されているのだろう。
「お食事を用意しましょうか」
「ええ。そうして下さい」
そんな事務所にいるのは一人の男性と一人の少女だけであった。男性は新聞を顔に被せ、ソファに気怠そうに寝転んでいた。見るからにいい加減な男の雰囲気はこの寂れた事務所に釣り合っているように見える。
しかし、一方の少女は異なっていた。黒を基調とした使用人の服を身に纏う彼女は齢十六歳ほどであろうか。見た目には可憐な少女に見える彼女はこの陰鬱とした空間に似つかわしくない清廉さを見せる。
「では、アリサさんの所へ行ってまいります」
「はい、いってらっしゃい」
玄関近くの台に置かれたバスケットを手に取り、少女は斜陽に染まりつつある町を歩き始めた。人の通りも少なくなった石畳の道を彼女の小さな足がコツコツと叩けば、道行く人は彼女を見るなり避けるように道を譲る。けれど、そのあからさまな忌避を彼女は意に介さず、目的の場所へと歩を進めた。
「こんばんは、アリサさん」
「あら、リタちゃん。こんばんは」
リタと呼ばれた少女が足を踏み入れたのは町の大きな宿屋であった。二階に客室があり、一階には浴場と酒場が併設されている。酒場は宿泊客のために朝から開いており、料理がおいしいために酒を飲まず食事だけする客も多い人気の宿屋である。
「今日もあいつのお使い?」
「あいつじゃありません。ヨシノ様です」
「リタちゃんもなんであんな陰気な男に惚れちゃったかなあ」
「陰気じゃありません。物静かです」
「リタちゃん、あいつを無理やり褒めるの上手いわね」
「無理をしているつもりはありません」
「なら、変わってるわね」
「否定はしません」
そんな雑談をしている間にアリサはリタのバスケットに夕食の料理を詰め終える。
「はい。今日はビーフシチューよ。溢さないようにね」
「ありがとうございます」
けれど、アリサのように自然な対応をする人間は稀なのだろう。酒場には他にも客はいたのだが、リタが入るや否や静まり、どこか嫌悪に満ちた視線を彼女に向けていた。
「……」
それに居心地の悪さを感じたのか、用事を済ませたからか、リタはバスケットを受け取ると早々に背を向け、宿を後にした。けれど、彼女は理解していた。彼らがどうして自分にあのような視線を浴びせるのかを。
歩いていると、どこからか飛んできた石ころがリタの頭にぶつかる。その痛みに石が飛んできた方を見れば、どこか強気な目をした少年たちがにやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべ見つめていた。彼らは彼女が忌避される理由を知ってはいないだろう。しかし、周囲の大人たちの態度を感じ取り、彼女には石を投げても咎める者がいないことを理解しているのだろう。
そんな彼らを見ながら、リタは額に垂れてきた血に指を這わせる。ぬぐい取った赤い血に染まる指先を見つめる彼女は、どういうわけか嬉しそうに口元を緩めた。そして、興味を失ったように少年たちから視線を逸らすと、跳ねるかのように軽い足取りで帰路を歩き始めた。
その様子に少年たちは怯える。そして、彼女がこの町の皆から嫌悪感の元、遠ざけられている理由の一端を理解したのだった。
「おい、聞いたか」
道中、この町の警備兵らしき制服の二人がしている会話が不意にリタの耳に入ってきた。
「街道の外れで見つかったらしいぞ」
「見つかったって何がだよ。団長に没収されたエロ本でも見つかったか?」
「ちげーよ! てか、団長にはばれてねーし。じゃなくて、死体だよ、死体」
死体、その言葉にリタはピクリと眉をひそめた。
「昨日から行方が分からなかったシスターが見つかったんだよ」
「ま、まじかよ……」
声をひそめ、悼むような表情になる二人の男を横目に、リタは事務所の前にまで戻ってきた。入口には先ほどの男たちと同様の制服に身を包んだ、けれど、彼らより威厳のある風貌の男が立ち、彼女を待ち構えていた。
「グレゴワルさん」
「ああ、リタくんか。ちょうどよかった。何度かノックをしてみたんだが、返事がなくてね。ヨシノくんはいるかね?」
「はい。ですが、終業時間を迎えたので応じないだけだと思います」
「君たちの仕事に営業時間という概念はないように思えるがね」
「それは私には分かりません」
「まあ、いい。とにかく、入れてもらってもいいかい?」
「どうぞ」
リタはノブを回し、来客を事務所に招き入れる。それをどこか気だるそうに一瞥したヨシノはその客がグレゴワルであると見るや否や飛び起きるように姿勢を正し、歓迎するように手を叩いた。
「やあやあ、ようやくいらっしゃった。ようこそ、グレゴワル警備隊長」
「君に歓迎されるほど嬉しくないことはないね」
「そうですか? 私は嬉しいですよ。何せ貴方は仕事を持ってくる。それも、私好みの仕事をだ」
「お茶です」
「ああ、どうも、リタくん」
いつの間にか淹れられた紅茶をグレゴワルとヨシノの前に置く。
「おや。リタ、その頭はどうしたんですか」
「これは……」
リタの額に流れる血にヨシノは視線を向ける。
「ずいぶんと可愛くなっているじゃないですか」
「ほ、ほんとですか」
「ええ。私好みですよ、リタ」
ヨシノはどういうわけか流血痕に心配するそぶりも見せず、あまつさえ可愛いなどという言葉をリタに投げかける。それに彼女も喜ぶような表情を見せるので、グレゴワルは呆れたようなため息と共に、話を断ち切るように咳払いをした。
「ゆっくり茶を飲んでいる暇もなくてね。さっそくで悪いが、本題に入らせてもらおうか」
「ええ。私も、それを望んでいますとも」
血色の悪そうな顔を不気味に引きつらせ、ヨシノは満面の笑みを浮かべる。
「先ほど、街道の外れの草むらでシスターベアトルスの変死体が見つかった。不可解な死体の損傷具合から君たちの力が必要だろうと考えられる」
「そうですか、そうですか」
「君たち、ネクロ探偵事務所に依頼だ。これより現場に向かい、シスターの検死を行ってもらう」
「ええ。喜んで引き受けましょう」
「報酬は」
「いつも通り、銀貨五枚だ」
「時間外手当を要求します」
「よしなさい、リタ。お金なんて、むしろ私が払ってもいいくらいなのですから」
ヨシノは小躍りするようなステップでコートを身に纏い、帽子を被り、ステッキをクルリと回すと、身支度を終えた彼は二人を置き去りに出かけようとする。
「ちょっと待て、君は場所を知らないだろう」
「分かりますよ。修道女が街道に出る用事といえば隣町へのパンの買い出しでしょう。ここの修道院は貧しい。少しでも安く買うには小麦の生産地である隣町にお使いに向かうしかないでしょう。そして、隣町までの街道の側には見えにくいですが背の高い草に囲まれた花畑がある。それを知っていれば、自ずと現場は推察できますよ」
「探偵っぽいことを言うではないか。ただの性的倒錯者ではなかったか」
そんなグレゴワルの言葉にヨシノはどこか調子づいたように含み笑いを浮かべ、その不気味な相貌に狂気を張り付けた。
「いえいえ、こんなことは誰だって察しのつく初歩的なことです。警備隊長の言う通り、私はただの性的倒錯者。死体に恋情を抱いてしまうだけの、どこにでもいる、ネクロフィリアにすぎないのですから」
そう。彼はネクロフィリア。生者にして生者を好まず、生者にして死を想う倒錯者。この町の嫌われ者にして、この町で人の死を検査する、検屍官なのである。