猿の触手憑きとの戦い
招かざる客の乱入によって、広場は騒然となっていた。
取り巻きの信者たちが立ち塞がってくる。俺は”雷遁”を仕込んだクナイで彼らを切りつけながら、広場の中心に向かって走る。
”雷遁”は武器に雷をまとわせる聖術だ。武器を対象に直接当てなければ効果を発揮しないが、一度当ててしまえば触れている者同士で連鎖的に感電していく。つまり今のように群衆を無力化したいときこそ真価を発揮するのである。
「カエデ!! 逃げろ!!」
大声で名前を呼ぶと、カエデもこちらを振り向いた。
「兄様!? どうしてここに!?」
カエデは逃げようとするが、手首を背中で縛られているせいで動けていない。
瘦せぎすの男に片腕だけで取り押さえられてしまっている。
「やつを止めろ! 儀式の邪魔をさせるなよ!」
瘦せぎすの男が叫んだ。しかし、信者たちは聖術の威力にすっかり腰が引けてしまっている。
男は舌打ちをすると、自分の左手の指をくわえ、指笛を鋭く吹いた。
その直後、俺の背後から、生暖かい何かが胴体に巻きついてきた。
俺はそのまま宙に持ち上げられ、振り子のように広場の外の森へ放り投げられてしまう。
「ぐっ……」
転がって受け身を取り、体勢を立て直す。
いま俺を投げ飛ばしたのは間違いなく触手だろう。
それに男の指笛一つで俺を排除するため的確に動くということは……教団が触手憑きを手なずけているという噂は、どうやら本当のようだ。
「(どこにいる……?)」
しかし、触手憑きの本体が見あたらない。
きっとどこかに隠れているはずだ。俺は周囲の木々に目を凝らす。
──見つけた。
大木の枝の上で、身体中から触手を生やした山猿が、俺を広場へ行かせまいと見張っている。
「猿の触手憑き……!」
その瞬間、七年前、父さんが猿の触手憑きに殺されたときの光景が脳裏によぎった。
何もできずに逃げることしかできなかった己の無力さを──
父さんの命を奪った触手の忌まわしさを──
俺は鮮明に思い出した。
「……あのときの俺とは違う」
自分に言い聞かせ、一歩踏み出した。
今このときのために、七年間、過酷な修行を積んできたのだから。
触手憑きを倒すセオリーはこうだ。
まず、やつらの弱点は本体の心臓。どんな動物がベースでも例外はない。
だが心臓に攻撃を届かせるためには、本体を守る数多の触手を攻略しなければならない。
ならば触手の射程外から火縄銃などで攻めればいいと考えるかもしれないが、触手は突攻撃に強いという性質を持っている。穴を穿つ程度ではすぐに再生してしまうのだ。
触手に有効な攻撃は、刀やクナイで切り落とすか、高火力の炎や雷で組織ごと破壊するかのどちらかだ。それらの攻撃を当てるためには、触手の射程内まで近づかなければならない。
味方は三人以上いることが理想だと言われているのはそれが理由だ。
一人が囮になり、一人が周りの触手を破壊し、一人が隙をついてとどめを刺す。
そこまでしてようやく触手憑きを仕留めることが可能になる。
一人で相手にする場合、それらの役割をすべて一手に引き受けなければならない。
しかしその無謀な一対一こそが、俺がこの七年間、最も力を注いで訓練してきた状況なのだ。
一対一の場合、かつて父さんがやったように触手を一本ずつ切り落としていくのが安全で確実な作戦だ。
だが、その方法では時間がかかってしまう。
教団の連中がカエデに何をするつもりなのかはわからないが、よからぬことを企んでいるのは確かだ。一刻も早く助けなければならない。
かといって勝負を焦り、猿の本体だけ狙っても意味はない。
触手を無視して懐に飛び込めたとしても、背中に致命的な隙を生んでしまう。
つまり良くて相打ち。この後にカエデのところに行かなければならないのだから、そんなのは論外だ。
いま取るべき作戦は──触手すべてを速攻で無力化する短期決戦。
最も難易度の高い方法だが……
「(やってやるさ。来いよ化け物)」
俺の殺気を感じ取ったのだろう。大木の上の猿が動きを見せた。
何本もの触手をすさまじい速度で飛ばしてくる。──俺の逃げ場を塞ぐように、広範囲に。
「風遁!!」
草履の裏に仕込んだ聖玉に力を込める。すると俺の体が宙に浮き、上へ触手を避けた。
風遁は空を飛べるようになる聖術だ。運動制御のために尋常ではない集中力を維持しなければならないのでわずかな時間しか使えないが、それで十分。
俺は滑空しながら大木に近づくと、木の幹に鈎縄を投げ飛ばし、巻きつけた。
「雷遁!!」
鈎から迸る稲妻が木を覆う。
感電の危険を察した猿は枝から飛び上がると、上空から俺にめがけて触手を伸ばしてきた。
だが、それこそ俺が待っていた瞬間だった。
跳躍中の動物は狙撃手のいいカモだと言われている。
鳥や風遁使いでもない限り、空中に浮いている間は簡単に方向転換できないからだ。
無軌道に迫ってくる触手は厄介。
しかしその起点である本体が動かなければ、根元を狙うことは容易い。
「火遁!!」
俺は地面に降り立ち、手裏剣を振りかぶった。投擲された手裏剣が炎に包まれ、無数の火炎弾を発射する。
炎の直撃した触手の肉が嫌な臭いをたてながら焼け焦げていく。次の木に飛び移るために伸ばしていた触手も千切れ、猿の本体は落下をはじめた。
「終わりだッ!!」
俺は懐からクナイを取り出す。そして、落ちてきた猿の胸にまっすぐ突き刺した。
ギャオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
猿が咆哮をあげる。傷口から吹き出した生臭い血が俺の顔にかかる。
刃を一段とねじ込んでやると、猿の体はビクンと震えた後、触手ともども動かなくなった。
「……やったよ、父さん」
俺は小さくつぶやいた。
猿の死体を見やり、つかのま、触手に侵される前の山猿に思いを馳せる。
陸蛸の触手を食べさえしなければ、自我を失うこともなく、九頭龍教団に利用されることもなく、こうして無残に死ぬこともなかったろうに……。
とはいえ、勝利の感慨に浸るほど悠長にしていられない。
俺は顔の血を拭うと、急いでカエデのいる広場へと向かった。
俺が広場に戻ってみると、信者たちは散り散りになっていた。
さっき倒した何人かは地べたでうずくまったままだ。これなら邪魔はされないだろう。
俺はカエデの方に目を向け……そして、息を呑んだ。
巨大な円盤のそばに、まだカエデと男の二人は立っていた。
ところが痩せぎすの男が持っていた触手の切れ端が、カエデの口に押し込まれ、カエデは今にも触手を呑み込んでしまいそうになっていたのだ。
「んぶっ……!」
カエデは涙目でえずいでいる。
首を振って拒絶しようとはしているのだが、男に頭を掴まれ、口をこじ開けてられてしまっている。
苦しむカエデをよそに、触手はうねりながら口の奥へ侵入していく。
よだれと粘液の混ざりあった汁が喉を伝ってポタポタと垂れる……。
俺は自分の体が怒りに震えるのを感じていた。
心臓が早鐘を打ち、視界がぼやける。
あの男は──今すぐ殺す。