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幼馴染は触手の姫  作者: もっしゃん
第一章:幼馴染が触手になるまで
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君の名前はカエデ


 忍の死は孤独だ。


 日の下でいくさに励む侍と違って、忍は諜報や暗殺など人知れず暗躍する。忍の情報が他所に漏れるという事態はできるかぎり避けなければならない。

 だから、忍たちは普段は農民や商人のように振る舞い、自分たちが忍であることを隠す。

 そうやって秘密主義の文化が昔から受け継がれてきた。


 そして、その秘密主義は「死」に関しても例外ではない。

 葬儀は同じ里に住む者だけでひっそりと執りおこなわれる。


「あいつはこんなところで死ぬ男ではなかった」

「ゼンの死は、コウガの里にとって、いやジパングにとって大きな損失だ」

「まだ若かった。生きていればこの先も多くの民を救っただろうに」


 追悼の儀が終わったのち、父さんを知るコウガの忍たちは、口々にその死を嘆いた。

 しかし、俺はそんな大人たちの言葉に腹を立てていた。父さんの墓石を前にして、握った拳が痛かった。


 『誰かの命を助けるために忍をやっていた。だから悔いはない』

 父さんが死ぬ間際、女の子に語ったことだ。

 その言葉は女の子の罪悪感を和らげるための方便なんかじゃない。本心から出た言葉だったと、間近で聞いていた俺だからこそ確かにわかる。


 なのに、誰も父さんの行動を肯定しない。

 命をかけて俺と女の子を守ってくれたことを、立派だったと褒めようとしない。

 忍としての父さんばかりを惜しんで、一人の人間としての父さんを尊重していない……。


「気に入らんかね」


 しわがれた声が聞こえた。顔を上げると、白いあごひげを蓄えた老人……ウカイ・モンがとなりに立っていた。

 爺さんはウカイ家の長老、つまり、父さんの父さんだ。

 さすがに歳のせいで忍者稼業は引退したが、今は家元の長として里をとりまとめている。


 俺は爺さんのことがあまり好きではなかった。

 その真っ黒な瞳に見つめられると、心を全部見透かされているような気分になるからだ。

 

「つねに冷静沈着であれ。滅私奉公めっしほうこうの精神をもて。それが忍のおきてだ。だが、あやつはそのどちらも最期に破った。その行いを咎めはせぬが、賞賛もせぬ」


 息子を亡くした直後とは思えないほど淡々とした口調で、爺さんは語る。

 

「父さんは冷静だったし、俺たちのために戦ってくれた。何がダメなんだ」

「確かに、触手憑きと戦うという判断は正しかった。放っておけば被害が広がるからの。しかし、一人で倒そうとしていい相手ではなかった」

「……俺が戦えていれば。修行をサボらずに、もっと強くなっていれば」

「阿呆。九歳の子どもを戦力に数えるやつがいるか」


 抱えていた自責の念を「阿呆」の一言で許され、少し、心が軽くなる。


「ゼンがおぬしに指示すべきだった内容は、真っ先に山を下り、里に伝令をよこすことだった。そして、あやつは時間稼ぎに徹するべきだった。そうすれば他の忍と協力できた。命を落とすこともなかっただろう」

「でも、それは無理だっただろ。怪我してた女の子がいたんだから、一人のときみたいに早くは走れなかった。あの子を守りながらじゃないと……」


 俺はそこまで反論してから、爺さんが言いたいことを悟ってしまった。


「……あんたは、女の子を見捨てればよかったって言いたいのか」

「『誰かの命を救いたい』。それがゼンの信念だった。だが我々忍は信念のために生きるのではない。公のために生きるのだ。ときには命の価値を天秤にかけることも必要だ」


 爺さんの言葉は冷徹だった。

 つまり、優秀な忍であるウカイ・ゼンの命と、弱っていた見ず知らずの他人の命を比べ、切り捨てる方を誤ったと言ったのだ。

 それはあまりにも父さんの信念を無下にする言葉。俺はしばらく二の句を継げなかった。

 論理的には正しいのかもしれないが、だとしても――


「――俺は忍のそういう生き方が嫌いだ」

「そうか」


 ようやく絞り出した俺の言葉を、爺さんは、無感動に受け止めた。



***



 葬儀がすべて終わり、俺は自分の屋敷へ帰った。

 俺と、爺さんと、母さんと、姉さんと……そして昨日助けた女の子が、囲炉裏を囲んで座っている。


「この子を早く、もといたところへ帰しましょう」


 そう会話を切り出したのは姉さんだった。

 姉さんは俺より二つ歳上の”くノ一”見習いだ。名前はスイレン。

 俺とは違って真面目に修行をこなし、将来を有望視されている。朝廷直属の忍になるのが夢だという。


 そして、おまけに容姿がいい。

 弟の俺がこんなことを言うのもアレだが、その端正な容姿は、ちょっと傾国できるレベルだと思う。顔が地味な俺とは別方面で、忍の才能があると言えるだろう。

 まあ、性格はキツいんだけど。


「とりあえず一晩は泊めたけど。これ以上、里のことを知られるわけにはいかないわ」


 姉さんは来客への対応でも、その性格のキツさを発揮していた。


「それがね、記憶を失っているらしいの」


 母さんが優しい口調で女の子をかばった。

 母さんは我が家で唯一忍ではない。昔、父さんに助けられたときに一目惚れして、そのまま嫁入りしてきたらしい。


「自分で説明できる?」


 母さんに促され、女の子はうなずく。

 長い前髪の隙間からうかがえる表情は、葬儀のときからずっとこわばったままだ。


「えっと……わたし、覚えていることが何もないんです。自分がどこにいたのかも、どうやってここに来たのかも。一番古い記憶は、山の中で、猿の怪物に追いかけられていたことで……」

「自分の名前も覚えていないのよね?」

「……はい」


 姉さんは呆れたように首を横に振った。


「現実味がないわね。全部嘘で、本当は敵国の間者かんじゃなんじゃないの」

「間者ならばもっとマシな言い訳を用意する。服装も目立たないものにするだろう」

「うっ……」


 即座に爺さんに論破され、姉さんはおし黙る。

 確かに、女の子が着ているような白い絹の衣服は見たことがない。この服が出自のヒントになるかもしれないが、俺だけならともかく、爺さんまでも知らないというのだから、お手上げだ。


「お義父様とうさま、しばらく我が家でこの子を預かりませんか。記憶が戻るまででかまいません。……いかがでしょうか」

「ゼンが助けた子だ。そうするしかなかろう」


 爺さんが頷くと、母さんは「よかったわね」と女の子に微笑みかけた。

 対照的に、その決定を受けて姉さんはますます不機嫌になった。冷ややかな視線を女の子に向ける。


「あなたさえいなければ父さんは死ななかったのに」

「おい、やめろよ」

 

 俺は反射的に立ち上がっていた。

 また怒りがこみ上げてきたからだが、それだけじゃない。

 姉さんの一言で、女の子のこわばっていた顔がぐにゃりと崩れたのだ。今にも泣き出しそうになっている。どんな思いで彼女が葬儀の場にいたのか、想像するに耐えないというのに。


「姉さんまで同じことを言うのか」

「だって本当のことでしょ」

「なんだと――」


 胸ぐらを掴もうとして近づき――姉さんの目が赤く濡れていることに、気づいた。


「(ああ、そうか)」


 冷静を装おうとしているが、姉さんもまた、純粋に父さんの死を悲しんでいるのだ。

 そして、どうしようもない感情のやり場に困っているだけだ。そういう点では俺と同じなのかもしれない。

 しかし、だからといって引き下がるわけにはいかなかった。


「だったら、俺が証明してやる。父さんが命をかけてこの子を守ったのは正しかったんだって」

「証明? どうやって?」


 売り言葉に買い言葉。でも、口からのでまかせじゃない。


 『お前のなりたい忍になれ』

 父さんが最期に俺に遺してくれた言葉だ。

 葬儀中、ずっと考えていた。自分がなりたい忍の姿を。

 昨日までの怠けていた自分にはそんなビジョンはまるでなかった。だが、今ならはっきりと言える。


「生涯をかけて俺がこの子を守る。いや、それだけじゃない。父さんよりも、触手憑きよりも強くなって、みんな・・・の命を救える忍になる」


 「この子を助けなければよかった」などと二度と誰にも言わせないために。

 切り捨てる命の選択をしなくてもいいように。


 これが俺の”信念”だ。忍の掟だろうと、なんだろうと、絶対に譲ってやるものか。

 それを聞いた姉さんはため息をつき、母さんは微笑み、爺さんは無反応で、女の子は目を丸くしていた。


「欲張り。お子さまの戯言」


 姉さんは鼻で笑い、一蹴した。


「そんなことよりお爺様、新しい毒の調合法を思いついたの。見ていただけるかしら」


 姉さんは声色を変え、爺さんの腕を引いて部屋から出て行った。

 後には俺たち三人が残り……しばらく静寂が支配した。


「そうだ。この子の呼び名を決めなきゃね」


 不意に、母さんが手を叩いて提案した。

 言われてみれば「女の子」「この子」とばかり呼んでいた。記憶喪失ともなればこの里での名前が必要だ。


「ジンが名前をつけてあげなさい」

「えっ、俺?」


 てっきり母さんがつけると思っていたので、素っ頓狂な声で返してしまう。


「ゼンさんもその方が喜ぶでしょう。一生この子を守るなんて言っちゃって、断るのはなしよ」

「は、はは……」


 そう言われたら返す言葉もない。俺は改めて女の子をまじまじと観察してみる。

 二重のくりっとした目。小さな口元。よく見てみると、綺麗系の姉さんに負けず劣らずかわいいかもしれない。

 長い黒髪に、白い絹の服から連想できるのは……幽霊? いや……うーん……。


 俺はしばらく悩んでいたが、ふと窓の外を見て、その光景に目を奪われた。

 山が、紅葉で真っ赤に染まっていた。

 詩人がこの景色を見れば俳句の一つでも詠みあげるのかもしれないが、今の俺にとって、受ける印象はまるで違う。

 どうしても思い出してしまう。父さんの死んだときも、赤い葉が舞い散っていたことを。

 そして、それでいい。あの瞬間を絶対に忘れちゃいけない。


 ――決めた。

 父さんが守った命であることの象徴になる名前を、この子に授けよう。


 俺は女の子の正面に正座して、ゆっくりと口を開く。


「カエデ。きみの名前は、カエデだ。それでいい?」

「……うんっ!」

 

 女の子は、そのとき俺に初めて明るい笑顔を見せてくれた。

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