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幼馴染は触手の姫  作者: もっしゃん
第三章:変わりゆく果てに
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夢が見せたもの

 冷や汗を噴き出しながら、俺たちは秋の山を駆け下りていた。

 俺の右手はカエデの左手を握っている。白い絹の服をまとった弱々しい少女を、絶対に放さないように、固く固く。

 背後からは硬質なもの同士がぶつかり合う音が聞こえてくる。無力で幼い俺たちを逃がすために、父さんが猿の触手憑きと戦っているんだ。


「ぐうっ!!」


 父さんのうめき声に反応して、俺はつい後ろを振り返ってしまう。それと同時にカエデが木の根につまずいてしまい、俺たちはまとめて転んでしまった。

 身体を変な方向に捻ってしまったせいで脇腹がズキズキと痛む。どうにか起き上がり、周囲の状況を確認するが……。

 ……。

 おかしい。カエデがいない。ついさっきまで手をつないでいたはずなのに、どこかに消えてしまった。


「カエデ!!」


 喉を絞って名前を呼ぶ。一刻も早く探し出さなければと焦ってあたりを見回すと、自分のいる場所よりも少し高い坂の上に。

 ――カエデを、見つけた。

 紅い小袖を羽織り、楓型の髪飾りをつけた、見慣れた姿のカエデが棒立ちでこちらを見下ろしている。


「そこにいたのか! 早く逃げないと猿の触手憑きが……」


 俺は安堵して駆け寄ろうとする。すると、カエデがうっすらと笑った。その表情に何かそら寒いものを感じてしまった俺は、はたと足を止めてしまう。


「カエデ?」

「にいさま」


 カエデは背中から一本の触手を伸ばした。どうしてカエデが触手を……違う、カエデは触手憑きに変えられてしまったのだから、触手を操れるのは当然じゃないか。何も怯えることなんてない。

 ……怯えることなんてないならば、どうして俺の手はこんなに震えているんだろう?


「にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま、にいさま」


 カエデが抑揚のない声で「にいさま」とつぶやくたびに、触手が新しく生えてくる。

 その数は八を超え、二十四を超え、数え切れないほどに増えると、カエデの身体を覆い尽くし、やがてその中の一本が――まっすぐ俺に迫ってきた。


「ッ!!」


 とっさに両腕で顔をかばい、目を閉じてしまう。ところが痛みはいつまでたってもやってこない。恐る恐る目を開けてみると。

 父さんがカエデの触手に胴体を貫かれていた。


「父さん!?」


 口と腹から血を吹き出しながら、刺し違えることもできず、遺言を残すことさえ許されず、父さんは死んだ。――カエデに殺された。

 戦慄わなないている俺の肩を、背後から誰かの手が優しく叩いた。振り返ってみると、それは姉さんだった。


「ジン、言ったでしょう。カエデちゃんは殺さなければならないと」


 姉さんが指差した先にいるのは、もはやカエデの原型を留めていないイソギンチャクのような触手の塊。


「そうだ。奴の命を絶つことがこの国のためになるのだ」

「彼女に引導を渡すのはお主の務めじゃろう」


 左大臣も、爺さんも、そう囁きかけてくる。

 俺の右手にはいつの間にか雷遁のクナイが握られていた。心臓がうるさいくらいに早鐘を打ち始め、脇腹の痛みが激しくなる。


「俺は」


 できない。できるはずがない。

 たとえそれ・・が正義の行いだとしても。

 まだ希望は残っているのだ。セイメイの元へ送り届けて、人間に戻してもらうという希望が。だから。


「俺は……ッ!」


 クナイを握りしめたまま立ち尽くす俺を、怪物は冷ややかに見下ろしてくる。

 そして今度は決して逃がさないと言わんばかりに、全方位から触手を伸ばしてきて――――






「兄様、兄様!」

「か、カエデ……」

「兄様、大丈夫!?」


 朦朧とする意識を叩き起こし、目をしばたたかかせると、カエデの顔が目と鼻の先にあった。垂れた髪が俺の頬に触れてしまっているほどの至近距離に。

 俺は反射的に上体を跳ね起こそうとして――ひたいとひたいをぶつけてしまった。


「あだっ」

「つっ!」


 その衝撃でぐわんぐわんと脳天が不自然に揺れ、再び地面に倒れてしまう。まずい。身体が言うことを聞かない。


「ダメだよ兄様、ひどい熱なんだから……」

「熱……?」

「うん。おなかの傷のせいでね」

「傷……?」


 何を言っているんだ。これはさっき転んだ拍子に捻ってしまったところなのに……と思いながら脇腹に触れた途端、刺すような痛みが走った。その刺激で、記憶が奔流のように戻ってくる。

 そうだ。旅の途中、俺たちはムナガラに襲われて、少女の触手憑きに傷を負わされて、殺される寸前だったところで、カエデが……。


「でも良かった、目を覚ましてくれて。本当に良かったよ」

「カエデ……」


 カエデは冷たい水に浸した手ぬぐいを俺のひたいに乗せてくれる。目の下には大きなクマができていた。夜通し付きっきりで看病してくれていたのだろう。

 俺がカエデをまじまじと見つめていると、カエデはバツが悪そうに視線を逸らした。


「ど、どしたの、兄様」

「いや……」


 普通に人間の姿をしている。しかし、見た目で明らかに変わったところもある。

 お気に入りだった紅の小袖を着ておらず、その代わり、変装に使っていたぶかぶかの外套で身を包んでいる。そして、楓型の木彫りの髪留めを付けていない。それはつまり、体の形が変化したことで、身につけていたものをすべて失ってしまったのだろう。

 あの悪夢のような出来事は、実際の悪夢ほど悲惨ではなかったにせよ、夢ではなかったのだ。


 ……そう、だから”あれ”はあくまで夢の話だ。

 夢は心の奥底を映し出すという。あの悪夢が見せたように、たとえ俺がカエデに恐怖を抱いてしまっているとしても、今の俺が為すべきことははっきりしている。朝廷と教団から守り抜き、セイメイの元へ連れて行くことだ。であれば迷う理由などどこにもない。

 ただ、やはり今のカエデに確かめておきたいことは……ある。


「この場所は?」


 一番尋ねたいことを避けて、まず当たり障りのない質問から入ってみた。


「たぶん、猟師の山小屋。長い間使われていないみたいだから、隠れるのにちょうどいいかなって」

「ああ、いい判断だと思う。ありがとう」


 木板を組んだ壁の隙間からは陽の光が差し込んでいて、埃が舞っているのが見える。古びた狩衣が壁にかかっており、小屋の隅には錆びついた猟銃が立てかけられている。俺が寝ている場所は、藁に布を敷いただけの簡易的な布団だ。

 お世辞にも傷を癒す環境として清潔であるとは言い難いが、手配されている身ゆえに人の手を借りるわけにはいかなかったのだろう。


「その手当て用の水はどこから?」

「しょうがなく近くの川から……あ、そうだ、兄様が起きたら頼みたいことがあったんだ」

「”水遁”だな」

「うん。一応この水も煮沸はしてあるんだけど」


 カエデから手渡された竹筒の底には、聖玉が埋め込まれている。俺が”水遁”を発動すると、竹筒は無色透明な水で満たされた。

 ”水遁”で生成した水には不純物が含まれていない。どんな水よりも綺麗だ。

 聖力の消耗が激しいため多用できないが、飲み水を確保できないときや、傷口を洗いたいときに、この聖術は大いに役に立つ。


「……聖玉か」


 俺の認識に間違いがなければ、ムナガラは聖玉を介してカエデを操ろうと試みていた。

 朝廷が管理しているはずの聖玉を奴らが持っていたこと自体があってはならないが、それ以上に、「触手憑きを従える」という禍々しい力を聖玉が秘めている事実が信じがたい。

 聖玉の出処について朝廷は「九頭龍戦争の際に帝が神から賜った」と流布しているが、これはそんなキレイなシロモノではないともはや確信できる。

 朝廷は何も知らないのか、何かを隠しているのか、あるいは……。


「まあ、今考えてもしかたない」


 どのみち朝廷とは敵対してしまっているのだ。陰謀論に陥りそうになった思考を切り替えて、脇腹の傷の具合を確かめるために改めて上体をゆっくりと起こす。

 包帯を剥がしてみると、傷口は器用に縫合してあった。薬草特有の匂いが鼻をつく。眠っている間にカエデが手当してくれたようだ。

 カエデは応急手当の技術を一通り身につけている。その腕前は俺や姉さんよりも上だ。


「いつも助かるよ」

「えへへ、どういたしまして」


 傷口を水遁の水で洗っていると、傷の深さから予想されるよりもずっと治りが早いことに気がついた。まったく化膿していないし、この調子なら数日以内に動けるようになるだろう。


「薬草がよく効いたのかな」

「それもあると思うけど……」


 カエデは何かを言おうとして一旦口を閉ざしたが、すぐに言葉を継いだ。


「……わたしの触手に治癒作用があったみたい」


 俺が何より確かめたかったその情報は、思いがけずカエデ本人の口から語られた。


「覚えてるのか」

「うん」

「俺がやられそうになって、カエデがどうやってあの状況を切り抜けたのか、全部覚えてるんだな」

「うん」


 自分の表情が硬くなってしまっているのを自覚する。夢の映像がフラッシュバックしそうになる。


「でも、安心して」


 するとカエデは申し訳なさそうな笑顔を見せた。


「あの姿になるのが初めてで、力の加減がわからなかったから、ちょっとひどいことになっただけ。兄様ごめんね、怪我してたのに触手で縛って持ち上げちゃったりして……」

「ああ、いや」


 カエデに俺を傷つけるつもりがなかったのは、こうして甲斐甲斐しく怪我の手当てをしてくれていることから十分理解できる。

 力の加減がわからなかったというのもあり得る話だ。俺だって聖術の訓練をしていた頃はよく術を暴発させてしまっていた。

 ムナガラへの仕打ちは……まあ、憎い相手なのだから、あれくらいしてもしょうがない……だろう。


「大丈夫。兄様を助けられるくらい強くなったこと以外、何も変わってない。わたしはわたしだよ。へいき、へっちゃら」

「それなら、いいんだ。助けてくれてありがとう」


 俺は礼を言って、カエデの頭を撫でる。


「えへへ……へへ」


 ああ、俺の知っているカエデだ。照れてフニャリと笑うところも、甘えるように背中に手を回してくるところも、全部そのままだ。

 ヒトの触手憑きたちを残酷に屠り、ムナガラを凌辱していた、全身触手の化け物の面影はどこにもない。俺は目が覚めてから初めて身体から緊張が抜けていくのを感じた。

 しばらく抱き合っていたが、ようやく俺から離れたカエデは「そうだ」と手を打った。


「兄様、お腹すいたでしょ」

「ああ、そういえば、ペコペコだ」

「丸二日何も食べてなかったからね。ご飯作ろっか」

「そうだな……それじゃあお願いしようか」

「そうこなくっちゃ! 材料採ってくるね。休んで待ってて」


 カエデは小屋の物置からカゴを手に取ると、外套を深くかぶり、弾むような足取りで外へ出て行った。


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