覚醒の鼓動
いあ! いあ! くづるう! ふたぐん!
いあ! いあ! くづるう! ふたぐん!
いあ! いあ! くづるひ! ふなぐる!
いあ! いあ! くづるひ! ふなぐる!
祝福せよ! 世界の総てはあのお方のために
祝福せよ! 俺の総てはキミのために――
***
「クズルヒ、それがお前の本当の名前だ。カエデなんてダサい名前じゃなくってな」
ムナガラは言い放った。厳然たる事実を突きつけるがごとき、断固とした口調で。
「こ、この名前は、兄様がくれた大切な名前。馬鹿にしないでっ!」
カエデは怒りの形相で、前髪に挿した楓型のかんざしを強く握る。
そうだ。記憶を失う前のカエデがムナガラとどんな間柄であったにせよ、”今”のカエデには関係ない。カエデが俺を信頼してくれている限り、絶対にムナガラの手に渡すわけにはいかないのだ。
「キシシシ……これが寝取られってやつなのかねえ」
ムナガラは口角を引きつらせる。
「ジンとか言ったっけ? 無知なカエデちゃんを自分好みに育てるのは楽しかったかよ?」
「……下衆が」
「ま、もうどうでもいいがね。どのみちお前はここで死ぬ。クズルヒの記憶を思い出させるのは、その後でゆっくりやりゃあいい」
ヒトの触手憑きたちが一斉に触手を構える。
ムナガラは彼らの後ろに下がり、悠々と俺たちから距離をとる。
敵の数は十体。対してこちらはたったの二人。本気で俺を殺しにきている相手に、絶望的とも言える戦力差だ。
しかし逃げるという選択肢はありえない。ムナガラは変装したカエデを探知する力を持っているようだ。カエデも俺より先にムナガラたちに気づいていたあたり、触手同士はお互いを探知できるのかもしれない。
だとすれば、この場を一時的に切り抜けたとしても今後ずっと狙われることになるだろう。
ならば返り討ち……この場で奴らを完全に倒さなければ未来はない。
「カエデ、前に話したことを覚えてるか」
「……うん」
無謀に思えるかもしれない。しかし勝算が無いわけではない。
九頭龍教団は必ず触手憑きを従えて襲ってくるはず。そのときの対処法のパターンはすでにカエデに伝えてある。
「作戦弐で行く。頼んだぞ」
「わかった」
カエデは意を決したように力強く頷く。
「――やれッ!!」
ムナガラが腕を振り下ろすと、同時に敵の触手が何本も迫ってきた。
走り出した俺は次々と触手をかいくぐっていく――しかし避けきれない。あまりにも数が多い。
一本の触手があわや腹に直撃しそうになったそのとき、硬質な音とともに、その触手が弾かれた。
「兄様っ!!」
「ああ、助かった!」
触手を弾いたものはもう一つの触手……カエデのそれだ。
「兄様には……触手一本触れさせないんだからっ!」
背中から腕から無数の触手を生やしたカエデは、縦横無尽に触手を操り、敵の触手にぶつけて攻撃を妨害する。
旅の途中、人目のつかない山中で、カエデが触手をどのくらい操ることができるのか実験したことがある。
その結果わかったのは、カエデは並の触手憑きを遥かに凌駕した力を有しているという事実だ。
触手憑きが一度に操れる触手の数は、八本が上限だと言われている。そして射程距離はおよそ八間(約10メートル)だ。
ところがカエデの場合、二十四本もの触手を同時に操り、十六間(約20メートル)まで伸ばすことができる。その差は圧倒的だ。
カエデが普通の触手憑きよりも強力な理由はわからないが、今はこれほど頼もしいことはない。たった一人で鉄砲隊の援護射撃をこなせるも同然なのだから。
「やっ! はあっ!!」
俺が避けきれなかった触手を、後ろからカエデが次々と打ち払っていく。
カエデの触手捌きは正確無比だ。戦場には幾多もの触手が飛び交っている。それゆえ敵の触手同士が絡まってしまっていることもある中で、カエデの触手は一本も絡まることなく動き続けている。
そうしてカエデが作ってくれた隙を縫って、俺は敵本体の集団へと距離を詰めていく。
カエデに伝えた『作戦弐』は、俺が特攻役となり、カエデが後衛からサポートするというもの。
最終的な標的はもちろんムナガラだ。
本当ならば、触手憑きなど無視して真っ先にムナガラを狙いたいところである。
ムナガラは触手憑きを手なずけている。ただの化物である触手憑きをどんなカラクリで操っているのかは想像もつかないが、ともかく奴が大将であることは間違いない。
しかし無策で突っ込めば当然殺られる。
そこでまず触手憑きをある程度各個撃破し、カエデが一人で抑え込める数になったら、不利を悟られて逃げられる前にムナガラの首を狙う。そういう算段だった。
「まずは一体!」
敵の最前線を張っていた、商人風の男の触手憑き。
その懐に、俺は”風遁”を瞬発的に発動して飛び込むと、”雷遁”のクナイで胸を深々と突き刺した。
「ぐぶっ」
男が生々しいうめき声とともに血を吐き出す。生暖かい血が俺の肩にかかる。
「……っ!!」
突き刺したクナイを抜こうとする俺の手に、一瞬、力が入らなくなった。
……人を殺した嫌悪感で、体が弛緩しているのだと自覚する。
相手は理性を失った化け物だと頭で理解していても、元はただの商人の男。そう簡単に割り切れるものではない。
ヒトの触手憑きと戦うのは、だからこそ苦しく、恐ろしい。カエデを連れている今の俺にとってはなおさらだ。
「ムナガラ……!!」
あいつは”それ”を理解しているからこそ、わざわざヒトの触手憑きを従えて襲ってきたのだろう。
ヒトの触手憑きたちを盾にして、一人安全圏に立っているムナガラを俺は睨みつける。
あまりにも卑劣。触手に精神を喰われた人たちの命を奴は何とも思っていない。しかし、ここで動揺に呑まれてしまえばムナガラの思うつぼだ。
俺はクナイを胸から抜き、次の触手憑きに狙いを定める。
「二体!!」
”火遁”の手裏剣で脛を削がれて動けなくなった老婆を、一閃で仕留める。これで残り八体。
「(行けるっ……!)」
俺とカエデのコンビネーションならこの戦力差でも戦える。
よし、次に倒せそうな位置にいる触手憑きは――
「――! クソったれが!!」
その目の前の光景に、思わず悪態が口を突いて出てきた。
触手憑きにされた人たちの中でもひときわ幼い、年端もいかない可憐な少女。
そんな少女がまるで攻撃してくれと言わんばかりに隙だらけの状態で、触手憑きの集団から一人で歩を進めてきたのだ。
俺は痛いほど歯噛みする。攻撃したくはない……したくないに決まっている。しかし――!
「キシシシ!! さあどうする兄様よぉ!!」
「舐めるなよ!! 俺を!!」
少女が放ってきた触手をクナイで我武者羅に切りつけながら、正面から突っ込む。
そのまま抜き身の刃を振りかざそうとした……そのとき。
少女が目から一筋の涙をこぼし、口を開いた。
「タ……」
「!!!!」
「タ……スケ……テ」
馬鹿な。
触手憑きになれば、すでに自意識は失われているはず。
現に少女は俺たちを襲ってきていて……そんなカエデみたいな例外がいくつもあるはずが……そうだ、こいつは殺さなきゃいけない相手で――
「兄様!! 立ち止まったら!!!!」
カエデの必死な叫び声が聞こえた、その直後。
俺の腹部に灼熱のような痛みが走った。
「……あ、がっ……!」
眼前には、瞳から涙を流し続ける少女。
しかし彼女の腕が変化した触手は……無情にも俺の脇腹を切り裂いていた。
「ぐゥッ……!!」
痛い。熱い。寒い。血が止まらない。クナイを握っていられない。足に力が入らない。
地面に膝をつくと、べちゃりと血だまりの音がした。
――”まだ”致命傷ではない。カエデの声のおかげで急所は辛うじて避けられた。
しかし、このまま出血が続けば……いや、それ以前に、敵が眼前にいるこの状況では。
「あっはぁはははははあ!!!!」
ムナガラが狂気じみた笑いを高らかに叫ぶ。
「わけわかんねえって顔してんなあ! え!? かわいそうな女の子だもんな!? カエデちゃんを助けたいのに他人の子だけ無視できねえもんな!?」
「ムナガラぁ……!!」
「だが残念だったな。その子はとっくに身も心も”触手憑き”だ。俺が操ってやっただけさ」
「操る……だと……」
俺は荒い息を吐きながら問いかける。
涙を流し、助けを請うような、そんな人間らしい仕草をムナガラが操ったというのか。
「ま、正確には意識を一瞬だけ”引き戻して”やったんだが……」
「一体……どうやってそんなことを」
「そうだな。冥土の土産に教え……るわけねーだろがよ!! キシシシ!!」
ムナガラは勝ち誇ったように笑うが、その行動には隙がない。余裕をかましているように見えても、手の内は明かさないし、俺の手が届く距離には決して近づいてこようともしていない。
つまり本気なのだ、このムナガラという男は。戦う相手を甘く見ない敵は……手強い。
「油断ならねえやつだぜ。今にも死にそうだってのにちゃっかり情報を引き出そうとしやがる」
「こんなザマでも忍なんでね……」
俺は強がりを吐いてみせる。しかし状況は何も変わらない。
ならば俺はこの場で殺されるとも、せめてカエデだけは……
「カエデちゃんだけは逃がそう……なんて思ってんだろ?」
「なっ」
背後を振り向くと、二十四本すべての触手を触手憑きたちに絡め取られ、身動きの取れなくなったカエデが必死にもがいていた。
「放して……このっ!」
さっきまでカエデが狙われなかった理由は、俺が特攻役として囮も兼ねていたからだ。その俺が無力化されれば、奴らも邪魔されることなく数の暴力でカエデを圧倒してしまえるのは当然で。
「カエデ……!!」
「キシシシ!! 」
ムナガラは笑い続ける。もはや俺たちになすすべは無い。
朝廷を抜け、姉さんを裏切り、カエデを人間に戻すためにここまで来たのに、こんな道半ばで終わってしまうのか。
「さよならだ、ジン。カエデちゃんは……クズルヒは俺が幸せにしてやるからよ」
「くっ……!」
「ま、心置きなく死ねや」
ムナガラは手を挙げる。連動して少女の触手が俺に突きつけられる。
そして、その手を降り下ろさんと――
「――兄様」
――そのとき。
「――兄様に」
――カエデの声がした。
「――兄様の命は、兄様、わたしが、兄様、兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様ニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマニイサマ」
ムナガラの動きが止まった。
その目を見開き、俺の後ろを……拘束されて身動きがとれないはずのカエデの方を凝視している。
そして同じ方向から、ぐちゃり、ぐちゃりと、肉の飛び散る音が聞こえてくる。
汗が俺の首筋を伝う。
カエデが触手を操れるようになって以来、ずっと見て見ぬ振りをしてきた不安が脳裏をよぎる。
『あたしたちは朝廷直属の忍。勝手な判断で危険な触手憑きをかばうべきではないわ』
『カエデのことを触手憑きって言うなよ。見ての通り危険なんかじゃない……』
『……危険じゃないって、本当にそう思うの?』
――そして、その不安は今現実のものとなる。
振り返った俺の目に入ってきた光景は。
ついさっきまでカエデを捕らえていた触手憑きたちのバラバラになった残骸と。
血しぶきの中心に、膨れ上がったグロテスクな触手の塊が一つ。
そこに居るべきカエデの姿はなく。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッッッ!!!!!!!!」
冒涜的な触手の塊が……大気を禍々しく震わせたのだった。