君の名前はクズルヒ
「おい、そこのお前たち」
林を切り開いた街道を俺たちが歩いていると、道の反対側からやってきた侍に呼び止められた。
侍は腰に脇差を提げている。身分の高い侍である証だ。
「逃亡犯を捜索している。この手配書の人物に見覚えはないだろうか」
侍はそう言って、”俺たち”の人相書きを”俺たち”に見せてきた。
そこに描かれているのは、顔の薄い男に背の低い女の二人組。もう目にするのは何度目になるだろうか。よく特徴を捉えてある。この人相書きを参考にすれば、捜索もやりやすいだろう。
……捜索対象が、人相書き通りの姿をしているのならば。
「いえ、知りませんね」
「ふむ。そっちの大男は?」
俺の隣を歩く、外套を頭から深く被った大柄な人間にも、侍は尋ねた。
大柄な人間は首を横に振り、粘っこい痰の絡んだ咳をした。
「すみませんね。こいつ、持病で喋れないもんで」
「そんなやつが出歩いていいのか」
「腕の良い医者のところに連れてってやるんですよ」
「ふむ……」
侍は納得したように頷いた。それから「この逃亡犯が徘徊しているかもしれん。気を付けたまえ」とだけ言い残して去っていった。
「――ぷはぁっ」
外套の頭巾の下から、女の子の声。
「くひひ、なんとか誤魔化せたね」
カエデは悪戯っぽく笑って、長くて太い腕を……否、触手を束ねた見せかけの腕を口元に当てた。
触手を利用すれば、変装の幅も広がる。そうひらめいたのはカエデだった。
今のカエデは、触手を外套の下に詰め込むことで、体を大きく見せている。腕や足を伸ばせるだけではない。触手を胴体に沿わせれば、体格までも変えることができてしまうのだ。
この大男の正体が小さな女の子であると見破ることは、よほど注意深く観察しなければ不可能だろう。
「まあ、声は変えられないから病人のふりをするしかないんだけどね。はあ……」
「嫌なのか?」
「だってさ兄様、痰ってばっちいよ」
「痰じゃなくて触手の粘液なんだろ」
「そういう問題じゃないの。わたしだって年頃なんだから……」
カエデは顔をしかめながら、粘液を草むらにペッと吐き出した。
そんなカエデに対して、俺は正統派の変装をしている。
忍たるもの変装は必須技術だ。元々顔立ちが薄いので、化粧で顔を濃くしてしまえばそれだけで別人になりきることができる。見破れる可能性があるのは、俺と親しい姉さんくらいのものだろう。
変装が上手くいったおかげで、想定していたよりもずっと快適に旅を進められている。何せ、整備された街道を堂々と歩くことができているのだ。
そうは言ってもさすがに関所の検問はごまかせないので、関所付近では山道に入って迂回している。本来、関所破りは極刑に値する重罪とも言われているが、避けるより他にない状況だ。仕方がない。
「この調子ならセイメイのところまで順調に行けそうだな」
ヨッカイチを発ってから早三日。特に障害なく目的地まで残り半分のあたりまで来れている。
「うん、そうだ、ね……ッ!?」
そのとき突然、カエデが血相を変えた。
立ち止まって、街道の横に広がる林の方を凝視する。
「どうしたんだ?」
俺も同じ方向に注意を払うが、森が広がっているだけで、特に不審な気配は感じない。
「何か、いる。なんでかわからないけど、わかる」
そう答えるカエデの目は真剣そのものだ。
そのとき木々の奥から、殺気とともに一本の触手がまっすぐに飛んできた。
俺はカエデを抱えながら、横転して回避する。その拍子にカエデの外套が外れてしまい、中に詰め込んでいた触手が露わになる。
「触手憑きか……!?」
カエデが警戒していなかったら殺られていた。俺はクナイに手をかけ、臨戦態勢に入る。
伸びてきた触手が一旦引っ込み、やがて林の奥から、十人ほどの人間の集団が現れた。
その先頭に立っている、白い絹の服を着た痩せぎすの男は……
「キシシシ……。さすがに殺れなかったか」
「ムナガラ!!」
九頭龍教団の首領は不気味に笑う。
カエデをさらい、こんな身体にした張本人。またカエデを狙って現れるだろうと確かに予想はしていた。
「どうやって変装を見破った?」
「カエデちゃんも俺たちに気づいてたんだろ。同じ理屈さ」
「どういう意味……」
「その触手に聞いてみなよ」
カエデは触手を引っ込め、無言を貫く。俺の袖を握る手が小刻みに震えている。
俺はその手を握り返しながら、敵の戦力を見極めようとする。
目の前にいるのはムナガラを含めた人間の集団だけ。触手憑きはどこにも見当たらない。ならば触手はどこから伸びてきた?
林の中に触手憑きが隠れているのか、あるいは……いや、まさか……
「な、なにをしている、貴様ら!」
俺たちがにらみ合っていると、さっきの侍が駆け寄ってきた。とっくにどこかへ行ったと思っていたのに、騒ぎを聞きつけたのか。
最悪だ。カエデは変装を解いているし、ムナガラまでいる。この上なく最悪のタイミングだ。
「あー、だりーのが来た」
ムナガラは気だるげに首をぽりぽりと掻き、侍が刀に手をかけて憤る。
「なんだ貴様無礼な! 拙者は幕府の――」
侍がなんと言葉を続けるつもりだったのかはわからない。
一瞬のうちに、太い触手が男の腹を貫いていたのである。
「――かふっ」
「邪魔なんだよ。今大事な話してんだ」
やっぱりそうだ。ムナガラが従えている集団は、人間のようであって人間ではない。
「ヒトの、触手憑き」
侍の腹からずるりと触手が抜かれる。その触手の出処は、ムナガラの後ろに立つ女の背中であった。
女は襟からヌラヌラとした触手を伸ばし、理性の光が消えた瞳をしている。
ムナガラ以外の人々は皆同じ目だ。若い商人のような男、妙齢の女性、それに年端のいかない幼い女の子まで。
彼らは人ではない。触手に人としての理性を喰われた、ただの化け物だ。
「なんてことを……!」
「に、兄様……あいつら……わたしと同じ……」
カエデの声が震えている。
彼らもまたムナガラの手によって触手を食べらせられしまった存在。一歩間違えば自分もあの中にいたかもしれないと、その可能性を目の当たりにしているのだ。
「心配するな、カエデは触手を操れてもカエデのままだ。あいつらとは違う」
「でも……」
「大丈夫。それに、この状況を切り抜けるにはカエデの力が必要だ。俺のために触手を振るってくれ」
「兄様……うんっ!」
怯えていたカエデだが、それでも気丈に頷いてくれた。肩にそっと手を乗せると、こわばっていた筋肉が緩むのを感じた。
そんな俺たちの様子を見ていたムナガラの眉が、つり上がる。
「キシシ……兄様、兄様、兄様兄様兄様兄様兄様……」
「……?」
「なんでだよ……身体はもう変わってんのに、まだ思い出してねえのかよ……!」
ムナガラの顔が歪む。首筋を掻きむしる手がどんどん早くなる。
皮がむけ、血が滲み始めるが、それを気にする様子はまるでない。
「カエデちゃん……カエデちゃんよお……そんなに兄様が好きかよ。俺のこと本当に忘れちまったのか?」
「わたし、あなたなんか知らない! 思い出したくもない!」
カエデが断固として叫ぶ。するとムナガラの首筋を掻きむしる手がぴたりと止まった。
「そうかい。だったら思い出させてやるよ、カエデちゃん。いや――」
ムナガラは、うっとりとした表情に変わり、愛しい者に囁きかけるような優しい口調で
「――クズルヒ」
その名状しがたい名を、確かにカエデに向けて発したのだった。




