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幼馴染は触手の姫  作者: もっしゃん
第一章:幼馴染が触手になるまで
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ジン

【とある山奥】【ウカイ・ジン】【齢九歳】



 木の枝の上に両足で着地する。

 そのまま勢いを殺さずに、次に飛び移る枝を見定めてから跳躍する。

 俺は冷や汗をかきながら、木から木へと、山を全速力で駆けていた。


 だって全力で走らなければ、あの人からは――父さんからは逃げ切れない。


 昼の修行をサボって、栗の甘露煮を盗むために台所へ忍び込んでいたところを、姉さんに見つかったのが数十分前。

 「父さんには黙ってて!」と頼みこんだものの、厳しい姉さんに聞き入れられるはずもなくチクられてしまった。


 その後、父さんから言い渡された罰は、裏山全体を使った鬼ごっこ。

 日が落ちるまで逃げ切ることができれば俺の勝ち。捕まってしまえば夕飯抜き。

 始まってしばらくは木陰に身を潜めていたのだが、あっけなく見つかり……今に至る。


 後ろに流れていく景色の中、視界の隅で光るものが見えた。

 俺はとっさに木から地面に飛び降り、飛んできたクナイを避ける。

 ……って、クナイって! 息子相手に容赦なさすぎるだろう!


「怪我したらどうすんだよ!」


 俺は抗議の声をあげながら、次の一手を考える。

 ひとまず初撃は躱したが、これほど近づかれてしまった以上、逃げ続けることはもう不可能だ。

 だったら、俺の方から反撃するしかない。父さんに一泡吹かせてやる。


 手元にある忍具は鉤縄、煙玉、クナイ。こいつらを使って……反撃……を……

 ……あ、あれ?

 なんか……頭が……ぼんやり……

 指も……動かな……


「俺を出し抜こうなんざ百年早いぞ、ジン」


 地べたにへたりこんでいると、聞き慣れた低い声が背後から響いてきた。

 首をひねって見上げる。ねじれた視界の中、髭面の父さんが半笑いで俺を見下ろしていた。


「これ……金縛り……? 『聖術』を……使うのは……ズルだろ……」

「聖術じゃない。ただの薄めた麻痺毒だ」


 「こいつを飲め」と父さんが竹筒を口につけてくる。

 薬草の匂いがきつい水だ。されるがままに喉を潤すと、だんだん意識がはっきりしてきた。


「毒針がお前の首に刺さっていたのに気付かなかったか?」

「は? そんなのいつ……」

「クナイを投げるより前の話だ」


 首筋に手を置く。確かに、父さんの言う通り、細い針が指に当たった。

 まったく痛みを感じなかった。それほど狙いが正確だったということだ。


「もう勝負がついてたんなら、なんでクナイを投げたんだよ」

「毒が回る前に地面に降ろさないと、落ちて大怪我だろうが。お前が自力で気付くのを待ってたんだがな。修行が足りん」


 俺はむくれながら立ち上がる。口に残った苦い水を吐き出す。

 結局全部父さんの手のひらの上だったというわけだ。つまらない。


 父さんはすごい忍者だ。

 裏稼業の人間で「風切りのゼン」を知らない者はいない。

 かの朝廷から任務をたびたび依頼され、そのすべてを成功させてきた。噂では山賊の根城をたった一人で陥落させたこともあるらしい。


 だけど、俺にとってはただの気に食わない親父だ。

 父さんの教育は厳しい。朝四時に起床したらまず山を走り込み、次に読み書きの練習、毒の調合、戦の稽古、日が落ちた後にも隠密の訓練をさせられる。食事は固い雑穀米を一日五合がノルマ。人のいない山奥で、そんな生活を物心ついたときから強いられてきた。

 里のみんなも、「あの」ゼンさんの息子だからといって無茶な期待ばかりかけてくる。


 そして俺はそんな環境が耐えられなかった。

 だからいつしか修行をサボるようになった。忍者になる意欲をなくしてしまったのも、しょうがないことなのだ。


「ジンにはこの上ない才能があるんだがなあ」

「なんだよ、それ。初耳だぞ」

「顔が地味。たとえエドの街中で脱糞しても、数分後には皆が顔を思い出せなくなるくらいには平凡だ。諜報が生業の忍にとっては代えがたい財産だろ」

「……嬉しくねえ」


 自分の頬をペチペチと触ってみる。

 確かにちょっと顔が薄い自覚はある。しかし言うほどだろうか?


「とにかく、俺は苦しい思いをしてまで忍になりたいわけじゃないんだ。ほっといてくれ」

「なりたくないのか」

「なる理由がない」


 そう、忍者になる理由がない。

 あれをしろ、これをしろと押し付けられても、結局、何のためにそうしなければいけないのか、俺は見つけられていないのだ。立派な父さんと違って……。


「いいかジン。誰かの命を救える人になりたい。父さんはそう願って、忍になったんだ。あれは九頭龍戦争(くずりゅうせんそう)の最中に……」

「その話は聞き飽きたよ。イイ話はうんざりだ」


 父さんは渋い顔を作った。

 間を置いた後、諭すような口調でゆっくりと言葉を紡ぐ。


「いずれジンにもわかるときが来る」


 大きな手を俺の頭にそっと置く。


「そろそろ里に帰るぞ」

「……ん」


 まるで聞き分けのない子供扱いされたみたいで、悔しかった。

 だけどその手はいつになく優しくて、俺は乱暴に振り払うこともできなかった。



***



 斜陽に照らされた山を二人で下る。木々はすっかり茜色に染まり、日も短くなってきた。

 俺はくしゃみが出そうになるのを我慢する。ボロな麻衣(あさぎぬ)一枚ではそろそろ肌寒い。

 父さんに衣替えを提案しようと思い立ち、口を開いた、そのとき。急に父さんが唇に人差し指を当てた。


「どうしたの?」


 父さんの表情がこわばっている。


「山が静かだと思わないか」


 そう言われて、気がついた。鳥のさえずりも、小動物が葉を揺らす音も、まったく聞こえない。自分たち以外の生き物が山からいなくなってしまったみたいに。

 父さんは数秒間だけ目を閉じていたが、すぐ何かを聞き取ったようで、無言のまま西の方へ走りはじめた。俺はあわててその後ろについていく。


 しばらく山の中腹を走った後、父さんが足を止めた。

 草むらにしゃがみこんで何かに手を当てている。


 俺は追いつくと、そこに倒れているものを見て――息を呑んだ。


 女の子だ。

 俺よりも幼い女の子が、全身傷だらけで横たわっていたのである。

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