9 三人でテーブルを囲んで
三人でテーブルを囲んで、赤ワインを飲んでいた。長倉 理彩がある一定の量がグラスからなくなったら、すぐにワインを注いでくれた。骨と皮だけで作られたみたいな指で、それでも片手で瓶を持ち上げ、そのあともう片方でそっと支えた。清蔵はその指を見る度に、厭らしい笑みを口元に浮かべたていた。しかし、先程倒れた拍子に頬を何かで切ったらしく、細い傷ができていた。彼はそのことを気絶したことよりも心配しており、指で大事そうに頬を擦った。
「俺は自分のえくぼには自信があったんだよ」と彼は言った。
「私も好きよ。楽しそうで、お餅みたいで。まるで恵比寿様みたいですもの」
長倉 理彩はクスクス笑う。彼女も今では落ち着きを取り戻せたようだった。
「そうなんだよ。これこそ純日本人的な頬だ。悲しいことに、こういう頬は今では少ない。倫助、お前も俺の息子でありがたく思えよ? これはかなり希少なものだ」
「僕はグローバルな人間みたいでしてね」と僕は言った。「あまり括りには興味ないみたいです」
「グローバル! 」
清蔵はそう叫ぶと、両手を天井に向けて上げた。それから彼はゆっくり息を吸い込んで、大袈裟なため息をついた。
「まさしく、グローバル。どこに行ってもその言葉だ。あっちに行っても、こっちに行っても、どこも同じことを言いやがる。だがなあ、世の中は利で動いているし、だとしたら身内を優先すべきだ。まったく、グローバルを語るどのくらいの奴が海外を知っているんだろうな。そもそも、お前に海外経験があるのかい? 」
「少なくともこれで一回」
「おお、予想外の返事だな! 悪くない」
「それより、父さん。具合はどうですか? 」
「上々だよ。なかなか若いのと飲むのは愉快なもんだよな。楽しいもんだよ」
「それなら良かったです。父さんも結構な歳なんだし、体には気を付けてくださいね? 」
長倉 理彩も深く頷く。
「そうよ、あなた。さっきまで気絶してたんだし、私はお酒も控えてほしいのだけどね。そこの息子さんが勧めたからって、無理して飲むことはないのよ。この意味、ちゃんとわかる? 」
「……ああ、わかるよ。ありがとうよ、若い衆。これで最後の一杯にするから、この哀れな老人を見過ごしてやってくれよ! 」
彼はそう言うと、一瞬でグラスを空にした。しかし数秒も経たないうちに、また発作的な手の震えが起きて、呻きながら身を丸めた。口から言葉にならない小さな声が聞こえる。それがだんだんと大きくなって、そのおかげで、ほんの少しだけ微かに聞こえた。これで最後にするよ、と彼は言っていたのだ。そしてワイン瓶をひったくるように掴むと、またグラスに注いだ。
長倉 理彩はその光景を悲しそうに眺めながら、僕を横目で睨み付けた。唇の動きから、出ていけと言われたのがわかった。そのまま、彼女は部屋を出て、足でドアが閉まらないようにして僕を待った。仕方なく、僕は赤ワインを紙袋に詰めると、清蔵に別れを言って出口に向うことにした。その際、清蔵はそれで一気に不安が押し寄せたらしい。俺を一人にしないでくれ、と叫び始めた。しかしドアが閉まったら、しっかり音は聞こえなくなっていた。
「最低な一日ね」と長倉 理彩が言った。
「悪かったよ」と僕は肩をすくめる。「色々ごたごたになっちまってさ」
「……なんで謝るの? 」
「悪いことをしたからだよ。当然のことだろ」
「さっきまでは平然として悪びれる様子もなかったくせに。ねえ、わかってほしいのだけれど、それって普通じゃないわ。あなたは直情的だったと思えば、すぐに気長な人間にもなっちゃうんだから。まるで自分でやってることが矛盾してるみたいよ。しかも、それがまったく構わないって感じじゃない。それは清蔵さんも同じだけど、それは殆ど歳のせいよ。でもあなたは――」
「もう、そこまでにしてくれ」と僕はさえぎって言った。「もう今日は部屋で大人しくしておくから」
それから僕は額に手をやった。頭が奥からがじんじんと熱くなったような気がした。そして、そのまま覚束ない足取りで303号室の前を去った。そのあとベッドで倒れて眠ろうとしたが、そうはしなかった。もう蝿になって、母さんの身体を周回するのは嫌なのだ。