7 階段を転げ落ちて
気を落ち着かせようと、ワインを飲むことにした。あまり酒には強くなかったので、3杯目で顔は真っ赤になっていた。そのあと、僕はベッドで寝ながら白い天井を見つめた。口元が寂しくなり、震える手で新しいタバコをくわえ、備え付けのマッチで火を点けた。
本当に死ぬべきは僕じゃないだろうか。
その言葉が数字のように頭に過った。縄があったらドアの取っ手に繋いで死んでやるのに、とも思った。あるいは、ゴッド・ファーザーみたいに背後から頭ごと布袋を被らされて、ナイフで何回も刺されたい気分だった。とことん惨めに死んでやりたい。そんなこと当然怖くて出来ないのだが、妄想だけは止まらなかった。
ドアが鳴った。僕は非現実的な思考を中断し、のそのそと起き上がった。そして、ドアを開くと、長倉 理彩が立っていた。額から汗が吹き出し、唇が微かに震えていた。顔はさらに白くなっていた。
「どうした? 」と僕は言った。
「……清蔵さんが階段から転けちゃったの」
「怪我は? 」
「ほとんどないわ。だけど少しの間、気絶してて」彼女はそう言うと、わっと泣き出した。「ああ、あなた、早く来てちょうだい! 早く! 」
「まあ、待てよ。今行くから」
僕は靴箱の上に置いた鍵を拾うと、彼女と一緒に303号室に向かった。長い階段を上って、部屋の角から顔を出す。すると、廊下にさっきの男達がいた。根来と羽黒だ。僕は小さく舌打ちをすると、さっと顔を元の位置に戻した。
「どうしたの? 」と長倉 理彩が不安そうに言った。「なにかあったの? 」
「少しね。あの廊下の男達はどうしたのかな? 」
「倒れている清蔵さんを見つけてくれたの。気絶してたから、二人で担いで運んでくれたんだわ」
「それにしては、まるで父を見張っているような早さだな? だって、気絶をしていたのは少しの間だけなんだろ? 」
「知らないわよ、そんなこと。ねえ、それよりも早く行きましょうよ。あなたのお父さんが今にも死にそうなのよ! 」
「死にそう? さっきは気絶だと言ってたじゃないか。それに怪我もない。今は意識もあるし、ピンピンしてんだろ? なあ、変だとは思わないか? 」
「変なのはあなたよ! なんでそんなに冷静でいられるの? 」
「こればっかりは親譲りみたいでね」と僕は言った。しかし、長倉 理彩の険しい顔を見たら訂正することにした。「いや、冗談。正直に言うと、あの男達とはあまり関わりたくないんだよ。どうにも相性が悪そうなんだ。そういう奴っているだろう? だからさ、頼むから上手く追い払ってくれないかな? 」
「二人と何かあったの? 」
「まあ、そういうこと。大したことはないんだけど、いざこざにしたくないしね。あの屈強そうなもう一人の男と喧嘩になったら、僕もただでは済まないだろうし」
「ねえ、あなたおかしいんじゃない? 今がどんな場面か分かってないのかしらね」
「なんだって? 」僕はもう一度訊いた。
「今がどんな場面か分かっていってないのかしらね」
「違う、その前の言葉だ」
「ねえ、あなたおかしいんじゃない?」
「ふざけやがって」と僕は言った。最低な気分だった。「僕がおかしいだって? ……くそったれめ! 」
「ねえ、どうしたのよ? 変よ、倫助くん」
僕は腕を伸ばすと、彼女の両肩をぎゅっと掴んだ。そして、強く揺さぶった。
「頼むから! 」と僕は唸り声で言った。「頼むから、早くあの二人を追い出してくれ。僕のことは何も言わずにだ。すぐに消してくれ。そうしたら、僕だって父さんのところへ行けるんだ。わかったか? 」
「あなた、やっぱり変よ? それ、自分でわかってる? 」
「違う、このアバズレめ。俺を狂乱者にしたいのか! 君は黙って言うことを聞けばいいんだ」
「……わかったわ。私だって、厄介ごとには関わりたくないしね。そんなのは絶対に嫌よ」
「僕だってそうさ。ああ、そうさ。うん、そうなんだよ、うん」
僕はそう呟いた。彼女はそれに小さくため息を吐くと、こう言った。
「倫助くん、それでもあなたは気が触れちゃってるわ。それは今に始まったことじゃないけれど、顕著に現れ始めてる。あなたも清蔵さんと一緒で、見えないものが見えたり、もうすぐ徘徊を始めたりするかもしれないわよ? 」
僕は怒鳴ろうとした。しかし、口を開けたまま、何も言葉がでなかった。手が小刻みに震えて、涙が出そうになった。長倉 理彩はそんな僕を見て、「ほらね」と言った。そして、彼女は廊下に出ていき、二人の男と話をしに行った。僕は呆然としていた。しかし、じっと耳だけは澄ませていた。あの三人は何を話しちまうのだろうか、考えただけで心臓がばくばく鳴っていた。