45 黒と灰色のボーダーラインを踏みながら
メイは口元にうすら笑みを浮かべていた。その眼光は妖しく、そして鈍く煌めいていた。彼女はゆっくりと鼻から空気を取り込むと、ふう、と唇の端から放出させた。
「そんなに驚いてどうしました? 」と彼女は言った。「なんだか、人が変わったようだ」
「いえ、別に普通ですよ」
彼女は頷いた。それか指をぱちんと鳴らし、眉を楽しそうに上げた。
「心配せずとも、最終的には刑事が犯人を取っ捕まえるでしょう」
「……だと、良いですがね」
「しかし、それはもっと先のことになるかもしれません」
「なぜ? 」
「もうすぐ日本の領海を抜けます。そうなると、もうあの刑事は犯人を逮捕できなくなる。事件が国際化するのも時間の問題だ」
「ということは、犯人が逃げきれると? 」
「そうさせないために、あの刑事は躍起になってるのです。黒と灰色のボーダーラインを踏みながら、彼はもっとも遺恨が残らない方法を選んでいる」
彼女は肩をすくめた。そして、にやっと笑った。なんとも意地悪い笑みだった。
「それにしても、日本の警察組織もおかしなことをしたもんだ。あの男を何らかの理由で忍ばせておきながら、そのままハワイまで旅は進んでいる。それは上客の混乱を避けるためか、犯人に悟らせないためかわからないが、そのくせ後手に回っている」
たしかに、と僕は言った。しかし頭の中では逃げられる可能性を探っていた。どうしたら逃げられるだろうか? ハワイに行って、すぐにまた高飛びをするとか? 駄目だ。もっと直前のことから考えるべきなのだ。きっと、港には警官がぞろぞろ取り囲んでいるだろう。一人一人、事情聴取を始めるかもしれない。捜査ももっと精密な機器を使うことになるだろうし、そうなればすぐに僕はバレてしまう。
僕はドアを開いた。もう行かなければならないのだ。それがどこかわからなかったが、そうするべきなのはわかっていた。今逃げられたところで、後が控えているのだ。メイも、羽黒も、根来もその過程に過ぎないのだ。僕は一生に渡って逃げなければならないのだから。
メイは僕を出ていこうとするのを見て、少しだけ上ずった声を出した。言うべきなのか、言わないべきなのか迷っているようだった。しかし、結局は言うことに決めたらしくて、残念そうに言った。
「本当のところ、あなたは幻覚なんて見ていない。だからこそ、私はあなたを助けてやりたい気分になっている」
「……どういう意味ですか? 」
「それだけの意味だよ。他意はありません」
「じゃあ」と僕は言った。「また」
「また会おう。次は私だけではないかもしれないが」
そしてドアは閉まった。




